16センチ目「翻弄する狐面」
少年は円を描くように回りながら、クリアたちとの距離を計る。
ショートボブの女性は、俺たちに向かって叫んだ。
「ここはアタシたちのナワバリなんだ。アンタたちをこのまま帰すわけにはいかないよ」
「だったら、どうした?」
「アンタたちの
「留魂石って――まさか、緑の石のことか?」
「そうだよ」
イリスが言っていた、ツクモの核となる石。それを渡せというのだ。それはつまり、ツクモ自体を引き渡せという命令に等しい。
「もし断ると言ったら?」
「――力ずくで奪い取る!」
「ゴンタ、クリアちゃんをサポートして!」
「任せろ!」
ゴンタはクリアに駆け寄ると、背中合わせになった。これなら死角からの攻撃にも対応できる。
少年は続けて、ゴンタに向かって飛びかかった。ゴンタはひっかき攻撃を拳で打ち落とし、掌底を突き出す。しかし少年の動きの方が一段素早く、かわされてしまった。
クリアたちの周囲をぐるぐると回りながらヒットアンドアウェイを繰り返す少年。変則的なその動きを見切るのは難しく、クリアたちは攻めあぐねていた。
そのとき、春菜が突然驚いた顔で叫んだ。テレパシーで何か言われたようだ。
「やめて、ゴンタ! そんなことしたら――」
「ハルナ。ここにいるのは俺たちだけじゃない。そうだろ?」
春菜はちらりと俺の方を見た後、ゴンタに向かってこくりとうなずいた。
「やってみよう、ゴンタ」
「おうよ!」
ゴンタはクリアに耳打ちした後、構えを解いて数歩前に歩み出た。俺は慌てて春菜に呼びかける。
「おい、何やってんだよ! やられちゃうぞ!」
「私たちを信じて。私も空くんたちを信じるから」
その瞳には、まだ闘志の炎が揺らめいている。
無策のまま降参するほど、彼女たちは弱くない。先日の公園での戦いを経て大きく成長した春菜を知っている俺は、彼女たちを信じることにした。
無防備に棒立ちするゴンタを見て、ショートボブの女性は笑った。
「ついに諦めたみたいね。イナリン、やっちゃって」
「ああ!」
イナリンと呼ばれた少年は、地を這うような低い姿勢でゴンタに襲い掛かる。鋭い五本の爪が腹部に突き刺さり、ゴンタはよろりと後ずさる。
「ようやく捕まえたぜ、狐さんよぉ」
「なにっ――!?」
「動きが直線的すぎるんだよ。急所を狙ってるのもバレバレだ」
ゴンタは不敵に笑った。その両手は、留魂石を狙うイナリンの右手をしっかりとつかみ取っていた。
この好機を逃す手はない。俺はとっさに叫んだ。
「クリア! いまだ!」
「これで終わりっ!」
がら空きになったイナリンの背中に、クリアのかかと落としが炸裂した。全身を地面に強く叩き付けられ、イナリンはうつぶせに伸び切った。
ゴンタはイナリンの背中を踏みつけながら、ぐりぐりと足をねじる。
「さぁ、へそを出しな」
「イナリン!」
「
イナリンは仰向けに転がると、美香と呼んだ女性に笑いかけた。
美香は涙を浮かべながらイナリンの隣に屈みこんだ。
「せめて、最後は一緒にいさせて。お願いだから」
「ああ、いいぜ。しっかり見届けな」
ゴンタはイナリンの留魂石に拳を当てて、狙いを定める。
その光景を見た春菜は、辛そうに顔を背けた。
「空くん、私……」
「最後まで目を逸らすな、春菜。これはそういう戦いなんだ」
「うん……」
春菜は唇を噛みしめながら、ぐっと顔を上げた。その目には涙がたまっている。
「短い間だったけど、いままでありがとう、イナリン」
「僕も楽しかったよ。またね、美香」
振り下ろされたゴンタの拳が、留魂石を破砕する。イナリンの体は次第に透けていき、やがて狐の形をした根付のストラップに変化した。
美香はそのストラップを胸に抱き、地面に突っ伏しておいおいと泣き始めた。
気まずい雰囲気の中、春菜はぽつりと呟く。
「よかった、みんな無事で。よかった」
「ああ、そうだな」
やらなければやられる。そんな過酷な戦いに巻き込まれたことを、俺たちは改めて実感したのだった。
泣き止んだ美香がその場を去った後、俺はねっとりとまとわりつくような空気がなくなっていくのを体で感じ取った。避人円が解除されたのだろう。
クリアとゴンタが人間態への変身を解いたちょうどそのとき、境内に戻ってきた高坂先輩たちが俺たちの下へ駆け寄ってきた。
「どこに行っていたんだ、きみたち?」
「急に俺が腹を壊して、トイレに行ってました。すいません」
「私も空くんの付き添いで、トイレに」
高坂先輩はほっとため息をついた。
「無事ならそれでいいんだ。ただ、行く前に声くらいはかけてほしかったよ」
「全く、本当に神隠しに遭ったのかと思ってびっくりしたぜ」
安心する先輩たちに頭を下げながら、俺は春菜に耳打ちした。
「なぁ、神隠しってもしかしてそういうことなのか?」
「ありえるかも」
避人円に包まれると、ツクモとその持ち主は急に姿を消したように見えるようだ。その様子を見た一般人が「神隠しだ」と言って騒いだ、というのが真相のように思われた。
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