世界が何処かで変わってる

永盛愛美

第1話 最終列車

  その日の最終列車には、僅か数名しか乗客がいなかった。


 仕事帰りの疲れ果てた五十代と思しき女と、仕事帰りとは思えない、どこか旅行にでも行って来たかの風体の怠そうな若い男と、遊びか勉強か、それとも部活動で疲労したか不明な男子高校生と、大学生か専門学生のどちらかに見える眠そうな若い女。それくらいであっただろうか。皆一様に気怠けだるそうに小さな電子機器を眺めている。

 

 山あいの暗闇を走る列車の車窓には、疲れを隠せない乗客たちの姿しか映していない。


 それでも、いつもよりは乗車率が高い、田舎のローカル線であった。運転手のみのワンマン運転の列車。


 都会に比べたらまだ早い時間帯ではあるが、田舎では既に最終列車となっている。

 もう、上りの運行はそれよりも二時間も前に最終列車が出ていた。


 こちらは下りの最終列車である。


 その中の五十代前半から半ばに見える女が……この度、主人公という栄えある称号を与えられた人物だ。


 勿論、本人は知る由もない。


 当人にとっては「超」という名の付く現実世界であるが、周囲の者達にとっては、他人ごと……そう、『ファンタジー』として傍観しているかもしれない。


 ……そうだ。そこに『存在している』あなたも、その横にいる人物たちも、自分以外は皆全てファジーな『ファンタジー』なのかも。


 己自身だけがリアル世界だと自覚する『現実世界のファンタジー』だとしたら、記憶の底に在るそれぞれの思い出は、何と形容すべきなのだろう。


  己にとっては確かな記憶が、他者にとっては『不確かな歴史、記憶の齟齬』になろうとしていた。

 その最終列車を降りるまでは、夢にも思わなかった世界が……刻一刻と近付いているとは……いったい誰が想像しただろうか。


 主人公である女の頭には、家路を急ぐ事しか存在していなかったリアル世界であった。




*****************



 (ああ眠い。疲れた……このまま車内で寝過ごしちゃったら大変だ。最終だからこっちにはもう戻れない。タクシーを使うお金なんてないし。そもそも駅にタクシーなんかいない。何とか起きていないと)


 その女は、仕事帰りに職場がある田舎から逆方向の街へ出掛けて買い物をしなければならず、やっとのことで最終列車に間に合い、家路を急いでいた。


 帰宅時間は23時頃になる。独身で、老母と数匹の猫たちと慎ましくその日暮らしを数十年続けていた。


 父親はとうに亡く、高校を卒業した後に地元へ就職して、そのままずるずると時間だけが無意味に過ぎてしまった感が拭えない。


 冴えない、面白味もない、取り柄と言ったら行動が真面目に見えるだけ……の女は、ただ仕事をしていれば、好きな様に生き、許容範囲内でささやかな楽しみを見つけて一喜一憂することが一生許されると勝手に思い込んでいた。


 山あいの暗闇を列車はうねりながら進む。ふと、幾度となく徐行を繰り返している事に気付いた。

 田舎では、線路内に野生動物が稀に紛れ込む。そんな時、運転手が急ブレーキをかけたり、徐行運転をしたりして接触事故を避けているのだ。時折人間の場合があるが、主に鹿や猪の類が多かった。


 (アナウンスがないけど、またバンビと列車が併走しているのかな。今日はヤケに徐行が多いな)


 運転手によっては乗客に状況説明のアナウンスをしてくれる。

 「突然急ブレーキをかけて申し訳ございません。ただ今、うり坊の集団が線路を横断中であります。もう少々お待ちください」


 そんなアナウンスが流れる前に、少ない乗客たちは車窓から外を見つめて、野次馬の集団と化す。

 線路脇の草むらに、大きな母親と思われる猪が顔を覗かせて、うり坊たちの横縞の残像しか残さない素早い横断を見守っている。


 その様な光景が繰り広げられるローカル線である。しかし、いつもとは違う、奇妙な感じがしていた。


 その理由は、程なくして、途中の駅に着いた時に理解した。

 列車のエンジントラブルにより、しばらく停車すると言う。

 運転手が通路の蓋を開けて、車両下部をペンライトを使い、確認しながらスマートフォンで係員らしき人とやり取りをしているのだ。

 

 故障箇所が判明したのか、対策がはっきり立てられたのか? 列車は再び速度を大幅に落として、まるで次の駅に入る時のスピードダウンの様に走り始めた。


 ちょうどその頃、眠気覚ましにSNSを眺めていた女は、ある記事に疑問を感じていた。


 夢中になるあまり、最寄り駅に着いた事にも気付かずに。

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