第9話:トリプトファンとカルシウムが睡眠を促す……らしい:late summer night
「ふぃ~。疑似神経回路はこれでいいかな?」
シトゥラさんの葬式から一日。
いや、時計を見やれば深夜を超えているから二日目か?
「夜更かししちゃったな。アテナ母さんにバレないように戻らないと」
地下工房で以前から進めていた義肢、特に義手制作を進めていたのだが、いつの間にか深夜を超えてしまった。
義手に関しては、もともと魔力操作や魔力感知に優れていた人しか使えない仕様だが、それでもそれなりのところまで進んでいる。
それでも、魔力反響による触覚などの再現や、アダド森林で獲れる特殊な魔物の素材を活用した筋肉の再現など、かなりいいところまでいっている。
まぁ、それはクラリスさんやアテナ母さんたちへの師事、あとは欠損等々で引退した冒険者に試験体として協力してもらっているからこそなのだが。
特に、神霊であるエウの協力は大きかった。
神霊、つまり妖精はもともと肉体を持たない。しかし、魔力で体を構築し、実体化させることはできるらしい。
通常の妖精はそれでも、声帯によって空気を振るわせたり、触れることによって温度を感じたりすることはできない。
魔力の世界で生きている彼らは、人間では決して知覚できない空気中に漂う微量な魔力の変化を感じ取ることができ、それにより温度や触感、空気の震えなどを知っているらしい。
人が話す言葉も、そもそも声に出して発せられる言葉というよりは、人が内包する魔力を用いて聞いているらしい。
ぶっちゃけ意味が分からんが。
そういう事実があるというのは呑み込めるのだが、人間である俺ではその感覚を体験することができないので、理解するのは難しい。
……話がそれた。
つまるところ、通常の妖精は人間の五感や機能を再現しているわけではないらしい。
しかし、神霊であるエウはそれらを再現しているらしい。理由は教えてくれなかったが。
「……けど、たぶん、エウが人好きだからだよね」
ポツリと呟きながら、俺は目の前にある義手を見やる。
シトゥラさんの葬式があった翌日。つまり、今日。というか、深夜を超えたから昨日?
まぁどちらにしろ、俺はエウに会いにいった。そこで、今まで知ろうとしなかった妖精や精霊、あと妖人族についても詳しく教えてもらった。
前世のお菓子やボードゲームを沢山創るとか、将来結婚するようなことがあれば必ず自分を立会人にしろだとか、色々と対価を要求されたが、教えてはくれた。
そのおかげで、義手で詰まっていた部分がある程度解消できた。
……それでよかったかどうかは、ちょっと分からないが。自分で乗り越えるべきだったのではないかと思っているけど、仕方がない。急いでいるから。
「……エウももともと感覚を知らなかったわけだし、問題はないよね」
そうつぶやきながら、俺は嘆息した。
「“
はぁ、ともう一度溜息を吐いた俺は、目頭を抑えた。
「駄目だな。もう、寝よ。眠くないけど、余計なこと、考えそう」
義手が上手いこといったため、かなり興奮気味なのだが、そのせいで色々と考えてしまう。
そろそろ自室に戻らないと、アテナ母さんに夜更かししていることがバレるし、俺は自分の工房を出て転移のアーティファクトを使って自室に転移した。
そして直ぐに作業着から
「寝れない」
興奮しているせいか、全く寝れなかった。目を閉じることが苦痛に感じるほど、目がギンギンに冴えている。
ベッドに入った俺は天井を見上げる。
アルたちがアダド森林やラハム山、あとは庭とかで集めに集めた草木が編んだジャングルの天井が見える。
「……そういえば、アルたち。まだ、帰ってこないなぁ」
俺はポツリと呟く。
シトゥラさんの葬式の前夜から、アルたちはいない。アルたちだけでなく、ミズチやユキもだ。
アルたちが家にいないと気づいたのは香流しの少し前だったのだが、俺はかなり慌てた。それはもう、すごく慌てた。
しかし、ロイス父さんたちは行き先を知っているらしく、心配はないとのこと。だがその行き先を教えてくれないこともあって、俺はそれでも心配だったりする。
というか、今日、夜更かししてまで義手制作に取り組んでいたのは、その心配を誤魔化すためでもあるし。
けど、あ~。眠れん!
「……何か飲むか」
仕方がないので、俺は起き上がる。ホットミルクとかでも飲めば落ち着くかな、と思い、俺はスリッパを履いて自室を出た。
二階の廊下を歩き、一階へと繋がる廊下に差し掛かった時。
「セオ。こんな夜中にどうしたんだ?」
「うぉ――」
いつの間にか目の前にはエドガー兄さんがいた。魔力感知を怠っていたらしく、接近に気がつかなかった。
そしてエドガー兄さんは大きな声を上げそうになった俺の口を抑える。
「ちょ、黙れ。セオ。夜中だぞ。母さんたちが起きてきたら怒られるじゃねぇか」
「むがが!」
急に口を抑えられて驚いた俺は、けど怒られると聞いて慌てて頷く。
エドガー兄さんが俺の口から手を離す。小さな声で俺に尋ねてくる。
「それでセオ。トイレか?」
「違うよ。眠れないから、ホットミルクでも飲もうかと思ったんだよ。エドガー兄さんこそ、こんな夜中にどうしたの?」
俺も小声で尋ねる。エドガー兄さんは明日の朝、王都に向けて
それを感じ取っているのか取っていないのか分からないが、エドガー兄さんは階段を下りながら微笑む。
「お前と同じだ。何か飲もうかと思ったんだ」
「眠れなかったの?」
「いや、昨日の今日で忙しかっただろ?」
「正確には一昨日と昨日だけどね」
「どうせ起き続けてるんだし、今日だろ。面倒くせぇな」
俺の冗談にエドガー兄さんは目を細めるしぐさをする。けど、口元は嬉しそうに笑っていた。
エドガー兄さんと一緒に階段を降りながら、俺は続きを促す。
「それで?」
「準備不足だ。寝る前になって、馬車に積んでないものとか、バックに詰め込んでないのを思い出してな。さっきまで慌てて作業してたんだ」
「へぇ~」
珍しい。エドガー兄さんって結構きっちりしているイメージがあったからな。
「そういえば、ベッドとかは持ってくの?」
「いや。寮だからな。それなりに用意されている。ただ、向こうでなるべく買うものは抑えたいからな」
「お金はそれなりにあるんでしょ?」
「あるが、無闇矢鱈に使う物でもないだろう。幸い、父さんたちから空間拡張が組み込まれているバックを貰ったからな。箪笥とかでも持っていける。まぁ、お前の“宝物袋”にはかなわないが」
「まぁ、クロノス爺から貰ったチート
「全くだ」
一階に降りて厨房室に向かう俺とエドガー兄さんは、カラカラと笑う。
そうして厨房室にたどり着き、エドガー兄さんは冷蔵庫に似た魔道具の扉を開く。
「ミルクは……あるな。セオ、マグカップとってくれ」
「ん」
俺は棚から、俺とエドガー兄さんのマグカップを取り出す。中央の厨房机に置く。エドガー兄さんは置かれたそれぞれのマグカップにミルクを注ぐ。
「そういえば、このマグカップは持っていくの?」
マグカップはお客さん用とは別に、個人個人専用のがある。ティーカップとか、他にもそういうのがある。
「……どうすっかな。持っていくか」
「そう、分かった。なら、あとで手伝うよ」
「ありがと。助かるぜ」
そう言いながら、エドガー兄さんはそれぞれのマグカップにミルクを注ぎ終えた。それからエドガー兄さんは火魔法を使い、とても小さな火を二つ作り出す。
それをマグカップのミルクに入れて数十秒。湯気が立ち上がったところでエドガー兄さんは火を消した。
「ほらよ、セオ」
「ありがとう、エドガー兄さん」
俺はホットミルクが入ったマグカップを受け取った。
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