第1場・噂の的
1
私は、ケンカの決着もついて2人と別れると、迷うことなく、保健室に向かった。
「ここ、誰かいる?」
一目散にベッドにむかう私を、学校医は椅子を回転させてまで確認した。学校医・
「怪我はねぇのか」
「ないわね」
佐山は、返答を聞いてすぐにデスクに向き直った。
《
窓、開いてるしね。冬なのに。ああ、暖房はついてるか。
「サボりにしては早すぎるだろ。まだ1限が始まったばかりじゃねぇか」
デスク仕事に勤しむ佐山は、アッシュブラウンの猫っ毛が手伝って、柔らかな雰囲気が全面に表れており、保健室の先生に相応しい優しさを持ち合わせているように見える。が。実際は背中姿を見て分かるように、投げやりで倦怠感にまみれた性格だ。騒ぎの音が聞こえていなければ、怪我の有無も確認しなかったことだろう。
私は左端のベッドに腰かけて、半開きだったカーテンを閉める。
その音と、佐山の声が被った。一体、何を言ったのか。まあ、出ていけと言われたんだろうと、適当な言葉を返すことにする。
「今さら注意する気?」
「好きにしろ、俺は寝る」
椅子を転がし、ソファにむかう佐山の姿が影になる。
「人のこと言えないでしょ」と呆れても、口にはしない。私はベッドに座って、その様をじっと見ていた。
「教師に罰則はないの?」
「俺は学校医だ。教員じゃねぇ」
その違い、私には良く分からないんだけど。なんて口答えは自主的に封印する。
ふと、デスクの上の可愛いラッピングを思い出す。
毎日朝イチで届けられる佐山宛の贈り物。手渡しなのに、宛名も送り主もしっかりと書かれたメッセージカード付きの、手作りクッキー。「いつもお世話になってます」と言って渡されるらしいが、本当の目的までは分からない。
それを尋ねた時の佐山の渋い顔は、何かがあると思わせるには十分だった。
「今日はクッキー?」
「今日も、クッキーだな」
一体何を印象付けたいというのだろうか。
もしそれが保健委員会の間で噂されるような下心なら、可愛くて面白いネタなんだけど。
実際はどうかは分からない。
ウラがある人間や人間関係は、この学校ではありきたりに存在するのだから。
彼女を無下にしない理由が、“生徒の評判を気にして”と言われても、まあ、なんとなく納得はするけど。
「どんな話して帰ったの?」
「
「興味ないわね」
「だろうな」
クッキー少女がそうやって惚れた腫れたの話ばかりするから、ピンク色の噂をたてられるんでしょうね。佐山は否定していると、聞いたけど。大人と子供の関係は秘密にするものって常識が、保健委員にいらぬ説得力を持たせているせいで、佐山の否定は今のところ聞き入れられていない。「秘密だから否定するのよ」ってね。
こればっかりは、ご愁傷さまとしか言いようがない。
「もっと為になる話はないの?」
「噂にそんなもん求めるな」
「この学校で、ソレを言う?」
「噂なんて嘘ばっかじゃねぇか」
“ばっか”では、ないでしょうに。
とはいえ、噂ですべてを判断してしまうのは、どうかと思うけどね。
「【
「前から思ってたんだが、そのネーミングセンス、どうにかならねぇのか」
「私に言われてもね」
会長命名のものなんだから。なんて憶測は飲み込んだ。
「英語科2年B組の
「英語科なの?」
「確認はしてねぇぞ」
名前は聞いてたけど、まさかクラスまで広まっていたとは。
私がわざわざ保健室に来る理由がコレだ。
女子会と化した保健委員会。保健委員目当てにやって来る男子生徒たちが持ちこむ世間話。
ここは噂の宝庫だ。
持ちこまれる噂は確かにピンク色のモノが多いけど、AとBの噂が繋がって1つの謎が解けたり、1回り大きな噂に発展したりすることがある。
保健委員会が生徒会との繋がりが薄いって言われてるのも、生徒たちの口を軽くする要因になっているのだろうけど。
「いつ知ったのよ」
「クラスか? 2日前じゃねぇか?」
私は適当な相槌を打つと、横になる。
ベッドが軋んだ。
それを佐山は、聞き取ったようだ。
「まさか1日中、居る気じゃねぇだろうな」
「用ができれば出ていくわ」
寝返りをうつ。またベッドが軋んだ。
「学生の本文は勉強だぞ、《
「何ソレ」
聞きなれない言葉に、眉をひそめる。
肩越しに佐山の影を探す。
影の形は変わらない。
「お前、罰則ポイント、最高クラスらしいぞ。風紀に目、つけられてるんだろ?」
なんのことかと思ったら。思わず、ため息がこぼれた。
この学校には、罰則ポイントというものがある。遅刻や欠席で加算され、10ポイント毎に罰則が課せられる。罰則は学期内ならいつ受けても良く、1学期のときは、学期末にまとめて受けた。罰則ポイントには上限が設けられているから、私の場合、都度清算するより、まとめて返済した方が効率が良いのだ。
これは、上限を設けた生徒会に落ち度がある。
まあ、《得点王》ほどポイントを稼ごうなんて思う生徒は、そうそういないから、気づく生徒は少ない。
「知らなかったわ」
なんて言って、白を切る。
「自分のマイナス点くらい、把握してろ。《得点王》」
「それ、新しい
「なんだ。【
「ブラックリストって、出回ってないわよね?」
なんで生徒会がつけた隠語が、保健室にまで広まってるんだ。
ブラックリストは、本来、生徒会しか見られないものではなかったのか。
「ま、《得点王》より【幹部】の方が悪そうだし強そうだし、お前に合ってんじゃねぇのか?」
「どういう意味よ」
「お前の罰則、ほぼ遅刻が原因だろ?」
「そういう意味だったの?」
「もしくは、会長の意向か」
「意向?」
「可愛げがねぇとかな」
「それ、意向じゃなくて、ただの職権乱用じゃない」
「職権乱用も意向の内だろ。顔見知りなら、尚更じゃねぇのか?」
「顔見知りじゃなわよ」
この学校は入学以前から、会長と顔見知りの生徒が多い。
まあ、例え知り合いだとしても、《
「病人が来たら追い出すぞ」
「ここ、使うならね」
当高校の保健室には、ベッドが4つ設けられている。
その4つのベッドが埋まったところを、私はまだ見たことがない。
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