春毫も採って所ある女たり

おだた

第1話

 真っ白な壁が、青空に向かって高くそびえ立ち、太陽を反射して、眩しくリリスを照らす。

「眩しい」

 妹のセイレンも、壁を見上げる。

「まぶしー」

「あまり長い時間見てちゃだめだよ」

「なんで?」

「失明する」

「怖!」

 その白い壁に、車が通れるほどの大きなゲートがあり、さらにその脇に、人や自転車が通れるゲートがある。

 母親は、『入町受付』の女性に話しかける。

「すいません。本日、こちらに引っ越して来た、川嶋と申します」

「川嶋様ですね。入町は三人様でよろしいですか?」

「はい」

「それでは、『特定地区ご入居のご案内』はお持ちですか?」

「はい」

 母親は書類を渡す。

「お預かりいたします」

 係員の女性は、書類のQRコードをスキャンする。

「ただいまから、個人様おひとりずつ、入町の登録をいたしますので、ご本人様のマイナンバーカードを、順番に、こちらのセンサーにかざしてください」

 母親が、マイナンバーカードをセンサーにかざす。


ピ!

と音が鳴る。


「次の方、お願いします」

 リリスは、マイナンバーカードをセンサーにかざす。


ピ!

と音が鳴る。


「次の方、お願いします」

 セイレンは、マイナンバーカードをセンサーにかざす。


ピ!

と音が鳴る。


「はい。ご三人様とも。登録が完了しました。町の出入りの際には必ず、マイナンバーカードをゲートのセンサーにかざしてください。それでは右手ゲートから、ご入町ください」

 ゲートは、電車の改札口にあるようなものだ。

 母親がカードをかざすと、ゲートが開く。続いてリリス。セイレンとゲートを通り抜け、壁の向こう側へ出る。




 白い壁を抜けた先は、まるで舞浜にある夢の国のように、鮮やかで、煌びやかで、可愛らしい。

「おお!」

「かわいい」

「おかあさん、あたしたちの家はどこ?」

「えーと」

 母は町の地図を広げる。

「今は西ゲートだから、直線で1キロぐらい先かな」

「1キロ!? そんなに歩けないよ~」

「ゆっくり歩いても20分で着く。ダイエットになるよ」

「よし、行こう」




 道は、赤や茶色のレンガ模様。直線ではなく、緩やかな曲線。街路樹は緑。街灯は昔のガス燈のようなたたずまい。

 立ち並ぶ家は、青や緑、ピンクや黄色など、色鮮やかで、形状もショートケーキ型、カボチャ型、猫型など、既存の建築概念にとらわれない、自由な建物が並ぶ。

 母親は黙々と道を歩いているが、リリスとセイレンはめうつりしている。

「すごい」

「ホントに夢の国みたい」

 前から犬の散歩しながら、女性が歩いてくる。

「こんにちは」

「「こんにちは」」

 犬は突然、立ち止まり、粗相をしてしまう。

 女性は、後始末することなく立ち去ってしまう。

 そこに、パトライトを光らせたロボットが現れ、汚物を吸い取ると、洗浄液でその場を洗う。


「「すげー」」

 ふたりは目を丸くする。



 しかし、歩みを進めるにつれて、空き地が目立つようになる。5分も歩くと、道以外、何もない更地ばかりになった。更地には、この春に芽吹いた毫が、青々と茂っている。

「お母さん、家はまだ?」

「まだ先」

「まだ~?」

「ダイエットだと思え」

「それじゃあ、もうちょっとがんばろう」

 さらに歩く。

「ほら、見えてきたよ」

 道の先に、一般的な家が見えた。


 その家に着いて、姉妹は落胆する。

「なにこれ」

「普通の家じゃん」

「住むのに飾りはいらない。今日からここが私たちの家だ」


 家は、今時、珍しい平屋の一軒家。派手なカラーリングも、デコレーションもない。

「地味」

「地味言うな」

「部屋っていくつあるの?」

「何部屋だったかな」

 塀は無く、道路からゆっくりと登るスロープが玄関まで続いている。スロープの両脇に駐車スペースと、芝が植えられた庭がある。


 母は家の鍵を開け、ドアを開けると、部屋の中まで、緩やかなスロープになっていて、いわゆる、玄関のような段差は無い。

「ここが玄関?」

「そう」

「段が無い」

「靴はどこで脱ぐの?」

「それは私が決める」

 ドアのすぐ隣に、引き戸があって、そこを開けると、シューズボックスが現れる。

「よし! ここから先は土足禁止」

「靴を脱ぐのはいいけど、スリッパは?」

「どうせ今日は、引っ越しの荷物の運び込みで汚れるから、スリッパ無し」

「え~」

「靴下をススワタリで汚してこい」

 二人は靴を脱いで、家の中に入って行く。

「私は私室兼仕事用で一番広い部屋、使うから。二人は好きな部屋選びな」

 リリスとセイレンの目が合う。

 次の瞬間、弾かれたように、二人は部屋の間取りを探索し始めた。

 広いフローリングの部屋が三部屋あり、六畳の和室が一室だけある。さらに、トイレが二つ。大人ふたりが余裕で入れるバスルーム。広いキッチンとリビング。

「広い」

「二階はないんだ」

「二階があるとバリアフリーにならないからね」

「サザエさん家と同じだ」

「平屋だね」

 母が言う。

「足元をよく見てみな」

 改めて、姉妹は足元を見る。

 部屋と部屋を隔てる部分に段差は無く、角も丸くなっている。廊下には手すりがあって、足元は点字ブロックになっている。

「凸凹がない」

「柱が円い」

「女性向けバリアフリーがコンセプトだからね」

「そうなんだ」

「すごい」


「おねえはどの部屋にするの?」

「部屋の広さより、導線かな」

「導線って?」

「お風呂やトイレが近い方が良い」

「それじゃあ、おねえはこの部屋」

 リリスの部屋は、バスルームとトイレとリビングに通じる北東の角部屋。

「セイレンは日当たりの良い、南向きの部屋にしな」

「眩しい」

 セイレンの部屋は、玄関脇の南西の角部屋。

 母親の部屋は、収納を挟んで隣の、北西の角部屋になった。

「空いてる部屋は?」

「当分、物置だね」

 そのとき、母の金切り声が響いてきた。

「ちょっと! 引っ越しの荷物が届けられないってどういうこと?」


 その頃、南ゲードで引っ越し業者のドライバーが足止めされていた。電話の話し相手はリリスの母親。

「今、町の入り口にいるんですが、男性ドライバーは中に入られないらしいんですよ」

「そんなこと、引っ越しの時に説明したでしょ」

「そう言われても、なんとか中に入れないでしょうかね?」

「ダメに決まってるでしょ。女性しか入れない町に、男性ドライバーを寄こしたあんたの会社の責任なんだから、そっちでなんとかして」

「いったん、荷物を配送センターに持ち帰りますので、お届けは明日になりますが、よろしいですか?」

「バカいってんじゃないよ! 服も布団も全部そこにあるんだよ! あんたら、私たちに布団なしで寝ろっていうの!」

「そう言われましても…」

「非はそっちにあるんだから、今日中に全部の荷物を届けて。それができなかったら、訴えるから」

 母はブチっと電話を切った。

 困惑の男性ドライバーは、同僚に言う。

「どうする?」

「会社に連絡して指示を仰ぐか」

 そこに、体格に良いお姉さんがやってきて、声を掛ける。

「お困りのようだね? なんなら、手を貸そうか?」




 広い部屋で、引っ越し荷物が届くのを、呆然とまっている。母は自室でノートパソコンを広げて、ネット環境をチェックしている。

 リリスはスマフォで、ネットを見ている。

 セイレンは、家の周りをぶらぶら歩き回っている。

 家のすぐ横は、大きな川が流れている。川の向こうには、学校があるのだろう。部活に精を出す喚声が聞こえる。セイレンは、その喚声に耳を傾けていた。


 そこへ、トラックの音が聞こえてきて、家の前に止まる。

 トラックから、体格の良い女性が四人、降りてきて、家のドアをコンコンと叩いた。

 家の中から母が出てくる。

「お待たせしました。引っ越しの荷物、お持ちしました」

「意外と早かったね」

「引っ越し業者の男性ドライバーが泣きそうだったから、代わりに運転してきました」

「え? 代わりに? あの、どちらさまですか?」

「あたしたちは、この地区に住み込んで、土木建築の現場作業をしている『女組』です」

 免許証を母に見せる。

「ご存じのとおり、この町は女性しか入れない。家を建てるのも、道を造るのも、全部、女性。今日の仕事は終わったから、外へ飲みに行くつもりだったんだけど、南ゲートでこまってる引っ越し業者さんがいたんでね、ちょっと人助けと思って。今日、荷物を届けないと、寝る場所もないんでしょ?」

「それは、どうもありがとう」

「さっそく、運び込んで、良いですか?」

「よろしくお願いします」



 屈強な女たちが、トラックから荷物を下ろし、次々と部屋の中へ運び込む。

「これはどこですか?」

「それは私の部屋へお願い」


「これはどこ?」

「あ、あたしです」

「JK?」

「はい」

「そういうこと訊くのは、セクハラになるんだぞ」

「ごめんなさい」

「いえ、別に」


「これはどこかな?」

「あたしの部屋です」

「これは可愛いレディがいました。ようこそ、この町へ」

「どうも」



 あっという間に、家具、家電、荷物を各部屋に運び込む。

「それじゃ、おじゃましました」

「「「ありがとうございました」」」

 女たちは、トラックに乗り込むと、颯爽と去って行った。

「すごい」

「すげー」


「さあ、あんたたち。荷物を開けるの手伝って。自分の荷物は、自分で開けるんだよ」

「はい」

「はーい」

 三人は、荷をほどき、引っ越し荷物の整頓を始める。




 日が落ちる頃。母は言う。

「みんな。片付け終わった?」

「だいたい」

「段ボールどうするの?」

「それは後でたたむから、空いてる部屋に放り込んどけ」

「わかった」

「お風呂沸かすから、手が空いた順に入って。着替えとタオル忘れんなよ」

「はーい」

「ご飯は?」

「ピザでもとるか」

「了解」


 日は、とっぷりと暮れて、街灯に橙色の明かりがともる。

 ピザを配達したバイクは、街灯の明かりをくぐって、道の彼方に消えて行った。

「ピザ着たよ~」

「「は~い」」

 三人とも、部屋着に着替え、リビングに集まる。

「ふたりともお風呂入った?」

「うん」

「入った」

「母さんは?」

「後で入る」

「テレビは?」

「置かない」

「なんで?」

「テレビを置くと、無条件でとあるテレビ局にお金を払わなければならない。あんたたちにはパソコン与えてあるんだから、テレビいらないでしょ」

「いらない」

「テレビ見ないし」

「学校はあさってからだっけ?」

「うん」

「お母さん、一緒に来てね」

「入学手続きしなきゃ」

「前の高校、一ヶ月も通わなかったよ」

「深い仲になる前で良かったな」

「あたしは寂しい」

「セイレンは新五年生で転校だからね」

「LINEしろ」

「してる」




 夜も更けて、そろそろ寝ようかと言うとき、母の絶叫が家中に響いた。

「やったー! これで男と無縁の生活が送れるー! 嬉しいー!」

「母さん…」


 リリスは、父と母の写っている家族写真を見て思う。

 両親の離婚が決まると、母の行動は早かった。当時、マスコミを賑わせていた、特定地区へ転居を決めたのだ。




 20xx年。日本政府は、男性による性犯罪や暴力から女性を守り、かつ、社会的地位の向上を目的として、『特定性犯罪等からの防止および女性の社会的地位の向上に関する法律』を成立させた。法律では、女性だけが入ることを許された『特定地区』を制定し、四年かけて町を造った。

 町は、およそ一キロ四方を壁で囲い(ただし、東側は川で隔離されている)、男性が町へ入ることを厳しく制限している。

 町には、総合病院、小中高学校、町役場、警察署、消防署、郵便局、ショッピングモール。そして一般企業などがあり、勤務しているのは全て女性である。

 町には、東西南北に四か所、ゲートがあり、女性の出入りは自由だが、マイナンバーカードによる認証ゲートを通らなければならない。

 町の西側100mに駅があり、西のゲートが最寄りだ。

 東側には川に架けられた橋から出入りできる。


 町の完成にあわせ入居者を募集。一次募集に通過した川嶋家が引っ越してきた。

「ねえ、母さん。なんでこの家だけ、普通の家なの?」

「安かったから」

「安かったから?」

「こった家は高いんだよ」

「なんで家の周りだけ、なにもないの?」

「土地が安いから」

「土地が安いから?」

「ここは町の、北東の端。主な施設は、ほとんどが町の中心にある。電車の駅は町の西ゲートを出た先にあるから、町の中心から西側は人気があって土地が高い」

「その正反対にある、北東側だから安いんだ」

「正解」

 リリスは、ため息をついた。

「私は、リモートワークだから電車には乗らないし、あんたたちは学校まで歩いて行けるでしょ」

「どのくらい?」

「500mぐらい?」

「遠い!」

「歩け歩け。ダイエットになるぞ」

「がんばろっかな」

 セイレンは、漠然とした不安と、寂しさと、怖さを感じ、悲しくて、涙にならない涙を流していた。

「どうしたの?」

「なんかよくわからない気持ち」

「好きな男子と離れ離れになっちゃったしねー」

「まあ、それもある」

「あるのかよ」

「おねえは気楽で良いよね」

「なによ、それ」

「男いなかったし」

「うっせ!」



 がんばれリリス!

 がんばれセイレン!

 きみたちの戦いは、今、始まったばかりだ!

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