異世界来たりなば脱サラ多し

ジョージ・ドランカー

第1話

佐伯信之は50を目の前にした会社員である。家庭を持ち、娘二人に息子が一人。夫婦仲は悪くなく、季節の節目等には妻と共に各地へ行楽に出かける。暮らしもさほど金に困ることがないくらいで、年齢と共に順調に出世した結果だと言える。

そんな信之は、朝日が昇るより早く自宅の庭で胴着に身を包み鉄芯入りの太めの木刀を一心に振り下ろす。

ここ二月程のうちに行うようになった習慣である。

そんな信之を娘、息子は年甲斐もなく恥ずかしい真似だと顔をしかめる。妻である涼子は子供達とは異なる感情をもって見つめていた。


「ねぇ、信之さん、どうにか考え直しては・・・・・・」


か細い声をかけるのに対し、


「僕にとって転機だったんだ。もう一度、若い頃に焦がれた夢に触れられる、ね」


その言葉には、情熱と輝きがあった。



2023年、世界は光に包まれた。比喩ではない、地球と、月、それに火星と金星、木星のあたり一帯(もしかしたら太陽系全体かもしれないし、天の川銀河全体だったかもしれない)は謎の冷たい光に満たされた。物質を透過するそれは、ほんの数秒ほどだが、世界から影を奪った。あらゆる計測機器には記録されないその現象は、ただ人の記憶の中にだけ残った。


それからだ、地球上にダンジョンと呼ばれる空間の歪みのようなものが現れたのは。それは、一見すると森だった。木々に覆われてたそのエリアは、常に霧が立ち込め、偉い学者達の言うことには、空間自体も歪んでいるとのことで、その先を見通すことが叶わない。


調査にあたった自衛隊がもたらした結果は、その先には非常に広い樹海のようなものが広がっているのだそうな。

そこで発見された未知の生物、植物、鉱石、人の好奇心を刺激するにはそれだけでも十分だった。


それと同時、どこからともなく現れて人を、現代人の心を大きく動かしたものがもう一つあった。アビリティと呼ばれるそれは何処からともなく現れた販売人から手に入れることが出来る。それは手軽に様々な能力を獲得できる一種の学習装置で、ネット上ではスキルと呼ばれていた。

スキルはダンジョン出現と共にやってきたので、販売人は実は異世界人ではないかとまことしやかに囁かれていた。


信之の転機はまさにそんな時にやってきた。


「ノブ、面白いもんがあるぜ」


剣友会で長年共に腕を研いてきた友人から聞いたのは、スキルを手に入れれば若い頃のように体を使える、そんな夢のような話。ただ、それを信じたいような信じられないような心持ちで、手を出せずにいた。


そんな話を聞いてさして間もおかず、


「部長、帰りにちょっと面白いところに寄っていきませんか?」


職場の後輩から誘われて、職場から最寄りの駅近く、徒歩五分ほどの公園へと足を向けた。スキルショップは小型バンを改造した販売車両。ショップの前には十人程の列が出来ていて、会社帰りのサラリーマンや、若い学生が並んでいた。


「お客さん初めてですね」


パネルを持った店員らしきエプロン姿の男性が信之らの前に立つ。

そうだ、と頷けば、


「では、簡単に説明させていただきます」


パネルを捲って見せた。


曰く、ガチャは初回につき一万円。二回目以降は十万円と気軽に回せない金額が設定されていた。

但し、店売りのスキルもあって、下は15万円から上は100万越えと幅は広いようだ。


「注意して頂きたいのは、人がアビリティを身に付けられるのには限りがあります」


店員は指を三本立てて見せる。


「それを越えると古いものから忘れてしまいます」


店員は三つと言ったが、それには例外があって、枠二つ分のスキルもあれば三つ分のスキルも存在するということだった。


「三枠、私どもは三ツ星、と呼んでいますが、それはかなりのレアモノですので滅多にお目にかかれません。それと、補足となりますが、星の多いものは優先して残されます。つまり、二ツ星つを先に手に入れていれば、一ツ星のアビリティをいくらい手に入れても消えるのは古い星一のアビリティになります」


と口許に薄く笑みを浮かべる。


信之は正直なところ、胡散臭い、と感じているし、あんなものに大枚をはたく者も居ないだろうとさえ思っている。

だが、好き者は居るようで順番待ちの最中、販売口の方で250万もする二ツ星のスキルを購入している若者がいた。

若手の部下が仕切りに感心していたので、聞いてみれば、今売り出し中のYouTuberだそうで、ハンディカム片手にダンジョンに潜っているのだそうな。とはいえ、現在において違法行為に他ならず、信之は少しばかり顔を顰めたが。


十五分ばかり待たされて、ようやく信之の順番がやってくる。

目の前にあったのは、昔懐かしいガチャガチャだった。ガチャマシンの隣には縦長の専用の紙幣投入機があって、上部には手の形が書かれたパネルが設置されている。


「まずは、お金を投入してから上のパネルに手を置いて下さい。少しピリッとしますが、人体に影響のあるものじゃありません」


店員の案内に従ってパネルに手を置くと微弱な電流が流れるのを感じ、顔をしかめた。それから、漸くガチャマシンに向き合う。いかにも古めかしいそれは、中を見ることが出来ないようにはなっているものの、信之にちょっとした郷愁の念を懐かせた。


ハンドルに手を掛け捻ると、内部の歯車が回転する感触がして、一周回したところで、ごとり、と受け口にプラスチック製の卵形のケースが転がり落ちた。


「開封はあちらでお願いしますね」


店員は列から離れるように促しす。


「部長、みんなで開けましょうよ」


という部下の声に小さく手を上げて応えると、販売車から少し離れた場所でガチャに興じる他の客に目を向ける。


信之と同じくらいの年頃の中高年が思いの外多い。20代前後の若者に混じって楽しそうにガチャの結果について語り合っていた。老若男女問わずの光景に、なんとも言いがたい気持ちになって、自信も部下たちともう少し打ち解けられるものだろうかと思いを馳せていた。


「部長、お待たせしました」


部下たちが揃ったところで開封となった。

一緒に来た部下のうち半数が手に入れたのが算術のスキルで、話を聞いてみれば、大学は理系の出で、卒論には関数や数列、図形に関わるものを提出していたのだという共通点があった。

また、並列思考のスキルを当てた者はまだ若手だが仕事の飲み込みが早いので先輩から可愛がられている有望株だった。他にも話術や調理などがあったか。


「で、部長はどんなのでしたか?」


訊ねられて、そういえば、と卵形のケースを捻ってあける。

中には厚さ二センチ程の五センチ四方の透明なアクリルケースが入っており、その中に、黒の硬い紙に金の塗料で星二つが印刷されたカード入っていた。


その場の空気は一気に静まる。


信之はケースを開いて中の紙を取り出すと、裏面を確かめる。


『刀仙』と楷書で書かれていて、その下には小さく『刀術・体術・閃き・操気術』とこちらはゴシック体で書かれていた。

先程の店員の話では、二ツ星のスキルは複合スキルだと説明があったので、小さく書かれた内容がつまるところ、この二ツ星スキルの内容なのだろう。


信之にとって、スキルの内容は衝撃的なものだった。加齢と共に枯れつつあった活力のようなものが、信之は腹のそこにフツフツと滾って来るのを感じていた。


「ヤベェ、オレ二ツ星引いてる人、初めて見ましたよ」


「何のスキルだったんですか!?」


騒ぎ立てる部下が人目を引くので、


「他の方の迷惑になるから」と嗜めつつ、剣術に関するものだとだけ明かした。


ケースの中身は、透明な碁石のようなものが入っていて、信之はさっさとそれを使ってしまった。使い方は簡単で、飴と同じように口の中に入れて溶かしてしまえばいい。説明書きのカードはいつの間にか塵となって消えていた。そういうもの、なのだそうな。


部下の興奮も冷めやらぬまま近くの居酒屋で軽く飲んでから解散となったのは九時を少し過ぎたあたり。


帰りの電車のなか、信之の口許には、歳に似合わぬ若々しい笑みが浮かんでいた。





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