第05話「決断」
遅いなあ、クロム……。
僕はクロムの背中を後にし、冒険者ギルド本部で受付を済ませ、今は一つの大部屋にいる。周りには、さっき同行していたバトルアックスの男や不思議な少女をはじめ、フードで顔を隠す者、とんがり帽子の者など、屈強そうな者たちが多数集結していた。
定刻までもう時間はない。大丈夫なのかな、クロム……。
落ち着きのない僕とは裏腹に、時間はそれを待ってはくれず、とうとう例の時間がやってきてしまう。
ゴーン、ゴーン——
大きな鐘の音が鳴り響いた。定刻を告げる合図だ。とうとうクロムは現れなかった……。
周りの奴らが僕の顔を見て少しニヤついた。きっとひどい顔をしていたのであろう。そうこうしていると、目の前の壇上に、これまた屈強そうな男が姿を見せた。その姿を一目見た僕含む全員は、その男が軽く息を吸うと同時に、それまでざわついていた空気を沈黙へと変えた。
男が口を開く。
「今回は、このような場所にお集まりいただき、誠にありがとうございます……」
その声は機械を通しているのかとても響き、僕たちの心にまで響くようだった。
「それでは、早速ですが、試験の説明を——」
バンッ————!!
その時だ。
僕らの背後、僕らの入ってきた扉が大きく開き、そこにあった姿は——。
「ふー、あぶないあぶない……。ってあれ、間に合ってない感じですか?? もしかして……」
僕のよく知る顔だった。
★ ☆
重たいな、物理的にも、精神的にも。
この道は俺の心を壊す。あの時の、口に広がった血の味が、思い起こされる。
俺は一瞬立ち止まって、背負っている女の方へと振り返り、その表情を確認した。
「ごめんな……」
それは、見るにも無残な色に変色した、異様なものだった。
食いしばり、涙をこらえ、再び走る。いつかの記憶と今の自分がリンクして、心が叫びたがっているけど、俺は走り続けた。
そして、ようやく俺は、
当時と一切変わっていないな——。
様式美というものであろうか。巨大で立派な正面扉に、周りは特別ごちゃつかない程度に鮮やかにあしらわれた造りの建物。そしててっぺん中央には豪勢な金の十字架が。まさに、大聖堂と呼ばれるにふさわしい、立派な教会である。しかし俺には、この整った雰囲気が逆に、当時の出来事を皮肉っているように感じられてならないかった。
すぐ隣には、教会のデザインと同じように統一された、横長の四角い建物があった。当時は、こんな建物はなかったと思うが……。
建物の入り口付近には「医療棟」と書かれている。先ほど説明を受けた建物だ、おそらく間違いないだろう。
俺は、女を背負いながらその建物へと入っていった。
異常なまでに落ち着く空間が、そこには広がっていた。
内装は特別変な造りと言うわけではないが、なぜだろう、さっきまでの焦りの手前、落ち着きすぎて、逆に気が狂いそうだ。数人の修道女が徘徊する中、俺たちと同じような患者が、一人ひとり誘導され歩いていく。
そして、その場に立ちすくんでしまっていた俺に気づいた修道女の一人が、そっと声をかけてきた。
「急患の患者様でございますでしょうか?」
俺はその一言でふと我に返り、現状を思い出し、これまでの経緯を説明した。修道女はその話を聞くと、
「それでは、『証明書』のご提示をお願いいたします」
と、俺の方に手のひらを差し出してきた。
俺は女を背負っていることからくる焦りや、「証明書」の存在に関する知識が曖昧だったことから、返事に困った。
「いえ、その『証明書』というものを持っていないのですが……」
「それでは、こちらでの治療はお受けできかねます……」
修道女は、少し戸惑っていた。
いや実際、紹介された医療施設に来ておいて治療を受けさせてもらえないとか、こちら側の方が戸惑うというものなのだが。
「なんとかなりませんか……?」
「私だけの判断では、ちょっと……」
「そこを、そこをなんとか……」
そうこうしている時だった。
「治療してあげなさい」
それは、懐かしいような憎いような、俺の聞き慣れた声だった。
修道女たち数名がぞろぞろと集まり、背負っていた女を担架に乗せ運ぶ。その様子を横目に、俺はさっきの声の主をじっと睨みつけていた。
声の主は、俺のそんな態度とは関係なしに話し始めた。
「これはこれは。どこかで見たことのある顔だと思って来てみれば、やはりあなたでしたか、ファーマメントさん。まあそちらにかけなさい」
そういって俺がそばの長椅子に座ると同時に、そいつは俺の隣に座った。
いやみったらしいねっとりとした声、俺を舐めまわすかのように語りかける口調。整った正装、細長く、先端には鈴が複数ついた杖を持ち、聖職者特有の長い帽子を身に着けた、糸目で胡散臭い、白髪交じりの長髪は今もなお変わらない。
地位の高いこいつが先ほど修道女に命じ、彼女を運ばせたことも、正直「何か企みがあるのでは?」と素直に感謝できないでいた。
「ヴェルスター司祭……」
「おっと、司祭ではなく、今は司教ですよ」
この大聖堂を統治する、神に愛された男。
前は司祭だったのに、いつの間にか階級が上がって司教になっていたのか。
当時の俺は、例の帽子はハゲを隠すための代物で、「神には愛されても髪には愛されなかった男」などと愚弄していたが真相は今なお定かではない。
と、なぜこんなにもこの男を嫌っているのかと言うと、例の件でマナを大聖堂に連行しようとした張本人がこいつだったからだ。だからこそ、俺は今でもこいつの顔を見ると嫌気がさす。実際、今回王都に出向くこと自体は良かったのだが、それはここに顔を出さない前提の話だ。実に不愉快である。
そんな不愉快の塊が、絶え間ない笑顔のまま皮肉めいた話を続けた。
「時に、
「余計なお世話だ」
「いえ、同情しますよ、あなたには。以前の件も含め……」
「いい加減にしろ」
「それほど気を悪くしないでください。私はあなたのことが心配なのですよ。それに、本日の試験には、うちからも一名出席しておりますのでなおさらに……」
「もう何も言うな」
「…………」
やはり、こいつは昔と変わらず、俺に嫌味を言いに来ただけか。
俺がマナを連れ出したから、マナを修道女にできなかったことを根に持って。
ヴェルスターは、のっそりと立ち上がり、どこかを目指し歩き始めた。
その時ボソッと、奴は何かをつぶやいた。
「魔力をすべて消費したことにより、毒の回りが著しく遅くなっている。何とか一命はとりとめるでしょう。本当に良かった……。あなた方のご武運を、心からお祈りしております。我が主に誓って……」
俺は一瞬、聞き間違いかと思い呆然としたが、ふと我に返り、ヴェルスターの歩いて行った方を振り向いて「待て!」と叫んだ。しかし、そこに奴の姿はもうなかった——。
それから数十分が経った。
俺はこの異様に落ち着く空間の中、落ち着きのない心境であった。
さっき遭遇したかつての宿敵も少し気になったが、それでも今は彼女が心配だ。今はそのことで胸がいっぱいだった。
実際、冒険者試験の定刻まで、とっくに1時間を切っている。だが、今はそれよりもこっちが心配だ。
長年待ち望んだ冒険者試験だというのに、俺は今日初めて出会った女一人を優先している。それは自分自身の罪悪感からくるものなのか。自分でもよくわからなかったが、ここで彼女を見捨てることは、今まで待ち望んだ試験よりも重大に感じられた。
それに彼女にとっても、俺と同じくらい重要な試験であるかもしれない。それを、俺のせいでスタートラインに立てないまま終わるだなんて……。そんなこと、俺は絶対に嫌だし、見殺しにしたらマナだって絶対に許さない。
だから、ごめんな、マナ。にいちゃん少し遅くなりそうだ……。
そう、物思いにふけっている時だった。
「クロム様、お待たせいたしました。こちらへ」
後ろから先ほどの修道女の声が聞こえた。俺は、動揺した自分を隠し、平静を装って修道女に同行した。
小さな一室。白を基調とした清潔そうな空間に、頑丈そうなベッドが一つ。そこには、先ほどまで顔面全てが真っ黒であった女が、俺から見て反対向きに横たわっていた。
ニコニコと微笑む修道女が彼女に近づき、その肩をポンポンとたたく。すると、彼女はゆっくり、のっそりとその上体を起こし、こちらを向いた。
「ん……ここは……?」
意識がはっきりせず、目をこすりながら眉間にしわを寄せ、辺りをゆっくりきょろきょろと見渡している。その顔は、まだ少しだけ黒紫色の斑点が、点々と残っていたけれど、どうやら意識を取り戻してくれたようだ。
とにかく、生きててくれててよかった——。
彼女は、ゆっくり周りを見渡した後、自分の服装を確認し、再び俺の方をじっと見つめる。そして、何かを思い出したかのように赤面し、足元にかぶさっていた毛布を思いっきり自分の体へと巻き付けた。
「な、なんであんた……てかなんで私こんなかっこ……!!」
肌着一枚の姿がそんなに恥ずかしかったのだろうか——。
その後、赤面した彼女が俺にがみがみ何かを言ってきたが、俺はほとんど聞き流し、苦笑いをしていた。そんな姿を横で見ていた修道女がすかさずフォローに入り、俺の代わりに事の成り行きを説明した。その説明を聞いた彼女は、何かを考えるような姿勢を見せ、
「——あんた、冒険者試験は?」
「いや、だってそれどころじゃ……」
彼女は大きなため息をついた。
「——ったく、ほんと
「でも、おまえは? おまえだって——」
「もう、『でも』とか『だって』とかいらないから! それに、この傷は私の不注意でできたもの。それを、あんたがご親切に病院まで運んでくれたってわけ。わかる? ——つまり、あんたが私の試験事情に口出しするのは間違いってわけ!! それを、私を理由にあんたが試験を受けられなかったら、今度は私があんたと一緒の状態になるのよ? わかった?」
「…………」
彼女は意見を曲げず、自分を悪者に仕立て上げ、俺が
彼女は、もう試験に出席できない体だと、自分で理解したのだろう。しかし、それでは彼女が報われなさすぎる。でも、彼女の意思を踏みにじることはできないのも事実だ。
俺はそのどうしようもない悔しさから、唇を強くかみしめた。
そんな様子を察したのか、彼女は早々に俺の背中を押した。
「さぁ、わかったんならさっさと行く!!」
俺はしぶしぶ前進した。
そして、扉を出る丁度その時くらいに、振り返って彼女に尋ねた。
「せめて、せめて名前くらい教えてくれないか?」
「何よ急に」
「名前、教えてくれないか——」
ここまで一緒に来た彼女のことを、俺は一切知らなかったから。そう、名前すらも。
冒険者を目指し、ともに戦うライバルになるかもしれなかった相手に、彼女は自分の素性を明かさなかっただろう。きっと名前すらも。
だからこそ、せめて名前くらい、名前くらい知っておきたかったのだ。ともに挑むはずだったその一人として、ここまでともに冒険した、一人の、「初めての仲間」として。
「……ロゼッタ、ロゼッタ・ストーンズよ。さあ、早く行きなさい! このバカクロム!!」
彼女は笑顔で、そう名乗った。
ロゼッタ・ストーンズか。いい名前だ。覚えた。
それとあいつ、俺の名前を知っていやがったのか。ポールとの会話で盗み聞きやがったな。……でも、初めて名前で呼ばれて、嫌な気はしなかった。
俺は心に複雑な感情を残し、部屋を出た。
その時、部屋の方から、
「私の分まで頑張ってきてね」
と言う声が胸に刺さる。
視界がぼやけ、まっすぐ歩けそうにないけれど、俺はそこから試験会場を目指し始めた。
定刻まで、残り30分——。
クロムが離れ、すぐのこと。
病室のベッドの上で、一人の少女が物思いにふけっていた。
クロムに向けて作った無理な笑顔も、今となっては無表情となっている。そして、少しの沈黙の後、彼女の口から「行ったか」と言う一言がこぼれた。
なんだろう、これは。頬を何か流動的な温かいものが伝わっているのがわかる。それに視界もぼやけて、さっきからなんだか変な感じだ。
彼女は、隣に立てかけられていた大きな鏡に目をやった。
ああ、私、泣いているのか。自分の顔を、表情を目にし、彼女はようやくそれを理解した。そして、その表情が鏡越しに一層ぐしゃぐしゃになり——
「悔しい……なぁ……」
そばで見守っていた修道女は、彼女のもとへそっと近寄り、彼女を優しく抱擁した。そして、彼女は修道女の胸の中で、産声のように大きな声とともに、精いっぱいの涙を流した——。
★ ★
はぁ、はぁ……。
今日になってから俺、散々走りっぱなしだな。
朝は遅刻して走って、さっきはロゼッタ背負って走って、それに今も試験の受付に遅れそうで……。そんなこと考えたってきりがない。ロゼッタのためにも、遅れるわけにはいかないんだ。
残り時間10分弱。ここからギルドまで直線的に走ってもおよそ20分はかかるぞ。でもそんなこと言っていられないし……。
俺は、すれ違う人と肩がぶつかろうが、物にぶつかり壊そうが、それら一切を無視して直線的に走り続けた。
そんな時、俺の肩をがっしりとつかむ手のような感触があるのと同時に、俺の前進への力は一瞬にして無となった。
それには俺も驚いたのと、間に合わないという焦りから、振り返ろうとせずにその手に向かって拳を下ろそうとした。
だが、
「待てよ坊主。さっきから散々ぶつかっておいてよ、ごめんなさいの一言もなしかぁ?」
肩をつかむ主の声が俺の耳に入り、俺は冷静になる。
そして、俺が振り返るとそこには、片目に切り傷のある隻眼のおっさんが、謎の風格を漂わせて立っていた。
「ごめん悪かった。でも今それどころじゃないんだよ……」
「ふむなるほど、もしや受験生かぁ? 冒険者試験の」
「——ッ! そうだよ! 訳あって会場に遅刻しそうなんだよ!」
「そうか、それは不幸だな。うーむ……」
おっさんは少し考えこんでいた。
肩から手を放してくれないせいで俺は動けないし、それになんていう握力と腕力なんだよこのおっさん。振り払おうとしてもびくともしない。早くしてくれよ。
すると、おっさんは何かに納得したかのようにうなずき、
「それっ! クイック!!」
「な、なんだこれ。何をした?」
おっさんは大声で何かを唱えた。
途端、体が急激に軽くなったのを感じた。
「オレも一応冒険者でな、後輩になるかもしれん奴が困っているもんだから、加速魔法ってのをかけてやったまでさ。まぁ、前祝いだと思って、頑張りなよ坊主」
そして、肩にかかった圧力から解放されるのと同時に、俺は背中を強く押された。その時後ろから「ぶつかんねーように気を付けろよ」と聞こえたが、あんたの押す力が強すぎるせいで、スピードが抑えられそうにない——。
だが、おかげ希望が見えてきた。
俺はその後押しに乗って、残りの道のりを全速力で走った。
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