5.イワン・トヴォルグ②

「今回“隠すべき情報”はこれだ」


 手渡された紙切れには他愛のない一文が記されている。


“ミハイル局長曰く「アイスクリームはバニラに限る。いや、クッキーが入ってるやつも捨てがたい」”


 文章にはなんの意味もない。できるだけ突拍子のない、予想のつかないものであるのが望ましいというだけである。


「では、部屋に入れ。今日は三十分だ」


 尋問室めいた部屋だ。というより、本来の用途はそれである。無味乾燥な白い壁紙。向かいの部屋から覗けるマジックミラー。アルミ製の机にパイプ椅子が二脚。

 その部屋に待機して座っていたのは、イワン・ドヴォルグ少年である。


「サブロウさん。よろしくお願いします」

「ああ。よろしく」


 対局でもはじめるような挨拶。実際、そのようなものだ。サブロウも席につく。


「では、早速ですが……隠していることはなんですか?」

「…………」


 サブロウは答えない。

 そして、思考もまた停止する。意図的になにも考えない。聞かれたことにも反応しない。それはこのための訓練である。


「ふむ……アイスクリーム?」

『うわー、さぶろーもうバレてる!』

(黙れリッシュ)


 訓練の様子は監視され録音されている。ゆえに、リッシュへの応答はできない。身体操作に優れる異能者であるはずのサブロウが内語の制御訓練に苦戦しているのはリッシュという妨害があるからかも知れなかった。


「ぷっ、はは。いえ、まあ、その……聴こえませんけどね。僕には」


 イワンにはリッシュのことを話している。ただ、サブロウは自身の異能を「遠隔知覚」の一種ということにするためリッシュの存在を隠している。

 イワンはいずれ組織を抜けるつもりでいる。サブロウは真の異能を隠したい。

 利害の一致から成立する共犯関係によってイワンもまたリッシュの秘匿に協力する。

 先の言葉は、「リッシュの声が聞こえない」ことを知らぬ他者には伝わらぬ形で口にしたものだ。リッシュに対して毒づいたサブロウの内語だけが聴こえて来たために吹き出してしまったのだ。


「退屈な訓練だよな。三十分も睨めっこか」

「だったら、なにか話でもしましょうよ」

「話しながら内語を制御するの、めちゃくちゃ疲れるんだよ」

「あ、やっぱそういうものなんですね。僕は聴く側なのでよくわからないんですが」


 そのうえ、訓練の様子は監視もされている。話せる内容もかぎられる。

 と、ここまで考え、脳内で考えを巡らせるぶんには一方的に話が伝わるので悪くはないな、と思った。


「あ、ずるいですよ。そうやって別のこと考えるの。今回のお題がなんだったか早く考えてくださいよ」

「お前はいいのか? うまく聞き出す訓練みたいなのは」

「それは特にいらないんじゃないですか? 内語制御って疲れるんですよね。なら、単に時間をかければいいだけじゃないですか」

「こうやって相手を拘束した状況だけとはかぎらないだろ」

「あ、それもそうですね」


 とはいえ、実際にどのような状況が発生するのか。これはなにを想定した訓練なのか。

 当然、「敵」にイワンと同じ〈聴心〉の異能者がいた場合を想定した訓練だろう。

 では、「敵」とは?


「“学園”だと思いますよ。ロシアも日本も考えることはだいたい同じで、異能者を量産して兵器として育成する計画を立てたみたいなんです。異能者で揃えられた千人規模の部隊なんて最悪ですからね。そうならないよう、“軍縮”の動きが進んでます」

「知ってる。異能者同士を殺し合わせて処分するらしいな。悪趣味がすぎる」

「別に趣味ではないですよ。ロシアも日本も、どうせなら強い異能者を残したいですから。そのへんの思惑の調整としてそういう形になったらしいです」

「殺し合いか。関わりたくはないな」


 学園そこに送られるよりはマシだと思って大人しく組織に捕らわれたのだが、結果として送られることになるなら初めから詰んでいたのかもしれない。気持ちが沈んでいく。

 局長ミハイル学院リツェイ送りなど「もったいない」ことはしない、といっていたが、遠隔知覚の異能ということにしてあるサブロウの価値は低く見られている。あるいは、学院リツェイには送らないが学園には送るという言葉遊びか。


「一見して日本人の俺は、日本人に紛れて日本の学園に潜入して掻き回す仕事になるんだろうな。今から考えるだけで胃が痛い」

「今はまだグダグダなんで、それどころじゃなさそうですけど」

「ん、でもお前やイリーナはどうなるんだ? ロシアの方に潜入か? まあ、そっちでもやれることは多いと思うが」

「あ、これは秘密なんですが……“交換留学”なんて制度を捩じ込もうと局長があれこれ工作してます。それで日本の方に紛れるんじゃないでしょうか」

「秘密って。見られてるし聞かれてるぞ」


 マジックミラーを指さす。


「はは。まあ、そうでしたね。さっきの、局長から聴いたんですけど。思わず漏れちゃったやつですかね。それとも、意図的に流されたものなんでしょうか」

「局長はこの訓練を受けてるのか?」

「いえ。さすがにお忙しいんじゃないですか?」

「だよな」


 あるいは、根こそぎ情報を奪われるのを警戒しているのかもしれない。首輪をつけているつもりでも、いつ逃げ出されるかわからない。異能者とはそういうものだ。そしてイワンは、実際に隙あらば逃げ出すつもりでいるのだから。

 先に「秘密」を話したのも、あえて遠ざけておこうとさせるための牽制も兼ねていたのだろう。


(本当に厄介だな。スパイとするなら極めて有能だが、それはそのまま二重スパイとしても極めて有能であることを意味する)


 異能者がこの世に現れて二十年。つまりそれは、第一次大量感染で発生した異能者がようやく二十歳になったことを意味する。〈始原〉を除く異能の脅威に真の意味で晒されたという意味では、せいぜい十年ほどだ。

 ゆえに、異能者の扱いについての制式化マニュアルは未完成だ。体系化もまだ十分ではない。第十三局もこうした訓練を通して「観察」を続けるのが精一杯、というのが実情だろう。


(つまり、動くのは早い方がいい、が……)


 問題はもう一人。イリーナ・イリューヒナ。局長の娘。彼女の考えだけは読めない。行動だけ見れば、一貫して祖国と組織に忠誠を誓っている。すなわち、組織からの「逃亡」を試みるなら明確な「敵」である。


「イワン。お前についても調べたよ。資料室でな」

「え?」

「異能者であることが発覚した経緯だ」

「あ。いや、なんというか……」

「俺なんかよりよっぽどマシだ。俺はお前を尊敬するよ」

「それはまた、お恥ずかしい……」


 イワンの故郷はある日、大地震に見舞われた。滅多に地震など起きないはずの地域であり、備えは薄かった。多くの建物が倒壊し、多くの死者が出た。イワンはその救出作業に協力し、異能者の怪力で次々に瓦礫を撤去した。自らの家族のみならず、見ず知らずの人々を助けるために奔走した。〈聴心〉の異能も瓦礫に埋まった被災者を見つけ出すのに役立ったことだろう。

 結果、裏切られるように彼は通報され、捕獲されたのだ。救出作業に明け暮れ、疲れ切ったその身を。


(暴力で生計を立てていた俺とは、あまりに違うな……)


 異能に目覚めながらも、その善性を失わずにいるものもいる。彼はその善性のため捕らわれた。彼はそれを後悔しているのだろうか。サブロウは、彼には善なるもののままでいて欲しいと思った。


「ところで、アイスクリームってなに味が好きですか?」

「あ? いや、特になにがというのはないが……」


 バニラにかぎる。なんの話だ。その舌の根も乾かぬうちに――。


「なるほど。バニラにかぎると。誰の言葉です?」

「あ。いや、待て。さっきのは」

『さぶろーさぁ、いい加減にマスターできない? イリーナちゃんって四回目にはできたみたいだよ?』


“ミハイル局長曰く「アイスクリームはバニラに限る。いや、クッキーが入ってるやつも捨てがたい」”

(マジでなんの話だ。このテキスト考えたの誰だよ)


「はい。サブロウさん、今日は二十分でしたね」

「……本当に、それが正しいテキストだと思うか?」

「そうですよね。それがあるから、結局規定時間の三十分は続けてからの答え合わせになるんですよね」

「やっぱり地味すぎるな、この訓練」

「次からチェスでも持ってきてもらいます?」

「だから疲れるんだよ」

「でも、それも含めて訓練じゃないでしょうか」

「それはまあ、そうかもな」


 結果、三十分間の内語制御に成功するには一年の月日を要した。イワンと落ち着いて話せる時間が、そのときにしかなかったからだ。


 ***


「なにを話していた?」


 イワンとの訓練を終え、背後から話しかけてきたのはイリーナだった。

 年齢は十四歳。まだ子供も子供だ。イワンよりも年下である。だというのに、その話し方には年上への敬意といったものは微塵も感じられず、上目遣いであるゆえに射抜くような鋭い眼光に睨まれているようにも見えた。


「なにを? お前は見てなかったのか? どちらにせよ記録は残っているはずだが」

「内語でだ」


 短く、無駄のない言葉で、それこそ射抜くような鋭さがあった。たかが十四歳の子供に、すべてを見透かされているような怖気を覚えた。


「ん、ああ。たしかに、イワンの異能を用いれば無言で通信ができるな。イワンからの返答は……なにか身振りで符丁を決めておけばよいか。それだと単なるハンドサインとあまり変わらないかもな」

「そうか」


 それだけいうと、踵を返して去っていった。


『うー、やっぱ苦手! イリーナちゃん!』

「……同感だ」


 まるで機械。それがイリーナに対する印象だ。

 普通の親は、自らの子が異能者だと知ったときそれを悲劇だと思い、絶望する。ミハイル・イリューヒンは、むしろ好機だと思ったに違いない。娘を完全な手駒とし、彼女を基点として異能者部隊を拡大する。その試みは実際に成功していた。


(マインドコントロールの技術を教育に応用した、ということか?)


 考えるほどに胸糞が悪い。想像に過ぎないといえばそうだが、そうでなければあの年齢で機械のような冷徹さと熱心な愛国心を備えていることに説明がつかない。


(……それにしても、ここまで監視が厳しいとはな)


 文字通りに、彼は首輪をつけられている。位置情報の発信機だ。場合によっては起爆し、命を絶つ安全装置でもあるのだろう。結託を警戒されているのか、監視を伴わぬ形でイワンと会話をする機会もほとんどない。

 待遇は悪くない。衣食住は完備され、休暇もあり、娯楽もある。

 だが自由はない。施設の外へ出ることも許されない。いずれ外で訓練がなされることもあるだろうが、「自由な外出」については期待できそうもない。


『次の訓練ってなんだっけ、さぶろー』

「日本語だな」

『あー、つまんないやつだ。寝てていい?』

「寝てろ寝てろ。集中力が乱されてかなわん」

『じゃあ起きてる』

「なにが“じゃあ”だ」


 安寧は得られているように思える。今はまだ。

 だがいずれは「軍縮」という名のゲームに巻き込まれる。あるいは、すでに巻き込まれている。


(……軍縮だと?)


 勝手に増やしておきながら、今度は勝手に減らそうとしている。そんなふざけた施策がどこかで行われ、いずれそれに関わることになる。憂鬱な思いがした。


(だが、俺は生きなければならない。生きなければならない理由がある)


 死んでもいいと思っていた。までは、死に場所を探して彷徨っていたのだと思う。


(リッシュ。お前のために)


 自分が、誰かを不幸にするだけでなく、生かすこともできるのだと。この命はもはや自身のものだけではないのだと。その楔が刺さったから、彼はただ生き続けている。

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