友達
そんなのは、友達って言わないよ。
そう言われたことがある。私の思う友達の定義は目の前の人には、受け入れられなかったようだ。幸いにも、その人は私のありようを正そうとしてくることはなく(もしそうだったら縁を切っていた)、冒頭の言葉にも、自分は、と注をつけていた。
友達の定義については、よくも悪くも、世の中に定義が溢れまくっている。「作る」のではなく、「なる」のが友達だとか、何とか、いろいろ。
正義は人の数だけあると誰かが言ったけど、友達の定義も人の数だけあると思う。
私が言った、友達の定義はここにさらすには勇気がいるので、やめておくことにする。
「友達を作りなさい」
そんなことを親や先生から言われたのを、鮮明に覚えている。友達を作る能力が小学校では通知表に書かれもするのだから、常軌を逸しているとさえ思う。
友達を作る能力って、そんなに大事か? と小さい頃から疑っていた。だって、勉強ができなかったら高収入になるのは相当難しくなるし生存も危うくなる確率が高まるけれど、友達がいないから死ぬ、というわけでもないのに、何でそんなに友達友達と言うのだろう。
大切なのは、友達がいることか? 友達が多いことか?
別にそんなことはない。
友達がいると、人生が豊かになる、と大人は言った。でも、それって、セクシュアルマイノリティの人に、マジョリティの価値観で、「彼氏(彼女)がいるといいぞ」と言うのと何が違うのだろう。つまり、すごく暴力的だ。
パートナーがいることで得られる幸せもあるだろう。でも、「いらない」という選択肢だって、頭ごなしに否定されていいものじゃない。
「ビーフオアチキン?」の問いには、「ビーフ」か「チキン」しか答えが許されていないのだろうか。
友達を増やすんじゃなくて、自分の仕上げる仕事を信頼してくれる人が少しずつ増えていけば、それでいいのではないか。
私は、「寂しい」もよくわからないから、すごく冷酷なことを言っているのかもしれない。けれど、「親や先生から評価されるために、友達がいる振りをしよう」と思っていた頃より、「友達は人生に絶対に必要なものではない」と結論した今の方が、呼吸がしやすい。絶対に必要ではないけれど、欠かしたくない余剰として、私の友人は、私の人生と重なりあって、生きている。
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