終章

1.リッシュ①

 吹雪が荒れていた。

 葉のない木々が倒れ、木造の家屋が抉られるように倒壊していた。街灯も折れて落ちている。地面にも大きな穴があった。なにか爆発でもあったような破壊だが、火薬の匂いはない。火器を用いないのであれば重機によるものか。あるいは、地震や嵐などの災害か。常識的に理解するならそんなところだ。

 しかし、観察を進めるほどに人為的なものであることに疑いの余地はない。途方もない悪意が嵐のように過ぎ去った後だと理解する他ない。

 歩を進めるほど悲惨な光景が目に映る。家屋も、商店も、教会も。あらゆる建造物が破壊され見る影もない。壁が吹き飛ばされているために道を歩くだけでも屋内の様子がわかる。


 そして、結論はこうだ。

 この村に生存者はいない。

 粉々に砕かれて絶命したものはまだ幸いだ。身体が引き千切られているものもすぐに死ねただろう。酷いのは、柵の一部が突き刺さりその場から動けずに失血死したものだ。瓦礫に押し潰されていたものが目についたので「もしかしたら」と駆け寄ったが、そもそも下半身がなかった。ひっくり返った乗用車の下から手が覗いているのも見えたが、これも同様だろう。

 どこを見ても酸鼻極まり、目を逸らす先がない。彼は思わず目を覆った。


(……これを、九歳の子供がやったというのか)


 銃を抜いた警官が倒れている。交戦の形跡が見て取れた。

 死体の状態から見て、さほど時間は経っていない。犯人が生きているなら、追えば間に合うかもしれない。

 そう思う一方で、彼は身体を震わせた。寒さではなく、怖気のために。これだけの破壊と殺戮を繰り返す相手に、手元にある武器が拳銃が一丁ではあまりに心許なかった。


(ん?)


 声を聞いた。か細い声だ。

 吹雪の中での幻聴を疑った。この村に生存者がいるとは思えなかったし、訪れているものもないはずだ。いずれ街から応援の警察は駆けつけるだろうが、今はこの吹雪だ。

 彼は耳を澄ます。周囲を見渡す。


(あの家だけは無事のようだな)


 雪を踏み締め、送電が途絶えているために薄暗がりの家に無断で足を踏み入れた。

 暖かいとまでは言えないが、少なくとも吹雪は凌げる。


「誰かいるのですか?」


 声をかける。返事は、小さな呻き声だった。彼はランプに火をつけた。


(まさか、そんなことが……)


 それは、彼にとっては最も避けたかった事態だった。

 生存者はいた。女性だ。年齢は二十台後半か。頭部を打ち血を流し、凝固して長い髪が床に張り付いている。足首も折れているように見えた。そして、彼を絶望させたのはその腹部だ。

 大きく膨らんでいる。妊婦である。


「み、水を……」


 彼は自らの保温水筒を取り出し、彼女の身を起こして口に含ませた。


「ありがとうございます……あなたは?」

「通りすがりの、ただの旅行者です。この村でなにがあったのか――と気になることはありますが、まずは身体を休めてください。そうですね、まずはベッドに運びましょう。寝室はどちらですか?」


 血のこべりついた髪はハサミで切るしかなかった。慎重に抱きかかえ、ベッドまで運ぶ。

 彼女はひどく衰弱していた。この様子だと、襲撃以来動くこともできず飲まず食わずだったのだろう。スープでも用意できないかと台所に向かう。夫と思しき男の死体も転がっていた。頭部が弾けていたため顔はわからない。


(もう長くはないだろう)


 スープを振る舞いながらも彼はそう思った。

 血を失いすぎている。病院へ運ぶこともできない。そしてこの寒さだ。見知らぬ男に看取られるのもどうかと思ったが、孤独に息絶えるよりはよいだろう。彼はそう思い、椅子を運んできて彼女の傍に腰を下ろした。


「ぅ、ぐ……!」


 腹部を抑え、苦痛に顔を歪めている。腹部に怪我はなかった。おそらく、陣痛だ。


(まさか……出産が近いのか?)


 机の上に病院の連絡先がメモしてあった。だが、電話は繋がらない。村の施設は片端から破壊されていた。彼は血の気が引くような焦燥に掻き立てられた。

 彼に出産介助に関する詳しい知識はない。温いお湯が要るだとか、清潔なタオルが要るだとか、せいぜい断片的な知識があるだけだ。死にかけの女性を不安にさせるような態度を出すまいと、落ち着くため深呼吸をする。

 不安はあったが、やるしかない。


「どうして、あの子が……」


 朦朧とする意識のなか、彼女はそんな譫言を繰り返していた。


 ***


「元気な女の子です」


 産声が聞こえていない時点で気づくだろうと思った。ただ、彼にはそう言うしかなかった。

 力は尽くした。しかし、母は息絶え、子は死産に終わった。

 赤子の遺体はタオルに包んで母親のそばに置いた。しばらく呆然と立ち尽くしていたが、もはやなんの意味もない。

 彼は毛布を拝借してソファで横になった。三人の死体が転がる家だ。警察が駆けつけたなら殺人犯と間違われても仕方ない。それでも、彼は疲れていた。ここまで長く歩いてきたし、なにより己の無力さに打ち拉がれていた。

 起きて吹雪が止んでいたら墓でも掘ろうかと思った。が、考えてもみればそもそも村全体が死体だらけだ。少しの間だけ関わった母子にのみ墓を用意するのも不公平に思えた。だが、それでも――。

 結論の出ないまま、彼は微睡み、眠りに落ちていった。


 あの日も、こんな吹雪だった。

 それが最初の記憶だ。それ以前の記憶は思い出せない。あるいは、はじめからないのかもしれない。彼らは雪の野に、突如として現れた。

 彼を含めた二十三人の子供たち。

 まず生じた想いは、「逃げなければ」ということだ。

 なにから。なぜ。それすらもわからずに、彼らは散り散りに逃げ出した。

 この世に生まれ落ちた直後から泣き喚く赤子のように、わけもわからず駆け出した。そのうち、何人かは捕まった。「追うもの」は確かにいた。

 人種も性別もバラバラだった。共通していたのは年齢――子供だということ。ただし、名前もわからない。

 一部はロシアに捕まり、一部は日本へと亡命した。残りは未だどこかで逃げ延びているはずだが、行方は知れない。途中までは行動を共にしていたが、必死に逃げ惑ううちに離れ離れになった。そもそも、境遇が同じだけで面識もない。あるいは、忘れているだけなのか。わからなかったのは彼だけで、他のものはわかっていたのか。

 いずれにせよ、彼は一人だ。彼らとは「仲間」という意識もない。

 自分のこともわからず、ここがどこなのかもわからない。なぜ追われているかもわからない。


 いつしか街に逃げ込み社会に紛れ、彼は少しずつ学んでいく。

 彼は自らが「異能者」であるということを知った。他の人間に比べて高い身体能力があった。感覚器官も優れている。体力もある。だから、こんな吹雪の中でも無茶ができる。子供でありながら追跡を躱すことができたのはこのためだった。

 そして、特別な力があった。呪わしい力だ。理解するまで時間はかかったが、やがてそれは「実感」を伴った。のちにニュースで見聞きした情報から判断すれば、あのとき別れた二十三人の子供たち全員がそうだったのだろうと思う。

 すなわちそれは。

 他者を異能に目覚めさせる力。

 胎児や新生児にのみ作用し、異能者へと変質させる力。

 それは〈始原〉と名づけられた。


(この惨状も、そうして生まれた異能者によるものなのだろう)


 人ならざる力を生まれながらに手にしたとき、なにが起こるか。

 このような事件が起こる。

 たった一人が暴れ回るだけで、村一つが容易く壊滅する。人々が大勢死ぬ。拳銃で武装した警官が数名、数十名駆けつける程度では取り押さえることはできない暴風だ。


(俺のせいか? いや、二十三人もいるんだ。俺のせいとは……)


 だが、心当たりはある。そうとは知らずに総合病院で保護されていたこともあった。あのときに妊婦や新生児に作用していなかったとは言い切れない。

 二十三人の子供たちがこの世に現れて九年。その影響で異能に目覚めた子供たちが各地で事件を起こしはじめている。この綻びはより大きく拡がっていくだろう。


(あいつも、異能者として目覚めるくらいなら……)


 タオルに包まった赤子の遺体を目の端に捉え、そんなことを思う。

 傲慢な考えだ。彼は頭を振った。死んでよかったなどということがあるはずがない。

 目を擦る。時計を見る。数時間は眠っていた。目は覚めていた。だが、黒く重い靄に胸を押し潰されるような感覚は消えなかった。彼は再び瞼を閉じた。


(泣き声……?)


 赤子は亡くなっている。冷たくなるまで抱いていたのだから間違いない。まだ夢でも見ているのかと思った。ただ、その声は次第に大きく、はっきりと聞こえてくる。

 それだけでなく、見えていた。

 宙に浮かぶ、赤子の姿だ。


(幻覚……? いや、まさか……!)


 質量のない赤ん坊には触れることはできない。ただ、はっきりと見えるし、泣き声も聞こえる。タオルを開いて遺体と見比べてみても、同じ姿をしている。この異常な状況に、身に覚えは一つしかない。


(異能に目覚めたんだ……! そして、これは――)


〈憑依〉――「死」を発動条件とする異能。死亡の際に最も近い位置にいた人物にその意識と人格を憑依させ、生き永らえる。

 そんな異能が、あの赤子に発現したに違いない。


(結果的には、赤子の命だけでも救えた……ことに、なるのか……?)


 出産介助以上に知識も経験もあるはずのない異常事態。これでもし「生きている」といえるなら、彼女には名前が必要だった。


(たしか――)


 母親が息絶え絶えながらも、子の名を告げていた。一目すら見えるか定かでなかった我が子の誕生を、祝福するために。


「リッシュ」


 そうして、二人は出会った。

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