12話 後輩の策略
二時間目が移動教室だったので玉村のところに行くことができなかった。
そのことをメッセージで伝えると、「気にしなくても大丈夫です」という返事が来た。
とはいえそれで安心する俺ではない。昼休み、再び保健室に向かった。
「失礼します」
「新海先輩、来てくださったんですね」
鈴見先生はいなくて、先生のデスクに玉村がついていた。カーディガンは着ていなくて、ブラウスだけだった。俺は近くのイスに座る。
「なぜそこにいる」
「先生がいない時はここで勉強させてもらっているんです」
「勉強?」
「手の空いている先生が来てくれて、わたしが遅れている部分を教えてくれるんです。特別な補習という感じです」
「優遇されてるな」
「一年生の時、あまりに休みすぎたので学校でも対策を作ってくれて。わたしの体の事情は学校も知っていますし、テストの成績が悪いわけでもないですからね」
「そういえば、五教科の平均点はどのくらいなんだ?」
「460から70あたりを行ったり来たりですね」
「はあ!?」
頭が良さそうな雰囲気してるとは思っていたが想像以上だった。
「そりゃ、休んでも学校は見逃してくれるだろうな」
頭脳では勝てないと思っていたが、これに加えてスポーツも満足にできなくなった俺には勝てる要素がない。
「くっ……」
「どうしました? 急に呻いたりして」
「自分に自信がなくなった」
「先輩は素敵な人です」
「お前はそう言ってくれるけどな、俺はどうも素直に受け取れないんだよ」
「まあまあ。それより、外に出てお弁当を食べませんか?」
「ここでいいだろ」
「保健室の中で許されるのは飲み物だけです。外にベンチがあるので使いましょう」
俺たちは保健室の奥のドアを開けて外に出た。すぐ横にベンチが置いてある。近くには誰もいない。もしかしたら、鈴見先生にからかわれるのが苦手な奴らは近づかないのかもしれない。
「具合はどうだ」
「朝よりはマシになりました。でも、蒸し暑いとすぐにぐったりしてしまって」
玉村が弁当箱を渡してくれる。
ウインナーでご飯をかきこむ。うまい。
「先輩」
「どうした?」
「…………」
なにも言ってこない。俺は横を向く。
玉村は俺を見て薄く微笑んでいる。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
「そういうわけでもないんです」
「なんだよ、じれったいな」
「こういう無駄なおしゃべりが楽しいんです」
「俺は無駄のないピッチングが好きだったな」
「投球にも無駄があるんですか?」
「あるよ。例えば2ストライクと追い込む。わかるか?」
「ええ」
「そのあと3球勝負を決めに行くか、外してバッターの注意をそらすか――みたいな話になるんだな。俺はそういう誘い球をほとんど使わなかった」
「とにかくストライクを取っていくスタンスだったんですね」
「ああ。……って、別に関係ない話だったな」
「先輩の部活のお話を聞けるのは楽しいですよ」
「野球は普段から見るのか?」
「この高校に入ってから、夏の大会だけはネット中継で見るようになりました。うちは初戦敗退がないので何試合も見られてお得ですよね」
そういう考え方もあるのか。
俺は強豪校を自分が引っ張るくらいのつもりで投げていたから、初戦敗退だけは絶対にできないと思っていた。
「せーんぱい」
「今度はなんだ」
玉村は体を左右に振っている。かわいい。……けど、俺になにを期待しているんだ?
「なかなか手強いですね」
「俺が鈍感だっていうなら遠慮なく指摘してくれ。じゃないとお前を不愉快にさせるかもしれない」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫しか言わないな」
「ポジティブでありたいので」
結局、玉村の狙いがわからないまま弁当を食べ終えた。
「ごちそうさま」
手を合わせ、弁当箱を返す。
「新海先輩、絶対に手を合わせますよね。礼儀正しくて素敵です」
「小さい頃からよく言われてきたからな」
「いいご家庭ですね」
そうかもしれない。
おかげで俺は礼儀作法などで恥をかいたことはない。
好きに野球もやらせてもらったし、素晴らしい両親を持ったと思う。
「玉村の両親はどんな感じだ?」
「お父さんは心配性で神経質です」
「わかる気がする」
持病のある娘がいると心配性になりそうだ。
「お母さんは口数が少ないですね。目つきがかっこいいと思うんですが、会社の人からは怖いって言われてるみたいです」
「仲はいいのか?」
「はい。忙しくてあまり家族そろって食事とかはできませんけど、必ずどちらかはそばにいてくれるんです」
「お前のことが心配なんだよ」
「やっぱりそうですよね。だから、先輩と会ったら喜んでくれるはずです。そのうち会っていただけませんか?」
……んん?
「なんでお前の両親と会わなきゃいけないんだ」
「家で先輩の話をしたら、興味を持ったみたいで」
「いつも話が急だな」
「すぐとは言いません」
自分の娘がこんな奴と一緒にいるとか考えたら不安にならないか?
「いつでもいいので、時間ができたらわたしの家に来てほしいです」
「気まずい……」
「会うのは両親だけですので」
「家にいるのは家族だけだろ?」
「お手伝いさんがいます」
「くっ、金持ち!」
「でも、皆さんには待機していただきますからご安心を」
「……気が向いたらな」
こうやって永遠にごまかし続けられないかな。
「まあいい。行こう」
俺は立ち上がる。
「わたしも午後から教室に戻ります」
「おう、無理すんなよ」
玉村は座ったままうなずいた。
その時、俺は気づいた。
今、俺は玉村を見下ろすように立っている。
そのせいで初めてわかった。
玉村のブラウスは、第二ボタンまで外れている。
だから、その隙間から水色の……。
「す、すまん俺は先に行くぞ! 昼飯ありがとう! じゃあな!」
玉村に背中を向けて保健室に飛び込んだ。
そのまま室内を通過して廊下へ飛び出す。
見た。
見てしまった。
もしや、玉村が意味もなく俺に話しかけてきたのは、あれに気づくかどうかを試したかったから……?
「ぐっ、駄目だ! 考えるな!」
俺は階段を駆け上がり、教室に飛び込んだ。
驚いている守屋の前で、机にガバッと突っ伏す。
心臓がバクバクいっている。
しばらくは冷静になれそうにない……。
†
玉村五十鈴は一人で保健室の中に戻った。
ベッドを直すと、ブラウスのボタンを留め直す。
口元にはかすかな笑み。
「気づかないふりをしてくれているのかと思ったけど……単に見えていなかっただけか……」
両手を胸に当てると、心臓が早鐘を打っていた。
笑みが消えて、顔が少しずつ赤くなっていく。
「お、思ったより恥ずかしいな……。変なこと考えるんじゃなかった……」
一人つぶやくと、五十鈴も早足で保健室を出て行った。
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