第18話 ラスボスvs羽月 羽月

 奈鬼羅 みちる 18-18 羽月 羽月


 およそ卓球では見慣れないスコアとなってしまった。部内選抜リーグ戦。女子のリーグでは、最後のマッチアップとなっていた。全勝のみちると1敗の羽月によるゲーム。その1セット目はデュースに突入し、なおも続いている。


「次、いきますですよ」


 飄々と言うみちるに対して、


「はぁっ、はぁ、上等じゃん」


 羽月は苦しそうに肩で息をする。羽月ご自慢のたわわな胸部も、肩の動きに伴って重そうに上下していた。


「…」


 ん。今、一瞬みちるが俺を睨んだ気がするけど、気のせいか?考える間もなく、ピンポン玉の音がコートに波紋をつくる。みちるのドライブと羽月のカットによって、ピンポン玉は幾度となく弄ばれている。そして、みちるのサーブから始まるこの遊戯は、大方同じ結末に迎える。羽月の得点、となる。疲れを滲ませながらも、羽月のパフォーマンスは落ちていなかった。体がしっかり反応している。第1歩が早い。


「っ!よっしゃじゃん!はぁ、はぁ、今度こそ」


 羽月が言うようにデュースの最中、先にセットポイントとしているのは常に羽月の方だ。しかし。


「どうしたです?あたしの方は準備できてるです」


「言われなくても、打つじゃん。ふぅ…ちょっと待つじゃん」


 羽月は軽く呼吸を整える。普通、間を置きたいのは追い詰められているみちるだろうに、どうしてなのか。立場的に言動が逆なのだ。


「よし、いくじゃん」


 意を決した羽月のバックサーブ。そこからツッツキ、ドライブと、一見して同じようなやり取りに見える。だが、羽月のサーブのときに得点するのは、毎度みちるだった。


「また、奈鬼羅さんのポイント…」


 部内の誰かが、そう言った。同じようなことを話す者があと数名は見受けられる。もう気づいているのは俺だけではない。この大熱戦に見えるゲームは、みちるによって牛耳られている。…いや、確証などない。ないけど目に見える事実として、2人の態度に大きな隔たりがあった。


「くそう、どうして入らないじゃん」


 羽月は両手を腰に当てながら、吐き捨てるようにボヤいた。デュースに入ってからというもの、常にリードを取りながら、決めきれずにイライラ。逆に脅かされ続ける相手はというと、


「そろそろ、頃合いです?」


 何やら呟いては、羽月を視線で捉えて離さない。ここまで、王手をかけられては回避する、という動きを点数の上では行っている。とれとは別に、コートを挟んだ近い距離感で、みちると羽月は卓球を通じてやりとりをしている。デュースの緊迫感を纏いながらであれば、尚更である。


「うん、とりあえず、打つじゃん」


「そうです。とりあえず打つです」


 このとき俺には、羽月の意識がみちるではなくスコアボードに向いている気がした。勝負師として、大切な何かが欠落した表情を見せる羽月。一瞬なのだが、確かに。それを俺が、そして、みちるが見逃す訳はなかった。


 カッ!!!

 コッ。


 ラケットの真芯で捉えたときにしか響かない痛快な音と共に、みちるの3球目攻撃が炸裂した。追って、羽月のコートにボールが入る音。羽月が返球する音は聞くことができなかった。


「うっわぁ、やっばいじゃん」


 その言葉は、今のスマッシュに対してのものか。はたまた、セットポイントをかけられたことに対してのものか。とうとう出くわした1回目のピンチだ。否が応にもメンタルに変化が訪れることだろう。


「ハツキ先輩のサーブになるです」


 今更なことを言いながら、みちるは回収したボールをラケットで小突いて渡す。


「今回はウチのサーブで得点してやるじゃん」


 意外にも、羽月は間を置くこともなく、すぐにサーブを打とうとする。開き直ったのだろうか。そうして繰り出されたキレの良いカットサーブがみちるに向かっていく。これまでは、ほぼツッツキでレシーブしていたみちる。だが、今はラケットの入れ方が違う。手首をしならせた柔らかい動作で、ボールの回転を上書きしていく。


「フッ」


 微かに息を漏らしながら、最小限のフォームで完成させる。返されたボールはコートに着くと小さく曲がり、羽月は驚きの声をあげる。


「うぇぁ?!」


 返球には至らず、みちるのポイントとなった。


 奈鬼羅 みちる 21-19 羽月 羽月


「やりましたです。卓丸先輩!」


 みちるがこちらに親指を立てて、アピールしてきた。


「大熱戦だったな。よく羽月相手に粘ったもんだな。というか、まだ1セットしか終わってない現実。ヤバいな」


「本当です。でも、頑張るです」


 エヘヘと笑うみちるは、このセットを制した充足感に包まれているのだろう。一方、羽月は己のラケットを見つめながら、わなわなと震えていた。


「今の…、チキータじゃん…っ!」


 ボールをすくい上げながら、新たに回転をかけるチキータという技を、みちるは使った。ミスするリスクを背負いながら攻撃に転じる、トップ選手もよく使う技術だ。もちろん、俺はみちるがチキータを使うことは知っていた。なんせ俺が教えたからな。こうも自分のものにしてしまうのは予想外だったけどね。今や俺よりずっと上手い。


「あたし的には自信なかったので、決まって安心したです。点数でリードしないと打つ気になれなかったです」


 羽月は信じられないものを見た、という顔をする。


「いや…何言ってるじゃん。スコアを見るじゃん。これだけデュースが続いて、お互いに決定打が出ない中で、出し惜しみするとか理解不能じゃん。焦れないじゃん?チキータなんて絶好のカード、ツッツキ合いになる度に織り交ぜれば…悔しいけど、もっと早くこのセットを取られたじゃん」


「まあ、リスクとあるですし」


 羽月のラケットを握る手に力が入る。


「そういうことじゃないじゃん!ウチが、みちるっちの立場ならデュースに入った地点でチキータを解禁するじゃん!それがゲームメイクとしてベストだからじゃん!劣勢や五分ごぶになったら、自分の持ちうる奥の手を出すべきじゃん。出し惜しみして負けたら何の意味もないじゃん!なのに…何でこのタイミングなんじゃん!」


「そんなこと言われてもです。そうした方がいいと思ったからです」


 みちるは少々困惑しているようだ。助けを求めるように俺の方をチラチラみてくる。応じるか。


「なあ、羽月、その辺にしてやってくれ。案外理由なんてないかもだろ?みちるは直感的なプレーをすることも多いんだ」


 …実際は、直感的に恐ろしいゲームメイクをするプレイヤーだということを、俺は知っている。


「納得いかないじゃん。こんなの、ウチが遊ばれてたみたいじゃん。何度もウチが追い詰めても、どっしり構えて正攻法で追い付いてきて、得点ができたら流れで、なし崩し的にチキータを見せたみたいな…。どうにも、ウチからはそう見えてしまうじゃん。もう一度聞くじゃん、みちるっち。どうしてあのタイミングでチキータをしたんじゃん!」


 一瞬の静寂、みちるは淀みない笑みを携えて、ハッキリと回答した。


「ですから、と思ったからです」


「へ?それって…」


 間の抜けた声は羽月のものだ。どういうことか分からない。否、理解したくない。そんな声。先程と言っていることは変わらないのに、意味合いが違う。恐らく、羽月の妄言めいた憶測に対する肯定か。


「えっと、です。ハツキ先輩がどう思っていても、あたしは気にしませんです。あたしは、そんなことよりもハツキ先輩とやりたいことがあるんです!」


「う、ウチに何をする気じゃん」


「決まっているです。試合の続きをするです!」


「あ…、そうじゃん。まだ、1セットじゃん…」


 羽月の体が脱力したのがわかった。至極、タフな1セットだった。カットマンのプレイングの性質上、1点を取る、若しくは取られるのに通常の選手より時間がかかるのは、やむを得ないことだ。今回はデュースに縺れ込んでいる。2人の点数を合計すると40点。試合が試合なら、とうに3セット先取で決着がついているボリュームに相当する。40回打ちあって1セット。たった1セット。されど1セット。この1セットを羽月は落としている。かっていれば、心持ちも前向きでいられるだろうけど、これを手にしたのはみちるの方だ。精神的疲労のならない訳がない。


「あれ?ハツキ先輩、お疲れです?まだまだ勝負はここからですよ♪一緒に楽しみたいです!」


「あはは、みちるっちの言葉の裏に、何かあるんじゃないかと勘ぐってしまったじゃん。これだけ打てば、確かに体力は持っていかれるじゃん。でも、それはみちるっちも同じことじゃん。この1セットだけで勝った気にならないことじゃん!」


 羽月は景気よく、ニカッと笑って見せた。コイツは簡単に気落ちするようなヤツじゃない。ただ、今回ばかりは相手が悪いかもしれない。


「嬉しいです。では、改めて始めましょうです」


 みちるが、キュとシューズの音をたてながら、羽月に近付いていく。その間、羽月は動けずにいた。幼さが残る顔に僅かばかりの恐怖が滲む。


「え…、どうしたじゃん、みちるっち」


 その声はオクターブを間違えたみたいに不安定だ。羽月の様子を見て、その相手は苦笑する。


「もー、いやですね、ハツキ先輩。チェンジコートです」


「あ…、あはは、うっかりじゃん」


 迫り来るみちるに、羽月は何を見たのか。試合が再開される。

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