第20話:いつだってお菓子を前にすれば目を輝かせる:アイラ

 その日の夜、アイラの寝つきは悪かった。


「……クシフォス。問題なくやれているかしら?」


 先日、マキーナルト領で行われる収穫祭から始まった。


 今年は、去年の死之行進デスマーチのこともあってか、収穫祭には多くの旅人や商人が来ると聞いている。


 流石に歴史的背景もあって、貴族に関しては王家と大公爵の方で調整したが、それでも例年よりも十倍以上の人たちが収穫祭に参加するだろう。


 寝付けないアイラはベッドから横においてある車いすに座り、〝念動〟で車いすを押す。


 〝念動〟でテラスのガラス扉を開き、アイラはテラスに出た。


 秋の夜風は涼しく、だからこそアイラの心は少し弱くなった。


「……本当は行きたかった」


 小さくポツリと呟かれたその言葉には、色々な思いが籠っていた。


「マキーナルト領にはツクル様がいる。会いたくないけど、会いたい。こんな私を見せたくないけど、教えてほしい……」


 アイラは、迷っていた。苦しんでいた。


 クラリスが魔法の修行の代わりに楽器演奏を命じてから、早一ヵ月近く。未だ、片手で演奏できる楽器を決められなかった。


 片手で演奏できる楽器はあるには、あった。本来は両手だが、無理すれば片手で演奏できると。


 ただ、それが王族として人に聞かせるレベルに達するには気が遠くなるような修練が必要で、だからこそアイラは苦しんでいた。


 本来、自分は楽器を演奏するためにクラリスに師事しているわけではない。この身の呪いを解き、一人の王女としてその身分の恩恵を受けるだけでなく、多くの人を守り、導く。


 十五になるまでに、それを成すのが今の生きる全てであり、活力だった。


 だから、楽器の演奏に対して強いモチベーションはなく、付随してこんなことをしている暇はないという焦りで、楽器の修練は全くもって進んでいなかった。


 クラリスは今、国王である父の代理でマキーナルト領の収穫祭に出ているため、顔を合わせることはないが、正直な話、今顔を合わせたら怒鳴りそうなほどにはアイラの心は荒んでしまっていた。


 アイラは夜空を見上げる。


「たぶん、あれが月。あれが、私」


 魔力だけを見るアイラの瞳には、月は凄く曖昧なものだった。


 魔力は光よりも移動しない。恒星が放つ光は何万光年離れようとも、人の目に届くのに、魔力はこの星と月の距離でさえ、ひどく遠い。


 色も分からず、ほぼ透明に近い。ただ、それでも儚い魔力の塊が夜空に浮かんでいるのだけは分かる。


 アイラの夜空は、そんな儚く曖昧模糊あいまいもこな透明の魔力の塊しか映っていないのだ。


 その事実がアイラの心を縛り付けた。悲しませた。


 同時に、


『今宵の夜空に輝くあの月さえも!』


 彼があの日言った、あの力強い言葉。


 彼にとって月は輝いているもので、あそこまで情熱的になれるほど美しいものなのだろう。


 アイラはそれが見たいと思ってしまっていた。


 どうしようもなく、感情がごちゃごちゃになる。


 卑屈と焦りと怒り。願いと興奮と反骨。


『あの言葉は夢ではございません。事実でございます』


 夢想を無意味だと、アイラは思った。けど、夢想するしかできないのだ。


 嫌になる。


「……ふぅ」


 アイラは深く深呼吸した。


 自分が弱いのはよく知っている。だから、そんな自分が壊れてしまわないように、こんな日は夢想し、自分を自分で慰める。


 だけど、それも直ぐ。


 私はアイラ。アイラ・S・エレガント。


 そんな自分を隠し、強くある。


 そうでなくともせめて、月と同じくはっきりとは見えないけれども、確かな暖かさを感じる太陽でなくてはならないと。


 ハイライトに輝けと。


 再び、決意を抱き、明日から頑張ろうと思って、アイラは〝念動〟で車いすを移動させて、ベッドの横に移動した。


 その時、


「ちょっといいかの?」

「ひゃいッッッ!!?? お化けぇぇぇぇッッッ!!!!」


 黄金の魔力が一瞬で部屋を埋め尽くしたかと思うと、アイラの隣に人影が立っていた。


 先ほどアンニュイなことを考えていたこともあってか、アイラはお化けが襲ってきたと思ってしまい、とても大きな声を上げて叫び、飛び上がる。心臓がバクバクして、お化けが怖いと右手で頭を守る。


「……………………あれ?」


 けど、一向にお化けは襲ってこず、よくよく考えたらお化けなんていないわよね、と冷静になる。


 恐る恐る瞑っていた目を開き、声がした方向を見れば、


「……ッッッ!!!」


 美しく輝く黄金の魔力を持つ人型。いつもいつも、見ている暖かい魔力。


 クラリスがいた。


「ちょ、お主。やめっ!」

「っるっさい! もう!! アナタって人はッッ!! いなくなればいいんです!! もうッッ!!」


 アイラは怒りや恥ずかしさなど色々と顔を真っ赤にして、右拳とあふれんばかりの魔力を魔法にしてクラリスをタコ殴りにした。


 暴れる。


 そしてそんな騒ぎを聞きつけたのか、


「アイラ様!!??」


 リーナが慌てた様子で、部屋に飛び込んできた。遅れて、夜警をしていた近衛騎士たちも飛び込んできて、状況はカオスとなった。


 収拾が着くまで、それなりに時間がかかった。


 

 Φ



 最終的には騒ぎを聞きつけた国王と王妃である、オリバーとカティアが王権を行使して無理やり事態を収拾させた。


 アイラの自室はアイラが暴れすぎたため、使える状態でなく、リーナが急いで修復にとりかかっていた。


 アイラとクラリスはオリバーに軽く叱られ、とある個室に放り込まれていた。


「そ、その、悪かった」

「……いえ、冷静を失い暴れた私の方に非があります。頭を下げないでください」

「そ、そういうわけには……」


 たじたじのクラリスは何を言っても謝罪を受け入れてくれなさそうなアイラに、困ったように眉を下げる。


 沈黙が二人の間に漂い、クラリスが耐えきれなくなる。


「そ、そういえば、驚いたぞ! 咄嗟とは言え、あれだけの魔法! 儂が指導していない間も成長しておったんだの」

「傷一つつけられずして、何が成長でしょうか? そもそも指導を放棄しているのによくまぁ、そんなことが言えるのですね?」

「う……」


 クラリスは申し訳なさそうに顔をしかめた。


 アイラが呆れた表情で溜息を吐いた。


「それでクラリス様。何故、マキーナルト領から転移で帰ってきたのですか? しかも私の部屋に直接。おかげで大迷惑しましたが」

「……う、本当にすまない。ただ、お主に見せたいものがあっての。他の者たちには見られると面倒だったし……。ただ、いきなりお主の部屋に転移したのは軽率だった」

「……」


 アイラは自分が小さく思えてしまった。だから、謝罪は受け取らずとも、否定することができなくなった。


「見せたいものってなんなんですか?」

「む、それはな」


 クラリスは心配そうにアイラを見やりながらも、異空間からとある物を取り出した。


 アイラに渡す。


「これは、木ですか? けど、普通の木とは……それに曲げたような……」


 アイラの手にあるのは、手に平サイズの楕円形の木箱だった。蓋がかぶせられており、上品な木の匂いがする。


「曲げわっぱというらしい」

「曲げわっぱですか?」

「うむ。薄くした木をお湯につけ、曲げてつくる木箱らしくての。お弁当とかに使うらしい」

「お湯で? “錬金術”ではなく?」

「うむ。お湯につけたり、蒸したりすると曲げられるそうだ。曲げ物とも言うらしい」

「それはクラリス様が?」

「いや、セオ……セオドラーだの」

「ッ」


 アイラは少しだけ息を飲んだ。


 それに気が付きつつ、クラリスはアイラが持っている曲げわっぱの蓋を取る。


「ただ、アイラに見せたい……いや、食べさせたいのはこれではなくての」

「食べる?」

「うむ。中に、丸いのがあるのが分かるかの?」

「ええ。かなり魔力が含まれているので、それなりにはっきり」


 蓋を取った曲げわっぱの中には、薄茶色の丸い物体が四つあった。アイラの目には太陽と同じような魔力と、その中に白い柔らかな魔力が詰まっているように見えた。


「シュークリームと言っての。中に、甘いクリームが入っておるお菓子じゃ」

「お菓子……」

「うむ。向こうで食べたのだが、あまりに美味しくての。お主に食べさせたいと思って、少し無理を言ってセオに作ってもらったんじゃ」

「ッ……そう、なんですか。それはありがとうございます」

「いや、礼はいらん。最近、酷いことをしているしの。詫びではないが、ちょっと、な」


 それでもその酷いこと、つまり楽器演奏ができるまでは修行を一切つけないというのはやめるつもりはないのだろう、とアイラは思う。


 ただ、まぁ、クラリスが自分のために転移でお菓子を持ってきてくれたことは少し嬉しく思った。


「セオドラー様にありがとうございますと伝えてください。」

「それはもちろんだの。それでアイラ。食べてくれんか?」

「……分かりました」


 アイラは膝に曲げわっぱを置く。シュークリームに手を伸ばして、少し戸惑う。


「手で掴んで、そのままがぶりだ」

「わ、分かっていますよ」


 クラリスに言われ、アイラは少し頬を赤くしながら右手でシュークリームを掴んだ。


 掴んだ瞬間、柔らかいと思った。


 それからアイラは恐る恐るシュークリームを口に運んだ。噛んだ。


「んんッッ!!」


 小麦の優しい匂い。柔らかい食感。


 そして、その柔らかい皮を食い破った瞬間、口に広がる濃厚な乳と卵の匂い、上品な甘い香り。


 皆がいつも言っている雲とやらを食べているかのように、フワフワで、舌の上でとろける甘いもの。


「中に入っているのは、カスタードクリームというらしい。雪牛の乳に日傘鶏ひがさどりの卵。あとは、マキーナルト領特産の小麦の粉と砂糖だの。それで砂糖――」


 クラリスはシュークリームの説明しようとする。


 が、


「どうやら無粋だったようだの」


 言葉すら発しない。


 目をキラキラと輝かせ、紅潮した頬にカスタードクリームをつけたアイラは、どうしようもなく幸せそうに唸っていた。


 残りのシュークリームを宝物のように味わって食べ、そして空になった曲げわっぱを宝石箱のように嬉しそうに抱きしめていた。


 八歳の年相応の女の子に見えた。

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