第32話:愉快な老夫婦:fourth encounter
「少し待ってくれ」
「直ぐ準備するわ」
「旦那様も奥様も用意は私がしますから、座っていてください!」
屋敷の大きさの割に、そこは簡素だった。庶民的と言ってもいい。
昨日多くの貴族宅を周ったから分かるのだが、キッチンとリビングダイニングが接していることは殆どないし、全てばらばらだ。
特にダイニングは豪華絢爛と言ってもいいし、ダイニング机はとても大きい。前世の漫画とかアニメで見た感じだ。絵とか美術品もいっぱい飾ってある。見栄というものだろう。たぶん。
それを考えると、
だが、ここは屋敷が他の貴族よりも物凄く大きいのに対して、キッチンとリビングダイニングが接しているし、そのキッチンも二人程度が自由に動け回れるくらいに小さい。
リビングダイニングの大きさも、トーンさんレミファさん夫妻とメイドさん二人がそれなりに動けるくらいの大きさしかない。
まぁ、それでもキッチンの設備は魔道具がふんだんに使われているし、机や椅子も簡素ながらも、質がいいものだった。
たぶん、トーンさんレミファさん夫妻は実用的な質の高さを求める人たちなんだろう。余計な見栄はいらないと言った感じか。
トーンさんとレミファさんをキッチンから追い出したピンク髪のメイドさんが静かに音をたてながら、紅茶やお菓子を準備しているのを目端に捉えつつ、俺は部屋を見渡してそう思った。
ちなみに金髪のメイドさんとレモンは馬車の停留調整をしているため、ここにはいない。
「むぅ。私が準備したかったのだが……」
「私もよ……」
ピンク髪のメイドさんに追い出されむくれていたトーンさんとレミファさんは、手持無沙汰の俺たちに気が付く。
「ああ、済まない。ロイス君、ラインヴァント、セオドラー」
「そこに座ってください」
レミファさんは、ロイス父さんに普通の椅子を、俺とライン兄さんには足を置く台が椅子の下部に備え付けられているいわゆる子供用の椅子を指し示した。
ただ、俺の知る限り子供用の椅子などというものは普通に売っていない。
以前アカサ・サリアス商会にそういうアイデアを出したところ、専門の職人が商標登録して独占販売しているため売れないと聞いた。それは、オーダーメイド式の高価な椅子となっている。
貴族としても持っているのは少ないだろう。
そして見た感じ、俺とライン兄さんのその子供用の椅子は使う古された感じが一切ない。新品同様だ。
つまるところ、俺達のために用意したのだろう。
「ありがとうございます、トーンさん、レミファさん」
「「ありがとうございます」」
申し訳ないような、けれどその好意に嬉しく思うように眉を八の字にしながら、ロイス父さんがトーンさんとレミファさんに礼を言ったため、俺もライン兄さんも倣って笑顔でお礼をいう。
俺達のために準備してくれたって、普通に嬉しいからな。自然と笑顔になってしまう。
「……おお、神よ。私をここまで生かしてくれたこと、感謝いたします」
「……ああ、神よ。ここまで私を生かしてくれたこと、深く感謝します」
そしたら、トーンさんとレミファさんが膝を突いて、唐突に祈りだしてしまった。それはもう真剣に。まさに敬虔なる信徒と言ってもいい厳かな雰囲気を醸し出している。
物語とかで出てきそうだ。
俺もライン兄さんもそれに茫然とする。
ロイス父さんは少しばかり慣れているのか、困ったように眉を八の字にし、丁度お茶や茶菓子の用意を終えたピンク髪のメイドさんを見やった。
ピンク髪のメイドさんが、溜め息を吐く。
「旦那様、奥様。いい加減にしないと、先日注文されたヴァイオリンをキャンセルしますよ」
「おお、済まない!」
「さぁさぁ、座って、座って!」
「「ぇ……」」
霧散した。
厳かで敬虔なる信徒
ギャップが凄い。
それに更に茫然としそうになるが、ロイス父さんが少しばかり咳ばらいをし、席に座ったのを見て、俺とライン兄さんもどうにか席につく。
トーンさんとレミファさんは俺たちの向かい側の席に座る。
ピンク髪のメイドさんが、用意した紅茶や茶菓子を並べていく。
同時に静寂が部屋を包む。
いや、トーンさんとレミファさんは好物のお菓子を目の前でおあずけされてるようにソワソワして、チラリチラリと俺達の方を見るのだが、口を開かないのだ。
そうしてピンク髪のメイドさんが紅茶と茶菓子を並び終えたとき、ロイス父さんがわざとらしく咳払いをする。
「こほん。……ええっと、お久しぶりです、トーンさん、レミファさん。アテナは一緒に来れませんでしたが、ラインヴァントとセオドラーを連れてきました」
ロイス父さんがチラリと俺とライン兄さんに目配せする。自己紹介しろということなのだろう。あと雰囲気的に、堅苦しい感じではないのかな?
なので、ライン兄さんから自己紹介をする。
「ラインヴァント・マキーナルトです。ラインって呼んでください。……ええっと、趣味は絵を描くことと、動植物の研究、後は音楽とか彫刻とか、色々してます」
「セオドラー・マキーナルトです。セオって呼んでください。趣味は魔道具作りとか、読書とかです」
……むぅ。これでよかったのか?
こう貴族としての挨拶は物凄く頑張って習得したのだが、こうロイス父さんにとってはとても親しい人で、俺にとっては見知らぬ人への挨拶って難しいんだよな。
しかも、今回は本当に私的な感じのようだし。
そう思ったら、俺たちの自己紹介に目を細めながらうんうんと頷いていたトーンさんが自分の胸に手を当てて、自己紹介をしてくれる。
「初めまして、ライン、セオ。私はトーン・カンツォーネ。トーンお爺ちゃんって呼んでくれると嬉しいぞ。趣味は……楽器の演奏や作曲……特にパイプオルガンとトランペットを少し得意としているな」
「初めまして、ライン、セオ。私はレミファ・カンツォーネ。レミファおばあちゃんって呼んでくれると嬉しいわ。趣味は、夫と少し被るけど演奏ね。ピアノが少し得意なの。後は……楽器の修理も多少するわね」
……さっきピンク髪のメイドさんがヴァイオリンがどうたらこうたら言っていたが、音楽家夫婦というわけか。
と思って、静かに部屋の隅で佇んでいるピンク髪のメイドさんを見やったら、自己紹介を催促したように捉えられたらしい。
ピンク髪のメイドさんがカーテシーをする。
「私はテノールです。カンツォーネ家に仕えるメイド長でございます。……とはいえ、そもそもメイドは私ともう一人、アルトの二人しかいないのですが」
ピンク髪のメイドさん――テノールさんがあり得ないと言わんばかりに付け足せば、トーンさんとレミファさんが唇を尖がらせる。
「いや、だってな。そういっぱいいてもな? それにお前たちがいればそれで十分だし増やす必要はないぞ」
「そうよ。今更こんな老骨のために人を雇わせてもね。っというか、テノール。あなたもそんなところで立ってないで座りなさい」
「……はぁ」
テノールさんは座れ座れと言わんばかりに目で訴えるトーンさんたちに呆れた表情を向ける。
それからロイス父さんに軽く頭を下げるが、ロイス父さんは気にしないでくださいと言う。
それを受けてテノールさんはトーンさんたちの隣に座った。
…………いい加減、我慢ができない。
自己紹介をしてもらったが、どうにも要領がつかめない。結局、トーンさんとレミファさんはロイス父さんや俺達にとってどういう人たちなんだ?
ライン兄さんもそんな感じの表情をしており、また俺もそんな感じの表情をしていたのだろう。
ロイス父さんは咳ばらいをして、俺とライン兄さんを見やりながら口を開いた。
「トーンさんとレミファさんはね、王室名誉楽師であり、アテナの両親……ラインたちのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんだよ」
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