3・執行-4[乗り掛かった船]

同人誌の売上を差し押さえる。

聞いたことのない話だ。


債権とは契約の上で何かしらのお金を貰う権利のこと。

例えば何かを販売してお金を貰う権利だったり、銀行に預けたお金を受けとる権利の事である。


強制執行は債務者がお金を貰う権利=債権を、お金を渡す側に裁判所の力でストップをかけて債務者に支払うお金を債権者に渡して貰う制度だ。

なので強制執行でお金を貰うことを、債権回収とも言う。


同人委託業者は販売手数料として売上の平均3割で販売代行をしてくれる。

要するに売上の7割位が同人誌を出品している人が貰えるお金の権利、ということは債権なのだ。


念のため同人委託販売店に聞いてみた。

質問フォームから問い合わせたものの、時間が無いため翌日には電話で聞いてみた。


どちらの会社もすぐ返答できないとのことだった


M社に関しては、よほど僕が切羽つまった様子だったのか、電話をした日の夜の営業終了時間頃に担当者さんが、わざわざ直ぐに返答が出来ない旨を連絡して謝ってくれた。

この感染病のご時世なので、出社の時短や出社日の軽減がされていて、担当の人が直ぐに対応できないとのことだった。T社も同じなのだろう。仕方がない。

数日後に届いた回答メールにはどちらも「個人情報等には直接答えられないが、裁判所からの指示には従う」とのことだった。


裁判所にも問い合わせてみた。

「本当にわかるんですか?」

担当書記官はかなり訝しんだ声をあげた。それはそうだろう。債務者がSNSで債権を晒していたという話だ。普通に考えておかしい。


そして販売の債権に関しては、銀行口座と同様に債権が発生する物と販売先を特定しないといけない。

普通は具体的な卸している物や取引先の情報は他人が知ることはまず無い。

例えば債務者が服を作って、洋服屋に卸したとする。債務者が受けとれる洋服の売上債権を差し押さえる場合は、卸している「洋服屋」を特定し、洋服ではなく「子供用ズボン」「男性用ワイシャツ」等、名称まで具体的に示さないといけない。


しかし今回は今時同人誌を作っている者ならコミケと並んで知らない人は居ない全国展開の有名同人委託販売店である。ご丁寧にホームページに一覧で載っているのだ。通販ペーシの個別アドレスの末尾の数字は商品IDにもなっている。

藤沼氏が出しているサークルごと同人誌の売上債権を全て押さえてしまえばいい。


判決後に裁判からの書類は受け取り拒否をしているそうだが、結果は変わらない。

受け取り拒否の場合ほ『被告は受け取りを拒否しました』という通知と共に受け取ったことと同じ扱いになる。その事は法律知識があるといった藤沼氏なら当然知っているだろう。


数ヶ月前に少額訴訟を起こされていて、本人も敗訴で裁判所からの支払請求が来ることはわかっている。そう本人がメールしてきたのだ。

普通に考えれば債権の在りかを自らSNSで告知するような真似はしないだろう。

なので嘘の可能性も高いのだが先日『嘘で人気とりするような人は嫌いだな~』と呟いていたばかりだ。

なので本当かもしれないが、嘘つきが嫌い発言が嘘という可能性も十分在る。

はじめに約束した、納品後に支払をする約束も献本を渡す約束も果たせていないからだ。

しかしなんとなく嘘はついていないと思った。承認欲求が強いのなら、売れたら嬉しくて自慢してしまうだろう。

住所をうっかりSNSに上げてしまう人物だ。具体的な部数まで言っている。

それに特集ページが組まれたということは、完売がたとえ嘘だったとしてもそれなりの売上が見込めるはずだ。試してみる価値はある。


それに今回の件で反省したこと。

貰えるものは貰えるうちに回収する。


「大丈夫です。扱う会社も商品名もわかります」

すると書記官はこう答えた。

「債権が在るようでしたら、第三者からの情報取得手続は一度止めるように裁判官に掛け合いますが、どうしますか?」


どうしますかというのは、裁判所で法的処置を行うための「判決正本」と「訴訟費用額確定処分正本」「送達証明×2」が今は無い。

第三者からの情報取得手続に使われているからだ。コピー不可。 他の案件に兼用はできない。


書記官さんから二つの提案をされた。

A・「第三者からの情報取得手続」を取下げて、空いた「判決正本」と「訴訟費用額確定処分正本」と「送達証明」を強制執行に使用する。

B・少額訴訟を行った裁判所に「判決正本」と「訴訟費用額確定処分正本」と「送達証明」を再発行して貰い、別途強制執行を申し立てる。


A案は取下げ書と強制執行の書類を送れば、直ぐに対応可能だが、もしこの強制執行がうまく行かなかった場合は、再び同じ手続きで「第三者からの情報取得手続」を行うための手数料を払わないといけない。

今回出している第三者からの情報取得手続は銀行口座と証券と二つの別案件として扱われる。この場合なら正本の兼用ができるのだが、手数料が1案件4,000円、2案件分で8,000円かかっている。


この第三者からの情報取得手続も裁判所では「事件」として扱う。というか書類の書き方の印象だが、裁判所で扱うものは基本「事件」であり「裁判」という扱いのようだ。 第三者からの情報取得手続は「第三者からの情報取得事件」であり、強制執行は「債権差押命令事件」と記される。よって裁判で申し立てた場合、敗訴側に費用請求が理論上可能である。しかし一度差し押さえをくらい警戒している人相手に再度請求や強制執行を仕掛ける手間をかけるなんてことは現実的ではないが、僕は「三者からの情報取得手続」執行後に費用を請求するつもりでいた。


ただし取下げるとなると、相手に請求はできない。訴訟費用額確定処分申立の条件は執行もしくは判決だからだ。


B案の場合は「第三者からの情報取得手続」を保留にして貰うので、強制執行が失敗した場合には、直ぐに再開できる。ただし、送達証明再発行の際には相手にその旨が送られるので、相手を刺激してしまうかもしれない。


書記官さんのオススメはB案。

もしも強制執行が失敗したときに再度8,000円を負担するのは大変だと気を使ってくれたのだ。

どのみち強制執行が成功すれば訴えを取下げないといけないので、先払いした送料の切手は戻るが手数料は戻ってこない。


強制執行は成功するという確信があったが、僕はB案を採用した。

正本の再発行には相手に連絡が行くだけではなく、正本は300円、送達証明は150円の再発行手数料がかかる。

だがこれは勉強代だ。正本の再発行手続きなど体験する機会は滅多にない。

それにもし藤沼氏に正本再発行の通知が行ったとして、なにかできるわけではない。


乗り掛かった船なら大いに満喫しよう。

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