27.佐藤愛子
「は、え? そいつ、まさか……羽犬塚?!」
戸惑いながら身を起こしたのは、大講堂室=保健室で療養中の有沢ミルだった。もっとも、傷はほとんど癒えているので当たり前に立って歩くこともできる。
「うん。なんか死にかけてるらしくてね」
それは見ればわかる――という顔をしている間に、佐藤愛子はテキパキと準備を進めていく。パーティションで区切り、消毒し、意識を失っている羽犬塚を机の上に乗せた。そしてなにより重要なのは、彼女の血である。
「え、ちょっと待って。そいつ治すの? どういう状況?」
困惑するのも無理はない。西山は応えるように首を振った。
「れ、煉獄が抱えてきた? なにそれ、つまり脅されて?」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあなに、どういうわけ」
「まあ、もう別に、敵というわけでもないし……」
「敵でしょ?! 私は
「すみません、静かにしてもらえますか」
パーティションから顔を覗かせて、佐藤愛子は有沢を窘めた。
***
(この傷……なんだろう。閉じてる?)
愛子はまず傷の状態を確認した。出血がないのは傍目からでもわかったが、その原因が知りたかった。ただ鋭い刃に斬られたからといって、こうはならない。愛子はおそるおそる傷口の端を触れた。
(少し触れただけじゃ、特に変化はない……か)
肩から胸までがパックリと切断され、傷口はV字を描いている。
鎖骨が断たれ、肋骨が断たれ、胸部大動脈の断面も見える。肺の一部まで裂かれている。
だが、出血はない。透明の皮膜のようなものが傷口を覆い止血している。そのように見えた。その効果が途切れれば瞬く間に大量出血し、死亡するだろう。
一方で、その「皮膜」のために傷口を癒着することもできない。〈治癒〉効果を持つ愛子の血を傷口に垂らしても、反応が見られない。
「西山先輩。この人は、誰に、どういうふうにやられたんですか?」
「え?」
パーティションの側まで歩み寄って、西山が答える。
「えっと……いや、聞いてないね」
「じゃあ聞いてきてください。というか、ここまで呼んでください」
「いやぁ〜、ここまで入れるのは、ちょっとね……」
「関係ありません。詳しい状況がわからなければ処置の仕様がありません」
ただの一年に、有無を言わさぬ迫力に押されて西山は渋々従った。奥でまたしても有沢の小言が聞こえた。
「う、く、……ここは?」
「あ。意識を取り戻されたんですね」
羽犬塚は虚ろな目で周囲を確認していた。パーティションに区切られ、机の上に寝かされていることくらいしかわからないはずだ。愛子は軽く状況を説明することにした。
「ここは大講堂、周囲の区切りは気休めの雑菌対策です」
「生徒会……? ああそうか、煉獄が連れてきたのか」
「はい。私が〈治癒〉します」
「すごいな。煉獄はどうやって説得したんだ……というか、血の巡りが悪いんだろうな。出血はしてないのに、意識が……」
「安静にしていてください。詳しい話は、星空さんから聞きます」
「あー、連れてきたよ。佐藤さん」
***
玄関前で「待て」といわれたはずが、数分もしないうちに呼び出され、星空煉獄は困惑した。突如の訪問に、生徒会でも扱いの方針が定まっていないのだろうと煉獄は思った。
連れられたのは大講堂室。今は多数の怪我人が寝そべっている。つまりは、先の戦闘で、他ならぬ星空煉獄が怪我をさせたものたちだ。
空気が、張り詰めるのを感じた。
「よくもまあノコノコと姿を見せられたものね、星空煉獄……!」
その筆頭は有沢ミルだ。敵意を隠すことなく睨みつけている。
「仕掛けてきたのはお前たちだったと思うがな」
「敵なのは変わりないでしょ。私の足も、火熾の腕も、
「そうだ。そのためなら俺はなんでも差し出そう」
「あんたの命でも?」
「……それは勘弁してくれ。というより、今の俺は0Ptだ。なんの価値もない」
「それもそうね」
と、有沢は煉獄に背を向けた。憎まれ口を叩くだけ叩いて満足したからではない。むしろその逆。堰き止めていた感情が溢れ出した。有沢は一転、パーティションに向かった。
「なんで……」
拳を震わせ、叫ぶ。
「剣持先輩は殺して助けなかったくせに! なんで
有沢ミルは、剣持ジェイを殺せなかった。
死に瀕し、もう助からないと悟った剣持は、自然死扱いで自らのポイントが霧散するくらいならと後輩に譲る提案をした。だが、そんなことよりも、有沢は一秒でも長く剣持と話していたかった。生徒同士で殺し合い、ポイントを奪い合うことになんの疑問も抱いていなかった有沢の世界観は、その日に大きな傷を負った。
「なんで……」
恨むな、といわれている。
だから、有沢は自分を押し留める。頭では、責める筋合いなどないと理解してはいるから。それでも。
「……すみません」
ただ、そんな力ない返事があるだけだ。そして有沢はそんな答えを望んでいたのではなかった。どんな答えがあったところで満足できるものではないとも、自覚していた。
「有沢」
西山が肩を叩く。煉獄はその後ろで呆然と立ち尽くして見ていた。
「うん。わかってるわ。別に。好きにしたら。治せばいいじゃない」
不貞腐れたように、彼女は大講堂室を去っていった。わざわざ〈跳躍〉の異能を使って。
「いや、まあ……こっちにもいろいろあってね。呼んだのは、その、佐藤さんが羽犬塚の傷について知りたいって」
西山は煉獄に説明する。煉獄は羽犬塚が治療を受けているというパーティションの前まで歩み寄った。
「星空さん、ですか?」
パーティションの向こうから声。玄関前で見た〈治癒〉の異能者だろう。
「その傷はヴァディム・ガーリンの異能によるものだ」
煉獄は要求通り、簡潔に説明する。
「異常に鋭い刃による攻撃――のようだったが、俺の〈念動〉でも防げる類のものではなかった。空間ごと切り裂いているのかもしれん」
「空間を……?」
「切断面が出血していないのはすぐに気づいた。ゆえに、ヴァディムは殺さずに無力化だけして放置した。が……」
「なんです?」
「あの場には桜佐武郎がいた。あいつがトドメを刺しているかもしれん」
「桜佐武郎が?!」
声を荒げたのは、隣で聞いていた西山だった。
「ますます状況がわからないな……佐武郎くんがいて、ヴァディムがいて……?」
「西山先輩。その話は後でお願いします」
「う、うん」
「わかるのはそれくらいだ。他にも、“泡”や“眼”の異能を持っていたが、これは関係ないか……」
「ありがとうございます。空間を切断する異能……ですか。そのおかげで羽犬塚さんは失血を免れているのですが、同時に私の〈治癒〉も困難なものにしています」
「なぜだ?」
「傷口が閉じているように、癒着しないからです」
「どうすればいい?」
「解決策は二つです。ヴァディムさんの異能が解除されるか、新しい傷をつくるかです」
「新しい傷だと……?」
前者は、すなわちヴァディムを殺すことを意味する。桜佐武郎が止めを刺す可能性もあるが確実ではなく、タイミングも合わせられない。今から殺しに行く場合でも同様である。
つまり、後者の可能性に賭ける他ないのだろうと理解できた。
「私の理解が正しければ、ですが……西山先輩、メスを」
「え、メス?」
西山はどこにあったっけと零しながら、道具箱を見つけて戻ってきた。
愛子の手にメスが渡る。医療従事者などいない素人の集団である以上、手際の悪さは仕方ない。
「少し、傷をつけます。よいですね」
愛子は意識の曖昧な羽犬塚と、煉獄に確認を取った。煉獄は彼女を信頼し静かに頷いた。それに応じ、愛子は羽犬塚の傷を、皮膚の部分だけ軽く裂いた。そこからじわりと血が滲み出た。
「なるほど。“傷”を切り取ったのか」
「私の血は強力な、万能の軟膏薬のようなものです。この状態であれば〈治癒〉が可能です」
「失血死するのが先か、傷口が癒着するのが先か。そういうわけか?」
「そうですね。これが腕などの末端であれば止血帯が使えますが……この傷の位置では、それはできません」
「つまり?」
「傷口の手前を切開し、大動脈を直接縛ります」
麻酔もない。危険な、難しい処置であるに違いない。だが、彼女の助けがなければ万に一つも羽犬塚が生き残る道はなかった。それが万に一つでも確率上がるなら、賭ける他ない。
「やってくれ。頼む」
その肩を、西山彰久がポンと叩いた。手振りで、少し離れて話そうという。
「……佐藤さんの血が〈治癒〉の要となる。それは彼女のいった通りだ」
「ああ。そうらしいな」
「あれほどの傷だ。どれだけの血が必要になるか、見当がつくかい?」
言われ、煉獄は想像を巡らせた。
「たしかにな。万能の軟膏薬のようなものだといっていたが……あれだけの傷となれば……」
「文字通り、彼女はその異能を使うのに身を削るんだ。彼女がなぜそこまでするか、わかるかい?」
「……助かってはいる。羽犬に助かる望みができて、感謝に絶えない。だが……、わからないな。佐藤といったか。彼女はいったいなんだ? 別に羽犬のことを知ってるわけでもなさそうだが……」
「僕にもわからない……あの子は、おかしいんだ……」
と、西山は項垂れた。苦労しているらしい。
「ところで、二ノ宮綾子はどうした?」
羽犬塚の治療についてひとまずの目処が立ち、煉獄も別の疑問に思考を回す余裕ができた。羽犬塚の治療は最優先だが、他にもやることはある。
「お休みになっている。君にそれ以上教える義理はない」
「まさか、死んだのか」
「そんなはずないだろう。言葉の通り、ただ休んでるだけだよ」
「……さっきも話したが、俺は桜佐武郎に会った。半信半疑だが、やつは
「へえ。そういう話なら、会長も興味を持つかもしれないね」
「二ノ宮も同様に桜を追っていたのではなかったのか? 俺はあいつと鉢合わせする可能性もあるんじゃないかと危惧していたんだが」
「……会長も、佐武郎くんを追って出て行ったはずだった。それが……」
「なにがあった?」
***
なぜ助けようとしているのか。
考えてみればわからない。羽犬塚明という人物はほとんど見ず知らずであるし、頼んできた星空煉獄もどちらかといえば「敵」ですらある。状況は変わったといえ、ここ数日かけて〈治癒〉し続けてきた仲間の怪我はすべて星空煉獄によるものだ。
有沢ミルのように怒りを露わに、拒絶するのが「普通」であるように思う。
つまり、やはり、自分はどこかおかしいのではないか――と、佐藤愛子は思った。
それは異能に人格を支配されているからだ、と誰かがいった。人を癒す異能を持つがゆえに、人を癒さずにはいられないのだと。
他者への献身が先にあった覚えはない。人を癒す異能を持つと気づいてから、人を癒しはじめた。いつしかそれが生き甲斐となり、拠り所となった。人を癒さずにはいられない衝動となった。
だが、それでなにが悪いのだろう。
自らの能力を活かし、他者の役に立ち、悪いことなどなにもない。
(止血はできた。“血”の準備もできた。ここからが本番。大動脈から、慎重に……)
余計なことは考えない。ただ、治す。
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