58話 先輩、さみしいですか?

「五十鈴、本当に行くんだな」

「ええ。もう決めました」

「そうか……なら、俺はもうなにも言えないな」

「さようなら、先輩……」

「気をつけてな……」


「なんの茶番をしているのですか」


 キッチンで洗い物をしている泉美さんから冷静なツッコミを受ける。


 週末の玉村家に俺はお邪魔していた。

 俺はリビングのソファーに座っている。正面にはもくもくしたパーカーにロングスカートの五十鈴。


「んもー、お母さん、せっかくそれっぽい雰囲気が出ていたのに」

「さようならは不吉ですよ」

「あくまでおふざけですから」

「すみません、俺も悪ノリしすぎました」


 来週、五十鈴たち二年生は沖縄へ修学旅行に行く。

 五十鈴もちゃんと参加するというそれだけの話だった。


 ただ、彼女が旅先で体調を崩したら怖い。俺は純粋に心配していたのだが、なぜか途中から変な流れになった。


「無理な行程でもないですし、沖縄は行ったことがないので」

「まあ、俺も去年行ったからお前に行くなとは言えない。旅行の経験はどのくらいあるんだ?」

「そこまで多くないかと。新潟とか石川とか、北陸方面にたびたび出かけたことがあります」

「充分出かけてるほうだと思うけど」

「先輩は野球で遠征に行ったりするでしょう。たぶん、遠出した回数では負けていると思います」

「そっか、うちは関東遠征が多いからな」


 東京、埼玉などは土日を使って練習試合に向かったものだ。長野清明も県内では強豪に入るが、県外に出ると弱小に変わってしまう。だから、実績ある高校と試合をする時はこちらが相手の本拠地に出向くケースばかりだった。


「沖縄はこの時期でも暑いと聞きますが、服装が難しいですね。カーディガンとか、宿での私服に迷います」

「五十鈴は寒がりなんだから今のままでいいんじゃないか」

「恭介さんの言う通りよ。暑かったら脱げばいいだけなのだから」

「では、そうします」


 泉美さんはキッチンでなにか作っていて、時々こっちに声をかけてくる。


「先輩はわたしのことが心配のようですが、わたしも先輩のことが心配です」

「俺はなにも問題ないぞ」

「わたしのいないさみしさに耐えられるでしょうか?」

「会わない土日だってあるだろ」

「三泊四日ですよ? 本当に大丈夫?」

「さみしくなったら電話する」

「わたしは沖縄を楽しみたいので切っておきます」

「なんでそういうこと言うんだ! ひどいぞ!」

「なにも問題ないんでしょう?」

「うっ……」


 五十鈴がじっと俺を見て、にやりと笑う。


「やはり怪しいようですね?」

「連絡すら取れないのはきつい……」

「ふっふっふ。どうしましょう。スマホの電源、入れておいてもいいですけどねえ」

「ぜ、ぜひ頼む。夜とか、暇になったら話そう」

「古野さんと同じ班なので、そちらも大切なんですよねえ」

「うあ~、友達の話を出されると引かざるをえない……!」

「さあ、難しい状況です」

「……」


 俺が黙ると、五十鈴がふっと微笑んだ。


「安心してください。時間を見つけて、こちらから電話しますよ」

「ほ、本当か?」

「ええ。夜になったらスマホを持っていてください」

「わかった。握りしめてる」

「ふふっ。必死ですね」

「なんだか、自分のことが信じられなくなってきてさ」

「それだけわたしに依存しているわけですね。もうわたしなしではいられない体になってしまったと」

「うん」

「そ、そこはツッコむところですよ! 真面目に答えられると逆に困ります!」


 五十鈴は不満そうにする。が、俺は本当に五十鈴がいないと駄目な人間になってしまったのだ。五十鈴のいない生活なんて考えられない。


「仕方ありません。旅行に行く前に、とっておきのサービスをしてあげます」

「なんだ?」


 五十鈴は立ち上がり、俺の横に座った。そして、自分の太ももをポンポンと叩く。


「ここに寝てください」

「なっ!?」

「優しく元気づけてあげますよ。エネルギーを溜めて、わたしのいない四日間を頑張ってください」

「で、でも」

「お早く」

「じゃ、じゃあ……」


 俺は横になり、ソファーの端から足を垂らし、五十鈴の太ももに頭を乗せた。スカート越しとはいえ、彼女の柔らかい足に頭が触れているのは刺激が強い。


「んぅ」


 五十鈴が小さな声を出した。


「せ、先輩、あまり動かないでください。くすぐったいです」

「す、すまん。頭の位置が安定しなくて」

「思わず変な声が出ちゃったじゃないですか」

「悪かったよ……」


 ようやく体勢がしっくりきた。

 真上に五十鈴の顔がある。俺を見おろして、優しげな表情を浮かべている。


「先輩、わたしがいなくてもちゃんと学校に行ってくださいね」

「も、もちろん」

「さみしいからってサボらないように」

「大丈夫だ」

「では、元気を注入してあげましょう」


 五十鈴は目を細め、おだやかな顔で俺の頭を撫でてくれた。


「先輩は強い人です。さみしさなんて怖くない。大丈夫……」


 髪のあいだに指を入れられて、なんだか気持ちいい。

 ああ……幸せだな。

 これが彼女の膝枕というものか。こんなにホッとする瞬間はめったにない……。


「ふふ、眠たそう」

「五十鈴の手が優しいから」

「お昼寝してもいいですよ? たまにはのんびりしてください」

「ああ……」


 目を閉じかけたところで、横に泉美さんがやってきたのが見えた。


「少々、スキンシップ過剰かしらね」

「もー、お母さんっ! 何度も雰囲気を壊さないでっ!」

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