4.イワン・トヴォルグ

『なんなのー! あいつー! あのハゲー! むきー!』


 リッシュが暴れていた。

 もっとも、それでなにかを傷つけるわけでもなく、彼女のジタバタはただ空を切るばかりである。

 怒りの対象はミハイル局長、そしてGRU第十三局だ。あれだけの殺意と高圧的な態度を向けられたのは、リッシュにとって初めての経験だったに違いない。もっとも、彼らにリッシュの姿は見えていない。彼らが見ていたのはサブロウなのだが、彼女にとってその区別はあまり意味のないことだ。

 問題なのは、サブロウがわずかでも恐怖を覚えてしまったことにある。


「あのハゲは俺も気に入らんが……ある意味、運がよかったというべきだ」


 GRUは連邦軍に属する政府機関だが、第十三局かれらの活動は非合法なものだ。正式な手続きを経ずに異能者を保有することは禁じられているからだ。

 その「正式な手続き」は「卒業式」と呼称されている。

 異能者を生む異能者――すなわち、〈始原〉の異能を持つ“二十三人の子供たち”は何人かが連邦軍に捕獲された。彼らは異能の価値にいち早く気づき、子供たちを用いて異能者を計画的に増やすことを考えた。それは厳重な管理体制で行われ、十数年も経てば「人間兵器」として実用段階まで成長する。

 一方で、取り逃した子供たちは感染病のように「異能」を撒き散らしていた。

 人ならぬ力を得てしまった子供が暴れ、各地で凄惨な事件が相次いだ。寒村の壊滅。シベリア鉄道の脱線。極めつけは、大統領暗殺事件である。

 そうした事件をきっかけに異能者の予測不能な危険性と、ロシア・日本の両国が異能者を兵器として保有している事実が発覚。あまりに実用的で脅威度の高い「人間兵器」に対し「軍縮」の機運が高まった。


「馬鹿馬鹿しい。大統領が暗殺されたのことでなにを怖気づいている。日本に軍縮をさせるだけならともかく、なぜ我が国までそれに従う?」


 それが局長・ミハイルの言である。

 もはや過去の遺物となりつつある「核」ならともかく、これほど実用的な兵器を政治材料にして手放すなど馬鹿げている。というより、律儀に約束を守るなどというのがあまりに愚かだ。彼はそう考える。

 ゆえに彼は秘密裏に異能者戦力を集め、軍縮を有利にコントロールできないかと画策していた。それが国家のためだと信じていた。


(非合法活動とはいえ国家組織。学院リツェイに送られるよりはマシか)


 連行されたのは小さな事務所オフィスビルである。内装は小綺麗で、個室もある。ビジネスホテルの一室のようでもあり、あるいは豪華な牢獄だ。自由はない。だが、安寧はある。窓はないが、空調は万全だ。捕えた異能者を厳重に管理するための施設なのだろう。


『でー? 素直に捕まっちゃったけど、なにされるわけー?』


 リッシュと出会ってから十一年が経つ。つまり、リッシュは十一歳になった。ゆえに、今はこうして受け答えもできる。


「さあな。スパイの真似事でもさせられるんじゃないか?」

『え、なにもわからずに従ったの?』


 まだ探りを入れている段階だ。

 問題は、第十三局かれらがサブロウの正体にどこまで気づいているかである。

 その点について、彼には明確な「強み」があった。


「サブロウさん。ちょっといいですか」


 コンコン、とノックが鳴る。誰かが部屋を訪ねてきた。子供の声のようだった。


「入ってくれ」


 ボタン操作で鍵を開ける。扉の向こうから顔を見せたのは、あのときの少年である。


「お前か。よくも罠にかけてくれたな」

「ええ。罠にかかっていただきました。イワンです。お話をいいですか」


 部屋に招き、椅子に座らせた。サブロウはベッドに腰を下ろす。

 イワンと名乗った少年。物腰こそ大人びていたが、年齢は高めに見積もっても十五は超えないだろう。

 それ以上に、こうまで「わかる」ものなのか――とサブロウは思った。敵対的状況にあるわけでもなく、人間離れした激しい動きを見せられたわけでもない。ただ立って、歩いてきただけである。

 それでいてなお、わかる。

 彼は同類――異能者であると。


「話か。俺も聞きたいことがあった。ただ、まあ、お前からでいい。なんの話だ」

「ありがとうございます。そうですね、いろいろありますが……サブロウさんは、年上になるのでしょうか?」

「ん? そんなことか? まあ、それはそうだろうな」


 とはいえ、実際のところ何歳であるのか、正確なところはサブロウ自身も知らない。

 少なくとも言えるのは、あの日この世に現れてから二十年がすでに経過していること。当時の年齢を十歳前後と仮定するなら、三十歳といったところだろう。


「三十歳……アジア人は確かに若く見えがちですが、さすがにそこまでは見えませんね」

「なに?」


 違和感。そしてその意味と、切り札が失われたことをサブロウは即座に理解した。


「まさか、心を読む異能か……!」

「はい。失礼ながら、読ませていただきました。正確には“聴いた”というべきでしょうか」


 サブロウが持っていたはずの「強み」。

 それは彼の外見年齢だ。本来ならは三十代ほどであるはずの彼が、見かけ上の年齢はせいぜい十代後半ハイティーンである。おそらくはリッシュの〈憑依〉による副作用として、彼の「時間」が吸われているためである。

 ゆえに、なにも言わなければ第十三局かれらは、サブロウのことをあくまで「ただの異能者」であると思っていたはずである。


「リッシュさん、ですか? 僕には見えませんが……妙な異能もあるものですね」


 思考を巡らせれば巡らせるほどに情報を奪われていく。

 あるいは、あのとき――ミハイル局長が銃を下ろしたのは、信頼を示したからではなく。

 単に、イワンからの合図で「裏切らない」ことを知っていたからではないのか。


『うぇ? 私のこと呼んだ? さぶろー、この人私のこと見えてるの?』

「……見えてない。今は話しかけるな」

「…………??」


 虚空に向かって話しかけるサブロウを見て、イワンはかける言葉を失っていた。やはりそういう反応になるか、とサブロウは眉を顰めた。


「イマジナリーフレンド、というやつでしょうか」

「かもな」

『私、さぶろーの空想上の存在だった?!』


 いちいちうるさいので相手にしない。

 そんなことより問題は、目の前の危機にどう対処するかだ。


「あ、すみません! えっと、その、敵意はないんです……というか、このことを局長に報告するつもりはありませんから!」

「どういうことだ?」

「“二十三人の子供たち”――の、一人なんですよね。サブロウさんは。局長側はそのことを把握してません。えっと、やっぱり言わない方がいいですか?」

「そうだな、そうしてもらえると助かるが……」


 話の行方がわからない。ひとまず、サブロウはイワンに続きを促した。


「いや、でも、驚きました。ある意味伝説ですから。“二十三人の子供たち”って。もしかしたら僕も、サブロウさんがきっかけで異能者になったかも知れないってことですよね?」

「……だとしたら、恨むか?」

「どうでしょう。異能者になって、いいことも悪いことも……うーん、悪いことの方が多いかな……」

「だろうな。異能なんてろくなもんじゃない」

「やっぱり、そういうものなんですかね?」

「で、なんで庇ってくれるんだ?」

「あ、はい。サブロウさんが聞きたがっていた話とも通じると思います。つまり、僕はなぜ第十三局ここにいるのか。その、サブロウさんと似たようなものです。追いかけ回されるのに疲れたんですよね。それで、捕まったんですけど」

「それで?」

「……今は、逃げ出せるチャンスを窺ってます」


 勧誘されてすぐにこんな話を聞かされるとは思っていなかった。であれば、局長の指示というわけでもないだろう。

 だが、イワンは心が読める。ならば、信頼させ懐柔するために的確な言葉選びができるはずである。迂闊に心は許せない。


「はは。疑り深いですね」

(やりづれえ……)


 異能者は単に身体能力に優れるだけではない。文字通りに「異能」を持つ。その厄介さを、サブロウは身に沁みて感じていた。


「そういうわけで、サブロウさんの秘密は口外しません。“子供たち”の一人だなんて知られたら、いろいろ待遇も変わって厄介そうですからね」

「……つまり、俺の秘密を守る代わりに脱走の協力をしろと?」

「そうですね。時がくれば、ですが。監視が厳しいので滅多なことではチャンスはありませんし、サブロウさん自身には逃げる気はありませんよね?」

「ここに来てまだ昨日の今日だ。そんなに嫌になるような労働環境なのか?」

「……家族に会いたい。それだけです。それくらいは許されると思ってたんですけどね……。どうやら、僕はすでに死亡扱いみたいで」

「なるほど。やはり極端に自由は制限され、保有している事実がバレそうになったら切り捨てられる。そんなところだろうな」


 話を聞くかぎり、サブロウにとってはさほど悪い話とは思えない。会いたい家族もいないし、暴力沙汰も慣れている。ただ、向き不向きはあるのだろう。実感の伴わないサブロウにとっては、今はその程度の感想に留まる。


「あ、そうですね。ただ秘密を隠すと言っても、なにか適当にカバーストーリーを用意しておきます?」

「そうだな。まず俺の異能だが……リッシュがいる。遠隔知覚とでもしておこう。そういう異能だとすると、出力やら範囲やらだいぶ心許ないことにはなるが」

『なにをー』

「わかりました。サブロウさんはなにか聞きたいことあります?」

「これから、俺はなにをさせられる?」

「ひとまずは、訓練でしょうね。工作員スパイになるための訓練です。たとえば、僕の〈聴心〉対策とか。似たような異能を持つものもいるらしいので」

「対策できるのか?」

「僕の異能は、いわば内語を聞くものですから。なにも考えていない人の心は聴けません。つまり、その訓練です。この訓練に駆り出されてる間は、僕は誰も傷つけずに済みますから……」


 言われ、試みてみるが、そう簡単にできそうもなかった。たとえば、リッシュのことを考えないように――とすると、この時点ですでに意識してしまっているため、漏れてしまうのだ。


「普通の人間でも、数週間も訓練すれば五分くらいは息を止めるみたいに思考を止めたまま活動ができるようです。彼女は、あっという間でしたが……」

「彼女?」

「イリーナ。イリーナ・イリューヒナ。ミハイル局長の、娘です」

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