第1場・新しい朝
1
眠い。すこぶる眠い。休むつもりだったから体は重いし、やる気が出ない。なのに目の前で繰り広げられるケンカに、ため息がこぼれた。
空を見上げる。散る桜は綺麗だと思う。散った理由が、人がぶつかったからというところが、全然風流じゃないけど。
ぶつかったは、表現として優しすぎる気がするが。
後ろ足で目の前にやってきた、ジャージ姿の肩を掴む。手を引くと同時に背中に膝蹴りを決めた。汚い呻き声と共に、1人の男子生徒が地に伏した。その音につられて男子生徒が、2・3人振り返る。彼らは一瞬ぎょっとした顔をしたけれど、すぐにニヤついた。
最近、助太刀に来ると、必ずと言っていいほどこういう顔をされる。「理事長の孫だと! いや、【
勢い任せに突きつけられた拳を体重移動で交わして、そのまま回し蹴りをかます。前のめりになって倒れそうになった彼を横目で捉えながら、2人目の拳を掴み、襟首を掴んで、放り投げる。狙ったとおり、1人目の男子生徒に覆い被さった。ついでにしゃがんだまま足を滑らせる。走ってきていた男子生徒の足を掬うと、彼は後ろ向きに倒れた。打ち所が悪かったようで、肘を抱えて呻いている。赤レンガは、こちらに味方してくれたようだ。2人目が痛いと言いながら、立ち上がろうとしている。横目にそんな男子生徒を待ち構えていると、彼の表情が一変した。真っ青になって、背を向けて走り出してしまった。人影に目を向けると、柳がすぐそばまで来ていた。
つまり逃げた、か。
「今月って、風紀強化月間じゃなかったの?」
「風紀強化月間?」
呻いて這いずって逃げていくヤツらのジャマにならないよう、柳をつれて端に避ける。
「新入生の最初のイメージを良いものにするために、毎年行われてるそうよ。いつもの倍の人数をかけて、不良行為や持ち物検査に力を入れるんですって」
「そうなのか」
「まあ、これは相変わらず除外ってところなのかしらね」
風紀強化月間なんていう取り組みも、意識改革には到底及ばないようだ。にしても、風紀は新入生にこのケンカをどう説明するつもりなのか。これは無秩序の証みたいなものでしょうに。
「今日は遅いんだな」
「本当は来るつもりなかったんだけどね」
「そうなのか?」
「授業ないからね」
登校初日の今日は始業式とHRのみで、授業はない。普段授業に出ていない私が授業の有無を気にすることも変な話だが、登校するモチベーションが低いことは間違いない。それでも当たり前のように出席にする柳は、本当に律儀だと思う。今年も教室に行くことは見送ったようだけど。
「何かあったのか?」
「【菩薩】からメールが届いたの。すぐに来いって」
誰もいなくなったA
ベッドで横になっていた私の気分を害した【菩薩】のメールには、その5文字しか書かれておらず。返信することを胸くそ悪く感じた私は、仕方なく登校するに至ったわけだが。まあ、憂さ晴らしはできたわね。
監視カメラの対策も不十分で屋上に出られない上に、【魔王】の卒業を機にわけのわからない連中が躍動し始めた。そんな校舎に足を踏み込むのに、去年よりも気力が必要になった。視線には慣れたから、気にも留めてないんだけど。
その他のことでも気がかりなことはあるけど、まあ、それはまだ先のことだし。それでも、今まで以上に後ろ向きな気分になってるのは確かよね。
昇降口には、すでに誰もいない時間。始業式も終わって、HRが始まっている時間だから、当然だ。
一体、私はなんのために呼び出されたと言うのか。
「じゃあ、私は行くわね」
「ああ」
昇降口へ向かう、足が重い。
計算通りデモもなくなって、【菩薩】やマッキーからの嫌みも減ったのに。【魔王】も卒業して、厄介事からも解放されたのに。まあ、風紀は以前に増して大変そうだけど。それを好い気味だと眺めているのには、もう飽きた。
下駄箱を開ける。思わず、柳の足元をチェックした。靴だ。彼は珍しく、まだ履き替えていなかった。今日は手を抜いたのかもしれない。いつもなら学校指定の上履きに履き替えているはずだから。A邸は土足厳禁だからね。誰も守っていないけど。
私は下駄箱に入れられていた紙切れを、柳に見えるように翳した。
まだ中身は確認していない。
「柳。今日の放課後、委員会あるから」
柳がこちらを見たのを横目で確認して、中身を確認する。
「行った方が良いのか?」
そこに書かれていた文字に、疑問が浮かぶと共に、ため息がこぼれた。
「いいえ、大丈夫よ」
ああ、戻ってきたか。厄介事と、嫌味を言われる日々。私の、特別な日常。
ほんと、短い春休みだった。
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