第46話
今年のお正月はホントにやばかった。
まさかあそこまで人が集まるとは思っておらず、自分の知名度の高さを改めて自覚させられてしまう年始であった。
朝から日暮れまでずっと社務所に籠もって御朱印を押し続けたのだが、どれだけ捌いても行列が終わることはなく、警察の人が解散を指示してくれなかったら自宅に戻るのがかなり難しかったと思う。目の前まで並んでくれている人に『ここで終わりです』と伝える度胸はあのときの私には無かった。
また、蛇谷神社の御朱印がネット上で高額転売されてしまっている状況にあるため、yourtubeのコメント投稿機能を使ってしばらく御朱印の配布はしないことを公表した。
そのおかげで今のところは平日に参拝客が押し寄せる事態を免れている。yourtubeという発信チャネルを確保しておいて本当に良かったと改めて思った。
まだ自己紹介動画の1本しか投稿していないにも関わらずチャンネル登録者数はすでに1000万人を突破している。リヴァイアサンを討伐してからは海外からのコメントも多く見受けられるようになった。
自己紹介動画の最後で『次は妖魔の討伐動画を投稿します』と言ってしまっているので、そろそろ何か準備をしなければならないところである。
そんな風に一人で考え込んでいると、奥のパソコンが置かれたデスクから税理士の鈴木先生が声をかけてきた。
「蛇谷さん、確定申告に必要な書類はこれで大丈夫です」
1月中旬、私は税理士の鈴木先生の事務所に確定申告に必要な書類を届けに来ていた。鬼神の角の鑑定書やリヴァイアサンの妖結晶を国に売却したときの書類など、一通りの書類を鈴木先生に確認してもらうためだ。
「納税額が確定したらまたご連絡します」
「ありがとうございます、また来年もよろしくお願いしますね」
短く挨拶してから鈴木先生の事務所を出ると外では風が強く吹いていた。1月の身を切るような冷たい風に道を行く人は皆コートの前をしっかりと閉じている。
それを真似するように左手に持っていたダウンジャケットを着込んでから、私は原付バイクのエンジンをかけた。
■■■
2月に入った尾原高校のお昼休み、座席でお弁当を食べる早苗が向かいに座って本を読んでいる蛇谷水琴にこう質問した。
「そろそろバレンタインだね、水琴は誰かにチョコ渡したり……ってしないか」
「ん? ああ、チョコレートならもう予約してあるよ」
蛇谷水琴がそう言った瞬間、教室内が一気に静まり返った。予想外の返答に驚く早苗に対して、水琴は今読んでいる小説の内容に没入しているようだった。
ハードカバーの本の文字列に焦点を合わせている水琴は教室内の全員が二人の会話に聞き耳を立てていることにも気づかず、残りページ数の少ない小説に没頭したまま会話を続ける。
「へ、へぇ〜、それって友チョコとか?」
「いや、それだけじゃないけど」
「じゃあ、まさか男の人とか?」
「うん、まあそんな感じ」
彼女のその言葉に今度こそ教室内の生徒全員が絶句した。特に男子生徒などは誰が蛇谷水琴のチョコレートを受け取れるのかお互いに視線で牽制をしはじめるくらいだ。
しかし、今読んでいる小説がクライマックスのシーンであるせいで、その考察に脳の容量の大半を割いている水琴は周囲の異変に気づかない。
今年のバレンタインである2月14日は日曜日、そのため学校は休みだ。つまり蛇谷水琴が学校の誰かにチョコレートを渡すとすれば金曜日の12日か、あるいは休み明けの15日になる。
ちょうど小説を読み終わったところらしく、満足そうな水琴はハードカバーの本を閉じて早苗との会話に再び意識を向けた。
「ふぅ、なかなか面白い小説だった……えっと何の話だったっけ……あ、バレンタインか。うん、明日の夕方にチョコレート受け取りに行くつもり」
バレンタイン直前の金曜日の夕方にチョコレートを受け取るということは、学校でそれが渡されるのは月曜日の15日である可能性が高い。
その日は絶対に休めない、クラスの男子全員の意識が完璧に合致した。
ちなみに蛇谷水琴は男女問わず誰とでも分け隔てなく仲良く接するタイプの人間である。前世も含めた精神年齢的にやや老いているせいで、彼女からすれば高校生など全員が子供のようなものだった。女子に人気のある男子でも、そうでない男子でも蛇谷水琴は特に態度が変わらない。
蛇谷水琴が気のありそうな男子を上げてみろと言われても誰もが「わからない」かあるいは「いないんじゃない?」としか答えられないだろう。
そんな水琴がまさかのチョコレートを用意しており、そして渡す相手に男が含まれているという情報はその日中に学校内に知れ渡った。
様々な思惑が生徒たちのあいだで交錯する中、渦中の蛇谷水琴が考えていることは、『今読んだ作家の別の小説を図書館で借りてみよう』ということだった。
■■■
金曜日の放課後、私は学校から直接自宅には帰らず駅前のデパートに来ていた。目的地は地下一階の食品売り場の洋菓子コーナーである。
「すみません、予約してた蛇谷です」
「あっ、蛇谷様ですね、お待ちしておりました」
茶色の頭巾をかぶった女性店員に声をかけると、彼女はカウンターの裏側から大きな紙袋を3つ取り出してきた。
「店頭でのお受取はこちらの3箱でお間違いございませんでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「クール便の方はすでに発送が完了しておりますので、14日には問題なく到着致します」
「ありがとうございます」
ガラスのショーケース越しに紙袋を受け取って会計を済ませる。とりあえず一番高いものを選んでおいたのだが、それでも郵送分合わせて10万円もかからなかった。
郵送分の送り先は税理士の鈴木先生と鍛治川家、私がいま受け取ったのは県庁の妖魔対策課に渡す分である。本当はお正月にお世話になった警察署にも送ろうと思ったのだが、仲良くなった警察官に聞いてみると、『警察は贈り物を受け取ることができない』とのことだった。
同じ公務員でも県庁の妖魔対策課のほうは割と緩いらしく、内々で渡すぶんには受け取ることは可能らしい。なので14日の日曜日の妖魔討伐出張のために山下さんが迎えに来てくれたタイミングでこれを渡す予定である。
お会計が終わって財布を学生カバンに仕舞おうとしたところで担当してくれた女性店員が何かを手渡してきた。
「こちら新商品のクッキーの試供品になっておりまして、よろしければお受取ください」
片手に収まるサイズの綺麗に包装された小箱を手渡される。たぶん私が業者ばりにチョコレートを大量購入したので、そのお礼として渡されたものなのだろう。
このあと2軒目のチョコレート屋に行かなければならないので少し急いでいたわたしは、手早くそれを受け取って財布と一緒に学生カバンにぶち込んだ。
2軒目のチョコレート屋は庶民的なメーカーである。
ここで買うのはクラスメイトの女の子のうち、私と同じグループに所属している子に渡す分のチョコレートなのだ。女子高生のクラス内政治を穏便に過ごすための賄賂とも言える。
高校生に高級チョコレートを渡すのもどうかと思ったので、5000円くらいの安い詰め合わせを一箱購入しデパ地下を後にする。自宅に戻ってからバラして小さいビニール袋に小分けにして詰めるので一箱で十分足りるのだ。女子高生は安上がりで助かる。
その後、紙袋をいくつも抱えて歩いて帰るのも嫌だったので帰りはタクシーを利用した。
ちなみにバレンタインでチョコレートを男にも配ることを龍神に伝えているのだが『別にどうでもいいから好きにしろ』とのありがたいお言葉を頂いている。
肉体的な接触がない限りは別に気にしないらしい。
……反省文は二度と御免である。
■■■
鍛治川家にも鈴木先生の事務所にもチョコレートが届いたことはお礼の電話で確認済み、日曜日に山下さんに妖魔対策課宛の3箱は手渡したので、残るはクラスの女子宛の友チョコだけである。
月曜日の朝、チョコの入った紙袋を持ったまま登校する。教室に入った瞬間めちゃくちゃ視線を感じたが、とりあえず自分の席についた。
特に男子生徒からの視線がチラついてしょうがない。
二学期に入ったばかりの頃のモテ期はだいぶ落ちついたのだが、それでも引き続き男子からの視線はわりと感じるのでたぶん今の私は1年生の女子の中では結構モテる方なのだろう。眼鏡を外しただけなのに随分な変わり様である。それとも胸が大きくなった影響だろうか……男子高校生なんて単純なものだ。
まあ男子の分のチョコレートなど無いので、さっさと友チョコを渡し切ってしまおう。そう思ったタイミングで早苗が教室に入ってきた。
「おはよ早苗、はいバレンタイン」
「あ、ありがと水琴」
私が早苗に渡した勢いで、同じグループ内の女子全員に一気に友チョコを配布する。早苗たちのほうもお互いに持ってきたチョコレートやらクッキーやらを交換し終えたみたいだ。お菓子を食べられない私はみんなから代わりにハンカチを一枚貰った。友人たちの気遣いが少し嬉しい。
今年も蛇谷水琴をハブらないで下さいよろしくお願いします、といった感じの友チョコ交換会は無事に完了した。
空になった紙袋を小さく畳んでいると、不思議そうな顔の早苗が話しかけてきた。
「……あれ、チョコレートそれで終わり?」
「うん、もう全部配り終わったよ」
妖魔対策課、鍛治川家、鈴木先生、クラスの女子あてにそれぞれ購入したチョコレートは完璧になくなった。蛇谷神社はフードロス・ゼロを目指しています。
「男子に渡す分は?」
「いやそんなの無いけど」
「え、だってこの前、男の人にも渡すって……」
「ああ、親戚と役所と税理士のこと? もう渡したよ」
私がそういうと早苗は一気に脱力したようで、机に突っ伏してしまった。
■■■
その日の放課後、私は図書館に来ていた。
今借りている本を返して、同じ作家のものをまた借りるためである。
その作家の小説が並べられているコーナーに立って、次に読むべき本を吟味する。幸いその作家の書籍はうちの図書館に多く蔵書されているようで、お陰でしばらくは退屈しなさそうだ。
5分ほど色々と試し読みしてから選んだ本を貸出カウンターに持っていく。
「これの返却と、これの貸出お願いします……あっ」
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないです」
図書委員の生徒に貸出手続きをお願いしたのだが、その時にカバンの底であるものを発見してしまった。
(試供品のクッキーのこと忘れてた……)
店員から貰ったことも忘れていたし、ハードカバーの本に隠れていたせいで発見するのも遅れてしまった。2月の寒い気温で保管されていたのでたぶん中身は大丈夫なはず、パッと見た感じ包装紙も崩れたりしていないので割れたりもしていないだろう。
別にクッキーの一つくらい捨ててしまっても良いのだが、食べ物を粗末にするのはバチが当たりそうで嫌なのだ。今からでも誰かに渡してしまいたい、いや早苗たちも先に帰っちゃったしなぁ……。
「仕方ない……捨てるか」
こんなことなら試供品を受け取るときに断っておけば良かった、そう思いながら図書館の中を歩いていると自習スペースに見知った顔があった。
クラスメイトの鈴木君である。
私が鬼神を討伐したあと、角と妖結晶を運ぶためのリュックサックを貸してくれた男子だ。
「鈴木君じゃん、放課後も勉強してるの?」
「え、――へ、蛇谷さん!?」
よほど勉強に集中していたのだろう、声をかけるまで私がいることに気づいていない様子だった。広めの自習スペースには今のところ鈴木君と私の2人しかいない。試験期間でもないのに放課後に図書館で勉強なんて熱心だな、と思って彼が開いている参考書を見ると『日商簿記1級』と書かれていた。
「すごっ、簿記の一級の勉強してるんだ」
「え、ああ、うん。高校生のうちに合格したくてさ」
「へぇー偉いね、やっぱりお父さんみたいに税理士目指すの?」
「うん、できれば公認会計士になりたいんだけど、とりあえず今はこれの勉強中」
少し恥ずかしそうに自分の夢を語る鈴木くんであるが、その参考書はかなり使い込まれていて彼の努力の跡が垣間見える。
まだ高校1年生なのに自分の夢に向かって努力できるなんて素晴らしい、こういう子が日本の将来を支えていくんだろうなぁ、と老婆心ながら感心してしまう。……って今は私も同じ高校生なのだけれど。
そこで一つ思いついた。
「そうだ、じゃあこれあげるよ」
「え!! こ、これもしかして……!?」
「デパ地下でクッキーの試供品貰ってたんだけど私じゃ食べられないからさ、代わりに食べてよ」
カバンから取り出した箱を差し出すと、鈴木くんは酷く狼狽しながらも、しっかりと両手で受け取った。
自分で言うのもなんだが今の私は割と男子にモテる方だ。人気度でいえば上位10%くらいには食い込めるんじゃないだろうか。
そんなクラスメイトの女子からチョコを貰ったのなら鈴木くんも悪い気はしないだろう。試供品なのでひと目で義理だとわかるのも都合が良かった。
「ほ、本当に貰って良いの?」
「いいよ……ていうか鈴木くんの家には私のチョコレートもうあるでしょ」
何を隠そう彼は税理士の鈴木先生の息子なのだ。
先生の事務所にチョコが届いたのは昨日なので、当然彼は既にそのことを知っているはずだ。この試供品のお菓子を渡したところですでに渡したものに一つ追加されるだけに過ぎない。
「それにほら、鬼神のときにリュックサック貸してくれてありがとね、お父さんにもよろしくって伝えておいて」
「あ、うん、もちろん」
「それじゃ、勉強頑張ってね」
短く別れの挨拶をして図書館を後にする。
食べ物を粗末にせずに済んで良かった。
■■■
鍛治川家の本邸のとある一室、そこは女衆の炊事場でありながら、他所からの頂きもののお菓子類が集められる部屋であるため、小腹を空かせた退魔師の男衆もしばしば立ち寄ってくる。
その部屋を当主の鉄斎が通りがかったとき、彼の目に机に置かれたチョコレートの詰め合わせが目に止まった。
抽斗がついているタイプの高級感のある菓子箱、それは蛇谷水琴が鍛治川家に送ったバレンタインのチョコレートであった。
「これはどこからだ?」
「蛇谷家からでごさいます」
炊事場にいたお手伝いの老婆にそう質問した鉄斎は、蛇谷家からのチョコだと知ると2粒ほどひょいと摘み上げてまとめて口に入れて頬張った。
味の感想なども言わず、鉄斎はゴリゴリとそれを咀嚼しながら部屋を通り過ぎていった。
「……甘いものが苦手な大旦那様にしてはめずらしい」
お手伝いの老婆はそう小声で呟いた。
またその数時間後、ヘトヘトの様子の鍛治川鉄仁がその炊事場を通りがかった。
彼は先日の研究発表会で鉄斎から、蔵人家の研究を手伝うよう命令を受けていた。ひたすら実験と分析を繰り返すタイプの地味な研究を、彼はすでに2日連続徹夜で遂行している。
何か飲み物を、と炊事場の冷蔵庫を漁りに来た彼の目に入ったのは机の上のチョコレートだった。
「ああ、もう2月か……ヤバいなぁ……、まあ疲れたときは甘いものって言うし、とりあえず休むか」
炊事場の丸椅子に腰掛けて冷蔵庫から取り出したペットボトルのお茶を飲みながらチョコレートをパクパクと口に入れていく。久しぶりに口にした甘味の美味しさに、鉄仁の目尻には涙が浮かび始めていた。
「チョコ美味いなぁ」
「そんなに美味しいですか――――水琴さんのバレンタインチョコレートは」
そう言いながら炊事場に入ってきたのは彼の妻の春花だった。彼女の顔は満面の笑みを浮かべているのだが、鉄仁はその内心がまったく逆のものであると瞬時に察した。
鉄仁がチョコに伸ばしかけていた右手を引っ込めると、春花は重ねてこう言ってきた。
「あら、お邪魔してしまったようで申し訳ありません、どうぞ、お食べください」
ニコニコとした顔で言う春花だが、鉄仁には彼女の表情が般若のそれに見えて仕方がなかった。
ここを何とか乗り切らなければ、と二徹明けの頭をフル回転させて鉄仁はこう答える。
「……そ、そういえば今日ってバレンタインだったよね、春花のチョコレートが食べたいなぁ」
「まあ、そうだったんですね。ちょうど、ついさっき、今しがた、ガトーショコラが焼き上がったところだったんです」
両手を合わせて嬉しそうに言う春花だが、まだその怒りは収まっていないように見受けられる。
「徹夜続きの鉄仁さんに甘いものを、と思ってご用意していたのですがどうやら無用な気遣いだったようですね」
「待って、春花、落ち着こう」
「? 私は落ち着いてますよ」
落ち着いている、と口ではそう言う春花であったが、重ねた両手は爪が食い込むほどに強く握られている。
……鉄仁が春花の機嫌を直すのにどれほどの労力を要したかについては、もはや語るまでもないだろう。
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