終演

80

 テストも終了した最終日。元・資料室で、結果確認のために集まった校紀委員会のメンバーは、疲れからか、外の騒動にか、いつもの席で項垂れていた。


「ちょっと答えただけなのに、凄い書き方だね~」


 雑誌を見ながら飴を転がす松木は、実に楽しそうだ。

 特大号と銘打って発刊された雑誌の表紙には、稔流と会長の写真が使われていた。煽り文句は『理事長の孫、現る』だ。

《生徒会から【幹部】と恐れられる一年生は、ペットの【頂】を突き落とされて激昂。腕っぷしで名を馳せていた三年を一瞬で再起不能にした。直後、各委員会に指示を飛ばし、圧巻の手さばきで場を掌握。風紀委員会が会長よりも恐れる女。二科一年D組大久保 稔流は自身の待遇に不満を訴え、会長に新しい委員会・校紀委員会を設立させ委員長の座についた。委員会には人気者を擁しており、彼らを手玉にとることで》以下略。この記事の上には、いつの間にか撮影された、地に伏す青山と彼を見下す大久保の後ろ姿が掲載されている。


「なんて答えたのよ」

「俺は~落ちこぼれだからって言っただけだよ~?」

「どんな質問だったんだよ」

「どうして編入してきたんですか~って聞かれたから~、カノジョを追ってきたんだよ~って答えたんだけどね~」

「話繋がってへんで」


 松木が投げ出した雑誌には、おまけのように理事長の孫のカレシとして松木が紹介されていた。そこには確かに、【自称・落ちこぼれ】という言葉が並んでいる。思い通りの記事に、松木は実にご満悦だ。

 この雑誌が、力業で解決したことを彼らに思い知らせていることを、どうやら松木は理解していないらしい。


「青山先輩は結局、厳重注意だって?」

「反省文、八十枚書ければね。卒業前だからって恩情らしいわよ」

「馬鹿に書けるんか?」

「書けなきゃどうなるんだろ~ね~?」

「卒業に響かなくて良かったとは思うけど」


 珍しく歯切れの悪い美樹に、稔流は苦笑する。頬の腫れはとうに引いていたが、美樹の怒りはなかなか引いてくれなかった。顔の傷であることが、余程腹に据えかねたらしい。


「そそのかされたんだろ? どこのどいつかわかんねぇ後輩に」

「同い年かもしれへんで」

「その辺は、報告されてないみたいよ」


 あれから西尾と槇村は稔流に強制的に協力させられ、先輩が口にした“一般生徒”について調べていた。しかし、参考になるような証言は得られず、一週間では特定に至らなかった。西尾と槇村がテストに心血を注ぎ、いつも以上に情報収集を疎かにしたことは、彼らだけの秘密だ。

 稔流にしても、そればかりを集中して調べていたわけではない。ひょんな事から手に入れた警棒の出所・闇市についても、調べていたのだ。あの日以上の情報は、得られなかったが。


「何が目的だったのかしら」

「さあ~? 騒ぎを起こしたかったんじゃな~い~?」

「なんのためだろうな」


 結果報告とも愚痴りあいともとれる言葉の応酬の横で、美樹はずっと怒り顔と困り顔を繰り返していた。


「情報屋やないんやろ?」

「本人も違うって言ってたから」

「確認できるのか?」

「それについては、結構簡単にできたわね」


 警棒の出所や”一般生徒”については金銭を要求してきた情報屋も、この件に関しては、すぐに否定した。余計な推測から巻き込まれることを予期したのかもしれない。これ以上の面倒事は、彼も御免被りたいのだ。


「あいつはもう、出てきてんのか?」

「来週からよ。テストは寮で受けてるらしいわ」

「閉じ込めてた方が安心なんじゃねぇの?」

「今回の騒ぎは、青山先輩のせいでしょ」


 柳 雛は今日も不在だ。しかし、いつものようにサボっているわけではない。

 あの事件で、柳はゆず季とともに救急車で運ばれた。表向きは柳がゆず季に付き添った形だが、重症だったのは柳の方だ。全身打撲と捻挫で入院には至らなかったものの、日頃の状況も考慮され、寮での絶対安静を言い渡されていた。


「ゆず季さん、退院はいつになるの?」

「せっかく嘘だ~って、み~んなが知ったのにね~」


 稔流の記事の隅には《【偽物】身代わりの末にとばっちりか!?》という小さな記事が書き添えられており、ゆず季が【偽物】であることを全校生徒に知らしめた。

 そしてもう一文。

 《彼女を【偽物】に仕立てあげ、“自分”への火の粉を払ったか》と書かせることで、皆の注目を「”自分”とは誰か」という疑念に集中させた。そのおかげで最近の世間話は、悪は会長か、稔流か、という論争で持ちきりだ。

 これら全て【菩薩】の功績だ。そのおかげで、ゆず季の身の潔白を簡単に信じさせることができ、且つ、雑誌部が【鎮護の集い】のメンバーであるのでは? という疑惑を消し去った。【菩薩】の口の上手さに感服した雑誌部は、以降、【菩薩】とは関わりたくないと思ったようだが。


「入院先でテスト受けるのか?」

「退院後に受けるそうよ」

「大変だね~」

「元気なのよね?」

「ええ、元気そうよ」

「入院してるのに~?」

「入院してる割りには、よ」


 なんて稔流は言っているが、柳が庇ったおかげでゆず季は軽傷ですんでいた。今、入院しているのは稔流の指示だ。

 ゆず季は現在、港町で入院生活という名の、早すぎる春休みを送っている。入院した彼女に辛く当たれば反感を買うことは明白、自然と彼女に対する批判・怒りも和らぐだろうという、稔流の考えた予防策だ。【菩薩】の功績も相まって、最早ゆず季を火祭りにあげようなどと思う輩はおらず。噂に翻弄され離れていった友も、自尊心が強い生徒を除いて、彼女の元へ帰ってくることだろう。


「ま、新たな的ができたから、白樺 ゆず季は安泰だろうな」

「【偽物】の仇名も定着しそうやしな」

「犯人もちゃんと制裁されたしね~」


 ゆず季を突き落とした男子生徒は、柳の協力で特定された。風紀委員会が騒ぎに駆けつけた生徒たちを絞り、柳の証言から写真部がそれらしい生徒の顔写真を撮影。改めて柳に確認をとることで、ゆず季を突き落とした犯人が特定された。

 彼は一科二年の男子生徒で、新聞部では記事採用率九割と類稀な好成績を叩き出している生徒だった。彼は、ゆず季を【鎮護の集い】の一人だという、嘘を広めた。嫉妬の末の反抗だった。

 そして彼は、今回の件で新聞部を退部することになった。停学などの処罰が下されなかったのは、一重に生徒会と風紀委員会に土下座をして謝罪した新聞部・部長のおかげだ。《部員の不始末を謝罪致します。今後は新たな部長と手を取り合い、部員共々、体制を見直すことをここに誓います》という校内新聞の締め文句は、この一年間で最も読まれた記事となった。

 これを知ってメンバーの半数が、新聞部を叩くだけで良かったではないかと、会長に詰め寄りたくなったのは言うまでもない。


「新聞部は大丈夫なのかしら」

「大丈夫もなにも、身から出た錆だろ。今後どうなるかは、あいつら次第じゃねぇの?」

「妬んでたんは、あいつだけやないみたいやしな」


 新聞部・部長は土下座後、ゆず季を指名した理由を部員に説明した。話せないことが多く、説明は難を要し、理解よりも猜疑心を生んだ。包み隠さず説明したところで、全員が納得するわけがないのだが、稔流の耳に届くほど不満を感じている生徒がいることは、誤算だったようだ。この事実から、体制の見直しは長期戦になることが安易に予想され、ゆず季の手に持ち越されることが決定的となった。新聞部・部長がゆず季に頭を下げるのも、時間の問題だ。


「副会長の恋人の噂はそのままだよね~」

「孫の恋人の方が興味あるだろ」


 稔流はふいに、開かれたままのページの、躍り文句に目を止めた。《理事長の孫の愛》。稔流にとっては、どちらも身に覚えのない言葉だ。

 稔流は思わず、ため息をこぼした。


「私は稔流が心配だわ」


 突然の美樹の言葉に首を傾げたのは、稔流だけではなかった。皆が少し逡巡する。一番に答えにたどり着いたのは西尾だった。


「大丈夫だろ。【頂】に座を奪われたっつっても、元・番長だろ? そいつを再起不能にできるなら、易々と喧嘩を売ろうなんて思わねえよ」

「大久保ちゃんなら~勝てるだろうしね~」


 【頂】に喧嘩を売るような輩が稔流を襲うのではないか。それを美樹は心配していると西尾や松木は考えたようだ。


「そうじゃなくて」

「それ以外の心配事ってなんやねん」


 美樹の否定に、槙村が問う。

 稔流は、現状を思い返す。雑誌が発刊されて、稔流を取り巻く環境はガラッと変わった。

 学校医の小言、背だけは高いストーカー、稔流を遠巻きに見てヒソヒソと話す生徒たち。それを美樹は心配しているのだ。主にヒソヒソと話す生徒の中心にいる、稔流を。

 稔流は笑顔を繕い、数日前の美樹の言葉を口にする。


「大丈夫よ。慣れるもの、みたいだから」


 西尾も槙村も考えることをやめたようで、外の賑やかさに目を向けていた。松木は相も変わらず、天井を眺めて飴玉を転がしている。

 稔流の言葉に美樹は唇を噛み締めた。それに気づいても、稔流はそれ以上言葉を続けなかった。語りかける言葉を、持っていなかったのだ。稔流にとっては、ため息ひとつで請け負った現状だ。


「あのデモ活動はもう慣れたのかな~?」

「こっちも迷惑や」


 今回の一件で状況は確かに変わったが、戻ってしまったこともある。

 《A邸》でのデモ活動だ。

 稔流が遅刻やさぼりの常習犯であること、成績が悪いことが周知の事実になってしまったことが、彼らを過剰にした。罰則はきちんと受けていることと、成績の良し悪しが個人の自由であることが、雑誌に記載されていなかったことで、彼らは大きな勘違いをしてしまっていた。

 なにより、今回の一件で稔流はなんの処罰も受けなかった。それはもちろん、稔流が事件の当事者ではなく、むしろ暴力事件を防いだ側なので当然なのだが。

 それらは吟味されず、ただ悪名に皆が踊らされて「大久保 稔流を処罰しろ」「忖度だ」と喚き散らしているのだ。


「テストどころじゃないよな、マジで」

「あの人たちは~テスト大丈夫なのかな~?」


 デモはいつも放課後に行われており、テストは皆、受けている。受けずにデモ活動に勤しんでいたら、風紀に検挙される。彼らもそれは分かっていた。

 外が騒がしい。稔流を批判する声は、いつも閉門まで続いていた。

 なのにどうして、デモへの愚痴まで聞かなければならないのか。稔流は話をそらそうと、松木を見やった。


「あんたは自分の心配をした方が良いんじゃないの?」

「大久保ちゃんもでしょ~?」


 松木は天井を見上げたまま笑った。西尾と槙村が一様に松木を一瞥する。


「こいつはわざとじゃねぇか」

「わざとバカでいる意味が分からんわ」

「趣味悪ぃんだよ、いろんな意味で」


 西尾が立ち上がった。習うように槙村が立ち、帰り支度を始めた。

 報告会議は以上をもって終了、ということだ。

 松木も立ち上がり、その後ろを西尾がすり抜ける。


「なに~? 大久保ちゃん、帰らないの~?」


 座ったまま動かない稔流に、松木は問う。


「デモが収まるまで待つんだろ」

「御愁傷様」


 西尾と槙村はそう言って、気に止めることなく、早々に元・資料室を後にした。稔流は鞄から今回のテスト問題と、一冊のノートを取り出して、長居を決め込む。丁度良いことに、時間を潰すための宿題は山ほどあった。 

 二人の言った通り、ここ一週間、稔流は静かになるのを待って帰宅していた。待つのは身の安全のためでもあるが、騒動になれば怪我をするのが、稔流一人とは限らないからでもあった。他人を巻き込めば、【魔王】の手紙ほどではないにしろ、面倒事が生じる。これ以上の負担は避けたいという思いがあるのだ。

 なにより、この忍耐には期限がある。長くてもあと一週間。柳の登校を待てる自信が、稔流にはあった。


「稔流、一緒に帰りましょう」


 立ち上がった美樹が、稔流に微笑む。


「大丈夫よ。先に帰って」


 稔流は笑顔で返事した。そんな稔流の横で、美樹は屈みこむ。


「私が一緒に帰りたいの」


 美樹の優しい笑顔に、稔流は苦笑した。

 心配してくれている。

 本音を言えば、稔流だって長居したいわけではない。寮の方が集中できるし、安全だ。だからと言って本望に従い一緒に帰れば、美樹に危険が及ぶ可能性がある。稔流にとってそれは、どうしても避けたい事態だった。

 眉根を寄せる稔流に、美樹は無邪気な笑顔を見せる。


「大丈夫、松木くんも一緒よ」


 美樹の視線を辿って、稔流は振り向く。視線の先には、松木が気だるげに立っていた。まだ帰っていなかったことに、稔流は眉根を寄せて驚いた。


「オレ~逆方向なんだけどね~」


 松木は悪態を垂れながら、飴玉を転がしている。が、帰る気配はない。


「ほら、帰りましょう」


 微笑みと一緒に、差し出された手。

 稔流は少し考えて、美樹を説得できないことを悟った。仕方ないと、苦笑がこぼれる。

 机の上には、ぞんざいに放置された雑誌があった。


「そうね」


 男子にしては非力で、女子にしては大きなその手を、稔流は取った。今は、取るしかなかったのだ。稔流はそう、自身に言い聞かせた。

 高校一年の冬。

 大久保 稔流は、少しの緊張感と僅かな高揚感に包まれながら、薄日の中、帰路についた。

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