26.深い霧の中で⑤
「桜。どうするつもりだ」
坂本タカシの提案は「ロシアの関与を証言するならば罪を問わない」という取引。佐武郎にとっては亡命のチャンスである。しかしそれは、鬼丸ありすにとってせっかく崩壊した
「イリーナを殺す。まずはそれからだ」
桜佐武郎は簡潔にそう答えた。だが。
「違う。その先だ」
鬼丸の求める答えは違った。
「先?」
「坂本タカシの提案を受けるのか」
「……あの話か」
もはやロシアには戻れない。であれば、このまま日本で卒業する他ない。そして、日本にはロシアの
「お前の目的は、
「……ああ」
「俺が証言すれば今年度の卒業式は
「……そうだな」
「だが、真の意味での
坂本タカシは佐武郎に「イリーナの抹殺」を副次目標として要求した。すなわち、その過程で佐武郎が死亡するリスクをさほど重く見ていないことを意味する。
つまり、佐武郎の証言がなくとも星空煉獄の卒業は最短で一年遅れるだけ。来年度には
「なにもしなくとも来年には何事もなく
「…………」
直球に責め立てられ、佐武郎は言葉を詰まらせた。
「話を逸らすな。
「話を逸らしているのはどっちだ。そもそも、ロシアはたかが一年で復旧可能な破壊工作に条約違反のリスクを犯したのか?」
議論は噛み合わない。坂本タカシによって投じられた一石によって同盟関係は波紋に揺れていた。
「……そもそも、俺たちになにができる。国家が築き上げた盤石の
「…………」
今度は鬼丸が口を噤んだ。そもそもが、長年に渡り積み重ねた計画があるわけでもなく、片桐の死によって生じた急拵えの心変わりに過ぎない。たまたま進行していたロシアの破壊工作に便乗した。鬼丸ありすの立場はそれだけでしかない。
「そうだな。私は無力だ。もはや生徒会にも戻れず、私一人では卒業式を生き残ることさえ難しい」
その点を指摘されれば、鬼丸も返す言葉がない。互いに無力であるもの同士が手を取り合うことすらやめたなら、あらゆる展望は潰える。一方。
『うわ〜……辛気くさぁ〜……』
ふわふわと浮かぶ少女は、そんな二人を半目で見下していた。
「……いずれにせよ、俺にはやることがある。我が身を守るため、イリーナを殺さねばならない。そのために星空煉獄を味方につける。この件を話せば、利害は一致するはずだ」
「なにを話す? 坂本タカシは日本政府の関与を他言するなと言っていたが?」
「俺一人ではイリーナに勝てない。話すだけ話す。煉獄も、俺を殺すよりは話を聞きたがっているはずだ」
「その先は、証言によって安寧なる地位の獲得か?」
「……ああ」
そうして、二人は決別した。
***
「西山先輩、珍客っす」
大講堂は静かだった。
多数の死者を出し、多数の怪我人を抱え、事実上卒業式が終了した今となっては、特になすべきこともなく生徒会は時間を浪費していた。なにかするにしても来年になる。そのつもりで。
西山彰久は会長代理として指揮を任されている。報告に現れたのは影浦亜里香だった。
「珍客?」
「その、前まで来ているんで……」
実際に会った方が早い、というのだろう。西山は〈分身〉を出し、大講堂の玄関から出ていった。
(これは本当に、珍客だな……)
大講堂の前に立つ男は、星空煉獄。その背には羽犬塚明を抱えている。煉獄の異能に押さえられているようだが、肩から胸にかけて切断されたような傷口が見える。煉獄は息を切らし、全速力で森を抜けて大講堂まで訪ねて来たらしい。
「治癒の異能者を出してくれ。羽犬を治してほしい」
それが、開口一番に出た煉獄の言葉だった。
「たしかに、治癒の異能者はいるけど……」
よりによってこんなときに、と西山は思った。判断の難しい案件が転がり込んできた。
「頼む」
煉獄はただ、頭を下げる。
そこに、暴虐のかぎりを尽くした「王」としての威厳はない。
(そもそも、実力行使に出られたらどうしようもないんだけど……)
状況がわからない。そもそも誰にやられたのか。ただ、羽犬塚の傷口から血が流れていないことには気づいた。死んでいてもおかしくないかなり深い傷に見えたが、どういうわけか羽犬塚はまだ生きているらしい。
(それに、足か……)
視線を落とす。異能によって当たり前に立っているように見えるが、煉獄の左足も先がない。あの煉獄が傷を負っている。かなりの強敵だったようだ。
「ただ頼むと言っても、ついこの前まで殺し合った関係だ。すぐに飲むことはできないだろう。なにか条件があれば甘んじて受けたい。二ノ宮はどこだ?」
「会長はいまお休み中だよ。僕が臨時指揮を任されている」
「では、お前に頼む。羽犬の治療を引き受けてくれるか」
メテオは長らく生徒会にとって宿敵と位置づけられてきた。そのメテオは今や、星空煉獄と羽犬塚明を残し壊滅状態にある。そして、残る羽犬塚まで勝手に死のうというなら願ってもない。本来ならそのはずだ。
だが、星空煉獄はポイントを失った。ただ一人で1000Pt以上を独占するという偉業は潰えた。ポイントシステムは崩壊し、卒業式は事実上終了している。であれば、彼はもはや「敵」ではないのではないか。
「困ったね。放っておくと死ぬのかい、彼」
「……そうだな。さっきまで憎まれ口を叩いていたが、容態は悪化している」
「彼を助けても
「それは理解している。ゆえに、代価として俺もなにかを差し出すつもりだ。そうだな、俺が生徒会に加わってもいい」
「へえ?」
「俺を部下として使え。来年の卒業式がどうなるかはわからないが、俺はお前たちの手足となろう」
(これは、本当に困ったな)
そんな提案など口約束に過ぎない。星空煉獄は生徒会全員を相手取ってなお勝利しうる。そんな爆弾を抱えるのは単なるリスクでしかない。図書館に所属していた〈契約〉の異能者でもいれば話は別だが、生徒会はそのような強制力を保有してはいなかった。
「そうは言われてもね。信用するのは難しいよ。そんな約束をされても、君の気が変わって暴れられたら僕らにはどうにもできない」
「……信じてほしい」
「そもそも、なぜ
「羽犬は仲間だからだ」
「彼の持つ索敵系の異能を失うわけにはいかないってこと?」
「いや……」
煉獄は言葉を詰まらせた。少し考え、続けた。
「俺にとって、
「ふーん」
西山は悩んだ。あるいは、悩むふりをした。こうして時間を稼いでいれば羽犬塚は勝手に死ぬだろう。そうなれば、煉獄は癇癪を起こして生徒会を襲うだろうか。それもそれで困りものだ。難しい判断だ。恩を売ったところで返ってくる保証もない。
「怪我人がいるんですか?」
悩み、ただ煉獄の前に立つ西山の背後より声。
〈治癒〉の異能者――佐藤愛子である。
「怪我人がいるなら、治しますよ。大講堂室に運んでください」
「あ、えっと、佐藤さん?」
「ええっと、見たところメテオの方……でしょうか。いいじゃないですか。卒業式は、もう終わったも同然なんですから」
勝手に現れ、勝手に話を進める。こうなっては仕方ない。
「わかった。ただ、ある意味で羽犬塚は人質だ。煉獄はそこで待っていてくれ。それから、必ず治るともかぎらない。それでいい?」
「……構わない。ありがとう」
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