第14話
瀬戸内海の上空を結界を踏み台にして全力疾走すること一時間弱、九州地方の陸地にたどり着いた。
そこからはスマホの地図アプリでホテルの位置と自分の位置を見比べながら進む方向が正しいことを定期的に確認しつつ、目的地へ向かう。
私が林間学校に利用されているホテルについたとき、正面エントランスはすでに破壊されており、内部に設置されていたと思わしきバリケードも用を成していなかった。
これは間に合わなかったかと最悪の事態を想定したが、私がエントランスに入ると同時に上の階から同級生たちの絶叫が聞こえてきたので、急いで階段を駆け上がった。
同級生の叫び声が聞こえるおかげでホテル内のどこに向かえばいいのかはすぐにわかった。階段を上がる道中に邪魔をしてきた小型の狐の妖魔を蹴り飛ばして討伐しながら上に向かう。
大広間と思わしき部屋に入ると、まさに目の前で中型妖魔が生徒たちに飛び掛からんとしている瞬間であり、咄嗟の判断で結界を構築、すぐに内部の妖魔を分断術式で始末した。
「……はぁ、はぁ、間に合った!」
蛇谷神社からここまでずっと全力疾走してきたので、半霊体化した肉体でもさすがに息切れを起こしていた。つい先ほどまでパニック状態に陥っていた同級生からの視線がすべて私に集中しているので、不安にさせないためにも膝をつくわけにはいかない。
それにホテル内にもまだ妖魔は残っているので油断はできない。
上空から軽く見ただけでもこのホテルの周囲には小型から中型の妖魔が多数確認できるほどだった。バスを利用して安全に鬼神の領域を抜けるという避難のプランはあるので、まずは周囲の妖魔を一掃しなければならない。
教師陣にその事を伝えてから大広間全体を覆う結界を構築する。一瞬同級生達がざわついたものの、防御用の結界であることを伝えるとすぐに収まった。結界術式は防御や封印が得意な術式なので本来はこの使い方が正しいのだけれど、先ほどの様に私が使用するときは分断術式と組み合わせているせいか、攻撃用と思われてしまっている節がある気がする。
その後、20分程度でホテル内およびホテル周辺の妖魔を狩り尽くした。かなり広い範囲を一掃したので、生徒たちがバスに乗り込んでも十分安全だと思う。
■■■
「バスが走行する道路の鬼神側に私が結界を張り続けて先導します、もし鬼神が咆哮を行ったとしても結界が壁になるので問題ありません」
同級生がまだ大広間に待機している中、私と教師陣、そしてバスの運転手の少人数でミーティングを行った。プランとしては私が五台のバスを先導しながら車道を走りつつ、鬼神のいる側に一面結界を張り続けて進むというものだ。鬼神の咆哮は霊力で作られた障壁があれば防ぐことは可能なので、このプランでも一応問題はないはずだ。道中に湧いて襲いかかってくる妖魔も私が討伐していけば問題ない。
避難プランを学年主任の先生が生徒たちに周知したところで、バスへの乗り込みが始まった。みんな荷物は最低限のものだけをもってホテル前に止められたバスに順次クラスごとに乗り込んでいく。
特にやることのない私はその間、空中に展開した結界に乗って周囲の警戒を行っていたが、つい先ほど狩りつくしたばかりなので妖魔の気配は全くと言っていいほど無かった。
8割くらいの生徒の乗り込みが完了してきたところで、足場の結界を解除して地面に着地する。
バスの中の同級生たちからすごく視線を感じる。私と同じクラスの生徒は体育の授業で常人離れした身体能力のことを直接見て知っているけれど、他のクラスの生徒は初めて見ることになったから当然か。
先程のミーティング中も先生たちからどうやって九州まで来たのかと聞かれ、海の上を走ってきましたと答えたら皆呆けた顔をしていた。
「水琴!」
バスの窓の内の一つが開かれて、中に座っている早苗が呼びかけてきた。あ、そういえば家を出る直前は早苗と電話してたんだったか。
「どうしたの早苗?」
「本当に……助けにきてくれてありがとう!」
早苗がそう言ったのをきっかけに、近くに座っている生徒も皆思い思いに言葉を投げかけてきた。
「蛇谷さんありがとう! ほんとにカッコよかった!」
「マジでもうここで死ぬんだと思ってたよ」
「水琴ちゃんどうやって九州まで来たの?」
最後のは質問だったので正直に答える。
「瀬戸内海の上を走ってきた」
つい1時間ほど前まで早苗と通話していたから、今のここに私がいるのが不思議だったのだろう。改めて考えると結界ダッシュの時の私は時速200キロくらいの速度で進んでいたということになる。とんでもない身体能力だ。
早苗の近くに座っているクラスメイトも驚いた顔をしていた。
「鬼神の咆哮は私の結界で防げるし、道中の妖魔も私が倒すから安心して」
私がクラスメイトにそう声をかけたのと同時に、学年主任から全生徒のバスへの乗り込みが完了したと伝えられる。
五台並んだバスの先頭に移動してフロントガラス越しに運転手に合図をしたところで、私のスマホの着信音がなった。
なんてタイミングで電話がかかってくるんだと思い無視しようかとも思ったが、画面に表示されている先が『自宅 固定電話』となっているのを見て龍神からの電話だと気づいた。
「……もしもし?」
『水琴か、俺の許可もなく鬼神とやらに挑みに行くなど、帰ってきたら覚えておけ』
不機嫌そうな声音でそう言われて一瞬たじろいだものの、すぐに言い訳を述べる。そうしないと今晩の夜伽が非常にハードなものになりそうだと思ったからだ。
「別に鬼神に挑むわけじゃありません、クラスメイトの避難が完了したらそちらに――――」
『時間がない、今から俺が言うことをよく覚えておけ』
私の言葉を遮ってそう言ってきた龍神に、時間がないのはこちらのほうだと思いながらも続く言葉に耳を傾ける。バスの運転手を待たせているので早くしてほしかった。
『一つ、鬼神との戦闘中に貴様が死ぬと俺が判断したときは転移結界でこちらに強制送還する。二つ、そうなった場合は貴様は50年外出禁止、以上だ』
無茶苦茶なことを当たり前のことのように伝えてきた龍神に怒りを覚えた。みんなを待たせている状態で私自身もかなり焦っていたから自然と語気が荒くなってしまう。
「だから! 鬼神には挑まないって言って―――」
『向こうはそのつもりらしいぞ、まあ精々頑張れ』
そう言って一方的に通話が切られる。
苛立ったままの頭でつい今しがた言われた言葉を反芻し、その意味を噛み砕き、最悪の想定に至ったところで私の真後ろに巨大なものが墜落したような音がした。
すぐに振りかえり、私とバスの間に立っていたその妖魔を見上げる。
高さは5メートルほど、分厚い筋肉に覆われた肉体は血のように真っ赤で、額からは黄土色の角が真っ直ぐ突き立っている。
見間違えるはずもない、昨晩からずっとテレビ越しに見ていた妖魔、鬼神であった。目の前に降り立った鬼神の足元にはクレーターができている。
鬼神は両腕を組みながら私を見下ろし、口を開いてこう言ってきた。
「待ちくたびれたぞ! いつまで経っても来ないからこちらから来てやったわ!」
「さぁ! 一騎打ちをしよう、退魔師!」
大声でそう宣言した鬼神の右足が地面から離れ、私のいる場所から少し遠ざかる。その動作が蹴り上げのそれだと気づいた瞬間、私は結界術式を発動、私から見て鬼神の向こう側にあるバス全てを守る為の結界と、私自身を守る為の結界を構築した。
金色の結界越しに鬼神の巨大な足の甲が迫ってくるのが見えた。次の瞬間には私の周りを囲む結界は破壊され、私は空中へ錐揉み状態になりながら吹き飛ばされた。
「ぐっ……!!」
守護結界と私自身の両腕で鬼神の蹴りを防ごうとする試みは文字通り呆気なく砕かれた。両腕の骨は無事であるものの、鬼神の蹴りをまともに喰らったせいでかなり痛む。
天地がどちらかも判別できぬほど目まぐるしく変化する視界の端に、一瞬だけこちらに向かってくる鬼神の姿が見えた。
(学校のみんなのバスは————よし無事だ!)
幸いなことに鬼神に蹴り上げられる直前に展開したバスを守る結界はまだ無事だ、つまり鬼神はそちらには興味を示さず、真っ直ぐこちらに向かってきているということになる。
(とにかくまずは鬼神をバスから遠ざける!)
鬼神との戦闘はもはや避けられない。
戦闘中に咆哮を発動されることも考慮すると、戦う場所は先の咆哮の中心地点である市街地が最適だ。
そう判断した私は空中でこちらに殴りかかって来る鬼神を避けるために、今吹き飛ばされている方向に足場となる結界を構築し、進行方向をずらした。
私に当たるはずだった鬼神の拳は空回りし、飛行能力を持たない鬼神はそのまま市街地のほうに落ちていった。空に展開した結界の上に立ち、重力に引っ張られていく鬼神を見下ろす。
「はぁ……やるしかないか」
このまま空の上で高みの見物を決め込んだとしても、鬼神に【咆哮】を発動されてしまえばクラスメイトのみんなに危険が及ぶ。
今の私のすべきことは鬼神の注意を引きながら奴に咆哮を発動させず、あわよくばそのまま討伐まで済ませてしまうことだ。
「……よし」
一通りの思考は整理し終わった。
覚悟を決めて、私は結界から降りて鬼神のいる場所へ向かった。鬼神はちょうど先の咆哮の中心地点のあたりに降り立っている。
空から見ると市街地はそこを中心に、放射線状に破壊され瓦礫の山が広がっている。ビルや建物は軒並み破壊され、市街地だった場所はほとんど更地になっていた。
まったく身を隠せるものがない場所で、私はこれからあの化け物と戦わなければならない。
■■■
受話器を置いて水琴との通話を終えた龍神は居間に戻った。襖を開け中に入り、畳の上の座布団に腰を下ろす。
部屋の端にあるテレビでは鬼神に関する速報がニュースキャスターによって伝えられていた。
『速報です。昨晩現れた鬼神が移動を開始したとのことで、現在自衛隊の無人偵察ドローンがその行方を追っています』
テレビの画面にはスロー再生で、どこかへ飛び跳ねていく鬼神の姿が繰り返し映し出されていた。
『繰り返します、鬼神が移動を開始しました、移動先は現在追跡中とのことで、わかり次第――――』
その直後、定点観測に使われていたドローンの映像に鬼神が再度映り込んだ。どこからか飛び跳ねてまた戻ってきたように見える鬼神は、空の上の何かを見つめているようだった。
『ご覧いただけますでしょうか、鬼神が元の場所に戻ってきた様子です、えー、何かを見上げているようにも見えますが……あ! 今なにかが空から落ちてきました!』
鬼神の頭の動きから、その落ちてきたのものこそが先程まで見つめていたものなのだろうと、全ての視聴者はそう思った。
瓦礫の上に着地したそれは、紅白に分かたれた衣装を着ている。無人偵察ドローンの映像は、やや遠目ではあるが巫女服姿の少女をはっきりと捉えていた。
映像の先で、一人の巫女と一体の妖魔が向き合っている。
『えー現在映像に映っていますのは退魔師、でしょうか? 新たな鬼神の討伐作戦に関しては情報がありませんでしたが、現地で何かあったのかもしれません』
座布団の上で胡座をかきながらテレビを見つめ、頬杖をつく龍神は独り言を言った。
「しかしまあ、この程度の妖魔にすら対処できんとは……今回の人類もあと数年といったところか」
そう呟いた龍神の爬虫類のそれを思わせる瞳は、どこか遠くを見つめていた。
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