17.市瀬拓③
甘い見通しだった。
市瀬拓は彼らを甘く見過ぎていた。
「末恐ろしいものだ。こんな子供がここまでやったのか」
父が人民解放軍に囚われた。人質とされ、市瀬拓は口を開くことを禁じられて尋問室に拘束されていた。
「発想もいい。学園に武器と仲間を持ち込んで有利に立ち回って生き延びるか。よくやる。だが、スケールがやや不足しているな。この程度ではあれには勝てんよ。我々が全面的に協力しよう。その代わりといってはなんだが、頼みたいことがある」
横柄な態度で男は話を進める。冷たい部屋で、革靴の底を響かせながら、市瀬の背後へ歩み寄った。
「星空煉獄を殺せ。あんなものが日本の手に渡れば世界秩序を脅かしかねない。わかるだろ? 準備期間は三ヶ月だ。そのときが来たらお前たちを日本に引き渡す。学園に潜入し、やつが卒業する前に始末をつけろ。ここまでで質問は?」
聞くべきことはいくらでもあった。
父は無事なのか。頼みを聞けば解放するのか。妹はどうしたのか。
だが、市瀬拓は話せない。〈思操〉の異能を警戒され、鋼鉄製のマスクで口を防がれているせいだ。彼らも返事を求めてはいない。
彼らは異能者について研究を進めていた。その対策についても万全の準備があった。多くの知識の蓄積があった。市瀬兄妹の異能についてもその詳細を知り尽くしていた。
きっと、被害状況や規模から推定したのだろう。無警戒に痕跡を残し過ぎた。だが、それを踏まえても知り過ぎている。決定的な情報源は父であるに違いない。
父にはなにからなにまで話した。異能について。計画について。とはいえ、父が簡単に口を割るとは思えない。どれだけ過酷な拷問をすれば――それを思うと、市瀬拓は怒りに震えた。
だというのに、今や手も足も口も出ない。異能者の腕力も計算に入れたうえで、過度なほど頑強な拘束に縛られていた。
「――なさそうだな。続けよう。もう一つ条件がある。
任務を達成できないなら父親の命はない――そのようなわかりやすい脅しはなかった。
一方で、任務を達成したからといって解放するという約束もない。
学園に潜入し、任務を達成し、卒業できたとして、今度は日本軍のスパイをやらされるのだろう。父親の命に刃先をちらつかせて、このまま永久に飼われ続けるに違いない。
できることはただ、彼らの機嫌を損ねないよう立ち振る舞い、父を延命させ続けること。
彼らにはきっと、なにをしたところで敵わない。
***
【03:58】
(私はすでに一度負けている)
市瀬拓は膝をついた。
(隙を見て
異能者は人間を超える身体能力と、人間には再現不能な異能を持つ。それでも、人質を取られ対策を万全に取られたなら、「軍」という巨大な体制に対しては手も足も出なかった。試みた叛逆も失敗に終わり、代償は父の指とその映像だった。
(異能者といえども限界がある。統率された軍に対して個人の力は無力だ。だから――)
星空煉獄にも勝てると思った。自らが体制側となることで、自身が無力だったのではなく、誰であれ勝てないものが存在するのだと証明したかった。
(滑稽な話だ。敗残者である私が、なぜ星空煉獄になら勝てると思ったのか)
彼の軍は今や瓦解し、星空煉獄がゆっくりと歩みを進めていた。
詰みだ。もはや、なぜ負けたのかと分析することにも意味はない。
(負けた。このありさまでは、もはや……)
だが、せめて妹は。
そのために、彼にはまだやるべきことが残されていた。
「――お前か。敵の
「私だ。私こそが烏合の衆――その総指揮官。市瀬拓だ」
すなわち、注意を引くこと。市瀬は再び立ち上がる。
星空煉獄は足を止めた。とはいえ、彼の異能射程にはすでに入っている。少し撫でるだけで市瀬の命は散る。だからこそ市瀬も諦めがつき、冷静になれた。
「烏合の衆? あれがか?」
最後の好機だと思った。星空煉獄は話したがっている。
勝者の余裕か。市瀬拓にはそれがとても憎らしかった。だが、このまま無様な敗者を演じて“会話”を続けたなら――最高の形での逆転もありうる。
零れたはずの勝利が、再び彼の手に転がってきた。
(やつが興味を抱く話題……中国軍の関与を匂わせるか? ここまで派手にやれば感づいているかもな……。なんでもいい、なにか話をしなければ)
「精神系の異能だよな。どいつもこいつも正気じゃなかった。その発動条件について考えてたんだが……言葉か?」
それを聞いて、市瀬拓は。
「く。くは。くはは……」
ただ、力なく笑った。
「ん。あってるだろ?」
「なぜそう思う?」
「目を合わせるとかもありそうだと思ったが……あれだけの数だと一対一でやる形はめんどくさそうだと思った。お前に目を合わせようとする素振りもあまりないしな。一方で、俺に声をかけられて生気を取り戻したように見えた。だからそのあたりだろうと踏んだ」
煉獄の推測は誤っている。市瀬は基本的には一対一で、一人ずつ異能をかけていったのだ。長い時間をかけて、一人ずつ丁寧に。演説のような形式は「仕上げ」に過ぎない。
その膨大な準備期間と費やした手間を、星空煉獄は想像すらできないだろう。
「ああ、そうだ。だから話をしよう。私から聞きたいことがあるんじゃないか?」
「ある。背後関係が知りたい。生徒会か? 図書館か? あるいはその両方か?」
市瀬は目を丸くした。なにを言われたか理解できずに言葉を失った。そして。
「……く。くく。くはは。くはははははははははははは!!」
笑った。
発想のスケールの小ささに。もう次を見ていることに。そして、はじめから見られていなかったことに。こんなやつに負けたのだと、市瀬拓は笑った。
「生徒会? 図書館? それどころの話じゃないんだよ。中国だ。私は中国軍から送り込まれた刺客だ。これは戦争なんだ。星空煉獄、お前は世界から命を狙われているんだよ!」
ただ一人でこれだ。星空煉獄ただ一人でこれほどの戦果だ。正規の歩兵部隊と合わせて運用されたときの脅威は計り知れない。中国軍が多大な予算を費やしこれだけの戦力を供与し、国際関係の悪化を恐れずに投入した判断は正しかった。ただ、それでも負けた。それだけのことだ。
「あー、そういうのはいいんだ。俺にはあまり関係ない。俺がいま心配しているのはこの夜だ。ここでお前を殺したところで夜が明けるとは思えない。俺の“次の敵”は誰だ?」
聞かなければならないことがあった。聞かずにはいられないことがあった。
市瀬拓は、星空煉獄にどうしても聞かなければならないことがあった。
「……星空煉獄。お前はなんのために戦っている?」
「あ?」
「なぜ戦う。なにを求めて戦う」
「なにをいってるんだ? 卒業のために決まってるだろ」
あるいは――と、思っていた。
あるいは、この男になら託せるのではないかと。
星空煉獄なら、この世界に風穴を開けられるのではないかと。
とんだ見込み違いだった。星空煉獄にその「力」はない。彼にはなにも見えていない。
「卒業のためというなら、ポイントを過剰に稼ぎすぎだと思うがね」
「“もしかしたらいける”――そう考えたらやるだろ、1000Pt超え。卒業後の進路にも影響が出るだろうな。“1000Pt超え”は箔がつく」
「……くだらんな。そんなことのために――」
「くだらないのか? よくわからんが」
「これでわかった。私は、お前に負けるわけにはいかないと」
「そうなのか」
煉獄は目の前の男に興味をなくしていた。市瀬にもそれがよくわかった。
負ける。このままでは死んでしまう。こんなやつに負けるわけにはいかない。
だが、そう思えば思うほど、このつまらない男が興味を惹く話題を引き出せない。
星空煉獄に対する「嫉妬」が、市瀬の心を塗り潰していく。
(
だから勝てない。
星空煉獄はまだ「世界」を知らない。だから、自分の可能性を無邪気に信じられる。
世界をひっくり返すだけの力を持ちながら、世界をひっくり返すことに興味はない。
彼には体制のなかに歯車として組み込まれる権利があるからだ。
思うほどに市瀬は、嗚咽した。無様な、追い詰められた敗残者のように。
「お前……お前はぁ……! くそ、お前……お前なんかに……!」
市瀬は懐から取り出し、狙いも十分でないままに、引き金を――
「ああああ!?」
引くこともできず、拳銃を持った右手は手首ごと宙を舞った。
「最後の最後で、切り札は拳銃か?」
市瀬は膝をつき、右腕を強く握りしめせめてもの止血に励む。煉獄はそのさまを呆れたように見下していた。
「く、くく……くはは……」
市瀬は笑っていた。この期に及んでまだ笑っていた。強がり、あるいは倒錯による笑みに思えた。しかし。
「わ、私は……私は負けるのだろう。だが、それでも、お前は勝てない……! く、くく。残念だ、本当に残念だよ……」
なにかある。煉獄は直感した。市瀬はまだなにかを隠している。
だが、同時にこれ以上彼の口を開かせるべきでもないと感じていた。彼がなにか気を引く話をしようとしている以上、そこには意図がある。まだ意図を持って動いている。まだ勝ち誇れる段階にはないのだ。星空煉獄は、そう直感した。
「じゃあな」
だからこそ叩き潰す。
星空煉獄が少し頭を撫でるだけで、市瀬拓の頭蓋はカボチャのように砕け散る。
「待たせたわね」
夜の闇より昏く、その影は風のように現れた。
「市瀬拓――ここから先は
なにが起こったのかわからなかった。
想定外の事態――「運」はいつも彼を陥れた。
だが、いま彼は「運」によって救われた。彼にはそう感じられた。
長く美しい髪が火花と共に舞い、右手に携えた刀は戦場を反射して白く輝く。彼女もまた、星空煉獄を斃すために準備をしてきた。
――二ノ宮綾子(三年) 生徒会・会長 138Pt――
【04:01】
夜はまだ、明けない。
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