第2話 小百合 旅館の実情を知る
【老舗旅館の一人娘 平原小百合 帰郷】
-3-
一月後、橘湾荘の1階フロアーに全従業員が集合していた。
そこへ営業部長の阿部と仲居頭、板長の林原3人に先導されて小百合が奥から出てきた。
4人は、全従業員の前に立った。
横並びの4人の中から営業部長が一歩前に進み出て「みなさん、お早うございます」と挨拶をした。
バラバラと「お早うございます」という従業員達の返事が返ってくる。
女将が急死し、この先どうなるのか疑心暗鬼の従業員達であった。
その中に斗司登もいた。
営業とフロント係のスーツ姿の男女5人の列の横隣りに板前姿の7名の列の下から3番目にいた。
その横には和装姿の仲居が14名並んでいる。
「先代女将さんの葬儀等につきましては、皆様のお手伝いのお陰で滞りなくすませることができました。まずもってお礼を申し上げます」
と営業部長は頭を下げた。
バラバラに頭を下げ返す従業員達。
「先代女将さんの威徳をいつまでも偲んでいたいのは全従業員共通の願いですが、私どもはお客様相手の旅館業です。
思いは思いとしてお客様のために歩み出さなければなりません」
そこまで言うと営業部長は一呼吸を置いて
「そこで先代女将の意思を継いで、新しく当旅館の新女将を引き継いでくださることになった先代の一人娘、小百合新女将をご紹介いたします。
新女将は、日本のトップバンクに総合職として採用されてこの3年間日本経済の中枢で仕事をして来られたエリートキャリアウーマンであらせられます。
そんな新女将ですから新しい感覚できっとこの橘湾荘を大きく飛躍させてくださることを確信しております。新女将お願いします」
営業部長のオーバーな持ち上げに表情を曇らせる小百合だったが、すぐに気持ちを切り替えて小百合は一歩前に進み出た。
「この度、先代女将の後を継ぎ女将をさせていただくことになった平原小百合と申します。
皆様ご存じのとおり、この橘湾荘は私が生まれ育った旅館であります。高校卒業までこの旅館で生きてきました。
私がこの旅館を継ぐ決意をしたのは先祖が作り祖父母、両親が受け継いできたこの旅館を残したいと考えたからです。
しかし、それも皆様あってのことと考えています。門外漢で微力な私ですがどうぞ皆さんのご協力で、この旅館を繁栄させていただくようにお願い申し上げて就任のご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。よろしくお願いします」
と言うと深々頭を下げる小百合だった。
-4-
日付が変わった午前1時、女風呂の湯船につかる小百合の姿があった。
母親の危篤の連絡をもらってからの慌ただしかった今日までの日々を思い出していた。
危篤と聞いて飛行機に飛び乗ったが母親の死に目には間に合わず、緊急治療室で母親を見たときは母親は物言わぬ人になっていた。
それから慌ただしく葬儀、火葬、納骨と営業部長の仕切りで済ませていった。
営業部長は昔から旅館の実務を仕切っており、特に父親が病死してからは表向きは母親が女将であったが旅館を実質的に運営していたのは営業部長だったようだ。
葬儀が終わったら小百合は東京に戻るつもりであった。
旅館に対しては愛着がないわけは当然なかったが、それよりも自分の力で勝ち取った東京での生活の方が小百合にとって大事であった。
東京には、やっと面白みがわかってきた仕事があり、将来を誓い合った婚約者もいる。
今更、生家の旅館業に未練はなかった。
営業部長が旅館を欲しいというのなら旅館の名前も残るし、継いでもらってもかまわないと思っていた。
ところが納骨をした日の夜、母の親友であり、小百合が子供の頃から旅館で働いていて今は仲居頭をしている千代から大事な話があると言われて旅館の離れにある自宅の居間で二人で話しをした。
それは小百合にとって衝撃的な話であった。
営業部長の朝日は数々の不正行為をして、私腹を肥やし逆に旅館には損害を与えている。
その上、この旅館を売って、旅館の敷地と隣にある廃業した大型ホテルの敷地に温泉着き大型リゾートマンションを建てようと考えていることを聞かされたのだった。
旅館にかつてのような活気がないことは帰省する度に感じてはいたが、この時、初めて旅館に億を超える莫大な負債があることを初めて千代から知らされたのだった。
千代が言うには営業部長は出入り業者からリベートを取って食材を納入させていた。
業者はリベートを取られているのだから納入金額は高くなるし、もうけを確保するためには素材を落として納入することもあった。
前の板長は、そのことに反発し営業部長を責めたが営業部長が一向に改善しなかったために板長は、そんな食材では自分が誇りを持った料理をお客様には出せない、と店を去って行ってしまった。
営業部長が探してきた板長、林原は腕は悪くはなかったが板前としての誇りをギャンブルで捨てた男であり、この板長が連れてきた
子飼いの板前達のいじめで元々旅館にいた有望な地元出身の板前や見習達も嫌気をさして辞めていった。
そうなると当然、料理の味は落ち、料理が美味しい温泉旅館で売っていた橘湾荘はすぐに客足が落ちていき、見る見る借金が増えていたという。
元々、あまり体は強い方ではなかった母親は金策と旅館運営で心身を疲弊して寿命を縮めたんだ、
と千代は涙を流して親友の死に悔しさをあらわにした。
そして小百合ちゃん、阿部部長の好きにさせてはダメ。
貴女がお母さんが命をかけて守ろうとしたこの旅館を継ぐのよ、と力強く言った。
思いもよらなかった千代の話に頭がこんがらかった小百合は、どうすべきか苦悩した。
その夜、千代との話が終わったあと小百合は斗司登が俺の番号だ、と言って握らせた斗司登の電話番号が書かれたメモを開いていた。
小百合がメモに書かれた番号を押すとすぐに斗司登が出た。
「今、何してる」
と小百合が聞いた。
「大丈夫、何もしていない。どこかで話そうか」
小百合の心中を察しているかのような斗司登の言葉に小百合は救われたような感情を覚えるのだった。
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