Cobalt Blue Sea is Crying__

@Yoshiryu0106

She's Mermaid on Beach.

 人間と、人魚。半分は同じでも、半分を違える。それはきっと叶う事のない……恋。

 さりとて、自然は今日も巡る。ギターの弦を弾いては止めるように、波音も寄せては引いてゆく。

 この物語 ── 彼らの恋 ── など、その中では些細なことなのかもしれない……。




 〇


 今年もこの季節がやってきた。


 爽やかな風を身体に受けて、僕は低い防潮堤の上を歩いている。頭上には、灼熱の太陽が鎮座している。

 潮の香りがする方に顔を向ければ、防潮堤の一段下に黄味がかった砂浜がある。そして、砂浜の向こうに煌めく海が見える。その煌めきは、真っ青なキャンパスに飛び散った白色の絵の具のようだ。誰もいないその海は、雄大で美しい。

 視線を前に戻せば、コンクリートの地面から淡い陽炎が立ち上っていた。

「夏、か……」

 その呟きは、小さいながらも繰り返し響く波音によって掻き消された。


 僕は海鳴 和真(うみなり かずま)。大学生。そして今は、大学の夏休みが始まったばかり。サークルにも部活動にも入っていない僕は、毎日が暇だ。親の仕送りだけでアパート生活をしており、バイトはしていない。だから、朝はこうして散歩をしている。


 巷では、夏を「恋の季節」と形容するなんて話もある。だが、僕には関係ない話だ。

 僕は、「他人」を好きになったことがない。それ即ち、「恋」をしたことがないということである。

 だからなのか、僕の格好は無頓着そのものであった。無地のくたびれたTシャツに、随分と使い古されたスウェット。アクセサリー類は一切つけていない。黒い髪はボサボサで、起き抜けの散歩だと一目でわかるくらいだ。

 普段もこんな感じだと言うのに、僕に告白してくる女性は何人かいた。「和真はさー、アメリカとのハーフだから顔が良い」なんて言われたこともある。物好きだなと思いつつ、全て断ってきた。

 一応、これでも人当たりは良い方だ。友達はそれなりにいるし、嘘では無いはず……だ。


 閑話休題。


 ──今日は少しだけ海に近づいてみるか。


 そう考えた僕は、防潮堤から飛び降りて砂浜に着地した。靴を脱ぎ、砂浜に揃えて置く。

 それから波打ち際まで近づき、足首まで海に浸かる。砂や波に飲まれて転ばないよう、足元に視線をやりながら。真夏のくせして海水は冷たく、暑さと相まって心地よかった。

 安定した足場を見つけたところで、視線を上げる。遠くからは輝いて見えた海が、そこからは暗く見えた。距離も深度も果てしなく、己がそこに吸い込まれていきそうな気さえした。

 特に恨みつらみがある訳では無いが、謎の敗北感を覚えた。いや、これは無力感に近いのだろうか。そんな心持ちになり、ただ立ち尽くしていた。


 そうして数分が経過した。たかが数分で景色が目まぐるしく変わることなどなく、空も海も綺麗なままだった。

 が、遥か遠くに黒い影を見つけた。辛うじて視認できるそれは、プカプカと水面に漂っていた。


 ……イルカ? 


 海の雄大さに打ちのめされていた僕は、一種のアパシーになっていた。だから、その正体については深く考えず、何かの動物だということで結論づけた。

 すると、周囲より僅かに目立つ大きな波が現れた。勢いはなくとも、まるで生き物のようにうねっている。そして、日光を乱反射し輝いている。

 黒い影がその波に乗せられ、こちらに向かってくるのが分かった。影は右に、左に、揺れる。


 やがてその影は砂浜に打ち上げられた。そこでようやく、影の具体的な容姿が確認できた。波のように揺れる長いクリーム色の髪。浅瀬のように透き通った柔肌。魚のようにしなやかな曲線美。布切れ一枚だけを纏っていても、その美しさは隠せていない。そして下半身は一本の足に綺麗な鱗が散りばめられ……


「は!?」

 そこで我に返った。影もとい、彼女の下半身を改めて確認する。


 そこには、真珠のような白色の鱗が連なっていた。つま先があるはずの箇所には、これまた純白の尾鰭がついていた。

 常人なら、確実に「奇妙なものを見た」と怯えて逃げ出すだろう。が、僕は彼女を放ってはおけなかった。誰が見ても分かるほどに力なく横たわっており、このまま助けがなければ力尽きてしまうのではないかと思うほどであったからだ。


 とりあえず救急車……と思ったが、この女性の見た目を医者が受け入れはするのだろうか? 


 意外に冷静な頭は我が家で介抱しろと囁いてくる。それに従い、彼女の肩口を左腕で抱え、鱗のある足を右腕で抱える。いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。右腕に伝わる少しだけぬめりとした奇妙な感覚に身を震わせながらも、彼女を運び始めた。




 〇


「ひっ……!!」


 海での邂逅から少し時間が経ち、現在。なんとか一人暮らしの自室まで彼女を運び込んだはいいものの、よくよく考えたら介抱などしたことがなかった。ましてや、相手は上半身が人間で下半身は魚っぽい何かだ。

 かと言って何もしない訳にもいかず、とりあえずベッドに寝かせた。男の使ったベッドで申し訳ないが、ソファーがないのだから仕方あるまい。

 その後洗面所に行って、タオルを冷やして持ってきた。それを彼女のおでこにのせようとしたら、彼女は起きた。そして声にならない悲鳴をあげられた、というわけだ。悲しきかな。

「ご、ごめん! 危害を加えるつもりはない」

 部屋の角でもあるベッドの端にうずくまる彼女にそう声をかけた。だが、警戒は解けない。


 どうするかな……。


 悩んでいると、人魚 ── 仮にそう呼ぶことにした ── がいきなり顔を顰めた。

「どうしたの」

 そう聞きながら彼女の様子を確認して、分かった。尾鰭に切り傷がついている。血が出ている訳では無いため、生々しさは感じられない。それでも神経は通っているのだろう。彼女は尾鰭の周辺をしきりにさすっている。

 せめて手当てはしてやりたい。そう思い、彼女に再び近づこうとする。が、人魚はさらに怯えるばかり。何もしない、と説得しても言葉が通じないのか、変化はなし。

 仕方が無いのでベッドから一旦離れ、近くの棚の下にある救急箱を取り出した。「手当てをする」ということをどう説明しようか。


 少し悩んで、はっと閃いた。

 まずは箱の中から白い包帯を取り出し、かかと同士をくっつけた自分の足に巻き付けてみせる。そのぐるぐる巻きの足を指差してから、人魚の尾鰭を指差した。


 それでも伝わらないので、今度は手で「影絵」の蝶を作った。それからその手の側面をくっつけるような動きをして見せた。そして、再び尾鰭を指差す。


 ようやく伝わったらしい、彼女はおずおずと尾鰭のみを差し出した。

 内心ほっとしつつ、包帯を巻いてやった。痛み止めの薬もあるが、身体に合うか分からないので使いはしなかった。


 手当てをしている内に、警戒心が解け始めたらしい。人魚は僕から視線を外して部屋の中を見回し始めた。特に見られて恥ずかしいものは無いが、落ち着かない。そもそも、女性を家にあげたことがない。すると彼女は、何かを見つけて目を輝かせた。

「──、──……?」

「ん、なんて?」

 唐突に話しかけてきたため、思わず普通に聞き返してしまった。

 人魚は首を傾げつつも、指差しで何を見ているのか示した。その指の先には、ギターがあった。

「これ?」

 僕がそのギターを手に持つと、人魚は控えめながらも首を縦に振った。

「分かった、ちょっとだけ……最近始めたばかりだからまだまだ下手だけどね」

 人魚の首肯を「ギターを弾いて欲しい」と受け取り、僕は演奏を始めた。軽いウォーミングアップのつもりで、短めのフレーズを奏でる。穏やかで、落ち着いた曲調。手元はぎこちないが、それでもまだ聴ける方だと自負している。

 人魚は興味深そうに耳を傾けている。そこまで興味を持ってくれるのが、少しだけ嬉しくなった。


 やがてその短い練習曲が終わると、人魚は首を傾げた。僕にはその様子が「もう終わり?」と言っているように見えた。

「特別に、今練習してる曲の初めだけ演奏するね」

 僅かに早口でそう告げ、陽気なアップテンポの音をかき鳴らしてみせた。その曲の前奏は聴く人が聴けば、さざ波が次々と打ち寄せるような音に聞こえるという。ある者は、夏の高揚感を表しているともいう。

 人魚は目を輝かせて、ギターの音色をうっとりと聴いていた。


 やがてその曲の前奏も終わり、僕は演奏を止めた。

「この先は、まだ自信がないからここまでかな」

 人魚は何かを言おうとしていた。が、その開きかけた口はすぐに閉じ、彼女はもじもじとし始めてしまった。

「どうしたの?」

 そう尋ねると、人魚はあたふたとした後、困り顔になった。僕はどうしていいか分からず、硬直してしまった。

 すると彼女は何かを思いついたようだった。人差し指を立て、ギターと僕を交互に指し示す。それを三回繰り返した後、腕をぱあっと上に広げた。笑顔だった。

 僕は初め、彼女の意図が分からず困惑した。

「えっと……ありがとう?」

 ぎこちないながらも、精一杯の笑顔でそう言うと、彼女は満足気に頷いた。



 思えば、既にこの時一目惚れしていたのかもしれない。

「人間」ではないが……。彼女は異形の生き物 ── 要は、「人魚」 ── でありながらも、美しく明るかった。

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