母は獣

@youyou42

第1話




中学校入学のころ、骨盤が歪んで、腰が痛くてしょうがなかった。それでも、貧乏だった自分の家の事を心配し、医者に行きたいとも言わず、僕は我慢していた。だが、ある日、腰を斜めにして、老人のように歩いている姿を見た父親が、家族の生活費であるお金を切り崩し、僕を医者に連れて行ってくれたのだ。



父親に連れられ、医者に行くと腰に巻くプロテクターを渡され通院を勧められた。



その頃、小学校を卒業したばかりで、春が始まると、僕は、中学に入学することになる。生徒の人数は少ないが、校舎はピカピカだ。



春になると、渡されたプロテクターを腰に巻き、中学校の入学式に向かった。



サッカーがやりたくて、サッカー部に入りたかったが、医者から無理だと言われていた。プロテクターを付けていても腰は痛むのだ。医者の言う事は、正しいが、大好きなサッカーができないと知ると、入学の期待感をはぎ取られ、悲しい余韻に浸たり夜、家の前の公園で小石を蹴飛ばして泣いた。



腰は、歩く時、とにかく痛む。痛みが煩わしく、中学に入学すると皆んな、元気に動き回りはしゃいでいる。その中で僕はまるで、老人のような扱いだった。特別扱いは御免だ。段々と学校に行かなくなり、そのうち歩くのも嫌になって、中学に通うのをやめてしまったのだ。病院にも通わずに、僕は家で寝て過ごしていた。



ある日僕は、母親に連れられ、サーカスに行く事になった。

寝てばかりで学校にも行かない僕に対する母親の愛情だった。

それを不意にしたくなかったので文句を言いながら、付いていく事を決めた。痛む腰を上げ、電車に乗ってサーカスへと向かった。

サーカスは動物の曲芸がメインのサーカスで、飼いならされた猫が、綱渡りをしたり、象は、あの巨体で、自分の半分のない大きさの玉に乗り鳴き声を上げる。



そんな中で、僕が、印象に残ったのが、2足歩行で歩く犬がハードルをジャンプして飛び越える曲芸だ。その犬は、芸が終わると4足歩行に戻り、飼い主から餌を与えられていた。あの犬が羨ましかったのだ。人間は2足歩行という形態を選んでから、腰痛というのは、生涯のテーマになったのだ。

僕は人間だ。でも僕の体は、2足歩行という、形態を拒んでいた。



母親に車イスに乗って学校に通うことを勧められた。高くてとびっきりカッコいい車イスだそうだ。僕は、車イスを拒んだ。車イスは必要ない。僕は、犬になることにした。四足歩行で歩くのだ。僕の体がそれを望んでいるのだ。



母親に頼んで古着屋で、革製の手袋を買ってきてもらった。

母親は、「この春になんで、手袋なんか欲しいの?」と疑問を投げかけたが、返事をせずに、眠っていた時、いつの間にか僕の布団の脇に中古の革手袋が置いてあった。

革製のグローブをつけると、手をついて4足歩行で学校へと通った。近所の人も、学校の同級生も僕を珍しそうに眺めている。

それでも僕はそれが変な事ではないと思っている。進化という退化を僕は選んだのだ。四足歩行になってから僕の腰は痛まなくなってきていた。



学校に通って行くうちにいつの間にか、クラスメートから獣というあだ名をつけられていた。学校の廊下を歩いていると、誰かが、「ほら、獣だよ」と小声で、話しているのが嫌でも聞こえてきた。この狭い廊下の中、獣と呼ばれるのに相応しいのは、どう考えても僕しかいないだろう。それでもそんな陰口は気にならない。僕は獣になってから何処へでも行けるようになったのだ。



希望していたサッカー部には入れなかった。



僕が、4本の足で、ボールを転がしている所を顧問の先生に見せると、「それじゃあ試合にならないよ」と言われた。サッカー部に入ることをついに諦める事になってしまったが、サッカー部の部員達は僕が、入るのを拒んでいるのが、様子からうかがえたので、「こっちから願い下げだ」と、顧問に赤い顔しながら吐き捨てた。

一瞬、顧問は厳しい顔し、なにか言おうとしたが、口を詰まらせた。そのまま帰ろうとすると、遠くから顧問が「お前は、特別なんかじゃないよ」と叫んでいた。僕は睨むと、顧問はそれ以上なにも言うことがないらしく、職員室へと戻っていってしまった。



学校の授業では、普通にイスに座って授業を受けた。イスが嫌いではなかったが四足歩行でいる方が好きだった。友達は誰もできない、僕を珍しそうな目で見て、ときどき遠くからからかうだけだった。



僕は、すでにこの小さな町の有名人になっていた。皆んな、初めて僕を見ると驚いた顔する。二度目は憐みの目だ。そんな目をしても僕に話しかけてくる家族以外の人間は、一人しかいなかった。彼女も、一度きり話しかけただけで、また憐みの目に戻った。だから田舎は嫌だ。

僕は、とびっきり目立つから恰好のネタにされるのだ。



四足歩行になってから僕の生活は変わった。僕は、犬になりきっていたのだ。

だんだんと皆んなが僕の事を忘れ、気にしなくなった頃、道端で、通り過ぎる犬に吠えるし、だんだんと言葉を話さなくなった。

だんだんと人間としての生活を失い、獣としての生活に変わっていた。

ほとんど言葉を発しなくなった頃、僕は、中学に通っていなかった。



家に帰らず、残飯をあさりながら、公園の片隅で横になり、寝る。たまに心配した家族が、僕を家に連れ戻そうとすると僕は、そいつの手をおもいっきり噛み、抵抗して、帰ろうとはしなかった。その手は、多分母親の物だった気がする。その人間は、僕が手を噛んだ後吠えると、泣き出し、よだれを垂らしながら僕には、分からない言葉でなにか言っていた。



ある日、道を歩いていると、大きな黒いゴールデンレトリバーが僕に吠えた。

突進してくるゴールデンレトリバーは、飼い主の手綱を放れ僕に、噛みついてきたのだ。僕は、本能的にその犬の腹を噛みちぎり、怯んだ犬の首を噛み、噛み殺した。

飼い主は、僕を驚いた眼で見ると、死んだ愛犬の名前を何度も呼んでいた。その時、僕はすでに人間ではなくなっていたのだ。



僕は、獣になったのだ。









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