第17話
体験する前にまずは手すき和紙の基本を教えてもらえるようだ。
施設の人に案内されて、実際に行う工程を見せてもらう。
まずは原料。コウゾやミツマタなどの植物を柔らかく煮る。
不純物を取り除いて、繊維をほぐすために棒で叩く!
次に紙すき。水に原料と、ネリと呼ばれるネバネバした液を入れる。このネバネバが繊維と繊維をくっつけるんだって。
それらをすき舟で混ぜながら掬って、前後左右に動かしながら広げていって……。
余分な液を捨てて、脱水乾燥したらできあがり!
説明を聞くだけなら簡単かもしれないけど、実際やるとなると……。
「めちゃくちゃ難しそう」
「そうだね」
いつのまにか並んで話を聞いていたキャスケット――ユキトくんが私の言葉にコクコク頷く。
「手すき和紙は熟練度によって見た目も厚さも大きく変わるんだね」
「うん、それにネリが温度変化に弱いから気温にも影響される。紙をつくるのってこんなに難しかったんだな」
私達は昔からの友達みたいに話しながら一緒に和紙づくりの説明を受けた。
お姉さん達に囲まれるより、大人しいユキトくんと一緒の方が心が休まるなあ。
「ねえ紙すき体験、ふたり1組でやるんだって。一緒にやらない?」
私の提案にユキトくんは大きな目をパチクリとさせた。
ふふ、ユキトくん。私には分かる。
ユキトくんもお姉さん達にかわいがられて困っているってこと!
その証拠にさっきから私にずっとくっついている!
神奈川の方には年上のお兄さん達はいるけど、小学生はいないみたいだし。
同い年くらいの男子と一緒にいたいんだよね。
私は女だけどその気持ちは分かるよ。女だけどね!
私もお兄ちゃんとは組みたくないし、男のフリをしているからお姉さんとも組みづらい。
ここはひとつ、気持ちを分かち合える者同士手を組もう。
「ありがとう。実は知り合いいなくてどうしようかと思ってたんだ」
「てことは神奈川のボーイスカウトじゃないの?」
「たまたま枠が空いてたから連れてきてもらったんだ。どうしても紙すきをやってみたくて……」
なんてこった。そこまで私と同じだなんて!
親近感がどんどんわいてくるじゃないか!
少し休憩を挟んだら、お待ちかねの紙すき体験の始まりだ。
用意された原料を使って、慎重にすき舟を動かしていく。
繊維と繊維が複雑に絡み合って、ゆっくりと均一になって、それでもやっぱりまばらに散って。
その繰り返しで和紙になる――。
私は瞬きも忘れてすき舟に夢中になっていた。
「次交代だよ」
「あっごめん」
ユキトくんが真剣にすき舟を動かすのを、私はぼんやりと眺める。
昔から日本人はこうやって紙をつくって、生活に取り入れてきた。
文字を書いたり、障子やふすまに使ったり。
そんな中で芸術が生まれるのは当たり前で、
紙切り、切り絵、折り紙他にもたくさんの紙文化ができた。
私達はそれを受け継いでいるんだ。だから残したい。
将継の気持ちが、今ならよく分かる。
千代ちゃんの言葉が、ようやく分かる。
私が切るのは紙だけじゃなくて、紙に乗せた思いも切っているんだ。
だから力任せに切っちゃいけない。千代ちゃんはそう言いたかったんだね。
「終わったよ」
「あ、うん」
不思議そうな表情のユキトくんに覗き込まれ、私は現実に戻ってきた。
周りの人達も紙すきを終えて休憩モードのようだし、ここでこっそりトイレに行っちゃおう!
「ちょっとトイレ!」
私はパッとその場を離れた。
ユキトくんが少し不安そうにしていることに気がつかないまま。
幸い女子トイレには誰もいなかった。私は気分よく元の場所に戻る。
すいた紙は体験施設で脱水乾燥後、家に郵送してくれるらしい。
自分ですいた紙、早く切りたいなあ!
はやる気持ちを抑えていると、神奈川チームの方がなにやら騒がしいことに気づいた。
「ユキトくんはモテモテでしゅね〜」
「どのお姉さんがタイプですかあ」
「ちょっとやめなよ男子!」
「お前らが仲良くしろって言うから構ってやってるだけだろ〜」
キャスケット帽で顔を隠したユキトくんが、3人のお兄さん達に囲まれている。
なんだかすごくイヤな感じだ。
私はパッと駆け出してユキトくんの手を引く。
「ユキト、あっちいこ」
「あ……」
静岡チームにはこんな意地の悪いヤツらいない。お兄ちゃんに言ってユキトくんをうちのチームに入れてもらおう!
「おー? イケメンはイケメン同士つるむんだなあ」
「弟くーん。俺らとも仲良くしてよ」
なーにが仲良くしてだ。めっっちゃくちゃムカつくけど、無視無視!
そのままずんずん進もうとすると、視界の端でユキトくんがなにかにつまづいた。
「うわっ」
「危ない!」
ユキトくんの体ががくんと沈む。慌てて手をひっぱって、ユキトくんが転ぶのを阻止した。
すぐそばでニヤニヤしているお兄さん達。
今……ユキトくんの足をひっかけて転ばそうとしたんだ!
プッツーン。
頭の中がマグマのようにグラグラと煮えたぎる。
「おい」
「なんだよ弟くん」
「文句でもあるのかなー?」
体の大きさも人数もこっちが負けてる。
でもお姉さんにモテるってだけでユキトくんをいじめるのは許せない。
「本当の足払いってのはこうやるんだよ!」
バッシーーーン! といい音が連続で空間に響き、3人の中学生がその場にひっくり返った。
その場にいた全員、言葉を失っている。
私は顔をひきつらせる相手を見下ろして言った。
「ユキトに2度と近づくな」
シーンとした空気が流れる。
少ししてお兄ちゃんの場違いな声が轟くまで、その場は静まり返っていた。
「コラーなにやってんだ我が弟!」
「やばっ」
「ここまできてまーたケンカか? 師範に言いつけるぞ!」
「ぎゃーーそれだけは勘弁!」
結局、先に手を出したのは中学生の方だったけどやりすぎた私も神奈川チームに謝ることになった。
紙すき体験はそんなトラブルがありながらも終了。
帰りのバスを待ちながら、私は頰を膨らませた。
絶対向こうが悪いのに、納得いかない!
「淡井くん……ありがとう」
プンプンしている私にそうこっそり耳打ちしてくるユキトくん。
まあそんなユキトくんのためならよしとしよう。怒りの刃を鞘に収めることにする。
「弟くん柔道やってるんだー」
「カッコイイ〜」
「いえいえそんなちょっと失礼」
ほめ殺してくるお姉さん達をかき分けて、私はユキトくんとふたりで空いているスペースに出た。
「ユキトくん、帰りはお姉さん達に守ってもらいなよ」
「淡井くんがあんなにやったくれたからもう大丈夫だよ。本当にありがとう。俺、淡井くんみたいに強い人に憧れてるんだ」
ユキトくんはそう言って、ふわりとキャスケット帽を取る。
色素の薄いサラサラの髪。
切れ長の目。
王子様みたいな顔立ち。
私はその頭の先からつま先まで見て、ピシリと石像のように固まった。
画面の中で見慣れた人物が、突然目の前に現れたのだから。
「え、えま、えままままぴぴぴ!?」
「俺のこと知ってるの?」
キャスケット帽で口元を隠しながら、ユキトくん――えまぴは嬉しそうに笑った。
「改めて、俺はえまぴこと絵馬
雷に打たれたような衝撃が全身を襲う。
全然気がつかなかった。
だって動画で見る王子様オーラも出てなかったし、声も小さくてよく分からなかったから。
ユキトくんがあのえまぴだったなんて――!?
頭が混乱して湯気が出そう。今絶対白目になってる自信ある。
「びっくりした?」なんて笑うその姿が信じられない。
「助かったよ、淡井くんがいてくれて。俺男ウケ悪い上に女の子苦手でさ」
「え……でも動画で女らしい子が好きって」
「あれはえまぴっていうキャラのロールプレイ。つまり設定なんだ」
設定……つまりホントはそうじゃないってこと!?
そのために女の子らしくなろうとした私って……。
心の中でがっくりと肩を落とす私にえまぴは話し続ける。
「でも淡井くんがリスナーだったなんて。信じられないや」
「こ、こっちのセリフだよ。どうしてこんな所に!?」
「ハイパーペーパークラフトの大会のために、和紙のことを学びにきたんだ」
その言葉にハッとする。えまぴも私と同じで、紙への理解を深めるためにここにきたんだ。
もう全国1位なのに、今年もホンキで優勝するつもりだ!
そう思った瞬間、私の視界がクリアになる。
今私の目の前にいるのは、YouTuberのえまぴじゃない。
ハイパーペーパークラフトの選手、ユキトくんだ。
私はゴクリと息を飲み、ユキトくんの目を見る。
全国1位相手にこんなこと思うのはおかしいかもしれない。
あんなに好きだと思った人にこんな思いを抱くのは間違っているのかもしれない。
でも、私は今確かにこう思っている。
「今年、団体戦で勝つのはうちのチーム。そして……個人戦で勝つのは将継だから!」
大会に出たらえまぴに会えるかも、なんて考えていた頃の自分はもういない。
勝ちたい。この人に勝ちたい!
ユキトくんはキョトンとした後、合点がいったように頷いた。
「淡井くんも大会出るんだ。そして……あの禅のチームメイトなんだね」
「うん。将継は今年奈良からうちの学校に引っ越してきたんだ」
「そう……淡井くんはなんでハイパーペーパークラフトをやってるの?」
ユキトくんの唐突な問いかけに、私は答えに困ってしまう。
「えっと、楽しいから……?」
改めて聞かれると、単純な理由しか出てこない。
将継に教えてもらった楽しさを私は追い求めている。その延長線に勝負があって、だから大会でも勝ちたいと思う。
ユキトくんはゆっくり頷いて、なんだか少し悲しげに「そっか」と呟いた。
「俺はもう分からないんだ。なんのためにハイパーペーパークラフトやってるのか」
しんと静まり返る場に、ぬるい風が吹く。それはユキトくんの髪を揺らした後、どこかへいってしまう。
私はただ静かに呼吸をして、ユキトくんの言葉を待っていた。
「俺さ、最近は大会で勝って、動画を評価されて……それの繰り返し。それでいいと思ってた。でももうつまらない。でも周りに期待されて、えまぴっていう役を演じて。自分がなにをしたいか分からないんだ。昔はもっと色んな面白さがあったはずなのに、正直もう、ハイパーペーパークラフトが楽しくない」
ユキトくんの嘆きに、ちくりちくりと小さな針で心を刺されたような気持ちになる。
『ハイパーペーパークラフトが楽しくない』
毒を飲んで苦しんでいるように放たれたその言葉。
ユキトくんは自分の気持ちを見失って、周りの期待に押しつぶされている。
それはまるで、虚無の時間を過ごしていた私と似ていて。
「今決めました」
「え?」
がしりとユキトくんの両腕を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「私は大会で、ユキトくんをハイパーペーパークラフトで楽しませてみせる! だから全国大会、覚悟してて!」
私がえまぴに出会って元気になれたように、今度は私がえまぴを楽しませる番だ。
楽しさを見失ってしまったなら
また見つければいいんだから!
「みさきち〜バスきたぞ」
「はーい。ユキトくんまたね。次は大会で!」
ポカンとするユキトくんに手を振って、私は帰りのバスに飛び乗った。
憧れのえまぴに会えて嬉しかったけど、それよりもメラメラと燃え上がる対抗心が勝ってしまった。
全国1位相手に大口を叩いたからには半端なパフォーマンスはできない。
帰ったら速攻練習するぞ!
「『私』? 『みさきち』……?」
ユキトくんが首をかしげていることもいざ知らず、こうして私の紙すき体験は終わった。
「あ〜〜! ファンですって言うの忘れてたよおお」
「怒ったり悲しんだり忙しいヤツだな」
サインくらいもらっておけばよかった!
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