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「柳」

「どうしたんだ? 大久保」


 特進科から直行した英語科で、物陰に身をひそめている柳を見つけた。

 その隣に座る。


「明日香から連絡来てない?」


 柳は明日香という名前に聞き覚えがないせいか、上空を睨んだ。見かねて「飛脚部の子よ」と伝えたが、それでも分からない様子だ。不安になって手紙を受け取らなかったか訪ねると、やっと柳は頷いて、胸ポケットから手紙を取りだした。


「これか」

「読んでないのね」

「悪い、忘れてた」


 柳が手紙に目を通す。


「青山先輩、まだ会ってないようで良かったわ」

「誰だ、それ」


 柳の疑問に、私は手紙を催促した。ついさっきのことなのに、手紙に何を書いたか覚えていない。いや確か、“青山先輩が探してるから気をつけて”と書いたはず。

 そうか。柳も青山の名前を知らなかったのか。

 教室でケンカを売ってきたヤツだと伝えると、思い当たったようだ。まあ、もう意味ないか。いざってときは護衛を変わって、逃げてもらう計画だ。今すぐそうした方がいいんだろうけど、私じゃ一般生徒に対する牽制にならないのよね。


「どう? 彼女の様子は」

「ああ。変わりねぇよ」

「そう」


 柳がどれだけ恐れられているのか、あまり実感はなかったんだけど。これだけの期間、彼女の平穏を守れていることを考えると、他生徒にとって柳の圧力は半端なく強いらしい。


「これ、いつまで続けるんだ?」

「問題が解決するまで、ね」

「解決しそうなのか?」

「もう少し、ってところね」


 あとは【菩薩】がどれだけ青山のネタを捏造できるかだ。白樺 ゆず季の噂の事を考えると、実証は必要ないようだし。人の口を経た数だけ、噂は大きく確固たる地位を得るようだしね。【菩薩】とマッキーなら楽勝だろう。


「まあ、どっちにしろ、護衛は卒業までね」

「わかった」


 作戦が成功するにしろ、失敗するにしろ、【魔王】の卒業で状況が変わるのは確かだ。一旦区切りをつけるにも良いタイミングだろう。


「テスト、柳は受けてたわよね」

「ああ。大久保は、どうするんだ?」


 卒業までってことは、テスト後ということになる。まさかテスト期間まで彼女の平穏を脅かそうとは思わないだろう。確実に柳がいない期間を狙うなら、話は別、なのかもしれないが。


「まあ、私は補習で合格点とれればね」

「いいのか?」

「良いわよ。これ以上、クラスが下がることもないしね。まあ、最悪3年の時に巻き返せればね」


 さすがにテスト期間まで柳にムリをさせるわけにもいかない。テスト期間中は柳の代わりに私が護衛につくか。柳ほどの圧力はないにしても、事前に防ぐことくらいできるだろう。それにテスト期間は平等にやって来る。きっと彼らも勉強に励むに違いない。


「そうか。なら、ずっと同じクラスだな」


 柳の静かな笑顔に、一瞬ドキッとした。柳が笑うなんて、滅多にない。貴重な瞬間だ。


「柳はクラス上がる可能性があるでしょ」

「俺は、授業にでてねぇから」


 私の記憶だと、出席日数よりテストの点の方が昇級に関係があったと思うけど。でも確かに、万年サボりにどういう結論がだされるのかは分からないか。


「3年になったら、問題なく出れるようになると良いわね」

「1年にもいるぞ、ケンカ売ってくるやつ」

「3年になったら、それどころじゃなくなるんじゃない? 大学に行くにしても、就職するにしても、きっと一筋縄じゃいかないだろうから」


 そんなときにまで【頂】の称号を欲しがるバカはいないと思いたい。そして後輩は先輩に対して配慮してくれることを願う。私が言えることじゃないけど。


「大久保は、家に戻るのか?」


 静かな校舎で、柳の声が、静かに響く。


「どうかしら。柳はどうするの?」

「俺は帰る場所ねぇから」


 遠くを見る柳に、私は苦笑を返す。柳の目は祖母に対する哀愁に満ちていた。


「そっちじゃなくて。進学と就職」

「わかんね。でも、このままなら就職だろうな」


 家庭の事情も、家族に対する思いも、人それぞれだ。柳の中には両親に対する情はないようだ。少なくとも現段階で柳は、両親との生活ではなく、自分1人の生活を考えている。それが妥当だと、お節介ながら私もそう思う。


「柳って意外に現実的よね」

「頭悪いだけだ」


 思わず、クスリと笑う。


「根性が悪いより良いじゃない」


 きっと世の中は、柳みたいに気持ちが真っ直ぐな人の方が生き易い。この高校では形見が狭いかもしれないけど、それはこの高校が特殊なせいだ。高校生活なんてたった3年。3年を乗りきれば柳の未来は明るいんだろうと、感じる。


「ねえ、わざと負けるって、出来る?」

「そこまで器用じゃねぇよ」

「そうよね」


 体育座りをして膝の上で組んだ腕の中に、顔を埋める。窓から漏れる日差しが心地良い。

 爽やかな静寂に、眠気を誘われた。


「大久保!」


 柳の声がつんざく。同時に、腕を痛みに感じ、身体が宙に浮いた。足元で何かが風を切る。

 堅い音が、響いた。

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