57話 文化祭を通じた変化

 清明祭の熱気が消えると、急に寒さを感じるようになった。

 十月下旬の開催なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。


「おはようございます」


 その日、大河原さんの車から降りた五十鈴はマフラーをしていた。

 水色の無地のもので、ここでも水色好きが出ている。


「おはよう。もうマフラーするのか」

「寒いのは苦手です」


 今日はこの秋一番の冷え込みと言われていた。十一月になると長野市もぐっと気温が下がる。


「清明祭のあと、体調崩さなくてよかった」

「わたしもホッとしています。楽しかった思い出が傷ついちゃいますからね」


 二人並んで昇降口へ向かう。


「うー、寒い。嫌な季節になってきました」

「秋は嫌いか?」

「ちょっともの悲しくなるのであまり好きではありません」

「俺は快適に野球ができるから好きだ」

「おっと、意見の相違が」

「もう関係ないけどな」

「……野球は見なくなりましたか?」

「後輩たちの試合は何度か見に行ったよ。守屋と一緒に」


 片倉たち新チームは秋の地区予選を突破して県大会まで出場したものの、四位に終わった。春の甲子園出場は絶望的という状況になっている。


「片倉さん、落ち込んでいましたよ。センバツ出たかったって」

「三位決定戦で勝ってれば可能性はあったんだが」

「恭介先輩も、甲子園は出ていませんよね?」

「残念ながら。いつか後輩たちが出場したら見に行きたい」

「一緒に行きましょう」

「そうしたいけど、五十鈴の体力が心配だな」

「旅行だと思えばなんとかなります」

「でも、炎天下で二時間以上の試合を見続けるんだぞ」

「ひ、日傘があればなんとか」

「でも……」

「でもでもって、わたしをどれだけひ弱だと思っているんですか」

「今年、試合を見に行って倒れたのを忘れたとは言わせないぞ」

「……うぅ」


 実績があるというのはつらいものだ。


「先輩は現地に行ってください。わたしはテレビで見ています」

「いつか、出たらの話だぞ」

「夢があっていいじゃないですか。恭介先輩に興味を持ったおかげで野球にも詳しくなれましたし」


 五十鈴は楽しそうに話す。朝から笑顔になれるのはいいことだ。


「お、おはよう、玉村さん」

「古野さん、おはようございます」


 昇降口で古野さんに出会った。相変わらずおどおどしている。


「じゃあ、またな」

「失礼します」


 五十鈴と古野さんが一緒に教室へ歩いていく。


「今日アップしようと思ってる絵があってね、先に玉村さんに見てもらおうと思って……」

「ぜひ見させてください。今回はどんな作品なんですか?」

「えっと――」


 彼女がクラスメイトと仲良くしていると、俺まで嬉しくなる。古野さんという友達を得られただけでも、五十鈴が清明祭に関わった意味はあったんじゃないかな。


 俺も自分の教室へ向かう。


「あ、おはよう新海君!」

「やっほー!」

「おはー!」


 教室に入ると、女子グループから声が飛んでくる。一緒に焼きそばを作ったメンバーだ。


「お、おはようございます」

「あはは、また敬語になってる」

「声が固いよ~」

「もっと雑に返事してくれてオッケーよ?」


 俺は精一杯笑ってから自分の席につく。


 コミュ障は改善される気配がない。ただ、クラスメイトと朝の挨拶を交わすことができるようになったのは大きな変化だ。


 清明祭を通して、俺と五十鈴の周りは変わり始めている。


「窓から見えたよ。彼女さん、もうマフラーしてるんだね」


 引き続き話しかけてくるのは水野さんだ。


「寒がりだから。暑がりでもあるんだけど」

「なんか大変そうだ」

「なるべくサポートできるようにって思ってる」

「おお、いいじゃん。頼りがいのある彼氏ってかっこいいよ」

「あ、ぁりがとぅ……」

「また声が死にそうになってる」

「ご、ごめん、なんか緊張するんだ……」

「彼女さんとは普通に話せるのに不思議だねえ」

「な、なんでかな。ははは」


 水野さんはグループの会話に戻っていく。

 俺は机に突っ伏した。

 やっぱり、まだ五十鈴以外の女子とはうまく話せない。ただ、せっかく声をかけてくれるのだから、ここで自分を鍛えたい。専門学校ではスタートダッシュを決めて、なんとか友達を作りたいのだ。


     †


「お、新海先輩。お疲れさまっす」


 昼休み。東棟へ向かう途中で片倉と会った。見事な一分刈り頭。


「なんか、先輩に会うたび謝りたくなっちゃいますね」

「なんで?」

「センバツ出られなかったから……。来年の春、新海先輩を甲子園に連れてきたかったっす」

「まだ夏がある。そこで連れていってくれ」

「はい!」


 さっぱりした後輩だ。


「玉村さんは一足先に教室出ましたよ」

「じゃあ、今日も先越されてるな」

「なんていうか、玉村さんも変わったっすよね」

「どの辺が?」

「前は誰ともしゃべらなかったのに、最近いっつも古野さんって子と一緒にいるんすよ。そしたら古野さんつながりで他の女子と時々しゃべったりもしてて」

「へえ……」


 五十鈴から、古野さん以外のクラスメイトの話は聞いた覚えがない。相手はするけど話は合わないのかな。


「なにより表情が明るくなったっすよね。ずーっと無表情って感じだったのに、柔らかくなったっつーか」

「いいことだ」

「ですよね。俺の周りでも玉村さんがかわいく見えるって言う奴が増えましたよ」

「は?」

「あ、いやいや、玉村さんに彼氏いるのはみんな知ってるんで。安心してください」

「そうか。人間関係がこじれるのは嫌だからな」

「みんなわかってますって。しかし、今の「は?」は迫力あったっすね。先輩がどんだけ玉村さんのこと好きか、よーく伝わってきたっす」

「す、すまん。大げさな反応だったな」

「いいんすよ。それより、玉村さん待ってると思うんで行ってあげてください」

「おう。またな」

「うーっす」


 俺は早足で東棟に向かった。


 表情が明るくなった……か。

 普段の五十鈴にも変化が起きている。

 清明祭に積極的に関わったことで、俺たち二人の関係性だけでなく、人間性にも影響が表れている。


「恭介先輩、お疲れさまです」


 東棟に到着した。俺を見て、五十鈴がニコッと笑う。

 そうだ、こんなに柔らかい表情、出会った頃には見られなかった。


「ちょっと遅れたな」

「わたしが早く来すぎているだけですよ」


 俺たちは今日も一緒に昼食を取る。

 座っているベンチはずっと同じものだけど、座っている俺たちは少しずつ変化している。

 それが前向きなものだと、俺は信じたい。

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