第15話

 ▽


「――さま、実咲さまっ」

「ぅえ!?」


 意識の遠くから聞こえてきたまつりちゃんの呼び声にビクリと体が跳ねた。

 机の上で頭の下敷きにしていた手がジンジンしびれる。


 あ、やば。

 思いっきり寝てたわ!


「淡井さん」


 すぐ横から地面に響くような低い声が聞こえてきて、恐る恐る首を回す。

 そこにはステキな笑顔に青筋を浮かべた西丸先生が立っていた。


「淡井さん、宿題2倍!」

「ぎゃあーー!? すすすいませんでした!」

「番長がんばれー」


 居眠りをした代償は大きかった……。

 西丸先生、ホント容赦ないんだから!

 ……いや、私が悪いんですけどね。

 授業後、しょんぼりしていると西丸先生に呼ばれ、ぽんとなにかの紙の束を渡された。


「宿題2倍は冗談。これをみんなに配ってください」


 そう言う西丸先生から渡された学年だよりには、優勝してサイコーの笑顔を浮かべた私達『紙切り』クラブの写真がでかでかと載っていた。


「わあ! 先生仕事はやっ」

「ふふふ。全国大会は全校だよりで特集するからね」

「先生ありがとう!」


 私はぱっと駆け出して、クラスのみんなに学年だよりを配る。

 しばらくしてなんだか自分の写真を配ってるような気分になって、めちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。


「番長やるじゃーん!」

「クラブがんばってね」

「うんっ。あ、応援にきてくれたみんなありがとう! 次もがんばるよ〜」

「はあ……実咲さまのお姿が日本中に知れ渡ってしまう……にわかファンが増えるのはフクザツ」

「まつりちゃん衣装ありがとね! できれば次はもっと普通の――」

「よし、次のコーディネートのテーマは……『和』ですわ!」

「ええ……?」


 みんなの応援が嬉しくて、もっとがんばろうって思える。

 みんなの期待に応えたい。

 でもその気持ちが諸刃の剣だってこと、私はちゃんと知ってるんだ。


 ▽


 ――放課後。帰り道でケントに捕まった。


「おい実咲、今日は将継の家行かないのか?」

「うん。ハイパーペーパークラフトの全国大会の前に、柔道の地区大会があるから。月、木、日曜日は道場に行くよ」

「ふーん」


 そう。私にはもうひとつの戦いがある。

 去年、準優勝で終えた柔道の大会。その今年の地区大会が来月――6月の頭に迫っていた。

 そして地区大会を勝ち抜いたら、県大会は7月。

 そう言うとなぜかケントは目玉が飛び出そうなくらい目を見開く。


「柔道の県大会が7月!? ハイパーペーパークラフトの全国大会も7月だろ!」

「あ、でも日程は被ってないよ」

「マジかよ……お前そんなに詰め込んでたら死んじまうぞ」

「自分で決めたことだから。それにケントだって毎晩家庭教師の先生きてるんでしょ? 放課後は将継の家で地獄の特訓、家に帰っても勉強。そっちの方が死にそう」

「自分で決めたことだからな」


 ケントが自然に私のセリフをまねするから笑ってしまう。

 あれもやりたい、これもやりたい。

 ぜーんぶに全力を出したい。

 私もケントも、そして将継もおんなじ無茶をしている。


「私達よくばりなのかなあ」

「それを言ったら将継はとんでもない強欲だぞ。個人も団体もとろうとしてるんだからな」

「なにも目標がないよりは断然いいよ」


 私はゆっくりと空を見上げた。最近は日が長くなったから気分も明るくなる。

 半年前とは大違いだ。

 柔道の大会で負けてから、私はしばらく虚無の時間を過ごしていた。

 応援してくれた家族、道場の人達、友達。

 そんなみんなの期待に応えられなかった自分が許せなかった。

 私はすっかり折れてしまって、目標もなくやる気も出ず、家で動画を見まくっていた。


 ――そんな自分が嫌いだった。


 その時に比べて、今のやる気に満ちあふれてる自分は嫌いじゃない!

 それもこれも将継に出会って、

 ハイパーペーパークラフトという新しい世界を見つけて、

 将継が優勝を狙う気持ちに心をガンガン揺さぶられたから。


「まだまだがんばれるぞ!」

「はあ〜〜っ」と気合いだめをしていると、なぜか隣のケントは私に続いて「はあ〜〜」と大きなため息をついた。


「あんまり盛り上がると負けた時また辛くなるだろ。学ばないのかお前は」


 むっ。

 負けた時また辛くなる?

 それってもう私が負けるって思ってるってこと!?

 私は思いっきり口をへの字にして、ケントをジトーッとにらみつける。


「負けないし」

「ハイハイ」

「もう絶対絶対絶対負けないし!」

「分かった分かった!」


 くそう。見てなさいよケント!

 私がハイパーペーパークラフト団体戦で優勝して、

 柔道の大会でもリベンジするところを!


「じゃあまた明日!」


 うっかりしゃべりすぎて道場の時間に遅れそうだ。

 私はぱっと通学路を駆け出そうとした。その瞬間、ケントが「実咲、」と呼ぶ。


「『女の子らしくなる』はもう終わりか?」


 その言葉に、私はピタリと立ち止まった。

 振り向くとケントはイジワルな笑みを浮かべてこちらを見ている。


 そうだよね。

 私ついこの前まで柔道の大会で負けたこと引きずって、落ち込んで、なにか他のことで気を紛らわせたくて。

 たまたま顔がタイプだったえまぴの動画を見まくったりして。それで女の子らしくなる! って言ってた。

 ケントとはケンカばっかりしてたけど、その分そんな私を間近で見ていたから今の私をすごく不思議に思うだろうな。


 でもね、私にも分からない。

 なんでこんなに前を向けるのか。


 女の子らしくなるよりも、

 私らしくいたいって思うのか。


 だからきっと、こう言うのが正しい。


「いつのまにか終わってた!」


 迷う時間はもう終わり。

 男とか女とかそういうことは関係ない。

 今の私の全力を出すんだ!


「やっぱり実咲はバカだな」

「はあ〜? ケントの方が理解力がないんじゃない! おバカさんはこうしてやる!」

「ぎゃーーー! だから関節技はやめろーー!」


 ケントとはいつもケンカばっかり。

 だけどちっちゃい頃からお互いのことはよく知ってる。

 だから分かるよ。

 受験勉強で気持ちが沈んで

 どうしようもなかったから最近私に突っかかってくることが多かったってことも。

 ケントだって今やる気に満ちあふれてるってことも!

 今のケントとなら仲間になれる。

 昔に戻ったみたいでうれしい。


「ケント。全国大会、がんばろうね!」

「きゅ〜」

「しまった! またやりすぎた!」


 白目のケントを引きずりながら道場に向かうハメになって、師範に怒られるのはあと数分後。



 ――金曜日。

 図工室に集まった俺ら『紙切り』クラブはひとつの机に顔を寄せて、中央に置かれたサイコロ型の消しゴムを凝視していた。

 その親指の爪くらいのサイズのサイコロ消しゴムを用意した本人――実咲は、それをつまんで俺とケントに見せて言う。


「今日私が考えてきた練習メニューは――『立体感覚を鍛えよう! サイコロ脳トレ』だよ!」

「サイコロ……」「脳トレ?」


 首をかしげる俺らを横目に、実咲はサイコロ机に置いた。


「ふたりともこのサイコロの状態を覚えておいてね。サイコロの1が上にある状態で、正面が3、右面に2、左面に5があります」


 実咲の言うとおり、サイコロは普通に1が上になるように置かれている。

 たしかにサイコロは展開図を学ぶのに適してるけど……。

 なんかイマサラ感があるな。俺らは普段もっと複雑な構造を想定して練習しとるわけやし。

 それでもあの実咲の考えてきた練習メニューや。

 想像もつかんなにかがあるに決まっとる。


「まさか今さらサイコロの展開図を描け! なーんて言わないよな?」


 ケントも俺と同じことを思ったらしい。その直球な質問に実咲はチッチッチと指を振る。


「じゃあやってみよう。今から問題を出します。ふたりともこのサイコロには触らないで、頭だけで考えてね!」


 実咲は大げさに腕を組み、問題を出した。


「このサイコロを右に3回、上に2回、左に1回倒すと、上にくるのはどの目でしょう?」


 突然思考を3次元にひっぱり出され、俺はぎゅっと唇を結ぶ。

 この問題は展開図で考えるんやない、サイコロの立体そのものを頭の中で転がす問題や。

 サイコロの構造が分かっててもムズイ。

 けど頭ん中で立体を動かすいい練習になる。

 やるやん実咲。そういえば脳トレ得意って言ってたもんな。


「ぐぐ、5?」

「ケントぶぶー」

「……6」

「将継あたり。正解は6でーす」


 実咲がコロンコロンとサイコロを転がして正解を見せる。


「これを5秒以内に答える! これが今日の練習メニューでーす」

「5秒!? ムリムリ!」

「ムリじゃないって〜。じゃあ次はケントが私に問題出してよ」


 ヘラヘラ笑う実咲にケントは「ぐぐぐ」と唸りながらサイコロを元の状態に戻し、勢いよく問題を出す。


「下に1、右に5、上に10!」

「答えは2!」


 キラーンと瞳を輝かせて、実咲は一瞬で答えた。


 ちょお待って、答えるの速すぎん?

 1秒もたってないやん。

 ひょっとして、ケントが問題を言うのに合わせて脳内のサイコロを転がしてたんか?


 俺とケントはポカンと顔を見合わせた。

 ケントが口をパクパクさせながら俺を見るから、仕方なく俺がサイコロを使って正解を確認する。


「下1、右5、上10……確かに2や」

「うげっ! お前の脳内どうなってんだよ!?」

「えへへ。さあこれで立体感覚を養おう〜!」


 実咲は自分が得意やから楽しそうやけど、

 立体感覚凡人の俺にはキツいトレーニングになりそうやな。

 けど正直ありがたい。俺には思いつかん練習方法やし。


「西丸先生がきたら問題出してもらって、3人で勝負ね!」

「あかん……勝てる気がせんわ」

「俺も……」


 得意なことを教え合う。

 簡単なようで簡単ではない。

 それでもやるんがチームやんな。


「また淡井さんの勝ちだねえ」

「ヤッホーい! 先生もう1問お願い!」

「俺もう頭回らねー……」

「実咲、今日は終わりや! こんなん知恵熱出る!」


 いい練習やけど結果は……察してくれ。


 ――さらに翌週、金曜日。


「今日の練習メニューは俺が担当だ!」


 そう張り切るのはケント。そして図工室の机にはドドーンと四角い箱が3つ並べてある。


「これはどう見ても……」

「ああ、プラモやな」


 実咲が手を伸ばしたのはゴツゴツのロボに、『純愛戦士〜』とかなんとか書かれた箱。

 俺の目の前には『要塞都市〜』だのなんだののロゴと、ダイナミックな城が描かれた箱。


「ちゃんと先生に許可もらって持ってきたんだぜ〜。うちの積みプラ、余らせとくのももったいねーし。お前らに組み立てさせてやる!」


 積みプラって……多分買ったまま放置しとるプラモのことやんな?

 ケントって俺が思ってる以上にマニアかも。

 プラモ用のニッパーやらなんやらを渡されて、俺と実咲は人生初のプラモデルづくりに取りかかった。

 これも俺だけではやらん練習や。

 なんか色々体験できて楽しいな。

 そう思っていたのも束の間、とんでもない凝り性を発揮したケントの鬼指導が始まってしまった。


「コラ実咲! ヤスリがけが甘い! これじゃあパーツを組み合わせた時に境目が丸分かりだろ!」

「ご、ごめん!」

「将継なにやってんだ! このパーツとこのパーツは別物。くぼみの場所が違うだろうが!」

「えっ!? あ、ほんまや」


 甘く見とった。プラモもハイパーペーパークラフトの基本の組み立てができれば応用できると思っとった。

 根本的に違うんは、ハイパーペーパークラフトは1枚の紙だけを使うこと。対するプラモは様々なパーツがあること。

 ケントの作品づくりが丁寧なのは、多分いつも細かいパーツひとつひとつを考えているから。

 ハイパーペーパークラフトの時も紙をパーツとして見ているのかもしれん。

 大きなひとつのパーツを変形させていく感覚。


 これがケントの見ている世界なのかもな。


「できた〜!」

「コラー! 腕が逆向きだ実咲のバカ!」

「バカとはなによバカとは!」

「ん……? なんかバランスが」

「あー! 城が崩れるぞ将継!」


 プラモデルひとつつくるだけでも難しいもんやなあ。

 ひとつのパーツに問題があるだけで全部台無しになる。

 そんな緊張感が、作品の正確性に繋がるんや。


 うん、勉強になったわ。


 俺は盛大な音を立てて崩れ落ちる城をぼんやりと見ながら、心の中で呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る