9月

 溜まったバイト代で教習所に通って中古のおんぼろ原付バイクを買った。

 深夜にこっそりと家を抜け出して適当に辺りを周遊するくらいにしか使っていないけど、いつでもどこかに行けるという事実だけで心持ちがぐっと大人に近づいた気がする。

 なんとあの糺谷先輩も免許を所持していたらしく、父親のスクーターを譲ってもらい、たまに運転していると言っていた。

 僕は部室での先輩しかほとんど知らないので、上手くイメージがつかない。大丈夫なんだろうか。いつもの調子からだとぽわぽわしたまま衝突してしまいそうな想像しかできない。


 今月に入ってから急速に情勢が不安定になっていった。

 6月に地球に小惑星が近づいているという情報が周知されて以降、徐々に加熱された不平不満が沸騰するかのようにあらゆるところで発露されているようだった。

 国内では各地でデモ活動が行われ、暴動とも呼ぶべき過激なそれらを鎮圧するための手段もエスカレートせざるを得ず、さらに火に油を注ぐ結果となった。

 SNSでは悪意のある憶測やデマが広がり、無数に噴出する根拠のない情報が拡散されていく様子はもはや収集の尽きようがない。

 先月、花火大会で中年男性が主張していたことはあの男性特有の妄想というわけではなく、多少形は違えど少なくない人々の共通認識となっているようだ。

 国外では国内以上に過激な様相を見せており、毎日のように武力制圧や紛争などの不穏な単語がニュースに並び、聞きかじる程度ではどこでどうなっているかも把握ができない。

 世界中でネガティブな感情が限界まで高まっていて、何が起きてもおかしくはない状況だった。


 それでも学校は通常通り授業がある。

 登校のための準備をしていると、ニュースを見ながら母がなにやら難しい顔をしていた。 

「隕石で家が壊れた時って火災保険で補償できるかしら」

「ええ、どうだろ……。この規模の隕石の損害を保険会社が支払えるとは思えないけど」

「そうよねえ……」

 憂鬱そうにクレジットカードの利用明細が置いてある棚を眺めてため息をついていたので、多分この家のローンの心配をしているんだろうなあと思った。でも家の心配の前に隕石が落ちてきた時に生きているかどうか分からないよなと思ったけど言わなかった。


 自転車で登校していると、見慣れた後ろ姿を見かけた。

 先輩がセミロングの髪をふわふわさせながら歩いている。

 声をかけようとしたら、こちらに気づいたのか振り返って手を振ってくる。

「あ、望月くんだ。おはよ~」

「おはようございます、先輩。後ろにいたのによく分かりましたね」

「先輩に備わる特殊な器官のおかげだね」

「赤外線でも出てるんですか」

 僕は自転車を降りて、隣に並んだ。

 他愛もない会話をしながら、先輩と歩いていく。


「来月末は文化祭があるよね~」

「そうですね、ぼちぼち何か考え始めないとですね」

「去年は真面目に地学のパネル展示をやったよね」

「地学に普段全く取り組んでないから文化祭前に猛勉強して作ったやつですね」

「そうそう~、なんか一夜漬けみたいで面白かったよね」

「部活動としてそれでいいんですか……」

「望月くんが望むならちゃんと地学を勉強する活動内容にしてもいいんだけど」

「いえ結構です現状維持最高!」

「望月くんは相変わらず勉強嫌いだねえ」

「僕が勉強を嫌いなんじゃなくて、勉強が僕を嫌いなんじゃないかと思います」

「学問は広く開かれているはずだよ~」

「なんかかっこいいですね、誰の言葉ですか」

「多分夏目漱石先生あたり」

「めちゃ適当じゃないですか」

「夏目漱石先生は言いました。『精神的に向上心のない者はおしりぺんぺんしちゃうぞ』」

「絶対言ってないですよ」


 そんな会話をしていると校門に着いた。

 僕は駐輪場へ自転車を置きにいくので、先輩とここで分かれる。

「じゃあ今日は文化祭の話し合いをするから、ちゃんと部室に来るんだよ。またね~」

 手を振ってくれる先輩を見ながら、文化祭が少し楽しみになってくるのだった。


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