第44話「東の港とファステルの街」
何となくで買った駅弁(通称:猪弁当)は思いのほか美味かった。また機会があったら是非食べてみたいものだ、と心の内で思いながら、何気ない時間が流れ、だんだんと潮の匂いが香り始めた。そしてようやく機関車は目的の場所へとたどり着いた。
東の港————
俺の出身地でもある「ファールス村」からは、歩いておよそ1~2時間程度で来れる場所だ。
かつて幼かった俺も、この辺一帯は人間を襲うような凶暴な魔物が大して湧かないと言うこともあり、安全にたどり着けた記憶がある。
まあ、今はあの頃よりも強くなったのにもかかわらず、徒歩ではなく機関車を使っているのだが——
俺たちは機関車を降り、そのまま駅を出た。
外に出た途端真っ先に鼻についたのは、先ほど感じた潮の匂い。港と言うこともあり海が真正面に見え、海鮮の匂いやら男衆の屈強な声やらが俺たちの五感に染み渡った。
魚市場が立ち並びセリの現場まで丸見え。新鮮な魚が並べられ、ブリトニーはそれを見るなりまたしてもいつもの如くよだれを垂らしていた。
——おい、さっき食ったばっかりだろ。
「おう嬢ちゃん! 一口味見してくか?」
市場のおっちゃんが一口サイズの魚の切り身をブリトニーに差し出した。ブリトニーはそれを貰うと遠慮なく口に放り込み、目を輝かせて喜んでいた。その口元からは、うっすらと牙のようなものが顔を覗かせており————
「どうでぃ、一つ買ってくかい?」
おっちゃんは俺の顔をちらりと見てそう言った。ブリトニーは、輝かせた視線をそのまま俺の方に向け、首をぶんぶんと縦に振っている。
——はぁ、確かに「甘えてもいい」とは言ったが、こうも素直になるとはな……
俺はしぶしぶ財布の口を開けた。
※ ※ ※
50G支払った——
「フィッシュチップス」を手に入れた——
※ ※ ※
★ ☆ ☆
市場でウロチョロするのもいいのだが、もう時間も時間。そろそろ夕方に入ろうかなってくらいの時間帯なので、とりあえず急いで船の様子を見に行かなくては。
船の出航は毎日朝一と夕方の計二回。そのため、今からの出航を逃せば日をまたがなければならない。そうなったら何かと面倒だ。
残念なことに港には宿がなく、アルグリッドまで帰るには少々面倒。近場で行けばファールス村に帰ることも可能だが……今顔を出すのは俺自身が嫌だ。
すぐ近くに街はあるっちゃあるんだが——ここまで来たのに「また明日」ってのもやっぱり嫌な話だった。
俺は、まだ周りを見たそうだったブリトニーを半ば強制的に引っ張っていった。
船着き場————
海に面した一角が大広場のようになっており、そこに数多くの冒険者たちやそのお連れ、中には用心棒を雇った金持ち連中の姿もあった。
岸には巨大な船が停泊しており、広場の端には倉庫のような建物が一つ、中は酒場のようになっていて人々でにぎわっている。また、入り口から入って正面の受付で乗船用のチケットを手に入れる必要があった。
以前はここで「子供だから」「冒険者ではないから」と言うで突っぱねられ、外にいた冒険者たちには「弱い奴なんか連れて行けるか」と馬鹿にされた。
だが、今は違う。
俺は冒険者——ようやくここまでたどり着いた冒険者だ。外の世界へ行くために、妹を見つけるためにたどり着いた、「冒険者」だ——
たどり着いたはずだったんだが————
「ダメだな」
……………………
————は?
いや意味が分からなかった。
受付の禿げたデブのおやじが、俺が提示した冒険の書を見るなりそう言いやがったんだ。
目標の冒険者にたどり着いたというのに、船に乗れないだと? 何が不満なんだよ。
そう言えばこいつ、俺の手首チラチラ見ていたな。……つまり、こいつもその類なのか? またしても★で判断されていると言うのか?
「……冒険者になれば、船に乗れるんじゃないんですか」
俺は低い声で問いただしていた。
「冒険者でもねぇ、キミ、まだ冒険者になったばかりのひよっこでしょ? こっちのルールじゃあね、Cランク以上の冒険者じゃないと外の世界に送り出せないの。Dランクじゃダメ。まぁ? 外から来たって人なら別だけど、キミここの人でしょ?」
「…………」
「うん、だからね、取り敢えず
「…………わかりました」
俺はしぶしぶ了承した。
俺はくるりと振り返り、入口を目指す。
その時、背後からぼそぼそと何かが聞こえてきた。
「……今のって、★★★未満よね、本当に冒険者?」
「あぁ、間違いなく冒険者だ。きっと何かの手違いかまぐれで通過したんだろうさ。——ま、Cに上がることはほぼ不可能だろうけど」
それは、さっきの受付のおやじと、それ以外のスタッフとの会話だった。ああ、やっぱり俺のことを——
「クロム……おにいさん……」
ブリトニーが何かに察し、俺の裾を引っ張った。が、俺はそれを少しだけ引っ張り返して、
「行くよ……」
「でも……」
彼女の表情はとてつもなく辛そうだった。
——こんな表情になってくれるってことは、この子はやはりとてつもなく優しいな。この子にこんな顔させたあのおやじたちも、そして自分のことも許せなかった。
「……行くよ」
俺は、右手をブリトニーに、そしてその反対の手を強く握りしめ、その場を後にした。
★ ★ ☆
日が沈みかけていた時刻。
東の港からほんの数十分の距離に位置する、山岳に沿って造られた街「ファステル」。取り敢えず今日はここを拠点にすることにしよう。
ファールス村とは対になるような、採掘業を主としたこの街は、山岳地帯付近と言うこともあり「温泉」でも有名だった。街のすぐ隣には鉱山がライトアップされており、安全を意識してか丁寧に整備されているように見えた。
幼い頃、俺も何度か買い出しでこの街を訪れたが、来るたびに発展していっているような気がする。それに比べ、うちの村は————いかん、そんなことはどうでもよかったんだ。
折角だし、この街名物の温泉にでもつかろうかな。丁度宿屋の施設内だし、泊まるついでにひとっ風呂浴びようか。
俺たちはそのまま温泉宿へと向かった。
石造りの街並みにポツリと一つ、木材を中心とした古風な建物。それが、この街名物の温泉宿だ。
宿泊費は平均よりも若干高いが、仕方のないことだろう。
早速案内された部屋に行くと、そこには寝具は無く、目立つものと言えば一つの机が置かれていたくらいだろうか。それに、足元の材質も、木製とは違うような、草に近いような感じ——いや、これは藁か? なんにせよ、新鮮だった。
俺たちが部屋に着くと同時に、肌着のような美しい女性が、「お食事の方はいつ頃がよろしかったでしょうか?」と問いかけてきたので、取り敢えず俺は温泉につかりたかったこともあり「温泉から上がったらすぐに」と伝えた。
そして、備え付けの衣服に着替え、いざ温泉へ————
誰かが期待しそうだが残念だったな。ここは混浴じゃあないんだぜ。
十にもなっているブリトニーと混浴なんて、思春期真っただ中の女の子だからかわいそうって話だ。
ふう、なんだかんだで落ち着けるタイミングがなかったからな、これは良い休息になる。
生憎、他の宿泊客とは温泉の時間が被らなかったらしい。今は俺の貸し切り状態ってわけだ。誰かに気を遣わなくてもいいのはありがたい。
俺はそのまま湯につかり——そして眠りに落ちていた————
「……おい、貸し切りかと思ったら誰かいるじゃん」
知っている声だった。
その声によって、顔が湯に半分つかっていた俺は、その顔を湯に押し込んだ挙句、息ができなくなって速攻立ち上がった。
……そこにいた人物は、
「……って、おまえあの時の」
そいつは、召喚場で見た品のない男だった。
やつは丸腰で、腰にタオルを巻き、俺を確認するなり蔑むような表情を浮かべていた。
俺はそんな奴の顔を確認し、気分が悪くなってその場から離れようとした。
「おい、何も言わずに逃げるつもりか?」
やつはすれ違いざまの俺にそう呟いた。
「話すことは何もないんで——」
そんなやつに、俺はこのようにして返すほかなかった。
だが————、
「——おまえは相変わらず★★★にも満たないらしいな。まぁ? 例え満たしたところで大したことないだろうが? それに比べ、おまえの同期は『フミタカ』のような優秀なやつが多いってのに——」
フミタカ————聞かない名前だが……
と、そんな時だ。
ゴォォォォォォォォオオオオオオオオ————————
突然の地震で、つるつる滑る足場に立っていた俺は体勢を崩して温泉に頭から突っ込んだ。
★ ★ ★
嫌いだった奴と遭遇し、そいつの目の前で盛大にすっころんで恥ずかしくなり、とっとと逃げだして今に至る。
今は早くこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
なんで寄りにもよってあんなタイミングで地震が————そう言えば試験の時も地震が起きたし、ここ最近地震が多い気がする。
そんなことで頭の中が充満し、目の前が見えていなかった俺は————
ドサッ————!!
「————ッ! いったぁい!!」
女湯の
夕暮れ色の長い頭髪がまだ湿っており、毛先が生乾き特有の不思議な癖の付き方をしている。女は薄手の服装だったため、それがはだけて中からとんでもないものが顔を覗かせようとしていた。
俺はそれを視界にとらえるなり赤面し、その反応を見た女は現状を理解したのか、すぐに身をひるがえして隠した。
「……ちょ、あんたどこに目付けてんのよ! この変態!!」
「ご、ごめんなさい……ちょっと考え事してて」
「考え事? あんたまさか、変な妄想してたんじゃないでしょうね……?」
「ち、ちが————ていうかあんたもしっかり前見とけよ!」
「はぁあ?」
そのまま俺たちは盛大に口論し、口論し、口論して————気が付いたら湯冷めしそうなくらいの間いがみ合っていた。温泉に向かう他の客がすれ違おうと、その視線を一切はばからず——。
だが、最終的に俺はその女から結局「変態」と決めつけられ、その女はプリプリしながら歩いていてしまった。なんなんだあの女は————
と、そんなくらいに丁度ブリトニーが顔を覗かせて————
「お待たせしました……ってあのおねえさん……」
ブリトニーはさっきの女の後ろ姿を見ながら何か言いたげな表情を見せていた。
「あぁ、さっきちょっとしたことで口論になってな。……ってか、アイツのこと知ってんのか?」
俺がそう聞くと、彼女はハッとした表情になり、そして若干俯き気味な表情を見せて、
「う、ううん、なんでもない」
そう首を横に振ったので、俺は「そうか」と返して二人で部屋に戻った。
それからは、部屋に戻ったタイミングで机に豪華な料理が並んでいたので、それを頬張った後、布団を敷いてもらって二人で横になった。
今日あったこと、楽しかったことや驚いたことなど、色々なことを二人で話し合って笑った。
それと、東の港での一件も——
悔しかったさ。ああ今でも悔しいさ。
でもな、あそこで反発しても何も生まれない。馬鹿にしてきた連中も、それに付随するルールも、アイツらが決めたそれら全てに従って、全部クリアして見返してやる。
風呂場で偶然出会ったあの冒険者も、相変らず俺をバカにしてきたけど、いつか絶対に全員を見返してやるんだ。そう、マナを連れ戻すことによってな。
俺は、改めて深く決心するのであった。
その日の夜は、いつも以上にぐっすりと眠れたような気がする。
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