24.瀬良兵衛

 深夜。月明かりだけが道を照らす。夜は学園もまた静まり返っている。明かりをつけるのは「そこにいる」と宣伝するようなものだからだ。夜に照明を灯せるのは相応の防備を持つものだけだ。すなわち、メテオ・生徒会・図書館。彼らを「三大勢力」と呼称するのも、その権利を有するがゆえかも知れなかった。


「……罠ではないのですか」


 夜道を歩くものはもっと少ない。異能者は夜目も効くが、「夜道は危険」であるという認識は人間と変わらない。視界に頼るなら警戒可能域はどうしても狭まる。ましてや卒業式のただなかで、ただ夜道を歩くという行為はまずありえない。


「罠だとしたらあまりに愚直すぎる。よほどの馬鹿正直でもなければかからないわよ?」

「そう思わせるためではないですか?」

「確実性が低いわ。そう思う保証もない。ただ無視するというだけで回避できる罠を仕掛ける意味は薄いわ」


 夜道を歩くのは二人の女だ。そのうえ闇の溶ける黒の衣装だ。

 ただし、その二人の正体を知れば危険性と呼べるものを見出すことは難しい。

 二ノ宮綾子。鬼丸ありす。夜を往くはこの二人だ。


「であれば、それこそ無視すればいいでしょう。その選択を取らずにあえて乗る理由は?」

「そうね。昨日の今日で〈呪縛〉という有効な攻撃を受けて、〈不死〉だから大丈夫なんて話は通らないわね」

「……まったくです。敵は会長を指名しているのです。なにか策があると思うべきでしょう。そもそも、手紙の主が瀬良兵衛本人であるともかぎらない」

「それもそうね。考えもしなかったわ」

「では……」

「でも、それはそれでなぜ瀬良兵衛を名乗るのかが気になるわね」

「会長」

「ふふ。白状するわ。好奇心よ」

「好奇心」

「兵衛には何度か試合を挑まれたことがあるのよ。式外だから模擬試合だけどね。彼は剣士を自称していた。腕もかなりのものだった。私には“勝てない”と理解しつつも、いずれ勝つためにと挑んできた」

「強いのですか」

「強いわ。彼は私に試合を挑みながらも本気ではなかった。正確には、勝とうとはしていなかった。いわば、いずれ勝つための威力偵察。その“いずれ”が今日なのでしょうね」

「なぜ彼と模擬試合を?」

「私にも得られるものがあると思ったのよ。練習試合というのはそういうものでしょう?」


 二ノ宮会長は瀬良兵衛に自らを重ねているのかも知れないと思った。

 彼女もまた、勝てないと知りつつ星空煉獄に挑んだ。それは「次に勝つ」ための布石だった。瀬良兵衛もまた、勝てないと知りつつ二ノ宮会長に挑んだという。それこそ、「次に勝つ」ために。

 だから好奇心だ。似た戦略をとる瀬良兵衛がどのような手段で勝つつもりでいるのか。二ノ宮会長はそれを確かめたいのだろう。


(この人は――)鬼丸は俯く。(なにも変わらない)


 もとより、二ノ宮綾子は鬼丸にとって遠い憧れの存在だった。今はこうして、副会長として隣を歩くこともできる。

 しかし、はじめて彼女を目にしたあの日よりも、今は。

 それ以上に遠く、隔てた存在に思えた。


「うわ。マジで来た」


 声の主は、背後に立つ羽犬塚のものだった。〈探知〉で接近そのものには気づいていたが、実際に目にするまでは信じられなかったという顔だ。


「よく来たな。二ノ宮綾子。貴様ほどの剣士であれば己の挑戦を無下にはせぬと信じていた」


 決戦の舞台は中央広場。噴水の前で、瀬良兵衛は正座をして待ち侘びていた。和装まで身に纏いという出立ちだが、本人は至って真面目らしい。


「真剣は初めてよね。そのつもりで来たのだけれど、その理解で正しいかしら」

「相違なし。いずれかの命が尽きるまで」

「確認しておくけど、私が〈不死〉なのは知ってるわよね?」

「無論。だが構わぬ。貴様は踏み台に過ぎぬ。剣士として至高を目指すなら貴様は避けて通れぬ障害だ」

「ふふ。甘く見られているのか高く評価されているのか……」

「ええっと、立会人ってのはなにをすればいいんだい?」


 当惑しながら問うのは羽犬塚だ。


「なにもすることはない。立会人はただ立ち会うのみ。公平性を期すためにそこにいるのだ」

「なるほど?」

「では、両者とも立会人を下がらせよう。試合に干渉することのないように」

「ええ。ありす、言われた通りに」


 鬼丸は後ろに下がる。自信に満ちた二ノ宮会長の背を見送る一方、不安は多い。


(敵の立会人はやはり羽犬塚。こちらに伏兵がいないことは確認しているのだろう。だから出てきた。馬鹿正直に待っていた。一方で、こちらに敵の伏兵を探る手段はない)


 それこそ――。そこまで考えて、鬼丸は思考を振り払う。


(問題は会長が敗れた場合だ。会長は死なない。死なないが、無力化はされる。死体を回収すれば復活は最短で十二時間まで短縮できる。だけど、メテオ二人の前にそれは叶わない)


 万が一にもそれはありえない、と思いつつも、昨日の今日で想定外が起きたばかりだ。鬼丸はその可能性を排除せずに考える。


(会長が敗れたのなら四十八時間の不在を覚悟せねばならない。問題は……求心力の低下だ。狙撃だけならともかく、立て続けに二度も敗れたのでは、さすがに……)


 最悪の想定ケースだ。これ以上は考えたくもない。


「始めようか。開始の合図はいらない。共に呼吸が合えば――だ」


 瀬良兵衛は構えた。やや腰を落とし、刀の柄に手を伸ばした。抜刀の構えである。

 一方、二ノ宮綾子は構えない。無造作に立っている。

 距離は約20m。剣の間合いではない。ゆっくりと、互いに機を伺い距離を詰めていくことになるだろう。

 その緊張感の最中、瀬良兵衛は静かに目を瞑った。


「なんのつもり?」

「これぞ必勝の型」


 二ノ宮にとってもそれは初めて目にするものだった。

 これまでの彼との模擬試合でも、互いに異能は使用していない。純粋な剣術のみの勝負だった。

 今は違う。卒業式、真剣を用いた命がけの試合。そのうちには、異能も含まれる。

 目を瞑ることは異能の発動条件に関わるものだろうと二ノ宮は思った。そして、それは正しい。

 瀬良兵衛の異能には「目を瞑る」という発動条件があった。その時間は最短で二秒。異能者同士の戦闘において、あまりに長い時間だった。

 ゆえに彼は、目を閉じながら戦う術を模索した。音で敵の位置を掴み、正確に斬り伏せる鍛錬を続けていた。何日も、何日も繰り返し。投球を、虫を、紙切れを、人を。やがて彼は、剣の間合いに入ったのなら自動的に斬り伏せる機械の如き精確さを会得した。いつしかそれは、必ずしも音だけにはよらない感覚をも研ぎ澄ませていた。

 すなわち、“心眼”である。

 だが、これだけでは二ノ宮綾子には届かない。これほどまでに磨かれた剣術をもってしても、まだ二ノ宮綾子には勝てない。彼が“心眼”を会得したのは、その異能を活かすための手段である。

 ならばこそ、勝てる。相手が誰あろうと関係はない。もはや斬れぬものなし。

 一歩、二歩。二ノ宮綾子が迫る。あと数歩で間合いだ。

 彼の心は静かだった。穏やかな水面のように、一切揺れることなく――


 そこに、特大の波紋が撃ち込まれた。


「がっ、は……!?」

「ごめんなさい。隙だらけだったものだから」


 二ノ宮綾子が構えていたのは拳銃である。刀はいまだに抜いてもいない。撃ち抜かれたのは瀬良兵衛の太腿である。


「き、貴様ァ……!」

「もしかして剣の勝負だったのかしら」


 念のため、もう一方の太腿も撃ち抜く。瀬良兵衛は痛みのために倒れた。


「これで決着ということでいいかしら――って、羽犬塚はもう逃げてるわね」

「会長。これは」

「ええ。あなたにあげるわ。まだ7Ptだったわよね。このままだと卒業できないわよ?」


 鬼丸はそこで、やっと会長の真意を理解した。うまくいけば、鬼丸ありすにポイントを譲れるかも知れない。そう思っていたから乗ったのだろう。事前に説明しなかったのはあまりに都合がよすぎる考えであると一笑に付されると思ったのか、あるいはサプライズプレゼントのつもりだったのか。


「いいのですか?」

「ん。私はもうポイントはいらないわよ。場合によっては三位くらいに落ちることはあっても、五位以下に落ちることはまずありえない」

「いえ、そうではなく……」

「他になにか気にかかる? 試合をして、私が勝った。約束も違えてはいないはずよ。そうよね、兵衛」

「ふざ、ふざけるなァ! こんな、こんな決着が……! 尋常の立ち会いを、貴様は、貴様はァ!」

「ね? 納得してくれているわ。早くしないと失血死してしまうから、頸椎を一捻りにでもするといいんじゃないかしら」

「……はい」

「馬鹿な……どこまで辱めれば気がすむ?! 真剣勝負で銃を用い、命を奪うことなく……生殺与奪を他者に譲るだと?! ……くっ」

「あ、また目を瞑る」


 異能者同士の戦闘において、二秒とはあまりに長い。

 では、四秒ならば?

 瀬良兵衛の異能はその発動のために二秒間以上目を瞑ることを要求される。代償は大きい。そして、恩恵も大きい。

 彼の異能は、間合いに存在する彼を除いた全生命の活動停止である。その時間は四秒。そして間合いとは、彼が四秒で斬りうる範囲を指す。

 すなわち、目を瞑りながら戦うことができるなら、任意に四秒間の隙を敵に強制できる。

 自ら異能に合わせた戦法――“心眼”を極めた彼は、もはや無敵であった。

 はずだが。

 二ノ宮綾子は刀を抜き、瀬良兵衛の両手首を斬り落としていた。


「これでいい? 刀を使ったわ。抵抗されても困るし」

「がぁ、あ、ァ……! くそ、ふざけるな、ふざっ、こんな、こんな馬鹿なことが……!」

「では」


 鬼丸は瀬良の背後へ回り込み、側頭部と顎に手を添えた。

 ゴリッ――と、命を絶つ音が響き、慟哭が止み夜は再び静かになった。

 鬼丸ありすも、こうして命を絶つことには慣れている。頸椎を捻転させて人を絶命させる術も慣れたものであった。

 しかし、彼女はその夜。

 命を奪った自らの右手が、小さく震えていることに気づいた。

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