悪友は地の果てまで追ってくる。~嫌われ者の生き方~ 第一幕 & 第二幕

巴瀬 比紗乃

第一幕

開演

  朝の光がさす静かな廊下。漏れ聞こえてくる、担任の気だるげな声。出席を確認するその声に、生徒の返事は少ない。

 大久保 稔流は、教室の後方の扉を開く。

 頭数は少なく、半数が空席状態の教室に、彼女が驚くことはなかった。

 時刻は八時半も過ぎた頃。

 門は閉じられ、全校生徒が着席していなければならない時刻。けれど遅れて入ってきた彼女を振りむく生徒はおらず、遅刻だと注意されることもないまま、彼女は遅めの出席を果たした。


「山口」


 担任は出席をとり続け、稔流は身を縮こまらせることもなく、席につく。

 二科一年D組の担任・蓮見 薫は出席を取り終えると、簡単に連絡事項を述べ始めた。稔流が耳を貸すことはなく、同様にクラスの大半が担任の話そっちのけで、各々の内職に勤しんでいた。稔流は外へと、視線をなげる。

 稔流の席は窓際の列の後ろから二番目。窓から見える景色は、隣にある英語科校舎と、裏中庭を隠すように生い茂る木々のみで、見張らしはよくない。それでも稔流は飽きることなく、木々の揺らめきを眺めていた。

 担任が連絡事項を伝え終え、愛想なく出ていく。生徒たちはおもむろに立ち上がり、稔流も彼らに紛れるように教室を出ていこうとした。


「珍しいね。大久保さんが朝礼に出てるなんて」


 しかし、出口付近で呼び止められる。そこには、絵画に描かれるような天使の笑顔があった。


「今日はたまたまよ」

「そこは“そんなことないでしょ”って否定するところじゃない?」

「分かってることじゃない」

「だとしてもだよ」


 七倉 悟は変わらない笑顔で指摘する。

 クラスでは数少ない、稔流と仲の良い生徒だ。稔流の制服姿にツッコミを入れた、数少ない生徒でもある。といっても、気軽に話しかけてくる相手というだけで、友達とはほど遠い間柄だ。


「あなたが気にするようなことじゃないわ」


 いつも話したくないことを聞いてくる七倉に、稔流は早々と立ち去る。制服の話に至っては、理由はないと一蹴した。着せられている稔流にとっては本心だったが、それを分かる人は早々いない。

 稔流が去っていく間も七倉は「そうかな?」と会話を続けていたが、彼女は一切を無視して一年C組へ急いだ。

 廊下を少し歩いて、階段前を左に曲がる。個人用自習室を二部屋通りすぎ、さらに左に曲がると、ようやくC組の教室とロッカーが見えてくる。

 はじめて訪れた一年C組は、外を眺める窓が背後にしかない教室だった。


「ねえ、松木 充いる?」


 出入り口の近くにいた男子生徒に尋ねる。彼は教室を一望すると、すぐに「いない」と答えた。

 C組はD組とは違い、九割の生徒が出席していた。その中で一目で所在が分かるほど、松木 充は注目されていた。十月に編入してきたという事実と、人目をひく身長のせいであり、彼にとって制服は付加価値でしかない。

 稔流は男子生徒に軽くお礼を告げて、その場を後にする。彼の行方は誰も知らない。稔流はそれを知っていた。それが彼と稔流の唯一の共通点であり、稔流が反吐が出るほど嫌っている共通点だ。

 稔流は踵を返し、廊下を突っ切ると、二科校舎を後にする。校舎同士を繋ぐ外廊下で道を外れ、そびえ立つ壁を覗き込んだ。そこには青空の元、壁際に散乱する靴たちがあった。

 その光景に、稔流はため息をこぼした。そして、すぐに後悔した。吸い込んだ空気の臭いに、防衛本能が働き、一瞬息を止めた。

 松木は《外箱》と称される二科専用の靴箱を利用していた。散乱する靴に指定された置き場や名札があるわけもなく、稔流が松木の靴を見つけ出すことは不可能だった。

 遭遇することを期待していた稔流は、途端に目的地を見失って視線を巡らせる。

 意味もなく、周囲を伺う。

 第二男子寮は六つある寮の中で、最も昇降口から離れている。それが彼が《外箱》を使う理由であり、彼が昇降口にいない理由だ。自習室を覗いて回れば、どこかにいたのだろうか。とも稔流は考えたが、一限目も始まっていない時分に、彼が登校しているはずもなかった。毎日の習慣を切り上げてまで彼を探すはめになることを、稔流は酷く後悔した。

 稔流が黄昏れていると、遠方からなにやらド派手な音が響き聞こえてきた。

 稔流は深いため息と共に、当然のように昇降口へ向かった。目的地は昇降口の目前にある表中庭だ。無論、松木を探しに行くわけではない。ド派手な音の発生原因を確認しにいくのだ。

 雁木に挟まれ大樹・《桜の木》がそびえ立つ赤レンガの広場・《A邸》。そこでは恒例のケンカが、繰り広げられていた。

 喧騒の中心にいるのは、予想通り、クラスメイトの柳だ。彼は校内きっての喧嘩士で、打ち勝とうとする輩に、毎日のように囲まれていた。最初は見世物となっていた喧騒も、巻き込まれ事件が発生して以降、誰一人近寄らず、むしろ逃げ去るのが通例となっている。

 稔流は昇降口の柱にもたれ、喧騒を見つめる。そして上階から覗き込む生徒たちを数えた。

 その中に知った顔を見つける。

 彼は見下すような視線を不良たちに向け、去っていった。十名ほどいた観客が、徐々に減っていく。そろそろ一限目が始まる頃合いだ。


「あれ~? 高みの見物~?」


 背後から回された腕に、稔流は一瞬で頭に血が昇ったのを感じた。弾け退きそうになったのをグッとこらえ稔流は、怒りを吐き出すようにため息をついた。


「野次馬が去るのを待ってるのよ」


 稔流は堪えることができず、松木 充の腕を払いのける。また捕まることがないよう稔流は体を傾け、松木に向き合った。そして稔流は自身の胸ポケットから松木の胸ポケットへ、一枚の紙切れを移動させた。


「何~? ラブレタ~?」

「《魔女》からの」

「それは遠慮したいね~」

「それは自分のためにならないんじゃない?」


 松木は紙切れの内容を確認することなく、喧騒を見つめる。


「【屍の頂】の名は伊達じゃないね~」

「一対十五で勝てないのもどうかと思うけど」

「まあ、袋叩きにもなってないしね~」


 二人が悠長に会話している間に、観客は綺麗に消えさり、チャイムが鳴った。

 風紀委員会もお目見えしない不良の挑戦だけが、そこには取り残されていた。


「やっぱり行くんだね~」


 歩きだす稔流の後ろを、松木はついて行く。

 喧騒の外側にいた不良が、近づく二人に気づいた。不良はガンを飛ばして、近づくんじゃねぇと訴えている。しかし二人がそんなものに怯むはずもなく、お互いに一歩また一歩と近づいていく。不良の顔に擦り傷を見つけながら、さっさと立ち去れと二人は思った。

 喧騒の中心部では、柳が一人二人と殴り飛ばしていた。喧騒の中、柳一人だけが無傷だ。

  距離が縮み威嚇だけでは追い払えないことに気づいた不良が、拳を振り上げ二人に迫る。稔流の頭を越え、松木がその拳を受け止める。すかさず顎に平手を食らわせると、不良は地に伏した。


「手加減なしね」

「俺は彼とは違うからね~」


 柳は喧嘩は強いが、腕力が人並みに弱い。拳に込められる威力は、普通の男子生徒とそう変わらない。それを手加減と勘違いした不良が怒り狂うことが、しばしばあった。最初の事件で見事なクリーンヒットを見せたことが、十ヶ月たった今も尾をひいているのだ。

 外側にいた不良数人が、二人を振りむく。一人の不良が伏されたことで、何人かの不良を釣ることができたようだ。

 柳も二人に気づいた。反射的に舌を鳴らし、目の前の不良を蹴り飛ばす。

見事なヒットで、不良が一人、地に伏した。

 二人に走り迫る不良の一人が、松木の脇をすり抜け、稔流に殴りかかる。稔流はその拳を掴むと、襟口に指を引っかけ、不良を投げ飛ばした。見よう見まねの背負い投げが決まって、安堵する。その様子に、松木は口笛を鳴らして驚いてみせた。

 その後も単調な攻撃は続き、二人目の拳は稔流の脇をすり抜けた。そのまま背中から回し蹴りをお見舞いすると、不良は前のめりに倒れた。三つ目の拳は腕でブロックし、足をかけ、背後から地面に叩きつける。

 喧騒に顔をあげたとき、赤レンガに身を伏せ悶絶しているのは、足元にいる不良だけではなかった。すでに立っている不良は五人に減っていた。

 回し蹴りを食らわせた不良が、立ち上がる。それを稔流は目の端で捉えた。不良は満身創痍だが、鋭い目つきで稔流を見ている。


「大久保ちゃんにやられて、プライドが許さなかったんじゃな~い~?」


 松木の揶揄する声は確かに稔流に届いていたのだが、聞き入れられることはなかった。

 女子だから、当たり前のように力が弱い。だが稔流には柳みたいな体力がない。同じ不良を、何度も相手にするわけにはいかないのだ。これは何かしらの対策をとる必要があるのかもしれないと、稔流は思った。そして飛びかかってくる不良を避けながら、なぜ喧嘩に加勢しはじめたのかを考え始めていた。

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