ワタグモ
「今度の休み、蜘蛛を捕まえるのを手伝ってほしい」
と、同じ大学に通う幼馴染みのケンジに電話で頼まれた。
「こないだのバイトの話かい? 悪いけど昔から昆虫は苦手なんだ」
「バイトじゃない。ちょっとしたボランティアだ。あと蜘蛛は昆虫じゃない……いや、つまらないことを言った。そうだな、彼女との予定もあるだろうからな。じゃあ、また」
「いや、待て!」
マミの姿が頭に浮かび、僕は考えを改めた。
「他ならぬ親友の頼みだ。理由はよく分からんが引き受けたよ。で、何時頃……」
恐らく、今日か明日にでもマミから連絡がくるだろう。
マミは天真爛漫でキュートな、僕には申し分ないの彼女だ。今度の縁日でのデートだって楽しみにしている。少なくとも僕には、マミとの行く末に何の不安も感じられない。ただ、一点だけ気掛かりなことはあるけれど……。
「縁日に着てくのを一緒に選んでほしかったんだけど……それじゃ仕方ないね」
電話の向こうで、僕の思惑通りの言葉を、マミは口にしてくれた。彼女の浴衣姿を想像しながらの買い物は、至福の時と言えるのだろう。だか僕には、彼女の本当の目的が他にあることが分かるのだ。
「悪いな、来てもらって。で、その格好はなんだ?」
「それはこっちの台詞だ。蜘蛛を捕まえにに行くんじゃなかったのか?」
約束の場所に現れたケンジは、一週間前に彼の家でテレビゲームをした時と同じ服装をしていた。
「きっと蝶や蜻蛉みたいなのが、わんさかいる所へ行くと思って来たのに」
「蜘蛛を捕まえにいくことに変わりはない。だが、そんな作業着みたいなのでガッチリ決めてくる必要はないぞ」
「一体何処へ探しに行くんだ?」
「ついてくればわかるさ」
と、彼の言葉に従って到着した場所は、都心でも有名なファッションの発信地と呼ばれる街だった。
「まさか、デートでもないのにこんな所に来るとはな。一体、君は何をしたいんだい?」
「何もこうも、当初の目的と変わらないと言ったはずだ。君、たしかこの前、彼女とここに来たんだろ。俺は初めてだから土地勘が無い。そのためにも君を呼んだのだよ」
「いや、僕も詳しくはない。あのときはマミに連れ回されたようなもんだよ」
「それでいい。たぶん、そういう場所の近くに蜘蛛はいるだろう。さあ、連れてってくれ」
クレープ屋、ケーキ屋、パフェ専門店と、それから……。僕はマミとのデートコースを思い出しながら、ケンジの道案内をした。
すれ違う人達が、好奇の視線を浴びせてくる気がする。だが無理もない。わざわざ好天の日に、カップルがウヨウヨいる街を、地味で平凡な男子学生二人が並んで歩いているのだから。しかも一人は作業着姿だ。
「まったく……どんな蜘蛛を探してるんだか知らないが、本当にこれで見つけられるのかい?」
「疑い深いな。それにしても君の彼女の行動は、やはり俺の予想通りだったよ」
「どういう意味だい?」
「この前、偶然友達といるところを見かけたんだが、前よりポッチャ」
「何を言う! マミはマミだ、彼女は以前から変わらない!」
と、激高してしまったものの、そこはケンジの言うとおりであり、それこそが今の僕には一番気掛かりなことであった。
「そうか……いや、すまん。だが、どこもそれなりに値が張ってそうな店だな。バイトの話をしてきた理由は、その辺りにもあるのか?」
「ああ、そこは素直に認めるよ。でも、いいとこが見つかりそう……」
「いたぞ!」
突然ケンジが手を上げ、僕の動きを制した。
「見えるか? そこの壁を這っているのを」
「あの黒いのか? だがあれは……」
と、僕が言い終わる前に、ケンジは素早く綿飴屋の壁に近づき、そいつを手掴みで捕まえた。
「間違いない、こいつを探してたんだよ。ほうら、見てみなよハハハ……なんだ、ヒャーぐらい言うのかと思ったのに……」
「いや、ヒャーどころじゃないでしょ。タランチュラじゃねえかよそれ。なに素手で毒蜘蛛捕まえてんだよ」
「たしかにフォルムはそれっぽいが、伯父の話ではこいつに毒性は無いそうだ。性質も大人しいとさ、攻撃してくる気配もないだろ?」
そう言いながらケンジは無抵抗の蜘蛛を、どこからか出した虫籠に入れた。
「伯父……? 伯父さんて、たしか全国の祭りや縁日を回って屋台を出してる人だとか……戻ってきたのか?」
「ああ、だから今度の縁日でも出店する予定だ。今回の事も、そのためにやった事さ……。なあ、腹減ってないか? 今日は僕が奢るよ。そうだな、さっきのオムライスの店がいいかな」
「そうか、ありがとう……時間的にも、店内に人は少ないだろうしな……」
「お待たせー、友達と一緒に選んだんだ。どう?」
白地に椿の花をあしらった浴衣は、髪型を和風にしたマミによく似合っていた。だが、僕の記憶が正しければ去年も同じ浴衣を着ていたはずだ。
「良かったよ、同じ柄のがあって。気に入ってのに着られなくなっちゃたから、どうしようかと思ってたの」
「着られなくなった……? もしかして新しい浴衣を買った理由って……」
「うん、縮んじゃったんだ。洗濯の仕方が間違ってたんだね、きっと」
「そうか、縮んだのか……。うん、きっと縮んだんだ……。いやあ、やっぱ夜の縁日の雰囲気っていいね! さあ、どの辺から行こうか?」
と、僕が問いかけた先にマミの姿は無かった。彼女は既に屋台の品々を物色しており、その両手には焼き鳥やらリンゴ飴やらの串が握られていた。
「見てー!、ここの綿飴、美味しそうだよー!」
「う、うん……あれ、あの人どこかで……」
頭に雲の絵が描かれたタオルを巻き、綿飴を客に手渡している中年男性が、ケンジの伯父であることを思い出した。
「へい! いらっしゃい! お嬢ちゃん可愛いね、サービスしちゃおうかな。はいよ!」
「わあ、嬉しい! いくらですか?」
急いで屋台の前に行き、マミより先に料金を払おうとすると、伯父さんは早くも二本の綿飴を用意していた。
「お金はいい、ケンジから話は聞いてるよ。これは俺からのバイト代とでも思ってくれ」
「えっ、ああ、すいません……それじゃあ、お言葉に甘えて……」
遠慮気味に綿飴を受け取り、若干不審げに僕を見るマミに適当な説明をしようとしたとき、横合いからケンジが現れた。
「こんばんは、お久しぶりです。マミさん」
「ああ、たしか……ケンジさん? どうも彼がいつもお世話になってます!」
「いや、お世話だなんてとんでもない。こちらこそ、せっかくの休みの日に、彼氏をお借りして申し分けなかったです」
「ああ、でも何か大事なお手伝いを……ヒャー!」
突然マミが悲鳴をあげた。
「どうかしましたか! マミさん……?」
「いいえ……ごめんなさい! なんか、お店の中に大きな蜘蛛が見えた気がして……アハハハ、全然気のせいでしたー! あー!」
「今度は何ですか……?」
「いや、この綿飴、前に彼とデートしたときに食べたのと味が似てるなあって……すごく美味しいです」
マミの言葉を聞き、ケンジと伯父さんは嬉しそうに礼を言ったが、二人の笑顔には焦りの色が見え隠れしていた。
「あっ、そうだ! マミ、悪いけど、ちょっと先行っててくれないか? ケンジにレポートの件で、急いで確認しなくちゃいけないことがあったのを思い出したんだ」
「レポート? うん……わかった。じゃあフランクフルトのとこにいるからね」
「まだ食べる気……いや……うん、すぐ行くから。暗いから気をつけてな」
マミが、下駄の音を響かせながら人混みにまみれたのを見て、僕はケンジに向き直った。伯父さんは、夕食を食べに行くため場を離れた。
「なあケンジ、どういうことか説明してくれないか? 僕にも蜘蛛が見えたぞ。あれは間違いないなく、例のタランチュラもどきだった」
「そうか、君も見たか……あれは"ワタグモ”という、食用の糸を吐く蜘蛛なんだ。その糸はフワフワしていて甘く、今では各地の専門店でも使用されているという。もちろん公には出来ないだろうがな」
「そんな生物がいたのか……おい! じゃあマミが食べてたのは!」
「ああ、その糸を絡めて作ったものだ。だが安心しろ、人体への害は一切無い。それは保証する。それに、彼女がワタグモの糸を食べるのは、今夜が初めてじゃないと思うが」
僕は、さっきマミが洩らした感想を思い出した。
「じゃあ、あそこの綿飴屋のも、あの蜘蛛が……。だからあんな所にいたのか……」
「恐らくそういうことだろう。捕まえたのは、店から逃げ出した一匹ということだな。普段は大人しい分、餌を捕ろうとするときはすばしっこくなるようだ。ああ、縁日が終わっだらちゃんと返しとかなくちゃな」
「じゃあこの機材なんかは……?」
「これは不良品で、目眩ましとして使ってる。ここで作る振りをして、下にいるコイツに……いない……いねえぞお!」
突然ケンジが絶叫し、屋台の下を蜘蛛のように這い回った。
「あの……何してんの?」
「探してんだよ蜘蛛を! もう腹を空かせたのかよ……まずいな……獲物を捕りにいったんだ」
「餌だの獲物だのって、一体何を食べるんだ? 蝶や蜻蛉じゃないのか?」
「いや、他の蜘蛛と違って、そういうのは食べないようだ。すまん、とにかく一緒に探してくれないか? 彼女も被害にあってるかもしれないぞ」
「まさか……」
それから僕とケンジは人混みを掻き分けて、ワタグモとマミを探した。そしてフランクフルトの屋台が見えたとき、ケンジが立ち止まり、薄闇の中の一点を凝視し始めた。
「あれが見えるか……奴等が食べるのはな、人間のと殆ど同じものだ。だから、餌を仕入れる手間もいらない。だがな、獲物を捕ろうとする時は他の蜘蛛と同じやり方をするんだ」
「そうか……じゃあ僕達が見つけた時も、同じ事をしようとしていたんだな」
ケンジの指差した先には、提灯の灯でうっすらと浮かびあがった蜘蛛の巣があった。だが、そこに引っ掛かっていたのは蝶や蜻蛉ではなく、リンゴ飴やフランクフルト……。
「あ、いた! 大変だよ! 持ってたの全部どっかいっちゃった! あちこち早足で歩いてたから、落としたのかなあ……また、買わなきゃ」
そのとき後ろから声をかけてきたマミの姿が、僕にはワタグモと重なって見えたのだった。
(了)
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