第16話

 テレビの映像越しにしか見ていなかった鬼神と初めて直接対面したとき、私はきっと取り乱すだろうと思っていた。龍神と出会ったときのトラウマが想起されて正気ではいられなくなるだろうと。



 けれども鬼神を目の前にした時の私は極めて冷静だった。いや冷静だったどころか、次のようなことまで思ってしまったのだ。


(――――これが鬼神? この程度の妖魔が?)


 初めて鬼神を目の前にして彼の溢れ出る霊力の奔流を目の当たりにしたとき、龍神の足元にも及ばないと直感的に理解した。


 夏休みに初めて出会った龍神はこんなものではなかった。霊力の質も量も練度も、目の前の鬼神とは天と地ほども差がある。毎晩寝床で抱かれている私が言うのだから間違いない。もっとも鬼神が敢えて霊力を抑え込んでいる可能性もあるかもしれないと思ったが、しばらく会話して推察される鬼神の性格からその線は消えてしまった。


(これが本当に災害級の妖魔?)


 どちらかといえば、中型、大型妖魔の延長線上にあると言われたほうがしっくりくる。

 龍神と比較した上でも、半霊体化した自分自身と比較してもこの鬼神は遥かに格下だという確信があった。



 けれども実際に戦ってみると苦戦した。

 渾身の【裁断結界】は通じず、カウンターで繰り出される鬼神の咆哮は被弾すれば私の寿命を数十年単位で確実に削ってくる。

 あきらかに鬼神は私にとって格下であるという感覚があるにも関わらず、どうしても攻めきれないでいた。



 鬼神の強さを例えるならば―――そう、サバイバルナイフを持った中学生だ。鬼神の【怪力】と【咆哮】という術式は間違いなく兇器だ。なんどもその攻撃を受け続ければ私はいずれ出血死で負けてしまうだろう。


 それに対して私も【結界】と【分断】という術式で対応していた。どちらの術式も本来は攻撃用途ではないのだが、むりやり一般の武器に例えるとすれば短めの警棒くらいのものになるだろうか?


 とにかく私は、自分の持っている武器がそれだけだと思いこんでいた。


 退魔師が武器とする、霊具や霊符とはそもそも何か。

 紙に墨で術式を転写したものが霊符であるならば、内臓の至るところに龍紋を刻まれた私の肉体そのものもある種の霊符だと言える。


 要するに、私は最初から鬼神とステゴロで殴り合うべきだったのだ。今この場にあるなかで最も強い武器は、私の肉体そのものなのだから。鬼神に蹴り飛ばされてもあまりダメージを受けていない時点で気がつくべきだった。



 右手を半分切り飛ばされた鬼神は私から少し距離をとって困惑していた。欠けた右手を見ながら何やら思案している。


 5メートル強ある頑強な肉体の上に据え置かれた般若顔が困惑しているのを見てすこしだけ気分が良くなると同時に、この妖魔はすでに日本人を40万人以上殺害していることを思い出す。また目の前の鬼神とは別の妖魔ではあるが、今世の両親を殺したのも同型の妖魔である。


 私と鬼神の立場、そしてきっとお互いの表情も入れ替わっている。


「馬鹿な……貴様、今まで手加減を――――」


「忌々しい」


 鬼神の驚いたような言葉を遮って、私は続ける。


「お前程度の妖魔が大きな顔をしているのが、私は許せない」


 一息で地面を蹴り、鬼神の首元へかなり無茶な体勢で回し蹴りを食らわせた。当然、鬼神の首に触れた私の右足には【分断】の術式が内包されているので、私の膂力と術式効果で鬼神の首は空高く跳ね飛ばされた。


 確かな手応えを感じて着地して振り返ると、空から一本角がくるくると回りながら落ちてきた。

 それをキャッチして、先程まで鬼神の首から下が立っていた場所を見るとそこには誰もおらず、代わりに人間の頭部ほどの大きさの妖結晶が落ちていた。


 妖結晶と鬼神の角を両手に抱えて、その戦果を噛み締めつつ、そういえば同級生たちの乗ったバスを送り届けるために九州まで来ていたことを思い出した。


「やばいやばい、バスの移動時間と私が家まで帰る時間考えたら日没ギリギリかも」


 やる事を済ませたら急いで自宅に戻らないとあの龍神が何をしでかすかわかったもんじゃない。

 そう思った私はすぐに林間学校のホテルの方向へ向かった。



 ■■■



 重たくて持ち運びがしづらい妖結晶と鬼神の角を抱えながら全力でダッシュしてホテルに戻ると、同級生たちの乗るバスを囲む守護結界は未だ健在で、その周囲にも妖魔らしき存在は確認できなかった。


 2時間以上結界の中で待たせてしまっているので酸欠になっていまいかと心配したが、中の様子を見る限りそれも大丈夫そうだった。


 結界を解除し、自分のクラスのバスの扉をノックする。

 運転手が自動扉を開けてくれたので中に入り、クラスメイトに向かって声をかけた。


「えーと、とりあえず鬼神を討伐できたので、今からバスを先導して安全圏まで向かいます!」


 日没まで時間がないので、急いで同じことを全クラスのバスで繰り返してから先頭のバスの運転手に合図を行って、私達はホテルを出発した。



 連なって進むバスの先頭を時速60キロくらいで走る。

 鬼神はもういなくなってしまったので咆哮を防ぐための結界は必要ないが、通常の妖魔はこの辺り一帯にかなり湧いている。


 結界と分断で遠距離から手早くそれらを片付けつつバスの先頭を走っていると、先の鬼神の咆哮の範囲内へ入った。

 そこで一般車道がまともに使えるような状態ではないことを改めて気付かされた。


(そりゃ、運転中に咆哮を受けたらこうなるよな……)


 目の前の車道には動かなくなった車の列が見え、大半は玉突き事故を起こしたような状態になっている。その車内全てに咆哮の被害を受けた人の遺体がとても綺麗なまま残されていた。


(これは……あんまり高校生には見せたくないな……)


 眠るように死んだ遺体が積まれた車で埋め尽くされた車道という光景は、数字で表される死者数以上の視覚的なインパクトがあった。


 前世を含めれば軽く五十歳を越える私でもかなりショックを受けてしまうような光景だ。


 ともあれ、この道を走っていかなければ本州に戻ることはできない。


 バスを一時停止させたところで、それぞれのバスに入って運転手に私が展開する結界の上を走ってほしいことを伝えると同時に、同級生たちにはなるべく窓のカーテンを閉めてもらうようにお願いした。


 気になってカーテンを覗く好奇心旺盛な高校生もいるだろうが、そこまでは私も責任を持てないので致し方ない。


 バスの横幅の倍くらいの結界を車道の上空3メートルくらいのところに広げ、そこから坂道になるように今の先頭のバスの前まで結界でつなげる。


 バスが結界の端から落ちないよう注意を払いつつ、私達は壊れた車で埋め尽くされた被災地の上を走り抜けた。



 ■■■



「すみません先生、私はこのあたりで戻ります。日没までに蛇谷神社に戻らないといけませんので……」


 避難民の渋滞にバスが追いついたところで、私は学年主任の教師にそう伝えた。


「ああ、わかった、ありがとう蛇谷さん、本当に何と言ったらいいか……とにかく、ありがとう」


 めちゃめちゃゴツイ学年主任の先生にそう男泣きされながらお礼を言われた。その涙に釣られたのか、あるいは安全圏に戻ることができた安堵感からか、同じバスに乗る生徒たちからも涙声が聞こえてきた。


 一応他のバスにも同じことを順番に連絡していき、最後に自分のクラスのバスに乗り込もうとしたところで、運転手の横のスペースに置かれている鬼神の角と妖結晶が見えた。バスの先頭を走るのに邪魔だったので、自分のクラスのバスに置かせてもらっていたのだ。


(これ抱えた状態で海の上走らないといけないのか……スマホで地図確認するときに落としそうだな……)


 とりあえず先に担任教師とクラスメイト達に私が蛇谷神社に戻る旨を伝える。


「今回は本当にありがとうね、蛇谷さん、あなたが来てくれなかったと思うと……ほんとに」


「私は退魔師ですから、助けに来るのは当然ですよ先生」


 そんな会話を担任教師としつつ、そういえば同じクラスなら頼みやすいかと思い、クラスメイトに声をかけた。


「すみません、誰か使わないカバンとか余ってませんか? これ抱えながら海の上走るのがちょっと怖くって」


 そう言いながら手元の妖結晶と鬼神の角を見せると、男子生徒の鈴木くんが手を上げてくれたので、ありがたくそのリュックを借りることにした。丈夫そうなリュックなので鬼神の角で破れることもなさそうだし、何より両手が空くのが一番助かる。


「ありがとう、来週の学校で返すね」


「どっ、どういたしまして……」


 笑顔でお礼を言うと鈴木くんは顔を赤らめながらそう返答してきた。



 ■■■



 バスに乗った同級生たちに別れを告げてから、借り物のリュックサックを背負って走ること5分、九州の海岸線にたどり着いた。


「たぶんあれが四国で、あっちに見えるのが本州……で間違いないはず」


 スマホを取り出しながら目の前の景色を見る。


「まあ地図アプリ見ながら走ったら大丈夫でしょ」


 そう独り言をつぶやきながらスマホの電源ボタンを押したものの画面は真っ暗なままだった。

 電源を切った覚えはないし、充電もかなり残っていたはずなのにおかしいなと思って電源ボタンを長押しするが、それでも画面は真っ暗なままだった。


「……あれ、ひょっとして鬼神の咆哮で壊れた?」


 思い返せば鬼神との戦闘中も、巫女服の懐に入れたままずっと戦っていたので、あれだけ咆哮を食らってしまったのだから精密機器が壊れてしまってもおかしくは無い。


「やばいやばいやばい! 日没まであと何時間あるかもわからないし、GPS無しで自宅まで帰るの難しくない!?」


 背後を振り返って西を見ると太陽はほとんど地平線に接しており、東の空の端の方は茜色に染まり始めていた。


「大丈夫大丈夫、高々度から日本列島を見下ろしながら進めば自宅の位置は特定できるし、時間もたぶんギリギリ大丈夫、よし、帰ろう!」


 結果から言うと無事に日没までには自宅に戻ることができた。しかし、本当の受難はそこからだということにこの時の私はまだ気が付かなかった。



 ■■■



「さて、申し開きを聞こうか」


 今、私は寝所でいつものように浴衣を着て正座している。お風呂に入る時間も十分に確保できたので龍神に抱かれる準備は万全である。時間に遅れたわけでも無いし、今の私には何らの瑕疵もないはずである。


 にもかかわらず私はまるで罪人のように龍神に問い詰められていた。


「……責められる理由がわかりません、抱きたいならさっさと抱けばいいじゃないですか、はいどーぞ」


 鬼神と戦って、同級生のバスを送り届けてと今日はかなり神経を使う場面が多かったので、正直私はかなり疲れている。

 そのせいもあってか、詰問してくる龍神への態度がおざなりになってしまった。


「たしかに貴様の退魔師としての活動は制限していないし、先程まで電話での連絡がつかなかった理由もまあ受け入れよう。俺に断りなく鬼神に挑んだものの門限通りに無事に帰って来たことだしな、それらに関しては不問としよう」


「当然ですね、ええ」


「……ところで、貴様が今日だけで消費した霊力が何年分かわかるか?」


 その言葉にどきりとしつつ、なんとなく龍神の怒りの理由がわかった気がする。要は私が龍神様(笑)から有り難く頂いた霊力(笑)を無駄遣いしてしまったことが彼の怒りの原因なのだろう。


「……50年分くらいですかね?」


「550年分だ。さすがにそれだけの量を今晩俺一人で補充することは不可能だ」


 そんなに寿命をすり減らして戦っていたのかと驚くとともに、それでも毎晩龍神に抱かれていれば自然と溜まっていくくらいの寿命だと思ってしまうあたり、私の思考もかなり人間離れしている。


「そう、俺一人で補充するのは不可能だ、故に……『捌離分身』」


 龍神がそう呟くと、私の背後に何かが現れたような気配がした。


 振り向くとそこには、仮面をつけた龍神が7体並んで立っていた。


「……へ、へぇーこんな事も出来たんですね――――」

「『時差結界』……100倍くらいでいいだろう」


 嫌な予感をひしひしと感じていると龍神は続けて結界術式を発動した。普段の銀色の結界とは異なり、かなり黒色に近い半透明な暗い色の結界である。


「この結界は内と外で時間の流れを変えることができる。今発動した結界はおよそ100倍程度の時差に設定してある」


 つまりこの結界の中で夜明けを待つ場合、夜明けまでを10時間とするとあと1000時間ほど待たなければいけないということか。

 1000時間というと、日にちに直すと大体41日くらいだろうか。


 そんな計算をしているうちに、背後にいた分身のうちの一人が私の肩に手をかけて、私の体を布団の上に押し倒してきた。その他の仮面をつけた分身体の龍神もそれぞれ私の体の各所を押さえつけるように動き始める。


「ちょ、ちょっと待ってください、こんなの卑怯です、一晩の時間を引き伸ばすなんて――――んんっ!?」


 私の抗議は封殺され、その後私は約1000時間に渡って8体の龍神たちに輪姦され続けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る