16.市瀬拓②

 市瀬久志は子供たちが異能者であることを理解すると、すぐに中国へ脱した。彼は貿易会社を経営していた都合上、中国に伝手があった。

 なぜ我が子が異能者となってしまったのか。原因は一つしかない。胎児ないし新生児の段階で〈始原〉と呼ばれる異能者と接触すること。あたかも感染症のように、そうして子は異能に目覚める。

 であれば、なぜ一年も歳の離れた兄弟が二人とも異能に目覚めているのか。偶然であればこれほどの不幸はない。そのうえ、彼の妻は妹の立花を産むとほどなく行方不明になっていた。

 異能者がどのような処遇を受けるかは知っていた。異能者は「人」とは見なされない。発見された異能者は速やかに連行され「学園」へ送られ、「軍縮」処分を受ける。千人が五百人になるという「卒業式」という名の殺し合いを最低でも三回潜り抜けなければ生き残れない。

 彼は子供たちをそのような目に遭わせたくなかった。中国まで逃れれば追っては来られないだろうと考えた。そして実際、しばらくは平穏に暮らせていた。


 ある日、彼の敷いた情報網に日本の捜査官らしき人物がかかった。その人物は明らかに市瀬親子を捜していた。

 もはや時間の問題だと思った。異能者を匿うことは異能者関連法で規定された重犯罪である。「中国にいる」という証拠を掴まれてしまえば外交によって日本に戻される。その前に動き、手を打つ必要があった。

 中国人民解放軍との交渉だ。彼らもまた異能者に強い関心を示している。彼らに保護と情報の隠蔽を求める。貿易会社での経験から、そのような取引には自信があった。いくらか情報提供などの協力だけでも彼らにとっては極めて有益であるはずだ。条約違反を恐れてあまり大胆な行動はできないはずだ。


 それは甘い見通しだった。

 市瀬久志は子供たちと――特に息子の拓と話し合うことになった。人民解放軍の要求は次第にエスカレートし、人体実験まがいの協力まで求めるようになってきた。そうなれば、拘束してくるのが日本か中国かの違いでしかない。ただ、それでも「卒業式」に放り込まれるよりは安全であるには違いなかった。

 子供たちは了承した。実験に協力するくらいはなんでもないと笑っていた。

 子供たちに気遣われている。市瀬久志は自らの不甲斐なさを恥じた。日本からの逃走と人民解放軍の圧力。心身ともに限界だった。子供たちからも容易く悟られてしまうほど、もはや隠しきれていなかった。

 あるいは、子供たちに決断させることで楽になりたかったのかも知れない。それを思うと自責の念はさらに強くなった。

 だが――子供たちの決断は、市瀬久志の想像を遥かに超えて、重く大胆なものだった。


「父さん。日本に戻ろう」


 拓がそんなことを言い出した。人民解放軍の保護を受けて二年ほど経った日である。


人民解放軍あいつらも信用できない。もそれなりに確保できたけど……それも限界がある。だから、正規の手順で卒業するんだ。そうすれば逃げて隠れる必要もない。大丈夫、そのために準備してきた」


 なにを言っているのか理解できなかった。

 話を聞くにつれ、彼は息子が身に染みて理解することになった。


「立花の異能だけど――だいぶ卑怯ずるができる。武器と人員を大量に手に入れた。これを学園に持ち込むんだ。たとえば、学園内だと小銃の入手経路はないって話だからね。これを持ってるだけで有利に立ち回れる。つまり、十分な準備を整えていけば生き残るのは難しくないってこと。堂々と卒業して、堂々と生きればいい。それに、母さんだって探したいしね」

「お前、いつの間に……」


 立花の顔を見る。口数は少ない子だが、兄同様に固い決意が見て取れた。


「……協力だと? 人民解放軍が? なにを吹き込まれた?」

「違う違う。吹き込んだんだよ。俺があいつらに吹き込んだんだ。父さん、これが俺の異能なんだよ」


 我が子の決意と、すでに確かな行動を起こしている事実に市瀬久志は気圧されていた。

 だが、それだけでは父親失格だ。かといって、ただ止めるのも違うと思った。息子の実行力と計画の現実性は、すでに父親を超えていたからだ。


「うむ。詳しく聞かせてくれ。不備があれば私が指摘しよう。我が子を、無謀な戦には送りたくないからな……」


 息子は異能者で、自分はただの人間なのだろう。それでも、子よりは何倍も人生を歩んでいる。その経験が我が子のためになることを、ただ願うばかりである。


 ***


【03:12】

 あってはならないことが起きていた。

 再び、学園中に銃声と爆発音が響くようになっていた。

 まず、森に足を踏み入れた捜索部隊が壊滅した。


「星空煉獄! 星空煉獄、健在!」


 その報告が最後だった。

 以降は、報告を入れる余裕もなくただ蹂躙される中継が続いた。

 それだけでなく、後方より正体不明の勢力からも攻撃を受けていた。

 魅々山迷杜の行方は不明だ。数時間前に襲撃を受けた報告もあったが、被害は軽微だ。捕らえることもできないが、脅威度は低い。不明存在アンノウンは魅々山ではない。

 星空煉獄が逃げ回り、不明存在が妨害するために包囲が完成しない。戦線がみるみるうちに崩れていた。〈慧眼〉の網谷もいない。なにが起こっているのかわからない。

 いや、一つだけわかっている。

 ――「敗北」が、起こっているのだと。


(なぜだ。なぜ生きている。なにをされている。なぜこうなる!?)


 星空煉獄が生きていたとしても虫の息であるはずだと思っていた。そうでなければならないと思っていた。現実は異なる。彼は健在であり、縦横無尽に暴れ回っている。包囲射撃に重機関銃にADSに、果ては榴弾砲まで持ち出してあらゆる手を尽くして消耗させたはずが、彼はかのように暴れ回っていた。

 こうなると手がつけられない。包囲の完成しないまま闇雲に突撃させても、その度に蹴散らされるでしかない。掃射も迫撃砲もグレネードランチャーも彼を捉えられない。地雷も仕掛けていたが意味がない。異能者部隊も相手にならない。過ぎ去るたびに兵が細切れになって散っていく暴風雨だった。


「ふざけるな……」


 無線連絡網は混乱していた。戦場は完全に破綻した。死体の山が積み重なり、百人も二百人も次々に命を散らしていった。もはや、いかなる指揮も意味をなさない。


「ふざけるな!!」


 市瀬拓は吼えた。壁に拳を叩きつけて吼えた。


「ありえない……こんなはずが……」


 市瀬拓は考える。ここからどうすれば勝てるのか。どこでなにを間違えたのか。

 判断ミスは多かった。二ノ宮狂美を相手にしたのは明確なミスだった。網谷葵を討たれたのも大きな痛手だ。塔から脱する魅々山迷杜を見逃すべきではなかった。羽犬塚明を見逃したのは失敗か。それはわからない。

 だが、いずれも今の事態を生んでいる決定因ではない。


(どうしてあの火災で生きていられる。子弾の雨も脅威だったはずだ。炎や熱を防げても酸欠までは避けられないはずだ。あれだけの広い範囲では息を止めて逃れることもできない。なにより、少し押せば倒れるほどに消耗していたはずだ!)


 思考の果てに、決定的な判断ミスを見つける。

 森に逃げた時点で追撃しなかったこと。森に逃げれば榴弾砲を使用するとはじめから決めつけてしまっていたこと。それでも、〈慧眼〉の網谷がいたならば修正されていたはずの判断だ。あと一歩で追い詰めることができるなら、兵を消費し尽くしてしまうとしても追撃すべきだったのだ。


(肝心なところで……! 肝心なところで誤った! クソッ! いつも俺は……大事なところで判断を誤って、取り返しのつかないことに……!)


 だが、それでも。

 まだ負けてはいない。彼はそう思い直した。

 一方的な殺戮が続いている。兵が惨殺されている。だが、それでも。

 星空煉獄は一瞬の気の緩みもなく異能を行使し続けている。ほとんど射線ごと躱しているが、流れ弾が当たりそうになることもあるだろう。狙撃手は未だ精確に星空煉獄を捉えている。そうでなくとも、人間をあれだけ千切っては投げを繰り返し、消耗がないはずがない。


「逃がさん……今度は……今度こそは、このまま押し切る……!」


 兵が、銃が、星空煉獄の命を脅かす存在であり続けている。どれだけ仲間たちが無惨に殺されようと決して士気を損なうことはない。真社会性昆虫にも似た無私の兵。だからこそ、彼は迎え撃たねばならない。一人残らず殺さねばならない。いかに彼が無敵で最強の異能者でも、百人も二百人も三百人も相手にし続けて、平気でいられるはずがない。たかが数時間休んだだけで、あれだけ追い詰められた消耗が回復するはずがない。


「星空煉獄を追え! 追撃しろ! 何人死んでも構わん! 命尽きるまで星空煉獄を追い詰めろ!」


 市瀬拓はなにもできない。もはや出来ることがなにもない。それでも、これまで出来ることをしてきた。出来るだけの手を尽くしてきた。その成果が試されている。星空煉獄と衝突している。

 これは、必ず勝てる戦いではない。誰にとっても勝てる保証などない戦いだ。

 市瀬拓にとっても。そして、星空煉獄にとっても。

 戦わなければ生き残れないから戦っている。互いに、すべてを賭けている。


「そうだ、まだ負けていない……! もはや奴に策はなく、今や私にも策はない。ただ真っ向から、正面から、準備これまで経験これまで、そして実力いまをぶつけ合う魂の削り合いだ……!」


【03:59】

 決着がつく。

 星空煉獄が市瀬拓を追い詰めた。

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