没落しましたけど時間停止アプリがあるからわたくしは幸せですわ!

南国アイスバーン

第1話 クラスメートからお説教されましたけどわたくしは元気ですわ!

 拝啓 新緑の候、皆様はいかがお過ごしだろうか。


 わたくしの方は完全に自堕落な高校生活を送っている。ゴールデンウイークが終わってしまって2日ほどが経った。早くも休みが恋しい。次の連休はいつだろうとカレンダーを見ると、7月まで祝日はないというのだ。

 つらすぎる。人間、適度に休みを取らないと駄目になる。わたくしは絶賛五月病なのであった。


 放課後。やっと授業が終わった。さっさと家に帰って、だらーっとしたかった。

 それなのに、わたくしは教室で正座させられている。

 どうしてこんなことになっているのか、心当たりはない。

 教室にはわたくしの他にもう一人。帰宅しようとしたわたくしを呼び止め、正座を命じた張本人がいる。彼女は仁王立ちをして、正座状態で縮こまっているわたくしを無言で見下ろしている。

 沈黙がとても気まずい。教室の壁に掛けられている時計の、カチカチという音がとても大きく感じる。

 彼女をチラリと見る。彼女は険しい表情でわたくしを睨んでいる。怖すぎる。今にも刺されそうだ。

 ――わたくし、何かやっちゃいました?

「……あなた、今日も授業中に居眠りをしていましたわよね?」

 彼女はようやく口を開く。

 どうやら授業態度についてのお説教のようだ。

 なんだ、そんなことかと内心ほっとする。

 もしわたくしが彼女に粗相をしてしまっていたとして、それで怒らせたのだとすれば、わたくしの存在は抹消されていただろう。

 彼女は海老島 えびじま綾乃 あやの様。わたくしのクラスメートである。

 彼女は超偉い。何せ泣く子も黙る海老島財閥の会長のお孫さんなのだ。各界の御令嬢が集うこのリントヴルム女学園においても、抜群の存在感を放っている。

 対してわたくしは1年ほど前、ちょうど中等部から高等部に進学する頃にお父様の会社が事業で大失敗して倒産。何もかもを失った没落お嬢様なのである。

 天上人の彼女がどうしてわたくしのような道端の石ころなんかにお説教を?

「居眠りだけではありませんわ。この前の小テストでは残念な点数を取っていましたよね。20点だったかしら」

 大型連休前に行われた数学の小テストの点数は100点満点中、たったの20点。こんな点数を取ったのは生まれて初めてだった。……あれ、どうして綾乃様はわたくしのテストの点数をご存じなのかしら?

「あなた、この学園唯一の特待生なのですよね。特待生の条件は期末試験で学年主席を取ることでしょう。……退学したいのですか?」

 彼女はとても困った顔をする。

「1学年の頃は優秀な生徒だったと記憶していますけれど」

 確かに、1学年の時は断トツでトップの成績だった。1位じゃないと特待生の資格を失ってしまうから、死に物狂いで勉強したのだ。そのおかげで2学年に進級できた。

 ところが、2学年に上がってからはそれほど勉強に身が入らなくなった。1学年の期末試験で燃え尽きてしまったのだ。

 そこまで努力して、この学園にいる理由があるのだろうか。没落した後もわたくしを特待生として学園に引き続き置いてもらえるよう尽力したお父様には申し訳ないが……。

 しかし、そんな泣き言を話したところでお説教の時間が長くなるだけなので、何も言わない。嵐が過ぎるのをじっと待つ。

「これだけ言われても何も言い返さないのですわね。私なら『絶対に見返してやる』と奮い立ちますわよ!」

 彼女は語勢を強める。

「そこが、私があなたとは違うところ! あなたがダメダメである理由。……あなたからは負け犬の臭いがしますわ!」

「……」

 さすがにもう限界であった。これ以上はわたくしの精神が持たない。

 わたくしは制服のポケットにそっと指を潜り込ませ、中に入っているスマホを操作する。

 その瞬間、世界は静止した。


 掛け時計の秒針は電池が切れたように停止する。教室の外から聞こえていた喧噪も全く聞こえなくなる。完全な静寂。

 お説教をしていた彼女は、わたくしを見下ろしたまま固まっている。

 わたくしは立ち上がろうとして、よろけてしまう。少し足が痺れてしまったようだ。何とか踏みとどまり、今度こそ立ち上がる。

 スマホを取り出して画面を見る。スマホには《残り02分48秒》の表示。時間が止まった世界でわたくしが活動できる時間である。

 スマホをポケットに戻し、ぐーっと背伸びをする。

「さて……と」

 彼女に詰め寄り、至近距離で睨みつける。息がかかるような距離。しかし、彼女の吐息は感じない。彼女は人形のように動かない。

 彼女はもう何も抵抗できないのだ。わたくしは邪悪な笑みを浮かべる。

「今までの屈辱を晴らす時が来ましたわ」


 わたくしは両手を彼女の頬に添えた。そして、滅茶苦茶に揉みしだく。

「このお口なんですの? わたくしのことを悪く言うのは!」

 ほっぺたをむにむにーっと、わしゃわしゃーっとする。

「反省しているんですの? わたくし、とっても傷つきましたの」

 とんでもなくぷにぷにでやわらかい感触。

「ああ、綾乃様……。こんな可愛らしいお顔をして……そんないじわるなことを言っても、全く説得力がありませんわよ!」

 もう10回ほどマシュマロをもちもちした後、手を止めてみる。目の前にはとても顔の整ったお嬢様。じゅるり……と涎が出てくる。

 はっ!? と我に返る。いけませんの、ここで見れていたら相手の思う壺ですわ! 冷静に物事を考える。

「……そう言えば、わたくしに負け犬の臭いがするとおっしゃっていたかしらね! それならあなたはさぞかし勝ち組の香りがするんでしょうね!」

 ガバっと抱きしめ、大きく深呼吸する。

 スーハー……

 “!?”

 わたくしは雷に打たれる。

「これが人生の勝利者の香りですの!? 上品で高貴でヤベーいい香りがしますわー! おシャンプーの香りなんですの? どんだけ素晴らしい高級なおシャンプーを使っているんですの? このおシャンプーの試飲レポが読みたいですわ! むしろわたくしが試飲しますわ! セバスチャン! 大至急、綾乃様が使っているおシャンプーを取り寄せて! あと、ストローも用意してくださいまし!」

 わたくしは執事を呼んだものの、返事はなかった。世界が停止しているからしょうがない。……いえ、そもそもわたくしには執事なんかいませんでしたわね。

 しばらくフガフガしていると、スマホが警告音を鳴らす。時間停止の効果がもうすぐ切れることを知らせているのだ。わたくしのお楽しみタイムはここで終わりである。

 わたくしは揉みくちゃにしたせいで乱れまくった彼女の制服を簡単に直し、正座の姿勢に戻る。


 《残り00分00秒》

 時間停止の効果は切れ、世界は再び動き出す。

 彼女は何事もなかったように話を続ける。

「……ちょっと、お話を聞いていまして? とにかく、次のテストではこの学園の名に恥じない結果を期待していますわよ、多胡嶺たこみね花莉那かりなさん」

 彼女はわたくしを取り残して教室を出ていった。


 わたくしはそのまま正座姿勢を続ける。

 彼女の足音が完全に聞こえなくなったことを確認すると、わたくしは足を崩して大きなため息をつく。

「はー。やっと終わりましたの」

 今度こそ家に帰ろう。

 わたくしは帰り支度を始める。カバンに教科書を詰めながら、お説教の内容を思い返す。確かに、このままでは学年主席など夢のまた夢である。何とかしなきゃまずいというのは分かっている。しかし……。

「あんだけ勉強しろと言われたら逆にやる気をなくしちゃうというものですわよ」

 反抗期の中学生のようなことを考える。実際、わたくしの精神レベルはそんなもんだろう。

「それにしても、綾乃様の感触は良かったですわね。明日も時間停止して色々とやってみようかしら」


 げた箱に向かうと、そこには綾乃様がいた。うわぁ。さっき怒られたばかりなので気まずい。ていうか、まだ帰っていなかったのか。鉢合わせるのが嫌だったので教室で少し時間をつぶしていたのに。

 彼女は腕時計をチラチラ見て、そわそわしている。何かを待っているようだ。お迎えの車がまだ来ていないのだろうか。

 彼女はわたくしに気が付くと、頬を膨らませる。

「もう、遅いですわよ。すぐ来ると思ったのでここで待っていましたのに」

 え? わたくしを待っていた? どうして?

「あの、先ほどは言い過ぎたかもしれないと思いまして。あなたに勉強を頑張ってほしくて、敢えて強い言葉を使いましたのよ! ……言いたかったことはそれだけですので。それでは、ごきげんよう!」

 彼女は早口で言うだけ言って、逃げるように走り去っていった。

 パタパタと走る彼女の後ろ姿を見ながら、わたくしは今後のことを考えていた。

 中間試験まであと2カ月。

「勉強……少しだけ頑張ってみようかしら」

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