32.ヴァディム・ガーリン⑤

 無茶な仕事ばかり押しつけられている。

 監視対象の両名は放送の直後に動き出し、四名からなる組織チーム「将棋部」を襲撃、壊滅させた。その後、続けて六名からなる組織チーム「断頭同好会」を壊滅。続けて総合体育館を拠点とする「部活動連合」を襲撃した。散り散りになって逃亡する彼らを追い、うち三名を仕留めた。

 動きが早い。二ノ宮綾子はすでに15Ptとなった。星空煉獄は13Ptである。

 その計上を手動で行う。表計算ソフトの要領で、殺された対象を抹消しそのポイントを殺したものに移す。顔と名前の一致もあやふやな状態で、ときには勘に頼る。〈投視〉によって直接腕時計を確認し、間違えたときは即座にやり直す。場合によっては当てずっぽうになることもある。二人にさえ発覚しなければよいという杜撰さだ。


学院リツェイでは認識票を集める形式だった。あれでよいではないか)


 日本の学園がこのような形式になっているのは〈不死〉の異能者の発現と、それを確実に卒業させるための方策であるのかもしれない。

 一通り暴れると、二ノ宮綾子と星空煉獄の二人は大講堂へと戻った。これで一息がつける、とヴァディムは思った。大講堂内は〈遮蔽〉に覆われており監視ができない。つまり、そのために内部でなにが起ころうと関知する必要がない。〈遮蔽〉内で殺人があろうとポイント計上が行われないのは旧来のシステムでもそうであったらしい。

 彼らの会話を〈壁耳〉で聞くに、羽犬塚明はまだ生きている。大講堂で保護されているとのことだ。〈断空〉は急所に命中しないかぎり失血がないため非致死性の攻撃となるが、あの傷でまだ生きているというのはヴァディムにとって驚きだった。


(私の位置も……範囲内か)


 羽犬塚の異能範囲は約700mとされている。地図を広げ、自身の潜伏場所と大講堂の距離を測る。確実に含まれる。


(私は〈不死〉だ。ポイントにはならない。彼らがあえて私を探す理由はないだろう。しかし)


 二ノ宮綾子の行動を思い出す。彼女は妹を助けるためにと襲ってきた(そのときにはすでに消化済みだったのだが)。あのときのように、ポイントとは無関係に非合理な行動に出ることも考えられた。


(とはいえ、この位置から離れることはできない)


 端末をハッキングしているからである。

 第二校舎一階。片隅の小さな部屋。ヴァディムは壁を背にし、床に座りこんでいた。

 結局のところ、やることは変わらない。ヴァディムは目を閉じ、〈投視〉によって大講堂の玄関前を監視する。二ノ宮らが再び出てきて、こちらへ向かってくるようなことがあるなら動く。ノートPCは隠し、この場を離れて逃げた方がよい。手動操作が発覚すれば作戦は失敗だからだ。


(もうほとんど気づかれているのではないかと思うが……)


 イリーナより言い渡された命令のうち、たしかな成果が挙げられたものはこれまででほとんどない。

 図書館への襲撃もイリーナの助けがなければ負けていた可能性が高いし、長谷川傑も自死していたため〈追憶〉が叶わなかった。

 星空煉獄と桜佐武郎の抹殺にも失敗した。羽犬塚明に重傷を負わせたのは最低限の成果のようでいて、裏目になっているようにも思える。

 さらにこの作戦もすでに失敗の兆しが見えはじめている。

 イリーナは成功を褒めもしなければ失敗を咎めもしない。ただ、作戦の成否をもとに次の作戦を修正するだけだ。羽犬塚明が負傷し星空煉獄に桜佐武郎を見つける手段がないために今はイリーナが直接彼の抹殺に動いている。

 ヴァディムは胃が痛む思いがした。


(失敗はするにしても、大きな失敗はできない。せめて桜佐武郎の抹殺が終わるまでは彼らを騙し通さねば)


 監視対象が動いた。

 二人は再び大講堂玄関から外出。南西へ歩き出し、森へと向かって行った。


(よし。桜佐武郎のもとへ向かったようだ。羽犬塚はあの傷で仕事ができたのか)


 彼らが桜佐武郎を抹殺するのであれば、その時点で作戦はほとんど成功だ。ポイントを計上する意味もあまりない。ただ、その後星空煉獄が「80Pt以上を獲得する」という無茶を成し遂げようというなら、「日本の異能戦力を削る」という副次目標も実現できる。


(後者については、私が暴れて埋め合わせてもよいのか)


 と、考えを巡らせているうちに、異常に気づく。


(いない……?)


 二人を、見失っていた。

〈投視〉によって張り付くように監視していた二人が、その姿を消していた。


(一瞬で森の奥まで……?)


 しかし、その痕跡すらない。二人が通ったはずの足跡すらないのだ。


(〈壁耳〉も〈投視〉も急いで食べたせいで継承率が悪い。だが……)


 だからといって、見逃すほどではない。


(まさか)


 するり、と、冷たい金属が首元から体温を奪った。

 見失ったはずの二ノ宮綾子は、目の前にいた。


「敵が眼前まで迫っているのに目を瞑っているお間抜けさんとは、なにかと縁があるみたいね」


 音もなく日本刀の刃が首に押しつけられ、両手足も動かない。


「これ、パソコン……だよな。えーっと、こうか?」


 PCを奪って適当な操作をしてるのは星空煉獄だ。彼の異能のためにヴァディムは縛りつけられていた。


「うお、やべ。二ノ宮綾子を殺してポイント奪ったことになっちまった!」

「煉獄。どうしてそういうことするの?」

「いや、まあ、要はこんなんだよ。ぬか喜びだった。これで操作されてたんだよ」


 最悪の形での「失敗」だ。ヴァディムは理解した。そして、なぜこうなったのかも。


「〈幻影〉か」

「あら。気づいてたのね」


 生徒会には〈幻影〉の異能者・影浦亜里香がいる。〈遮蔽〉の内部でたっぷり作戦会議をしたうえで仕掛けてきたに違いない。


「明には少し無理をさせてしまったわ。そしたら、あなたが近くにいるのがわかったの。だったら、少しだけ挨拶をしてみようかなと思ってね」

「そうか。貴様たちにはまた負けるか」

「すぐには死ねないわよ」


 彼女は刃をゆっくりと這わせて、首から肩へ、肩から腕へ、手指の先まで運んだ。そしてバターを切るように、さくりさくりと指先を切断した。


「…………っ!!」

「痛みはあるわよね。この流れで、まずはゆっくり左腕を輪切りにしていこうかしら」

「か、くっ、くだらん……妹が食われて、そんなに悔しいか」

「あなた、たくさんの異能が使えて一見強そうだけど……目を瞑ることが発動条件の異能なんてのは、仲間の支援が前提でしょう?」


 傷口を踏み潰しながら、二ノ宮は詰る。


「どの異能も、元の持ち主ほど使いこなせていないのではないかしら」


 腕に刃を、優しく這わせる。薄皮も傷つけぬほどに優しく、刃先の冷たさだけを鋭敏に感じるように。


「〈不死〉についてもそうよね」


 ぐずぐずと、傷口を延々にいたぶる。


「……が、ぐっ!」

「どうして〈不死〉が、一度死んだ場合、復活に四十八時間もかかるかわかる?」


 異能を使いこなせていない。その点についてヴァディムには心当たりがあった。〈不死〉についても、一度は死んで、四十八時間後に復活している。その経験はある。だが、その理由まではわからない。すべての特性を理解しているわけではない。


「二ノ宮。そんなことよりも、俺はことの真相が知りたいんだがな。イリーナとの関係とか、桜佐武郎とか……」

「……あなた、拷問が下手ね。こういうのは本題に入る前にとりあえず痛めつけておくものなのよ」


 連携は取れていない。ただ、それはそれとして微動だにできない。星空煉獄の“手”に掴まれたなら、どう足掻いても振り解くことはできない。折れる寸前まで関節が引き伸ばされている。


「おおかた予想はつくわ。ロシアでイリーナと知り合って、スパイの真似事を手伝わされているのよ。そうだわ、煉獄。そのパソコンを操作して、ヴァディムのポイントをイリーナに移せる?」


 嫌がらせだ。そしてそれは、二ノ宮綾子の理解度を意味している。


「そうは言ってもな……どこをどう操作すればいいのか……。ほら」

「できるでしょ?」


 ヴァディムは、なにか妙な親近感を覚えていた。


「ところで、さっきの話の続きだけれど。実を言うと、〈不死〉には殺す方法があるのよ」


 耳元で、囁くように告げる。


「それは、死を怖れること。“死にたくない”と願うこと」


 後ろから、そっと眼球を撫でて、指先でコロコロと転がす。


「なにがあっても死なないという確信がないかぎり、〈不死〉は発動しない。そういう条件があるの。“死ぬ”と思えば死ぬのよ」

「くだらぬ虚仮威しだ。前例でも――」


 言い終わる前に、強引に前歯を毟り取った。


「そうよね。“死なない”と思ってれば死なないのに、あえて“死ぬかも”なんて考えるお間抜けさんはいないと思うわ」


 耳にフッと息を吹きかけ、優しく噛み、食い千切る。

 断続的な痛みに、思考が乱される。


「ぃ……!」


 ふと目覚めると、痛みはなかった。

 左腕は正常。耳もついてる。前歯もある。拘束されてもいない。PCも手元にあった。そして、二ノ宮綾子と星空煉獄の姿はない。


(夢? いや、あまり生々しい……〈幻影〉か? 否、……否!)


 気づいてしまった。これが〈幻影〉だと。のだと。そしてその安寧を、自ら手放さざるを得ないことに。


「が、ぐぁ、ああああ……!!」

「おはよう」


 リセットされた痛みが、再び襲う。散々弄ばれた左腕。強引に引き抜かれた前歯。食い千切られた耳。そして、足指の爪を今は一枚ずつ剥がされている。


「えー……。会長、なんでわざわざ“なにもない”〈幻影〉を見せるんすか?」


 見慣れぬ女の姿もあった。影浦亜里香だ。もじゃもじゃした天然パーマに、目の隈が目立つ女だ。興味なさげに頭を掻いて、彼女もヴァディムを見下ろしていた。


「だって、可哀想じゃない? 休憩時間のサービスよ」

「なるほどぉ?」


 痛みに慣れることを許さないというのがその趣旨だろう。爪を剥いだら、今度は握り潰す。容赦のない人体破壊と陵辱。ただそれだけなら耐えられる。しかし。


「亜里香。今度は、もう少し気持ちのいい〈幻影ゆめ〉を見せてあげて」

「えー……。目の前にいて、かかるとわかってる〈幻影〉にかかるやつなんているんすか?」

「さあ? 本人が望むのならかかるのではないかしら」


〈幻影〉は強力な異能だ。しかし、〈幻影〉だと認識することができたなら破ることができるという明確な弱点がある。対策は容易だ。

 では、本人が望んで、その認識を歪めるのなら?


「どう? いい〈幻影ゆめ〉は見られた?」


 なにをしても死なない。どんな怪我も治る。だが、痛みはある。悪夢から逃れられるわけではない。いや、逃れる術がある。現実を忘れ、夢を見ること。その手を差し伸べられたのなら、縋ってしまう。


「ふふ。痛いのは嫌だものね。亜里香、今度はもっといい〈幻影ゆめ〉を」


 身も心も、徹底的に嫐られ、そして。

 ヴァディムは、静かに事切れた。


「それにしても、死の恐怖があれば死ぬとは初耳だな。つまりあれか、精神操作系の異能で死の恐怖でも覚えさせれば殺せるのか?」

「嘘に決まってるでしょ」


 二ノ宮綾子に目をつけられたのが、運の尽きである。

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