ファンジンとは何か。

一縷(いちる) 望

ファンジンとは何か。


 実家の物置を整理していると、だいぶ昔に亡くなった兄がかなり収集していた、昔のファンジンが大量に「発掘」された。

 漫画やアニメ、ゲームなどに材を取った、素人の作った専門マガジンと言えばよろしかろう。

 

 普通、こういう代物は、読み耽けって当初の目的を大きく逸脱するか、中身も見ないままに、全て燃えるゴミか、または古紙回収に出されるものだろう。

 兄は分類などと言う事をしない人だったので、当時彼の興味を引いたあらゆるファンジンが、雑多に詰め込まれていた。

 

 私はタイトルだけ見て、箱を分けて分類した。

 既に紙が傷んでしまっていて、ボロボロのものが多く、触るだけで紙が崩れた物も多々ある。

 質の低いコピー紙にこれまた当時の質の低いコピーとホチキス止めの製本では、致し方ない。空気に晒され、ホチキスの歯は錆びて、紙の一部は窓からの日光によって完全に焼けてしまい崩壊していた。

 

 これらを簡単に分類し終えてから、昼休みとしての食事の時にでも眺めてみる事にした。

 

 まず、黄色く、或いは茶色に変色した上で崩れてしまっている物は、もう私の手には負えない。

 これはビニール袋に入れた。

 

 さて、殆どは80年代から90年代半ば頃のものらしい。

 90年代の頃の印刷製本された同人誌も、多数出てきた。

 

 

 

 ファンジンとはわかりやすく言えば「同人誌」である。

 

 これは、SF界の古い用語として出現したが、要は、特定のジャンルにおける、特定の作品、或いは特定の作者の作る作品などを、同好の士の手による、同好の士に向けた、同好の士が読む本である。

 

 1.非専門家が作成する事。専門家が介在してはいけない。アマチュアである事。

 2.非営利団体である事。これが重要なのは3つ目の理由による。

 3.一番重要なのは、非公式である事。

 この3つを備えていなければファンジンではない。

 

 非営利団体とはいえ、雑誌の作成はお金がかかるので、実費と頒布はんぷするのに必要な必要経費を乗せて、同好の士に渡されていた。

 

 予め、会員制で会費を支払っているような会では頒布会はんぷかいとして、そのファンジンが毎月届けられたりしていた、というのが米国で見られたスタイルである。

 会員制にする事により、制作するべき本の数が予め予想できるために、この形式の会は多かったようである。

 

 

 さて、これは Fan+Magazine という造語である。

 

 大体、ネットで調べるとSF用語的な、教科書的回答がされている事だろう。

 

 しかし、ファンジンというのは、SFにとどまらない。

 

 日本においてこのファンジンが最初に作られたのがいつ頃なのか、定かではない。(少なくとも私には分からなかった。)

 しかし、70年代に入ると、アニメのファンジンは既に存在したようである。

 かなり古い物として、「海のトリトン」ファンジンが既にあったとの事である。


 ※放送は1972年4月1日から9月30日 手塚治虫氏の同名漫画のアニメ版

 ※この作品は子供の夏休みに合わせて、夏になると各地方のTV局で繰り返し再放送されている。



 サブカルチャーとしてのファンジンは、この頃既に存在していた事になる。

 勿論、アンダーグラウンドでの話であり、一般に存在が知られる事はなかった。

 

 また、マガジンが語源にあるように、そのファンジンの内容は、多岐にわたる。

 内容は漫画だったり、挿絵的なイラストだったり、2次創作的追加ストーリー(または、ファンが勝手に作る外伝)だったり、評論、或いはその同好の士が考えた原作の設定に対する推理、考察だったり、登場人物に向けた1ファンのラブレターだったりもした。

 

 凡そ、その作品について考えられる要素は、なんでもあり。

 

 唯一無かった物は、現在と大きく異なり「エロ」または「猥褻わいせつ」である。

 

 これは猥褻わいせつに対する、極めて厳しい風潮があり、今現在を生きる若者には想像すら出来ないほど、厳しいものがあった。

(手塚治虫氏でなければ、あのアニメ「不思議のメルモ」は発表すら出来なかったであろう。あの時代の、いわば最先端の性教育的内容を含むものですら、あの状態である事を考えて戴きたい。)

 

さて、同好の士を集めて、大抵は「なんとかの会」とか、「なんとか同好会」というのが結成され、その会員に頒布される会誌、あるいは会報の形を取るファンジンが多かったようである。(最初から不定期刊行を謳うサークル?も少なからずあったが、月1回、または3ヶ月に1回というのが主流派であったと云う。)

 

 これらは、私が伝え聞くところによれば、多くの場合「女性」が行っていたという。代表者の名前が男性になってるのに、実質の会代表は女性だったというのは、随所に見られたとの事である。

 

 男性たちは今とは全く異なり、こうした活動には殆どの場合、非協力的だったと言う。

 非協力的と言うよりは、無理解、無関心だったのかもしれない。

 

 

 私が聞いた中で、もっとも熱が有ったのが、「六神合体ゴッドマーズ」である。

 この中で出てくる、敵役美形キャラは、主人公「マーズ」の兄弟という設定だったか、「マーグ」と言う美形キャラの青年が出てくる。

 

 この「マーグ」専門のファンジンが多数存在したという。

 「マーグ」専門があるくらいだから、「六神合体ゴッドマーズ」のファンジンがかなりあったとの事である。

 

 この当時の多くのファンジンはアングラ故に、非公認である。

 しかし、中には公式に認めてもらう動きも出てきて、「〇〇公認FC」、つまり公式ファンクラブを名乗るサークルもかなりの数、出てくる。

 認めてもらえないままに、〇〇「非」公認ファンクラブと名乗る所もあったらしい。

 タツノコプロの「科学忍者隊ガッチャマン」などもファンクラブやファンジンが多数あったが、タツノコプロは、公式ファンクラブをたった1つ以外は認めていなかったと言う。(つまりその他はどんな理由あれ公認しなかった。)

 「キャプテンハーロック」等に代表される松本零士氏の作品にも少数ながらも男性諸氏の手によりファンジンが立ち上げられていたと言う。中には、公認されたものも有るようで、それらはもはやファンジンではなく、公認のファンクラブによる会報、会誌と言うことになる。

 

 まだ、著作権をうるさく言う時代ではなく、この辺りも緩い状態で、多数のアニメ作品に多くのファン雑誌が生まれていたと言う、牧歌的時代であった。

 

 70年代におけるロボットアニメで、敵役に美形好青年キャラを出すというのが、一つのお約束となっており、原画家の描く美形キャラにヤラれてしまう、うら若き女子たちが大勢居たという。

 

 象徴的な事件は、アニメキャラの敵役「マーグ」が死亡した話の際には、有志の女子たちが、このアニメキャラの葬儀を行い、全国から女性ファンが追悼の為に集ったという、信じがたい話がある。


 ネットどころか、携帯もない、PCによるパソコン通信すらない時代なのでこの葬儀の話は、恐らくは家庭にあった固定電話によって、彼女たちの名簿に有る親しい女性達に口伝で伝わったのだ。それが、全国にいる「マーグ」信奉者たちに波のように伝わり、追悼集会になった、という事だろう。


 ここまで過激ではなくても、女性たちが作るファンジンは、熱意があり息長く続くものも相当数あったようである。

 

 一過性アニメではなく、小説などのファンが集ったもの等もそれなりあったらしいが私には確認できなかった。

 唯一知り得たのは、高千穂遥氏の「クラッシャージョウ」のファンジンがいくつか、あった事である。

 

 

 アニメのファンジンは、その後も様々な作品で続く。

 放送が終わっても、続くものも有った。

 

 恐らく70年代半ば、この頃だと思われるが、「風と木の詩」と言う問題作を竹宮恵子女史が発表しており、女性漫画の中で、次第に美形男子の許されざる同性愛といったテーマが、淫靡に花開こうとしていた。まだ、そうしたものが許される世情ではなく、問題作だった。

 魔夜峰央氏の「パタリロ!」や青池保子女史による「エロイカより愛をこめて」などと言った、これらの作品でも美形男子或いは美形男性同士の友情を超えてしまった愛情表現としてのシーンも描写されるようになる。

 これらの作品に触発されるように、女性たちオンリーで結成されていた会誌などは、次第に男性キャラ同士の友情から、徐々に絡むようなイラストが多数描かれていき、とうとう激しい同性愛を描くものに変化していった物も多いという。

 今で言うBLつまりボーイズラブの先駆けと言える。


 ※ちなみに女性同士の同性愛である「百合」はまだこの頃、私が確認出来たものがない。しかし、何分アンダーグラウンドでの話である。どこかにそれが、密かに咲いていたとしても不思議ではないが、確認するすべはない。

 

 こうしたものは、まさしくアンダーグラウンドで活動するファンジンならでは、と言えよう。

 

 こうした活動が、下火となったのがいつ頃であるのかは、定かではない。

 はっきりしているのは、80年代に入ると「受け取るだけ」と言う人が大半を占めるようになる。

 会員は水ぶくれしていくが、作る方に参加する人と、受け取るだけの人に完全に別れてしまったのだ。

 

 こうなると、制作する執行部の負担は重くなる一方である。

 原稿を書くのも、印刷も、またはコピー機で大量にコピーを行い、ホチキスで止める製本も数が多いと大変である。

 そして、なにより全国に多数いる会員への「郵送」、そして「郵便為替」で送られてくる会報代金の現金化。

 300部から500部を全て手作業で作って、封筒にいれ、名簿片手に宛名も手書で書いて郵便切手を貼り、それを投函する作業を僅か2人か3人でやっている所を想像されたい。

 

 もはや、趣味でやるには大変すぎる。

 

 仕事が忙しい社会人も多くなると、そこで分解していく。

 こういう物が同人誌のほうへシフトして生き残って行ければ、運が良かったほうだろう。

 殆どは80年代の中期において消えている。

 

 こういうファンジンも、初期のコミケには、多数参加していたとの事である。これにより、知る人ぞ知るファンジンが、少しだけ日の当たる場所に出てきた瞬間であろうか。完全なアングラ活動だったものが、半地下くらいになったと云うべきか。


 同人誌という形で、実質中身は会報だったファンジンという発行物は、90年代を通しても細々と生き残る。

 

 何らかのアニメに焦点を当てた同人誌というものは、その殆どがファンジンであった。内容はイラストや、2次創作小説、2次創作漫画。そして所々にティーブレイク的なコラムや小ぶりのイラスト、或いは評論が挟まる。

 そんな作りである。所謂、雑誌的なスタイル。

 

 女性たちが作るファンジンであった物は同人誌という形になると、もはや先鋭化して、BL本となっていく物も多かった。

 「やおい」と言う言葉がいつ生まれたかは男性である私には判らない。

 発生時期は定かではないが、女性たちが自嘲気味に、自分たちの作るBL同人本をそう呼ぶようになった。

 (これは有名であるが、記載しておく。「や」まなし、「オ」チなし、「い」みなし。の3つである。)


 ※本エッセイの読者で『ちありあ』様より、「やおい」についての情報をコメントで戴きました。

 →ガンダム本放送当時でガルマとシャアの『やおい本』を作っていたお姉様方がいたと聞き及んでいます。


 この部分、やや詳しい友人にメールで聞いた所によればガンダム自体が1979年であるから、この「やおい」本がはっきりと確認できたのは1980年からだと言う事であった。

 ちなみに「ガルマ・散る」は第10話。1979年6月9日(Wikipedia調べ)


 ここで、恐らく女性達の作る『ガンダム』ファンジンは、一気に盛り上がったものと思われ、「シャアxガルマ」という2次創作本が生み出され、それがコミケなどで確認されるようになったのは、もう少し後と言う事になる。

 こうした美形男性キャラが出ているアニメには、ほぼすべて同性愛2次創作があったと仮定すると、恐らく1977年くらいからは作られていた可能性もある。


 こういう美形男性同士の同性愛本は、言わば、「徒花」的な印象を強く持つものであり、制作していた女性陣もそれを「自覚」していたと言う事に他ならない。

 2次創作漫画があくまでも外伝的なストーリー等を作ろうとしている時に、同性の情事に耽るこの種の本はそれが女性にとってみた場合、独特のタッチで描かれ、感情に訴える物はややもすると「耽美系」とも言われ、「耽美系サークル」というものが存在した。

 これは芸術における耽美主義とは異なるが、実際には情事を描かずに、色気を感じさせるイラストなどをふんだんに用いた2次創作小説や2次創作漫画となったとの事である。

 (ややこしいのだが、この「耽美系」には女性同人作家が生み出したオリジナルのキャラクターによる1次創作物もあったという。)


 これは「やおい」の中にも勢力が分かれていた事を示唆している。

 残念ながら、男性である私には、この先にあるであろう『秘密の花園』にある情報は入手できなかった。



 さて、80年代中期においてファミコンが登場し、ゲームのファンジンも同時に生まれて行く。

 

 初期において有名な物が、ゲームセンターのゼビウスをプレイした同人グループによる、『ゼビウス1000万点への解法』(最初は「解法」ではなく「道」とも呼ばれた)であり、なんと兄はこの同人によるミニコミ攻略本を入手していた。

 

 もはや変色してボロボロになってしまっているが、紛れもない本物である。

 この頃は発行している本人宛に手紙を書いて更に返信用封筒、ミニコミ誌のための郵便為替をいれて、封書でお願いする。と言う手順を踏む必要があった。本屋で買えるものではない。


 発行部数が少なかったために、大ブレイクしたこの攻略本はその後増版されたとは聞くが、初期のものを入手するのは困難であったに違いない。

 

 ※この攻略本は田尻智氏の手によるものである。1983年の事である。

 ※ミニコミ誌、ゲームフリークの代表である田尻氏が東京高専時代の物である。

 ※最初はモノクロコピー誌である。

 ※田尻智氏は、もはや伝説的なゲームデザイナーである。ポケットモンスター(通称ポケモン)の考案者であり、制作者でもあったからだ。ミニコミ誌ゲームフリーク時代に考案していたという。紆余曲折を経て1996年に発売されるや、大ヒットとなったので、誰でも知る作品であろう。

 ※ゼビウス攻略本はベストセラーとなり、再販が田尻氏に依頼されて、再編集し印刷製本された「ゲームフリーク」別冊として再発行された。これも記録的な発行部数を達成したという。


 ※ゼビウス・ファミコン版は、1984年にゲームセンター版をかなり正しく移植しており、初期ナムコ(当時)作品はどれもゲームセンター機から移植(俗にいうアーケード版移植)でありながら、本物そっくりと言われ傑作の名をほしいままにした。当然、ゲームセンター向けの攻略本がそのまま使えたのである。


 

70年代末期から80年代に多くのアニメがありながら、ファンサークル活動がそれほど、ひしめくように生まれなかったのは、理由をアニメ専門雑誌に求めることができよう。

 この時代には、雑誌社がアニメ専門誌を発行し、ムック本も多数発刊されているために、サークルを結成して情報をやりとりする必要性が極端に薄れたことと無縁ではなかろう。このことは、初期のアニメ雑誌には読者投稿欄に、サークルの会員募集が盛んに掲載されたのだが、時が流れるとこれらが無くなって行く事に気が付く。


 つまりは情報が簡単に得られるようになったのだ。 

 

 この暫く後のドラゴンクエスト(通称ドラクエ)とファイナルファンタジー(通称FF)等のRPGヒット作のいくつかが、同人誌やファンジンを多数生み出す事となる。

 ゲームのファンジンとなると、男性が多数参加する様になっていく。

 殆どはゲームに登場する美形少女かメカ等のイラストが主である。そこに攻略情報など。

 

 しかし、攻略本が出版社の華やかなドル箱だった時代において、単に攻略系ではファンジンとしての存在意義がない。

 

 そこでゲーム系ファンジンはイラストや2次創作小説、あるいは漫画等が描かれるように変わっていった。

 そして、残念な事に同人誌を「売る」為に、女性キャラの「エロ露出」というものが、盛んに行われるように変遷していく。

 受け取る側も、それをかなり過剰に期待していた面もあった事は否めない。

 

 これは80年代中期から後期には殆ど見られなかった現象だが、90年代に突入した頃には激増している。

 80年代末期に「美少女ゲーム」という括りのPC用エロゲームが登場し、どんどん過激になりながらも勢力を拡大した事も、そうした現象に拍車をかけた事は否めない。


 つまり、表現として此処までなら許されると、思われたのである。

 そうなれば、売るための「餌」に「エロ」が入るのは当然のことだった。

 

 本来、ファンジンは非営利団体である。しかし80年代末期から90年代に入って始めたアニメ・ゲーム同人誌を作る人々はそんな事は意識していない。

 作ったものがあって、お金を投入したのなら、それのリターンを求めたのだ。

 

 そして、80年代最末期から、プロがこっそり乱入するようになる。

 この時点において、アマチュアであるべきという、定義の1は、無残にも破られる。

 プロは、はっきり言えばバイト気分である。自分の絵のクオリティには自信があり、勿論客が多数つくだろうことを知っている。

 この時点において定義の2も破られる。明らかに生活費の足しにする者たちが、現れたからだ。

 糊口を凌ぐ思いのプロ漫画家やイラストレーターやアニメーター原画マンもいた事は事実であり、それを考えれば「悪」であるとまでは言えない。

 出版社等がろくに仕事を回してやらなかった事も重なっていたのであろう、そこにそうして、自分の表現を切り売りしている彼らの責任だけの問題ではない。

 社会全体がバブルに浮かれて、明らかに人を大事にしなかったし、育ててこなかったのだ。

 そのツケは、出版社は別の所で支払う事になる。ライトノベルで。

 そう、小説家としての最低限の実力すら持たぬものに、書かせたのだ。そしてそれらは大量に本屋で平積みされた。

 その当時、小説のカバーとしては目新しい、セル画のようなアニメ絵のようなイラストまで付けて。

 無論、それがどうなったのかは明らかだが、ここで語るべきことではない。

 

 何はともあれ、ファンジン・同人の世界にプロが土足で踏み込んだのは事実である。

 それは、言ってみれば少年野球のチームの中に、いきなりプロ野球の現役選手が来たような物であり、それは反則だろう。というのが多くの同人誌出展者の偽らざる気持ちだったであろう。

 

 これによって、少なからず諍いもあった。

 しかし受け取り手にしてみれば、そんな事はどうでもいいじゃぁねえか。おれたちは金出して買うんだからよ。とはっきりと口にする者たちもいた。

 

 ここにおいて、既にこれはファンジンどころか同人の祭りですらなくなったのだが、このことはもう少し後まで、引きずっていく。

 

 『金を出して買うんだから、ガタガタ、グタグタ言ってんじゃねぇよ。』という買い手が現れた事により、売り手であるアニメ・マンガ・ゲーム同人も変質していかざるを得なかったといえよう。

 

 こういう、がどんどん膨れ上がる事で、アマチュアの祭典という理想は大きく蝕まれていた。もはやそれは名ばかりになりつつあったと言える。



 ここは祭りの露店だとしても、売り手は本質的には「的屋てきや」ではない。


 、同が雪崩込んで来たことで、同人誌そのものが本質的に変わらざるを得えなくなった。


 

 これは同じ同人でも、オリジナルで勝負する『創作の花園』にいた人々はともかく、その外側においてはアニメ・マンガ・ゲーム同人誌は様々なストレスにさらされ、変遷があった事を物語っている。


 ちなみに80年代にオリジナルの作品群を同人として発表していた作家たちは、コミケやその他の即売会という発表の場を経てプロデビューした者たちもいる。


 

 90年代半ばに入ると、ファンジンというべきなのか、アニメ同人誌と言うべきなのか、その領域の中間にいるような物も多く出る。


 ※コミケ51(1996年冬)に企業ブースが初めて参加している。この事は、アマチュアの祭典に企業を入れていいのか、と同人界隈にショックをもたらした。

 ※この時点で、既に商業主義は止めようもなく蔓延してしまっていた事を意味する。

 

 「セーラームーン」が一時代を作る頃、その2次創作漫画、あるいは2次創作小説を含むファンジンも、もはや多数の人に向けて頒布と言うよりは販売される、アニメ同人誌に変貌して行った。

 

 女性たちに人気の高かった、「聖闘士星矢」や「キャプテン翼」、「幽遊白書」などもファンジンではなく、多くの場合が、求められている2次創作漫画か、BLになるという過激さである。

 「スラムダンク」は2次創作小説も「IF」を意識したものが多く書かれた。

 その一方で、2次創作漫画は汗臭いシーン多めよりは、女性陣に受けたのはやはり同性愛多めの記述であったろう事は、想像に難くない。


 アニメ・マンガ同人誌として、一番わかり易い形はもはや特定の作品に対する入っているか、または2次創作小説+イラストという形態かに別れた。

 

 結局、受け取った側が、と言う部分がのだ。

 

 そして、アニメ・マンガ同人の同一作家の絵のみ見たい、或いは漫画が見たいと言う所に行き着く。

 

 つまり、購買層が求めている物がのである。

 

 それは本来ならば、商業誌デビューを経て書籍化されるものが、その過程を全部飛ばして作者から「それ」を求める多数の読者へと、冊子のような形では有るが売られていく事になる。

 

 

 ここが恐らく、ファンジンと現在も続くアニメ・マンガ・ゲーム同人誌の『分水嶺』であったというべきだろう。

 

 

 この頃、特定のソフトハウスの作るコンピュータゲームに登場するキャラクター達を専門とする同人誌なども多数登場する。

 これも本質はファンジンなのだが、最早以前の牧歌的なファンジンの形態は鳴りを潜めている。

 

 特定のキャラのものだけを受け取るだけのファンというものを、はっきりと意識、対象とした同人誌が作られる。

 そして、そうした即売会も多数開かれる。作品オンリーどころか、その中の特定のキャラオンリーという即売会まで行われたのだ。

 

 

 90年代末期、もう少数の作る側と、極めて大多数の受け取る側、という形に分かれたアニメ・マンガ同人誌の世界は、わかり易さを全面に出して行くように変わって行くのである。

 

 細々とファンジンの形を続けたものとして印象に残るのは、まず、「銀河英雄伝説」の小説並びにアニメ版だろうか。

 多種多様な登場人物にスポットを当てるという行為は、自ずとその内容がただただ人目を引く漫画という形ではあり得なかった。

 イラストや、その人物像に焦点を当てた2次創作などもあった。

 しかし、帝国軍側に重要な役割を演ずる美形男子が幾人か登場し、此処にもBLに焦点を当てた女性たちの作る、女性向けの本はかなりの数、存在した。

 

 

 そんな中、エロも百合もBLも用いていないながら、作り手も買い手も納得したファンジンが存在していた。

 

 ただし、小説の世界である。

 

 それはエピックファンタジーにしてヒロイック・ファンタジーの金字塔「ベルガリアード物語」のファンジンである。

 2次創作漫画や登場人物のイラスト各種、コラム、2次創作小説が正統派の形で主張していた。

 ちなみに一番人気が、あの極めて風変わりで小男にして、顔も良くない、どちらかと言えば個性的な顔立ちの「シルク」こと「ケルダー皇子」である。

 ファンの中でも特に人気があった。

 他の登場人物たちも、小説では想像するしか無かった彼らに丁寧な絵が与えられており、『作り手のと深い愛情』が感じられるものであった。

 

 ちなみに小説内に挿絵は存在しない。

 表紙カバーに書かれている絵は、どちらかと言えば西洋風のタッチで主人公であるガリオン少年や、その母親役である、魔女のポルガラ、のちの王妃となるセネドラ嬢、最高の魔術師であるベルガラス等といった所だ。

 殆どの人物は、丁寧に記述されている小説の中から、姿を思い浮かべるしか無かったのである。

 

 

 恐らく、こういう形でしか、もうファンジンは生き残れないのであろう。

 

 

 2000年代に突入すると、最早、わかり易さが「キモ」となる。

 其処においては、一番わかり易いのは、視覚に訴えるエロである。

 (勿論、女性対象のBLや百合も同じである。)

 男性陣の買い求めるアニメ・マンガ同人誌に占めるエロ系同人の比率が高まっていく。

 この時代にファンジンの形を残し得たのは、多様な解釈を可能にした「エヴァンゲリヲン」や「攻殻機動隊」の電脳空間等と言った少数の作品くらいだろう。

 「エヴァ」は2次創作小説も多数生まれていた。しかし、それを遥かに凌駕する数でエロ本もどきも量産されていた。

 

 2005年くらいからは、もう「それ」しか買わない人々多数。

 売る方も、そうした需要に答えるべく粗製乱造されていく。

 

 もはや、何に対しての同人なのかすら怪しい代物に変わってしまったのだ。

 

 この時代、まともな物がなかったように記述しているが、そんなことはない。

 「ジョジョの奇妙な冒険」等の同人誌は、そうした物が出てこないものが多数存在した。きちんとした同人誌も多く出ている、「鋼の錬金術師」ことハガレンもその1つだろう。他にも一杯あったはずである。

 

 

 それゆえに、熱意を持って作っている人達を侮辱、あるいは誹謗中傷するつもりは毛頭ない。

 

 

 しかしながら、「それを作れば受けるから。」で作る行為はファンジンではない。

 それは「プロ」のやることである。

 

 「セミプロ」や「プロ未満のプロ志望」がそれをやるのだって、あまり良い事では無い。

 よしんば売れたとしても、流行りものに乗っただけであって、自分の地力がそこで試されたわけではない。

 それに頼っていたら、いつまでもプロ未満である。

 

  

 翻って、ファンジンは、その作品が「大好きだから」、これを同じく「それが大好きなファンのために」、その作品に対して最大限の『リスペクト』をした上で、深い敬意を払って作るのである。

 

 それによる熱量は、『』。

 

 これこそがファンジンを支えていた、本質であった。

 

 

 「受けるから。」「売れるから。」はリスペクトしたことにならない。

 何故なら、リスペクトとは、「賞賛する。」と言うだけには留まらない意味がある。「尊敬する」というのとは少し違う。「尊重する」が近いのかもしれない。

 「それが価値のある物だと認め、或いは信じて大切にする、決してぞんざいに扱っていい物ではない。」というものが、本来のリスペクトの意味であろう。

 

 

 

 ここにおいて、本質的なファンジンは終焉を迎える。

 

 

 求める大多数の人は、分かりやすいものしか、求めていない。

 それは、今のライトノベルにそのまま、すっぽりと当てはまるのだが。

 

 同人誌において、それは幕の内弁当的な多様な物は求められておらず、専門ショップの出す怪しい、見た目派手な単品料理を「是」としたのだ。

 

 残念な事に、1冊の同人誌において本の中に多様性はもう、求められていない。

 

 これが或いは、現在の漫画雑誌の不況の原因の1つかもしれぬ。

 あれこれ入っていたって、読むのは1つだし、それなら単行本でいいよね。となっていき、多様な作品に触れ読める機会を自分で閉ざしてしまっている。

 

 

 求める人々が欲しがるものは、分かりやすい「1つのモノ」なのだ。

 

 2010年以降はもはや記述すべきトピックは私からしたら残っていない。

 

 そしてこれが現在の同人誌の形とも、なっている。

 

 

 

 そして、エピローグ。

 

 件の兄の残した90年代に印刷された同人誌は、一見アニメやゲームの登場人物の2次創作物に見えて、中身を読み進むとエロ本になっていた。

 そうではないものを探すのが大変で、7割以上がそういった類である。

 

 

 そうではないものも、あった。

 

 敢えて、ラストを悲劇とした物に改変したり、本作が悲劇で有ったものに対して、救いを求める作者達がハッピーエンドに改変したもの、作中のラストのその後、後日談など、エロを含まないものは、概ね2次創作小説やイラスト、作者達の作品に向けられた思いが書かれたコラム等になっており、これはファンジンの形態であった。

 

 

 

 今やアニメ・マンガ・ゲーム同人誌は、特定のアニメなりゲームなりを題材としていれば、いやその「キャラ」を出せば、中身がエロ本でも同人だという世界となって久しい。既に20年以上だ。若い人にとっては、それが「同人誌」だと思ってしまっても不思議ではない。

 

 もう、何が2次創作同人なのか。

 そうした軽薄な同人誌において、登場する「キャラ」達はたぶん、もう単なる『記号』なのであろう。

 受け取り手にはっきりと「ソレ」だと認識させる為だけの、『記号』。

 その記号入りの2次創作と称する代物が2次創作同人誌となってしまった。

 

 完全に創作による同人を除外すれば、本来はその元となった作品に対する、深い敬意が必要にして、重要であろう。

 

 そして何よりも、その作品に対する『深い愛情』が絶対的に必要である。

 それは昔から変わらない。

 

 作品に対する冒涜は必要とされていない。

 しかし、今はその冒涜の意味する所すら判らない若い人々も混ざり合い、渾然一体となって2次創作を続けているのである。

 

 

 

 これは浅学な私による、偏見に満ちた私見である故に、これは違うという部分は多々あると思う。

 もっと博識であれば、とは思うが今はこれが精一杯である。

 

 私に、石を投げないで貰いたい。

 そう思う所があるのならば、文章でもって、ご自身の場所において表明されたい。

 

 <了>


 

 追記:真面目に、どこに出しても恥ずかしくない2次創作に取り組んでいる人々を侮辱、あるいは誹謗中傷するものではない事を、ここに改めて記述し、気分を害された方にお詫び申し上げる次第です。


 

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