55話 二人だけの思い出がほしいんです
清明祭二日目。後半戦。
俺は早めに登校して教室で待機していた。
三年生は毎年クラスTシャツというものを作るらしく、俺もそれを着ている。緑の半袖シャツで、この時期にはちょっと寒い。
昨日、屋台のプレオープンに参加したメンバーがマジックで好き勝手に書いてくれた。水野さんが「最強エース!」と書いてくれたのは嬉しかった。守屋が「心だけは絶対に折れない男」と書いてくれたのも胸にこみ上げるものがあった。
時間が近づくと、俺は駐輪場に向かった。女子チームが屋台の用意を終わらせていた。
「来たね新海君。いつでもいけるよ」
水野さんが言った。
あとから守屋と松田君もやってきて、メンバーがそろう。
「それじゃ、円陣でも作りますか」
水野さんの提案で、俺たちは円を作った。みんなで左手を出す。右手じゃないのは水野さんの気づかいだろうか。
「たくさん売るぞ!」
「おー!」
こうして、元気よく一般公開がスタートした。
†
とはいえ、九時過ぎからいきなり焼きそばを食べようという人はなかなかいない。
隣のクラスがやっているチョコバナナにはお客さんが寄っていたが、こちらには来てくれない。
「思ったより暇じゃん」
俺は守屋と並んでパイプイスに座っていた。
「まあ、昼には忙しくなるだろ」
「だといいけど。どうせならステージ見に行きたかったな」
今、体育館ではライブステージが行われている。
生徒だけでなく、招待した色々なグループによるパフォーマンスなどが順番に展開されているのだ。
「午後になったら行ってみるか」
「ちゃんと彼女を連れていけよな」
「わかってる」
観覧者はどんどん入っているみたいで、駐輪場の周辺も徐々に人が多くなってきた。
「焼きそば二つください」
「あっ、はい――」
顔を上げた俺は拍子抜けした。
「なんだ、母さんたちか」
「なんだとは失礼な」
父さんと母さんが最初のお客さんになった。
「練習の成果を見せてちょうだいよ」
「そうだそうだ」
二人に言われ、俺は焼きそばを作り始めた。
周りが「仲いいんだね」と言ってくれるのが嬉しくもあり、ちょっと恥ずかしくもある。
「守屋君、久しぶり。いつもありがとね」
母さんが守屋に声をかけた。
「いえ。こっちこそ無理ばっかりさせちゃってすみませんでした」
「あなたのせいではないから気に病まないでね」
「はい……」
守屋はめずらしくおとなしい。やっぱり野球部には、俺を怪我させてしまったという気持ちがあるのだろうか。
「せんぱーい」
遠くから新たな声。五十鈴だった。
彼女を見て、俺はギョッとした。うしろからついてくるのは修介さんと泉美さんじゃないか。
これ、両親同士の対面に……。
「あっ、恭介先輩のお父様とお母様。お久しぶりです」
「五十鈴ちゃん、お久しぶり」
俺の両親の前に堂々と立つのは五十鈴の両親である。
「初めまして。五十鈴の父でございます」
「えっ、あら……」
「母の玉村泉美と申します。娘がいつも恭介さんにお世話になっております」
「いえいえ、そんな……」
鉄板の向こうで両親の挨拶が交わされ、俺は死ぬほど気まずくなった。
クラスのみんなが置いてかれるやつだぞ、これ。
「先輩のご両親もいると思って探していたんです。思ったより早く見つかって安心しました」
「みんな苦笑いしてるんだが……」
五十鈴は守屋たちをサッと見ると、こくっとうなずいた。
「移動してもらいましょう。お話はたくさんあると思うので」
五十鈴がなにか提案すると、それぞれの家族が賛成した。
俺は頼まれてもう二つ焼きそばを作り、五十鈴の両親に渡した。
「じゃあ恭介、頑張れよ」
「五十鈴ちゃんに迷惑かけないように」
「五十鈴も無理しないこと」
「恭介さんを困らせないように」
四人はそれぞれ言い残すと、焼きそばを持って移動していった。
「なんかすみません……」
俺が周りに謝ると、水野さんが面白そうに笑った。
「ここで両親同士が鉢合わせるなんてね。新海君のご家族のほうが緊張してたかな?」
「相手は社長だから」
「あっ、そういえばそんな話あったね。焼きそば食べながらトークタイムって感じか」
「たぶん……」
五十鈴は屋台から距離を置いていた。話に巻き込まれるのを避けようとしている。そのほうが俺も安心だ。
「親同士が会っちまったら、もう結婚するしかないな」
「なっ……」
守屋の発言に俺は硬直する。
結婚?
もうそういう話になるのか?
「ま、まだわからん」
「ここまで進んでんのにできないは通らないだろ。それともいつか別れんの?」
「まさか、そんなことは考えたこともない」
「じゃあ、確定みたいなもんだ」
「どっちの名字になるかだよね」
水野さんも入ってくる。
「新海君が彼女の家に入るのか、玉村さんが新海君の家に来るのか」
「社長の家はおいしいけど、婿になったら新海の家は跡継ぎいなくなるしな」
「うーん……」
そこはスルーしていた。もう未来を考えなければいけない時期なのか。
俺が深刻な顔でもしていたのか、守屋と水野さんが慌てたように言う。
「別に俺らが口出しすることじゃなかったな。ごめんよ」
「だね。なんか余計なこと言っちゃった」
「い、いや……」
微妙な空気になりかけたところで、初めて普通のお客さんがやってきた。
俺たちは料理に集中することで雰囲気を作り替えることに成功した。
†
「ステージでも見に行くか?」
「行きましょう」
午後一時。
二班と交代した俺は五十鈴と校内を歩いていた。
お互いに昼食はやきそばだった。二日連続。
「先輩、かっこよかったですよ。料理人もいけるんじゃないですか?」
「焼きそば以外できないから……」
「なんでも練習すればできそうな人に思えるんですけどね」
「接客が無理だ。今日も周りが対応してくれてたから大丈夫だっただけで」
「ここでもコミュ障が……」
「難しい問題だ……」
俺たちは体育館にやってきた。
ライブステージのタイムスケジュールが貼ってある。
『
今やっているのはこれらしい。
「まあ、入ってみるか」
「ええ」
俺たちは入り口の垂れ幕をどかして中に入った。
「はっ!」
――と、凛とした女性の声が響いた。
どん、と振動。自然とステージに視線が行く。
ポニーテールの背の高い女性が、長い棒を振るう。受けるのは木刀を持った男性。こちらも男性にしてはめずらしくポニーテールだ。二人とも袴姿なので体育館の中には張り詰めた空気が漂っている。
女性は棒をくるくると回し、様々な角度から攻撃を仕掛ける。明らかに野球のバットより重そうな棒だが、軽々扱っている。木刀の男性は圧倒的にリーチが短いのに、苦もなくさばいてみせる。
俺たちは席に座ることも忘れ、二人の攻防に呑まれていた。
やがて二人が打ち終えると、足音もなく距離を取って一礼した。
男性が客席を向く。
「以上、月心流の剣術、鎌、薙刀、棒の動きを順番にご紹介いたしました」
月心流は長野市の浅川に拠点があってどうのこうのと説明が続く。
「すごかったですね」
五十鈴がささやいてくる。
「ああ、飲み込まれた」
「わたしもあれくらい動けたらなあ。女性の方、ものすごいですよね」
「めちゃくちゃ強そうだ」
解説が終わり、二人がステージを退くと大きな拍手が起きた。俺たちも合わせた。
二人であらためて後方の席につく。
そこから、バンドの演奏やジャグリングのパフォーマンスなどを見ることができた。
†
体育館を出ると、もう夕暮れを感じた。空が赤くなっている。
「皆さん素晴らしかったですね。去年も行けばよかったなあ」
五十鈴は満足した様子だ。
「去年はなにやってたんだ?」
「恭介先輩を遠くから見ていました」
「こわっ」
「は、話しかけるきっかけがほしかったんです! なんとかタイミングを掴もうと必死で……」
「でも、駄目だったんだな」
「勇気が出ませんでした。今年だって、病院で偶然会わなかったらこういう関係にはなっていなかったかもしれません」
「いま思うと不思議な縁だ……」
「わたしたちは結ばれる運命にあったんですね」
「またポエムか」
「こ、これはよくある表現だと思いますけど?」
俺たちは話しながら渡り廊下のほうへ歩いた。なにか飲み物がほしかった。
「さすがでしたね、先輩!」
五十鈴が言いそうなセリフが、自動販売機の近くから飛んできた。男の声だ。
「あ」
さっき舞台に立っていたポニーテールの女性だ。パーカーと細身のズボン姿に変わっている。その横にいるのは背の低い男子だった。顔が幼いので一瞬中学生かと思ったが、大人の女性を先輩と呼んでいたからにはたぶん高校生なのだろう。
「もうぼくが見ていても普通に演舞できるようになったじゃないですか」
「最近やっとできるようになったのよ。あがり症ともようやくおさらばね……」
「来週はうちの文化祭のステージですよ」
「久しぶりの母校だから頑張らなきゃね」
「先輩ならできます」
「ふふっ、ありがとう」
二人は笑顔で校門のほうへ去っていった。
「おつきあいしているんですね」
五十鈴は二人の背中を見つめている。二人は寄り添い、手をつないで歩いていた。
「わたしたちと逆なのは面白いです」
「なにが?」
「あちらは彼氏さんのほうが小さかったでしょう?」
言われてみれば、男子は小柄だった。身長一六〇あるかどうか。俺と五十鈴の体格差に通じるものがある。
「体の大きさくらい、恋心の前では障害にもならないってことだ」
「恭介先輩もポエマーっぽいです」
「そ、そうか?」
「恋心という言葉選びがなんだか……」
「ぐっ、冷静に指摘されると恥ずかしくなるからやめろ」
俺は缶コーヒーを買い、五十鈴はカフェオレを買った。
「そろそろお父さんたちがいつものコンビニで待っているはずです。今日はもう帰らないと」
「後夜祭はさすがにきついか」
「そこまでいると明日寝込むかもしれません」
ありありと想像できる。
「俺も先に帰らせてもらうつもりだし、また週明けだな」
五十鈴はうなずいた。
「今年の清明祭はすごく楽しかったです」
「俺も、今年が一番よかった」
「来年は先輩、いないんですよね。さみしいな」
「一般公開はちゃんと来るから」
「約束ですよ?」
「おう」
気の早い話だが、来年の五十鈴にとっても楽しい清明祭になってほしい。絶対に来よう。
「せんぱい……」
急に、五十鈴が甘い声を出した。
「あのカップルを見ていたら、わたしも手をつなぎたくなっちゃいました。ぎゅってしてくれませんか?」
「……もちろん」
俺は五十鈴の左手に触れ、優しく握りしめた。
「あったかい」
柔らかい声で五十鈴が言う。俺も彼女の手に包まれて満たされていた。
五十鈴がキョロキョロ視線をやる。
「どうした?」
「誰もいませんね」
不意に五十鈴が背伸びをして、俺の頬に口づけをしてきた。熱くなったのは一瞬だけ。それでも、強烈な感触が体に残った。
「……ずるいぞ」
「ドキドキしました?」
「そりゃ、するに決まってる」
薄暗い渡り廊下で、五十鈴がふっと微笑んだ。
「文化祭でいろんな人と関われましたけど、やっぱりわたしたちだけの思い出がないと後悔しそうですから」
「ああ……同感だ」
この頬の熱さ、つないだ手の熱さを、俺はずっと忘れない。
今年の清明祭を思い出すたびに、一緒に思い出すことだろう。
今日はそんな、特別な一日なのだ。
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