第6話:勘違いしていようと、そうでなかろうとすれ違っていく:アイラ

 アイラは呆然とした様子でそれを眺めていた。


 それから何度も何度も息を吐こうとしては、けれど喉で詰まってしまう。そんな様子にリーナもクラリスも気が付いたのだろう。


「アイラ様、どうかしたのですか?」

「……ぇ……ぃ……ぁ」

「アイラ様!?」


 リーナが慌ててアイラに駆け寄る。上手く呼吸できないアイラの背中をゆっくりと撫でる。クラリスはアイラが見ている方向、つまり王都の南の方をチラリと見やり、一瞬だけ目を細めた。


 混乱しているアイラはもちろん、リーナもそれに気が付かない。


「アイラ様、落ち着いてください。ゆっくり、ゆっくり息を吐いて。吸って」

「……はぁ……すぅ……」

「そうです、そうです。私の指は分かりますか?」


 アイラの前に屈んだリーナは、アイラの前で人差し指を立てる。いつもなら魔力の視界しか見えていないアイラでも、リーナの指を判断できる。


 けれど、


「……わ、分からないわ」

「ッ。クラリス様っ!?」


 アイラは自らでも困惑したように首を横に振る。リーナは自分では緊急的判断と行動が取れないと瞬時に察し、クラリスを見やる


「落ち着け、リーナ。お主が動転しては意味がない」

「ですがっ!?」

「アイラに異常はない。それよりも抱きしめてやれ。赤子の頃から世話していたお主なら、それだけすれば落ち着く」


 リーナはアイラを抱きしめる。ゆっくり、ゆっくりと。


 そうすれば、荒かったアイラの呼吸も、動転していたリーナの気も落ち着いていく。それを横目で見ながら、外に顔を向けていたクラリスは感心したように呟く。


「……ライン坊まで。やるの」


 その呟きは小さすぎてアイラもリーナも聞き取ることはできなかった。


 それから数分して、落ち着いたアイラは居住まいを正し、クラリスを見やる。


「……クラリス様。人は四つも魔力を持てる……いえ、そもそもどれが本当の魔力なのですか?」

「なんのことだ?」

とぼけないでください。今、マキーナルト子爵様の馬車が王都に入られました。その馬車にいた二人の子供。共に魔力がおかしかった」


 アイラはごちゃごちゃして訳も分からなくなるような状況をゆっくりと整理していく。見間違えなども考慮して。そして自分のを確かに信じて。


「私は魔力の世界しか視ていません。この世界には魔力が満ちてます。空気中にも建物や物、そして人にも。大抵の魔力は薄くて曖昧です。空気中の魔力が最もです。だから、私は空気を隔ててもその向こうにいる魔力を認識できる」


 アイラは整理した情報をゆっくりと述べていく。


「しかし、マキーナルト子爵が乗っていた馬車に込められた魔力はもちろん、その周囲にいる人……四人とその二頭の馬。全員の魔力量が膨大で濃密なせいで、透過して見ることは確かに難しかった」


 けれど、とアイラは続ける。


「そのうちの二人の子供。たぶん、子供のはずです。重なるようにマキーナルト子爵と恐ろしいほどの、それこそクラリス様以上の魔力量の人がいたせいで、輪郭が潰されていましたが、けど、たぶん、子供のはずです」


 リーナは口を挟まない。クラリスはずっと黙ったままだ。


「その二人の子供の魔力がおかしかった。いえ、御者の獣人……だと思います。その方の魔力もおかしかったですけど……」


 核心部分の情報が未だに整理できていないのか、アイラは何度か深呼吸する。


「私が視てる人の魔力は、その人の魔力です。着ている服などによっては、その服の製作者の魔力が混ざる事があるので、大抵はその人の内部の魔力を見ています。それで問題はないんです」


 アイラはリーナを見やる。


「リーナ。人は、生物は魔力を放出しているわよね」

「え、ええ。はい。なので、魔力感知などを掻い潜るために放出魔力をできるだけ抑えますが。アイラ様と過ごして分かりましたが、たぶん通常、私たちは放出魔力しか感知できていないので」

「ええ、分かってるわ。そして放出魔力と内部の魔力は、リーナみたいに抑えている人は量に差はあるけど、それ以外の差異はない……はずだった」

「はずだった?」


 リーナはアイラの言葉にまさか、と思う。アイラはリーナの内部の魔力を視て、そこから感情を読み取り、頷いた。


 うん、やっぱり自分のはいつも通りだ。


 アイラはクラリスに問いかけようとする。


「放出魔力は偽装できるんですか? しかも、自分のだけじゃなく、他人のも。いえ、放出魔力なの? 偽装しているのは内部の魔力? でも……」


 けど、途中で上手くまとまらなかったのか自問自答に陥りそうになってしまった。


 と、今まで口を開かなかったクラリスがゆっくりとアイラに尋ねる。


「お主が視たその二人の子供について教えてくれ」

「……はい」


 アイラは脳裏に焼き付けた光景をしっかり思い出す。


「その二人の子供の内、片方は三つの魔力がありました。先ほど言った通り輪郭はぼやけていたから、確かではないですけど、体全体に柔らかく儚げな感じの緑に近い魔力。それと首……上半身のどこかしらに澄んだ青々しい、あの最初の絵本の空に似た魔力。それでその周囲に漂う……放出魔力は少し無味な、けれど優しい緑の魔力」


 つい一年前からツクルから送られてくるようになった絵本は、実際のインクの色と魔力の色が合致していた。クラリスが慌てて確認したが、向こうは全く分からないとの事。


 ただ、本当に合致していたため、アイラは多少の色の言葉が分かる様になっていた。


「もう片方の子供は、五つの魔力がありました。上半身……たぶん頭にお日様を全身で受け止めるような緑の魔力。柔らかな紅い魔力。黄色い魔力。放出魔力は、薄暗くてちょっと近寄りがたい深緑の魔力。そして……体全体は……」


 アイラは一度大きく息を飲む。逸る心を落ち着かせるように、何度も何度も「まだハッキリしていない。分からない」と言い聞かせる。


「……ツクル様……によく似た木漏れ日の深緑の……魔力」

「ッ!」


 リーナが息を飲む。


 アイラにとってツクルは特別な存在だ。それが絶対的基準になっていると言ってもいい。


 つまるところ、ツクルに関して使う『似ている』や『近い』などという言葉は、その言葉が表す範囲が広くない。ほぼほぼ一致していて、それでも自信がない時に使うのだ。


 今、自分が出せる言葉を全て吐き出したアイラは、潤んだ瞳をクラリスに向ける。


「クラリス様は、ツクル様を知っているんですよね!? なら、教えてください! その子供はツクル様なんですか!? 内部魔力を偽装した他人なのですか!?」

 

 それは悲痛とも取れるような叫び。


 クラリスはその黄金の瞳を恐ろしいまでの細め、アイラの透明とすら思ってしまう白銀の瞳を射貫く。


「仮にだ。お主がツクルが誰であるか分かった時、お主はどうするのだ?」

「それは……」


 アイラはゆっくりと息を吐く。以前決意したことを心の内で確かめ、その覚悟を言う。


「私が全てを、王族でもなく器としてでもなく、それら全てを乗り越えた暁に、一人の銀月の妖精として、アイラとして会いに行きます。一言、ありがとう、と」

「別に今会っても向こうは大して気にせんと思うぞ。なんせ、適当な奴だからの」

「いえ、私のけじめです」

「八歳児がけじめなど言うものではないが……」


 そう溜息を吐いたクラリスは頬を緩ませる。それから軽く頭を下げる。


「一応な、ツクルとは幾つか契約を交わしている。そのうちの一つに守秘義務がある。向こうは妙にそこにうるさくての。以前、それでトラブっただの、上司が阿呆をやっただの……」

「あ」


 それを聞いてアイラは分かった。あの子供はツクル様ではないと。子供に上司などいるはずもないし。仕事をしているわけでもないのだ。


 そもそも思えば、自分のような子供がそう何人もいるはずがない。契約にうるさい子供がいることがおかしい。


 そう冷静に考えながらも、アイラはクラリスの言葉に耳を傾ける。


「だから、お主が視たロイスの子供がツクルかどうかは言えん。だが、生誕祭で出会うであろうそやつは、良い奴じゃ」


 それからクラリスは懐から懐中時計を取り出す。


「そろそろ、講義の時間だ」


 クラリスは立ち上がった。


 そうだ。今は一つでも多くのことを修練するしかないのだ。


 アイラもリーナの手を借りて車いすに座り直し、部屋を出た。





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