夏草の線路


 窓の向こうには、彼方まで広がる海面が、晩夏の陽光を照り返していた。

 少女は大きく伸びをしてから立ち上がり、荷棚から鞄を下ろすと、開いたドアの方へ歩きだした。

 乗客達が、通り過ぎていく少女に好奇の眼差しを向ける。

 ヨレヨレの単と袴。そしてボサボサのショートヘアに被せた御釜帽子。

 まるで往年の名探偵が、最新型の電車の中にタイムスリップしてきたかのように思えたのだ。

 だがその装いも、祖父から譲り受けた古めかしい旅行鞄に合わせたもの。当人は意に介さず、トロンとした瞳のまま電車を降りた。

 変わり者に見られるのは、学校でも慣れっこだったのだ。

 駅の階段をくだり、海岸沿いまで来たところで、鞄から巻貝の殻を取り出し耳にあてる。

 (ああ……先生は、ノイズによる干渉や共鳴のせいだろうと言っていたけど、これはやっぱり同じ音だ)

 潮風の香りが鼻を擽る。

 少女は、大きく深呼吸をしてから堤防に上り砂浜を見下ろした。

 するとそこには、燕尾服を纏い彼方を見つめる、ひとりの老人の姿があった。

 (季節外れの格好だな……いや時代もずれてるだろ……あ、人の事言えないか)

 砂浜に下りて老人のもとまで行き、声を掛ける。

 「こんにちは」

 「おや、こんにちは」

 振り向いて笑い皺を浮かべたその顔は、少女にとって、確かに見覚えのあるものだった。

 「おひとりで御旅行かな、お嬢さん。その手に持っているのは、巻貝の殻ですかな?」

 「そうです。昔祖父とここへ来た時に拾った、ぼくの大事な宝物です」

 「うむ。私が持っているのも、この海岸で拾ったものです。これが実に快い、あなたも是非」

 老人はそう言うと、懐から巻貝の殻を取り出し、少女の耳にあてがった。

 「ぼくのと同じだ……本物の潮騒と寸分たがわぬ音だ」

 「今あなたが聴いているのは、この貝殻が吸収した海の音です。昔から貝音と呼ばれていて、快音の語源にもなりました。さあ、お嬢さん、もっとおもしろいものが、あちらにありますよ」

 老人は貝殻を懐に戻すと、いつの間にか手にしていたステッキを高々と掲げながら、歩き始めた。


 「こんなところにも……それにあれって……」

 高台を上ったふたりの前には、朽ちかけた駅舎があり、夏草が生い茂ったレールの下には無数の貝殻が敷き詰められていた。

 「先程言ったように、音や振動を吸収するので、バラストとしても使われていた」

 少女は枕木の間から、貝殻をひとつ手に取り耳にあてると、老人の方を向いた。

 だが、そこにはもう誰の姿もなく、汽笛と車輪の通過する音だけが耳に入ってきた。


 (了)

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