19.魅々山迷杜
「ねえ。なに、あれ」
時計塔の小窓から外を眺めて、魅々山迷杜は騒音を撒き散らす謎の集団を見送った。中央広場を通り過ぎ、集団は大講堂へ向かっていくように見えた。
「さあ。ああいう連中がいるのは知らなかったな。剣持ジェイとか、双見冷とかがいたけど」
羽犬塚明は興味なさげに、爪を切りながら答えた。この男は爪を切る頻度が異様に高い。
「剣持……ってあの剣持?! 方向的には生徒会に向かってたっぽいけど……」
「うん。あの剣持だね。でも、あの集団のリーダーってわけじゃなさそうだ」
「生徒会の……増援? あの馬鹿騒ぎは宣伝?」
「卒業式が始まってから合流ってことはないんじゃない? 敵じゃないかな、生徒会の」
爪を切り終え、シャカシャカとヤスリで仕上げをしながら羽犬塚はいう。そして、その答え合わせのときが来た。聞こえてきたのは戦闘音である。
「この銃声……あのときの? 生徒会からよね」
「ん。〈遮蔽〉が一瞬解けた。うーむ……」
「どうかした?」
「二ノ宮綾子は迎撃に出ていない。寝込んでる? 何人かが外へ出て、たぶんさっきの集団が出てきた拠点に向かってる。片桐雫とか、鬼丸ありすとか」
「つまり?」
「漁夫の利を狙うチャンスかもね」
と、いいつつ彼自身は動かない。彼にとっては不確定要素の多い、危険を伴うことなのだろう。そんな消極的な態度でよく五位圏内のポイントを稼げたものだと思うが、彼の異能はそれ以上のチャンスをいくらでも拾うことができる。絶対的な有利条件を持つ優良案件なら、彼は黙って独占する。そうでないから、独り言のように気軽に漏らしたのだ。
「あはっ。じゃあ、ちょっと様子見てこよっかな。グラウンドの方?」
ならば、彼の捨てたチャンスを拾おう。大物狩りなら願ってもない。魅々山は読んでいた本を置いた。
***
及川みくが死んだ。
目を離した一瞬の出来事だった。
見えていたこともある。それは、魅々山迷杜が及川みくに触れていたということ。ただ、まるで旧友にそうするように、肩を軽く叩いただけ。及川が振り返って死神の姿を一瞥すると、それだけで、彼女は糸の切れたように膝から崩れて落ちていった。
「んー、たった1Ptかあ。そりゃそうか。私この子知らないもん」
(しかも、布越しだろうとお構いなしか)
通常、接触によって発動する異能は「肌で」触れることが条件となる。これは授業でも習う広く知られた原則である。だが、異能には未知の領域が多い。例外はあるのだろう。現に、魅々山は制服越しに肩を叩いただけであった。
魅々山迷杜の持つ異能の詳細はわかっていない。わかっているのは、即死系の類であるということ。先のように、触れられただけで死んでいく生徒が幾人か目撃されている。
「鬼丸ありす。だっけ」
「魅々山迷杜だな」
互いに顔も名も知ってる。だが、それは互いが有名人というだけで、二人は知り合いではない。今日この日が初対面である。
「たしか、ポイントは7Ptだっけ? 悪くはないけど、ちょっとなあ」
「なにを警戒している? たかが7Ptだ。三年だというのにな。実力は大したことない、ということだ」
「警戒て。ちょっとお話してるだけじゃん」
「及川はなにも言わずに始末したのにか?」
鬼丸は背を向け、屈んだまま挑発する。それを受けて、魅々山はさらに警戒心を強めた。
魅々山の視点からすると、鬼丸ありすはまったくの未知である。
生徒会で副会長という地位にあるのは知っている。そのわりには異常にポイントが低く、前線に出てきた記録も少ない。副会長というなら順当に考えて会長に次ぐ実力ではあるだろうが、情報がない。
「来ないのか? 私にはやることがある。用件があるなら手早く済ませてもらいたいものだな」
ゆえにこう考える。接近を促すような挑発は、
実際には、鬼丸の言葉はすべてただのハッタリである。
相手の警戒心を読み取ってそれを増幅させているに過ぎない。彼女には時間を稼ぐ以上のことはできなかった。彼女の異能は支援に特化しており、ただ一人では肉体のみを武器に戦うしかない。
(布越しに触れてさえ発動するということは、私の方から掴んでも同様ということか?)
稼いだ時間で思考を巡らす。だが、絶望のみが蓄積されていく。魅々山が痺れを切らして距離を詰めてきたのなら、もはやそれまでと言っていい。
(手元にあるのは土塊。顔にでも投げつけてやるか)
目眩しにでもなれば、逃げ出すことはできるだろう。しかし、それでは意味がない。
勝たねばならない。勝って、邪魔者を排除し、片桐雫を見つけて救い出さねばならない。でなければ、ここで生き延びても意味はない。
(……なぜ私は、あのとき手を離していたんだ)
反省する。迷宮が崩れると聞いて軽いパニックになっていた。周りが見えていなかった。片桐が出遅れていたことに気づかなかった。冷静を装っていても肝心なときにこれだ。
だから、今から取り返す。取り返さねばならない。
「んー? 鬼丸ちゃん? ありすちゃん? ありすちゃんでいいか。こっちの方が可愛いし。でさ、探り合いも飽きてきたとこなんだけど」
魅々山が痺れを切らしてきた。鬼丸の言葉がハッタリである可能性に思い至ろうとしていた。鬼丸がどのような異能を持つかはわからないが、一対一では負けるはずがないという自信が全身に行き渡りつつあった。
「あはっ。そうやってずっとしゃがんでるの、土塊でも投げつけようっての? それくらいしか攻撃手段がないんだ?」
魅々山は言葉を重ね反応を見ている。軽薄そうに見えてもメテオの一員。慎重さ、観察眼、機転。すべて兼ね備えている。だからこそ「最強」の地位にいられる。
魅々山が一歩を踏み出す。
それが、合図となったかのように。
爆発音と、土煙が上がった。
「あ〜……。埋められるのはもういやだよう」
斧が、這い出てくる。地の底から、一頭の獣が顔を出す。
二ノ宮狂美である。
「あれ、知らない人」
「に、二ノ宮狂美……!?」
魅々山はあとずさる。彼女は狂美のことを知っていた。実際に目にしたこともある。その異能についてもほとんど知れ渡っている。
そしてその異能――〈不死〉は、魅々山の異能と相性が悪い。あるいは、その可能性が高い。
「狂美。あれは敵だ。お前の姉の敵だ」
「そうなの? じゃあ殺そっかな」
おやつになにを食べようくらいの気軽な口調で狂美は答えた。魅々山も、自分に殺意が向けられているとは一瞬気づかなかった。
「お姉ちゃんを殺していいのは私だけだもん」
そこからは早い。魅々山と鬼丸が互いに牽制し睨み合っていた時間が悠遠だったと思えるほど、一瞬の判断で狂美は動いた。
どんな敵であろうと、どんな異能であろうと、死ぬことはない。
彼女にとって猪突猛進は、蛮勇や浅慮の表れではなく単なる最適解なのである。
「な、え、うそ、なんで!? 羽犬塚、あいつ……!
魅々山迷杜は二ノ宮狂美を知っている。知っているはずだった。
ただし、知っているのはその戦力と異能だけだ。彼女がなにものであるかはなにも知らない。
なぜか姉である二ノ宮綾子に突っかかっているのは知っていたが、それがなぜなのかは知らない。
姉を敬愛する素振りを見せながらも、なぜ生徒会に所属していないのかも知らない。
なぜ今こうして生徒会と協力関係にあるのかも、なぜ自分が狙われるのかも、なにも知らなかった。
「ひゃあ!」
「待て待て待って!」
かろうじて躱す。その斧撃は大地を割った。大きく土煙を巻き上げ、まるで爆発のようだった。
(魅々山の“即死”と狂美の〈不死〉が衝突すればどうなるかは疑問だったが……この様子を見るに、少なくとも魅々山は“通用しない”と思っているようだな)
もっとも、「肩に触れる」という条件すら満たせそうにない。
荒れ狂う獣を前に、魅々山は攻撃を躱し逃げ延びるので精一杯、というように見える。
そしてそんな追いかけっこもいつしか遠く、鬼丸は本来のやるべきことに戻った。
「片桐! どこだ片桐!」
「ここ……ここだよ……」
弱々しく小さな声を、たしかに聞いた。
「片桐!」
鬼丸は掘り起こす。必死に、土という土を払い除ける。
「そこか! そこなんだな!」
「……うーん……」
手が見える。白い指先が見える。鬼丸ありすは掘り続けた。人間というよりは野生動物のようなありさまで、ひたすらに掘り続けた。
「ごほっ、ごほっ」
「片桐!」
腕が出て、頭が出た。その手を掴み、強引に引き起こす。
「いだっいだだ!」
「もう少しだ。そら!」
土に塗れた片桐雫が、地上へと戻ってきた。
「けほ、けほっ。いやぁ〜、災難だった! ありす、ありがと」
「片桐……!」
「ん。そんな心配だった? まあちょっと死ぬかと思ってたけど」
「片桐……」
「え。いや、うん。そうだね。ごめんね」
「私こそ、すまない……」
手を繋ぐどころか抱きしめられて、片桐は照れ臭そうに頬を掻いた。さすがの片桐も、からかう言葉が浮かばなかった。
「あ! そうだ狂美ちゃんは? 死んでても問題ないけどやっぱ助けたいし、あれで死んでるとも思えないけど」
「狂美はもう自力で脱出した。魅々山を追っている」
「魅々山?」
鬼丸は脱出後の経緯を説明した。
「ぎゃ! みくちゃん死んでる! なむなむ。てか魅々山? なんで? なんだっけ、ハイエナ?」
「ハイエナに対するその手の印象は都市伝説だ」
「そこ突っ込まなくてもいいじゃん!」
「身体に不調はないのか?」
「うーん、耳がちょっとやられてるかも? あとは大丈夫だよ。元気元気」
「ならよかった」
及川みくが死んだ。片桐雫が死にかけた。魅々山迷杜と対峙した鬼丸ありすも一歩間違えば死んでいた。
それでも、二ノ宮綾子を〈呪縛〉する異能者は斃せた。戦果としては悪くない。鬼丸はそう思った。
このままで済んだのなら、そう思えただろう。
「あはっ。やっぱ片桐雫もいたんじゃん」
声がする。遠方、グラウンドの向こう側。眼帯の女。
「魅々山迷杜……!」
去ったはずの悪夢だった。
「狂美はどうした?」
「あれ? 斃してきたよ。厄介だったけど」
「嘘だな。彼女のポイントは44Ptだ。それだけのポイントを得れば、もはや私たちに構う理由はない」
「殺せはしなかったよ。無力化しただけ。どうせまたすぐ生き返るんだっけ?」
「……片桐。どうだ」
「まだ遠いね。ただ、もうすぐだと思う」
魅々山は歩みを進める。鬼丸と手を繋いだ片桐の射程が30mもあるとは思いも寄らない。10mまで近づくのは危険だという認識はあっても、まさか30mでその領域にあるとは思ってもいない。
「片桐雫……だよね。たしかそう。そこの眼鏡と違ってそこそこポイントあったよね。あんたにしよっかな。雫ちゃんでいい? もう呼ぶことないかもだけど」
「勝てる気でいるの? こっちは二人だよ」
「あはっ。私ってあまりそういうの関係ないから」
魅々山は話しながらも近づいてくる。片桐に狙いを定めて歩いてくる。その目を見て、悠然と間合いを詰めてくる。
「そうだ、迷杜ちゃん。君の異能、即死系……って聞いてるけど、具体的にはどんな感じ?」
「んとね、目を合わせただけで相手が勝手に死ぬ感じかな」
あたかもそれは、冗談に合わせた軽い嘘という口調で、片桐も流して聞いてた。真実は心の内で語られる。耳を澄ますべきはそちらの声だ。
しかし。
(え、うそ……)
魅々山の言葉に嘘はなかった。
魅々山は、あえて真実を語ることで虚を突いた。
魅々山迷杜の異能発動条件は、触れることではない。肩に触れるのは、目を合わせるため。接近するのは、近ければ近いほど必要時間が短くなるため。その挙動を徹底していたのは、発動条件を他者に誤認させるため。
距離があっても、十分な時間見つめ合えば、魅々山の異能は発動する。
真の発動条件は、「目を合わせる」こと。
魅々山迷杜の異能が、片桐雫に発動した。
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