振付師
ミナ、あんた例の新メンバーオーディション受けるんだってね。
お父さんの会社の人から聞いた。そう、権藤常務。
怒るとでも思った? まさか、仮にも会長夫人よ。そんな度量の無い人間じゃないわ。
若いうちは好きな事にチャレンジしなさい。あたしは大賛成よ。
でも偉いじゃない。レッスンの費用だって、バイトして貯めたお金なんでしょ。
どこの教室通ってるの?
へえ……あの先生か。また復帰したんだ。
うん、知ってる人。というか、あたしもそこの生徒だったから。
でもね、その頃の授業内容は、今とはちょっと違ってたけどね。
※
「誰かこの書類頼めないかなあ……」
そんなオドオドした声に反応した、あたしが馬鹿だった。
「あ、ケイコちゃん頼めるかな、どう?」
どう? じゃねえよ。「イヤだ」とでも言ったら、その紙束引っ込めてくれんのかよ。
「わ、わかりました。やっておきます」
受け取った書類をデスクに置き、ちょっとだけ乱暴に座ってみる。
「悪いね本当に。あの、今度よかったら帰りに」
「いえ、そっちは結構です」
「そう……」
ぶっとばしてえな……そんな怒りの感情も、ションボリとした後ろ姿を見ると憐れみに変わる。
駄目だ。こんなアマちゃんだから、自分の意見を言えなくて、相手の思い通りになってしまうんだ。
あの時だって、ちゃんとパパとママを説得出来たなら、最終審査だって夢じゃなかったはず……。
ベルが鳴った。
我に帰り電話に出ると、馴染みのある心地よい声が聞こえてきた。
「ケイコ? 良かった、あんたが出てくれて」
「マミさん……どうしたんですか? いきなり」
「うん、ちょっと引き出しに忘れ物しててさ。あの席、今あんたが使ってんでしょ。悪いけど今日、仕事が終わったら持って来てくれないかなあ……ほら、いつも行ってた店にさ。奢るから」
「はあ、わかりました。ちょっと遅れると思いますけど」
「ありがと。じゃ、また」
受話器を置くと、窓の外を眺める愛らしい横顔が浮かんだ。
誰からも、憧れと陶酔の目を向けられていた。それでいて、どこか近寄り難い存在でもあった偶像のような人。
そして今、彼女の玉座とも言われていた場所に、あたしが座っている。
彼女の真似をして外を眺める。
空は薄暗く、隣に立つ背の低い雑居ビルを見下ろすと、どの窓からも明かりが漏れていた。
「変わらないですね」
「て言っても、辞めてからそんなに経ってないでしょ」
流行りの髪型とメイク。そして流行りの服を着こなしていても、目の前に座っているのは、初めて見た時と同じ憧れの……。
「ねえ! そういえばケイコって、アイドル目指してたんだって?」
「ぶっ!」
飲み始めたビールを吹き出しそうになった。
「な、なんですか藪から棒に」
「ふふ、送別会の時聞いたのよ。あなたの顔見たら思い出しちゃって」
「昔の話ですよ……一体誰から」
チサか……カナコか……それともあいつか? たくっ、内緒にしとけって言ったのに……余計な事をベラベラと。
「みんな話してたよ、あなたがいない時にね。もしかして内緒にしときたかったの? なら、余計な事ベラベラ喋っちゃ駄目だよ」
「はあ……そうですよね。箸にも棒にも掛からなかったくせに」
「そんなことない。受けられなかったんでしょ、オーディション。あなたなら二次審査くらいは行けてたはず」
最終審査だよ! 心の中が熱くなり、グラスを握る指が震えた。
「どうしたの? 顔赤くなったけど、もう酔っ払っちゃった?」
「い、いや、今日あった事思い出して……あいつですよ。例の上司」
「ああ……あの冴えないオッサンね。ケイちゃんおっとりしてるとこあるから、すぐ仕事任されちゃったりするんでしょ」
「はい。その点マミさんは話し掛けられすらしなかったですよね。さすがにあのオッサンも、自分とは違う世界の住人とわかってたんですね」
「なにそれ? ハハ」
笑いながらグラスを傾ける仕草も、絵になっている。まるで、アルコール飲料のCMでも観ているようだ。
「あれね、ちゃんと理由があったんだよ」
「理由って、どういう……?」
「私もね、実はアイドル歌手を目指してた時代があったんだ」
さもありなん、というところか。それは彼女が職場にいた頃から、薄々感付いていた事でもあった。
「でもね、生活の事を考えると、諦めざるを得ない状況でさ。レッスンにも通って、振り付けとかも覚えたんだけど、これからは普通のOLになろうと決めた」
「なるほど。そうだったんですね」
「うん。だから教室の先生にも説明したんだけど、意外な言葉が返ってきたの。"その為”の振り付けを教えるって」
「はあ? OLの為の振り付けって事ですか?」
「その通り。そうだ、ケイちゃんにも紹介しようか! その先生ね、今はそっちの方を専門に教えてるみたいなの」
「誰かこの書類頼めないかなあ……ケイコちゃんは……」
キーを打つ振りをしながら、窓の外を眺める。オッサンは、その聞こえない振りを見て、他の社員を探した。
レッスンに通い始めてから早ニ月。ここまで上達するなんて、我ながら見事なものだ。
「先生にはわかってたみたい。私が、アイドル以外に向いてる仕事がないって事」
と、照れたように舌を出して、彼女が差し出した名刺に書かれていた肩書は、シンプルに"振付師”。
住所は、駅前にあるカルチャーセンターの一室だった。
「あらー! はじめまして、あなたがケイコちゃんね。マミから聞いてるわ、取り敢えず入って」
日焼けした肌にドレッドヘア、そして金ピカのスーツ。ドアを開けると、見るからに胡散臭そうな男が、あたしを出迎えた。
「は、はじめまして。失礼します」
中は想像していたよりも狭く、タイル式のカーペットが敷かれた床の中央に、一台の事務机が置かれていた。
「うん? どうかしたの?」
「あの……ここって先生の事務所とかですか?」
「ううん、練習スタジオよ。じゃ早速だけど始めましょうか」
「へ、始めるってレッスンをですか? ここで?」
先生は、ポカンと口を開けた。
「ご、ごめんなさい……授業の内容とかは、まだ詳しく聞いてなかったんで」
「これよ。今私がやった事」
「へ……? あの、さっきから何を」
「そうそう、その感じよ。あなた見込みありそうね。じゃ、流れで驚いた"振り”からやっていきましょうか。あ、やだ、そうか練習着にならなきゃね。えっと」
先生が、事務机の下段の引き出しから、その”練習着"とやらを取り出した。
「はいどうぞ。外に出てるから、終わったら教えて」
「あの、これって、あたしが職場で着ている制服と変わらないんですけど……ハーパンとTシャツ持って来たんですけど。あと、昔使ってたハイカットシューズも」
「ノーだわ、必要ない。すぐにわかる事よ」
先生の言葉を無理矢理に信じ込み、制服に……いや、練習着に着替え、事務机に着いたところで、不思議とその趣向は理解出来た。
そしてその日から、汗と涙の特訓の日々が始まったのだ。
「はい! そこで受話器取ってからアイソレ! アイソレ!」
電話してる振り。
「そこはダイナミックに! もっと立体感を出して!」
疲れた振り。
「首をターン&ターン! OK、ルーティーンでやってみて!」
聞こえない振りからの、初めて聞いた振り。
「表現力よ! グルーヴ感も!」
休憩を終えた振り。
こうしてあたしはタンバリンのリズムに合わせながら、仕事を怠けるうえで必要な"振り”の数々を習得していったのだ。
「こんな短期間で、ここまで成長するなんて。あなた、私が教えてきたどのアイドル志望の娘達よりも、高いポテンシャルを持ち合わせているのかも」
「先生……!」
「でも気をつけて。慢心は禁物よ」
「はい!」
あれから更に一月が過ぎた。
あたしの動きは一段とキレを増し、最早誰の瞳にも、振りではなく素の反応として映っていることだろう。
いやそれどころか、その一挙手一投足に熱い視線を感じる事もある。
皆はあたしに対し、かつてのマミさんの如く、いやそれ以上に崇敬の念を抱いているのかもしれない。
─慢心は禁物よ
「は!」
突如、先生の言葉が胸に甦った刹那、オッサンが視界に入り込んできた。
「誰かこの書類……」
あたしは反射的に窓に顔を向ける。だが、そこで見てしまったのだ!
「ありゃなんだえ!」
隣の雑居ビルの屋上では、[ケイコLOVE]と書かれたシャツを着た集団が、あたしの動きに合わせて聞こえない振りをしていたのだ!
※
その雑居ビルの中にね、当時お父さんが働いていた職場があって、窓からあたしの振りを眺めてたんだって。
ちょうど、客席からステージを見上げるようにね。
でも、それは他の部屋の借り主たちも同じだったみたいで、互いにシンパシーを感じ始めた者同士で寄り合うようになった。
それが今でも活動している、お父さんが会長を務めるお母さんのファンクラブ。
嫌じゃなかったわよ。それってアイドルには付き物でしょ、こんな所で夢が叶ったのかなんて思っちゃった。
あ、アイドルといえばほら、また流れてる。
このCMを観る度にあの頃を思い出すわ。
まさか、今になってまた彼女の姿を見られるなんてね。でも本当に変わらない"永遠のアイドル”。
そうだ、合格したら、ふたりでこんな風に乾杯しようか。
でも、あんたはまだ未成年だから、ビールは飲む振りだけにしとかなくちゃね。
(了)
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