見栄と偽恋

「そういえば三人とも、クロガネさんの呼び方が違いますね」


 その日、店仕舞いのクロガネ探偵事務所に居着いている美優とナディアの元に仕事上がりの真奈が加わって談笑していた時のこと。

 美優の何気ない一言が、全ての始まりだった。


「言われてみればそうね、今更だけど」と真奈。

 美優は『クロガネ』、真奈は『鉄哉』、ナディアは『クロ』と三者三様で彼を呼んでいる。

「私は本人が自称しているとのことで『クロガネさん』と呼んでいますが、お二人は何か理由があったのですか?」

「ワタシは、リオがクロのことを『クロ』って呼んでいたからダナ」

 美優の問いにナディアがそう答える。

 かつて現役のゼロナンバーで暗殺者であった当時の彼は名前が無く、コードネームか偽名ばかりを使っていた。そこで美優の開発者母親である獅子堂莉緒が生前、『黒い服ばかり着ているから』という由来で彼を『クロ』と愛称で呼び、ナディアもそれに倣っていたらしい。

「その辺の事情も踏まえて、獅子堂光彦私のお爺様が『黒沢鉄哉』と名付けたそうですね」

「そうなの?」

 美優の補足に真奈が訊ねた。

「私が初めてクロガネさんの元に訪れる前、デルタゼ出嶋ロから少しだけ話を聞いていたので」

「私は……鉄哉が探偵事務所を開いてから名前で呼んでいたかな。最初は『黒沢さん』って呼んでたよ。向こうも『海堂先生』って言っていたけど……ああ、その頃の鉄哉は私に敬語で話してたっけか」

「それは意外ダナ」

 ナディアの発言に「確かに」と美優が同意する。

「私の記録だと、クロガネさんは真奈さんのことを『海堂』と呼び、真奈さんは『鉄哉』と名前で呼んでお互いに敬語なしのフランクな関係でいましたが……何かきっかけが?」

「きっかけというか、そうだね。ちょっとした、個人的な依頼を鉄哉に頼んだことがきっかけで、お互いの呼び名と関係が少し変わったかな」

「どんな依頼ダ?」


「私と、恋人になってって」


「……えっ?」(愕然)

「あぁンッ?」(憤怒)

「ちょっと二人とも落ち着いて、ステイ」(困惑)


「だって、クロガネさんと真奈さんが……え?」

 美優はあまりの衝撃に混乱して狼狽し、

「テメェもうとっくの昔にクロとデキてたとカ、ワタシらをずっと騙してたのかYOッ? 停戦協定とかする以前にYOッ! マジでふざけんなYOォウッ!」

 ナディアは怒り心頭のあまり、いつもの片言な語尾が右肩上がりのラップ調になっていた。

「正確には、『偽の恋人役』になってくれっていう依頼よ」

「……偽の、恋人役?」

「ぬぅン、どういうことダ?」

 これはちゃんと話さないと二人は納得しないな、と察した真奈は当時の記憶を振り返る。


 それは打算的な意味で、軽い気持ちで彼に依頼した時のこと。

 いくつもの偶然が重なってお互いの呼び名が変わった出来事だ。



 ――二年前――


 とある理由で、クロガネが真奈の部屋を掃除していたある日のこと。


「黒沢さん、ちょっと私と付き合ってくれる?」


 予想外の依頼を受けたクロガネは、唖然とする。


「それは……俺とが交際するという意味ですか?」

「へ?」

 戸惑いつつも真顔で確認してきたクロガネに、真奈は今し方の発言内容を思い返す。……あ、駄目だこれ。確実に誤解を招く。

「ごめんごめん、言い間違えた。私『と』じゃなくて、私『に』だ」

「……私付き合って?」

「そうそれ」

 頷くと、クロガネはどこか安堵した様子だ。

 急に告白紛いなことを言われたら誰だって驚く。

「それで、何に付き合えと?」

「私の勤め先が西区にある大学病院なのは知っているよね?」

 ええ、と頷くクロガネ。


 鋼和市は行政を司る中央区を中心に東西南北で大きく四つの区画に分けられ、西側は新技術の研究・開発に重点を置く研究区だ。

『実験都市における学園都市』とも言われ、多種多様な教育機関や研究施設が集中しており、医学においてもサイボーグや機械義肢など最先端な治験を行うこともあって医療・福祉施設も充実している。

 真奈もデミ・サイボーグであるクロガネの担当医として、彼の健康状態や義手の整備を一手に担っていた。


「実は最近、患者と研究者の男共が私の行く場所行く場所に付いて来て本当に困っているの。専門外で大した用事もないくせに、私が所属している研究室にズカズカ入って来たり、食堂でも私を囲うようにして周りの席に座ったりとかされてね……」

「それは迷惑ですね」

「でしょうっ? 中には『付き合ってほしい』とか交際を迫って来る人も居るんだけど、あからさまに私の胸とかお尻とか見て言うもんだから本当に気持ち悪くて……何度も断っているのに諦めずまたアプローチして来る人も居れば、次々と別な人からも言い寄られて……もうウンザリ……」

「モテモテですね」

「全然嬉しくないよ」

 クロガネの客観的な評価に対し、重い溜息をつく。

「ドラマか漫画で見た悪女キャラのように、群がる男共を手玉に取って貢がせる器用な真似なんて、私には出来ないし」

「対策として真っ先に悪女案が浮かぶ貴女も大概ですね」

「失礼な。これでも私は純情派よ」

 ピンチな時に助けてくれるヒーロー。

 子供っぽいと笑われても、そんな王道のワンシーンに憧れる程度には一途で純情だと自負している。

「諦めずに言い寄って来る、か……ストーカー被害なら、警察に相談できるのでは?」

「被害といっても、今のところ自宅まで付けられていないし、付き纏われているのは病院の敷地内だけ。実害が無ければ警察も動いてくれないし、職場の上司も言わずもがな。最近は職場の雰囲気も悪くなってきて、特に女性職員の当たりがきつくなってきた気もする」

 何も悪いことはしていないのに、気付けば周囲の人間関係はこじれて状況は悪化の一途を辿っている。

 こんな理不尽ってあるかよ、と真奈は嘆いた。

「まったく……私はただ、機械義肢の研究がしたいだけなのに……」

「なるほど、状況は概ね把握しました。それで、俺にどうしろと?」

「そう、ここからが本題よ。黒沢さん!」

「は、はい」

 真奈はこの現状を打破する手段を依頼する。


「私の! 『偽の彼氏』を演じてくれませんか!?」




 ――クロガネは、切実を通り越して鬼気迫る勢いに呑まれて呆気に取られるも。

「……えー、要するに」

 気を取り直して情報を整理する。

「貴女に群がる迷惑極まりない男共が諦めて寄り付いて来ないようにするため、俺に偽の彼氏を演じて欲しいと?」

「もっと言うと、私に近付いて来ないくらいの偽彼氏になって欲しいの」

 真奈は我慢の限界を超えた勢いで、鼻息荒く詰め寄って来る。

「クリスマスまであと三ヶ月切ったから焦っているのかは知らないけど、毎日見世物よろしく大名行列なんかされてもう頭にきた。黒沢さんが居ることだし、ここで私が彼氏を見せ付けて野郎共の心をボキボキにへし折ってくれる」

「お、おう……」

 余程腹に据えかねていたのだろう。言葉遣いの所々が荒く、好戦的な内容と笑みを浮かべる彼女に少し引く。

「大丈夫。イベントにかこつけて彼女を作ろうとする人は、自分の体裁しか考えていないただの見栄っ張りよ」

「…………」

 保身のために偽の彼氏を用意する真奈も充分に見栄っ張りだと思うが、ここは空気を読んで黙っていよう。

「そして私に彼氏が居るとなれば、それ以上のアプローチは『寝取り野郎』という最悪のイメージとレッテルが貼られることになる。そんなリスクを前にすれば、自然と私のことも諦めて寄り付かなくなる筈よ……くひひっ」

 相当ストレスが溜まっていたようだ。まるで白雪姫に毒リンゴを食べさせた魔女のような邪悪な笑みを浮かべる真奈。

 ただ真面目に研究に打ち込みたいのに何度も邪魔されていたら、ここまで憤るのも無理はないかもしれない。

(その悪い顔とだらしな過ぎる私生活を見せたら、一発で諦めてくれるのでは?)

 清掃中の真奈の部屋を見回しながらそう思ったが、すぐに却下する。

 自室に連れ込む時点で相手の男が何をしでかすか解ったものじゃない。

 優先すべきは真奈の身の安全であり、そのための偽彼氏だ。

 ふと左手を、とある事件で失った左腕に代わる義手を見やる。

 返し切れない恩を少しでも返すためにも、この依頼を断る理由はない。

「解りました。その依頼を引き受けましょう」

「ありがとうっ。いや本当にありがとうっ」 

 快諾するや、喜色満面の真奈は小躍りした。

「それで具体的なプランは? 二度と寄せ付けなくするとなると、ただ貴女の隣を歩く程度では効果は薄いでしょう。その辺の策はありますか?」

「う……それなんだけど……」

 途端にバツが悪くなった様子で真奈は目を泳がせる。

「実はノープランなんだ。偽彼氏というのも、本当に思い付きだったから」

 見切り発車にも程があるだろう。本当に上手くいくのだろうか?

「これまでずっと趣味に生きていたというか、ロボットとかサイボーグの研究に夢中で男の人とお付き合いとか、そういう経験は全然なくてさ……可能であれば、黒沢さんの方でリードして貰いたいな、と」

 意外。私生活はともかく美人だけに、これまで自分以外の男が居たとしてもおかしくはない……そう思っていたのに。

「ご期待に添えず申し訳ありませんが、俺も恋愛経験はゼロです。無茶言わんで下さい」

 自分でも情けないと思う告白に、

「えっ、そうなの?」

 真奈は意外そうな表情を浮かべる。

「莉緒お嬢様は……」

「専属の護衛対象ですよ。敬愛や親愛の情はあっても、恋愛ではなかったです」

 勿論、お嬢様のことは亡くなった今でも愛してはいる。

 だが一口に愛情と言っても、様々な形と意味があるのだ。

「それじゃあ、誰かの偽彼氏になった経験も?」

「あるわけないでしょう。そんな特殊なケースは今回が初めてです」

「彼氏代行みたいなバイトをしたことも?」

 何だそのバイト? 援助交際の男版か何かか?

「勿論ありません。前の職場でも、その手の任務に就いたことはありませんし」

 かつてはゼロナンバーきっての暗殺者として、速やかに標的を始末していたのだ。当然ながら、特定の誰かと甘い関係を築く余裕など無かったし、その必要性も感じなかった。

(その手の任務は〈インディアゼロ/イリュージョン〉が適任だな。一度も会ったことは無いけど……)

 仲間内でもその正体を知る者は滅多に居ない、諜報活動を専門とするゼロナンバー。きっと、ジェームズ・ボンドのようにハニートラップもお手の物だろう。

 それはさておき。

「フリとはいえ、お相手は海堂先生が初めてです」

 素直に白状すると、

「……年下の初めてを、私が……」

 と、何やら神妙な面持ちで考え込む真奈。

「とにかく、お互い恋愛初心者であるなら、まずは恋人らしい基本的な知識を把握する必要があるかと」

「え? あ、ああ、そうね、うん。それなら、恋愛映画とか観て研究すれば良いかしら?」

「書籍だと動きがありませんし、どこまで実践的なものを仕入れられるか未知数ですが、映画はアリだと思います」

「抜かりないわ。ここは私のオススメを見せる時ね!」

「さすが海堂先生。ロボットアニメだけでなく、恋愛ものも嗜んでいるとは」

「ふふん、当然よ♪」

 六〇インチ大型テレビの電源を入れた真奈は、リモコンを操作してハードディスク内に保存してある動画ファイルを開き、その中から目的の作品を選択して再生する。

 大画面に、十八メートル級の人型機動兵器同士が宇宙空間を躍動感のある動きで飛び回っては、手にしたビーム銃を撃ちまくっているアニメ映像が流れた。

「……結局ロボットアニメじゃないですか」

 真奈らしいと言えばらしいが。


「ただのロボットアニメと侮るなかれ! これは戦争によって引き裂かれた男女の切ない恋物語であり、ロボットにもアニメにもプラモにも興味が無い客層を沼に叩き込んだ名作よ! 幼い主人公とヒロインが結婚の約束をしたその後すぐに戦争が勃発し、やがてそれぞれの勢力下でエースパイロットとして成長した二人が戦場で再会し、擦れ違いの果てに殺し合い、最終的には和解して結ばれるも、子供が出来たヒロインを庇った主人公がその身を犠牲にして長きに渡る戦争に終止符を打って愛する者を守り通すという涙なしでは語れない超名作なのよ!」


 オタク特有の早口説明乙ッ!

 そして途中まで聴いて結構面白そうだと思っていたのに、一気に結末までネタバレされたこの途方の無い怒りと悲しみはどうすれば良い?


「個人的に興味深い内容ですが、設定的に世間一般の恋愛の教材には向かないのでは?」

「……そうね」

 ごもっともな指摘に冷静になった真奈は、再びリモコンを操作して作品を吟味する。

「それじゃあ、これは? これも名作よ」

「内容は?」

「主人公一人に対し、ヒロインが二人の三角関係ものね」

「ほう、三角関係」

 役作りの参考資料としては少し敷居が高い気もするが、恋愛作品では定番ネタの一つだ。

「銀河を股に掛けるSFものなんだけど、ヒロインズが歌ってアイドル活動したり、主人公が乗るロボットが戦闘機に変形したりとかして」

「マク□スじゃねぇか。結局ロボットアニメしかないのかよ」

 思わず素でツッコむクロガネ。

 さっきから真奈が推すアニメの紹介しかしていない。

 恋人ムーブの参考資料になり得るか疑問だ。

「そんなの観てたら、本来の目的が銀河の彼方だ……」

「抱きしめてー、銀河の果てまでー」

「やかましいよ」


 ……結局。


 恋愛初心者の二人は、無難に若い世代を中心に人気を博している流行りの恋愛ドラマを専門の動画チャンネルで検索し、真面目に観賞するのであった。



 ***


「イヤ、最初からそうしろヨ」

 そこまで話を聴いたナディアがごもっともなツッコミを入れ、

「それで、具体的にどのような研究をしたのですか?」

 興味深いと言わんばかりに美優が真顔で続きを促す。

「実際にドラマの内容を可能な範囲で再現してみたよ」

「……再現って、どのような?」


「壁を背にした私に対して鉄哉が壁ドンで迫ったりとか」


 ぴく、と美優とナディアの片眉が跳ねた。


「他には……バックハグをして貰ったり」


 ギリ、とナディアの奥歯が軋む。


「風呂上がりの髪を乾かして貰った後、丁寧にブラッシングして貰ったり」


 ミシ……、と美優がきつく拳を握る。


「向き合った状態でお互いの指を絡ませて一分間見つめ合ったり」


 ゴンッ、とナディアがテーブルに額を打ち付ける。


「背中合わせに座ってお互いの体重を預け合ったり」


 ガタッ、と険しい表情の美優が思わず席から立ち上がる。


「部屋中を二人三脚で一周してみたり」


「「いや、それはおかしい」」


 嫉妬に駆られて錯乱していた美優とナディアは、不意に冷静になった。


「とまぁ、色々試してみたけど、結局はどれも使えないって結論に至ったんだよねー」

「何でダ?」

「流石に病院という公共の施設内で、人目もはばからずイチャイチャできないでしょ?」

「至極当然ですね」

「夜通し二人でバカップルの真似事をやった後にそのことに気付いて……無駄に時間と体力と精神力を浪費したわ。もうね、恥ずかしいのなんのって」

 当時を振り返って頬を赤く染める真奈に、

「……私達からすればかなり羨ましくて妬ましい状況ですよ、それ」

「SHIT(嫉妬)ッ!」

 冷たいジト目を送る美優とナディア。


「それで結局、『ニセコイ作戦』はどうなったのですか?」

 偽恋人周知作戦……略してニセコイ作戦。

 たった今美優が即興で考えた作戦名だが、真奈とナディアからは異議もなく、すんなりと採用された。

「今のマナを見れば結果は上手くいったようだけド、その過程も聴きたイ」

「えっと、確かね……」


 真奈は二年前の出来事を思い出しながら、『ニセコイ作戦』の詳細を語り始めた。



 *** 


 作戦決行当日、真奈の勤め先である大学病院前にて。


「さぁ、ここが今日の戦場いくさばよっ」

「野戦病院ですか?」


 白衣の裾と首に提げたIDを揺らして意気込む真奈に、自然体のクロガネが冷静なツッコミを入れる。


「改めて作戦内容の確認よ。まずは急な担当者会議というていで、黒沢さんを職場に招いたことにするわ」

「違和感のない自然な導入ですね。そして海堂先生の患者である俺は、義手の整備をしに来たと」

「黒沢さんの担当医という設定を、ここで活用するという訳ね。まさに盲点だったわ」

「設定云々はともかく、俺は海堂先生の隣を堂々と歩けるわけですね」

「然り。黒沢さんの自然な潜入……それが偽恋人周知作戦、フェイズ1」

「義手を診た後、昼休みに食堂でフェイズ2を発動。まぁ、持参した弁当を一緒に食べるだけですが」

 そう言ってクロガネは肩に提げたバッグを見やる。

「上手くいけばそれで作戦終了ですが、イレギュラーが発生した場合は臨機応変に即興演技アドリブで対応すると」

「……出来れば予定通りに終わって欲しいわね」

「とにかくあまり気負わず、自然体で行きましょう」

「そうね。差し当たって黒沢さん」

「何でしょう?」

「以後、私に対して敬語禁止ね」

「え? でも海堂先生は一応……年上? ですし」

「その微妙な間と疑問形は気になるけど、恋人関係に敬語は不要よ。フランクに接している方がソレっぽい感じがするわ」

「……なるほど、それは一理ある」

「おっ、順応早いわね。呼び方も名前で良いわ、『先生』も『さん』付けも要らない」

「では、海堂と」

「下の方で呼ばないの?」

「今まで恋人の気配が無く、つい最近付き合い始めた設定で行くなら、これくらいの方がリアルだと思う。それに『偽の恋人関係』故のぎこちなさも、上手いこと言い訳できると思うし」

「なるほど、中々やるわね。それじゃあ、私の方は『鉄哉』って呼んで良い?」

「構わない」

「よしっ。それじゃあ気合い入れて行くわよ、鉄哉」

「気負わず行こうと言ったばかりだろ、海堂」


 そして二人は大学病院に入るや否や、


「こんにちは海堂先生」

「こんにちは!」

「あ! かいどーせんせー」

「お疲れ様です、海堂さん」

「お疲れサマンサ」


 老若男女問わず、職員や来院していた患者たちが真奈に挨拶をしてくる。

 それを見て、彼女の隣を歩くクロガネは「ふむ」と内心感心していた。

 想像以上に真奈が慕われている。傍から見れば美人で仕事も真面目にこなし、患者に対しても親身になって向き合うのだから当然だ。趣味が男の子だけに、子供たちの人気も高い。その人間力とコミュニケーション能力は見習うべきか。

 などと考えていると。


「先生、そちらの方は?」

「せんせーのかれしー?」


 彼ら彼女らの興味と好奇の視線がクロガネに向けられる。


「私が担当する患者さんで、それとは別に、私の大切な人生のパートナーですよ」


 ……誇張し過ぎでは?


「ええっ!?」

「ちょ、は?」

「なん、だと……!」


 案の定、当然と言えば当然の反応が返って来る。

 第一印象のインパクトは確かに重要だとは思うが、周囲の驚愕っぷりが半端ない。

 水面に投じられた一石によって大きな波紋が広がるように、『真奈のパートナー』であるクロガネの存在が驚きを以て認知され、周囲に伝播されていく。とりあえず、初手は良い感じだ。


「おにいさん、せんせーのかれしー?」

 母親と一緒に居た四歳くらいの男の子に目線を合わせ、微笑む。

「うん、海堂先生の彼氏だよ。いつも俺の彼女がお世話になってます」

「ぬなぁッ!?」

「いや、何でお前が驚くんだよ?」

 一際驚いて赤面する真奈に呆れてしまう。


「聞いた? 今、海堂先生を『俺の彼女』ですって」

「『お前』呼ばわりって、本当にそんな関係なのね」

「そ、そんな……」

「嘘だろォ……」


 二人の関係に周囲がざわついている。

 なるほど、追撃としてわざと驚いた演技をしたのか。

 感心して真奈の方を見ると、

「うぅ……」

 顔を赤くして照れていた。あれ? 演技だよな?

 作戦は始まったばかりだというのに、そこはかとなく一杯一杯な真奈に不安を覚える。

「す、すみません、これからこの人と担当者会議があるので、これで失礼しますっ」

 そう言って真奈はクロガネの腕を掴み……勢いが余ったのか、抱えるようにして引っ張る。それはまるで仲睦まじく腕を組んでいるにも見えて。


「きゃぁっ」

「ぐ、あああッ」

 周囲から、黄色と絶望の悲鳴が上がった。


「本当に仲が良いのね~」

「海堂先生が初々しいわぁ、若いわぁ」

「嘘だべぇえええ……」

「悪夢だ……はは、きっとこれは悪い夢だ……」


 歓喜と失意の声を背に、クロガネと真奈は研究室を目指す。



 ***


「あざとい」

「あざとイ」


 そこまで話を聴いた美優とナディアは、ジト目で真奈を「あざとい」と評する。


「えっ、どこがよ?」

「まず、『大切な人生のパートナー』は過剰表現ですよ。人によっては夫婦関係と解釈されてもおかしくありませんし、恋人関係を演じるだけなら単に『彼氏』や『ボーイフレンド』と発言すべきです」

 美優の指摘にナディアも「ウンウン」と頷く。

「この時のマナはクロを偽彼氏として扱っていたんダロ? その気もないのにクロを縛るような真似はしちゃ駄目ダゾ」

 その気もあってクロガネを縛る気があるヤンデレが言うと無駄に説得力がある。


「ま、まぁ、確かに私もこの時はまだ鉄哉に対して本気ではなかったよ」

「今ハ?」

「本気よ」

 ナディアの問いに、真顔で即答する真奈。

「……それで、その後はどうしたのです?」

 不穏な空気になる前に、美優は話の続きを促す。

「その後は、普通に研究室で義手の診断をしたよ。義手との神経接続と反応は正常かとか、簡単な手入れとか、毎回やってることだから割愛するね」

「確か、専門外で用も無い人達が研究室にやって来るのでしたか? その人達への対処は?」

「病院に入って早々噂になったものだから、鉄哉との関係を実際に確認しに来たわね。対策らしい対策は特には……」

「本当ですか?」

 と念を入れて確認する美優に、「強いて言うなら」と真奈は続ける。

「普段以上に鉄哉に密着して、時間を掛けて触診や義手の診察をしたくらいかな?」

「おい/オイ」

 美優とナディアがすごむ。

「研究室にやって来た男どもに話し掛けられても、『今、担当の方を診ているから後で』って適当にあしらったら、何か泣きながら出て行ったな」

「そんなセメント対応されたら出て行きますって」

「何イチャイチャイチャイチャしてんダッ! 仕事しろよォッ!」

「ちゃんとしてたわよ、普段よりも気持ちくっついてたけど」

「それですよ……まったく、仕事と立場にかこつけて羨ましいことを。役得じゃないですか」

 冷静のようで美優もまた嫉妬と羨望に唸るナディアと同じ気持ちだった。

「そんなこんなでお昼になったから、鉄哉と食堂に行ったわ」

「それじゃア、フェイズ2ダナ」

「持参したお弁当は勿論?」

「うん、鉄哉の手作りよ」



 ***


 大学病院の食堂は一般開放もされており、職員・患者を含めとにかく利用客が多い。そのため普段は多少の喧騒もあるのだが、クロガネと真奈が現れた途端、急に静かになった。BGMとして控え目な音量で流れているクラシック音楽がよく聴こえる程だ。

 偽の恋人関係を周知させるには都合が良いが、同時に真奈の人気の高さもよく解る。外見も中身も優れた女医などそう居ないのだろう。これで家事も出来たら文句ないのに勿体ない、とクロガネは思った。

 空いているテーブル席に向かい合って座り、卓上に置いたバッグから大き目な弁当箱を取り出す。真奈の提案を受けて作ったものだ。

「言われて作ってみたけど、食堂に弁当を持ち込んで大丈夫なのか?」

「平気よ。近くにある売店で買った食べ物やカップ麺を持って来て食べてる人も居るしね」

 鋼和市の大学病院だけあって研修医や学生が出入りすることも多く、食堂は広く清潔感のある造りをしている。軽く見回せば、文献やレポートを広げている学生の姿もあった。

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」

 不意に真奈は席を外し、食券コーナーでメロンソーダを購入して戻って来た。

 そして二本のストローをメロンソーダに投下し、

「これ、一緒に飲もう」

 カップルが必ずやるとされる『二本のストローで一つの飲み物をシェアするアレ』を提案してきた。

 真奈の大胆な行動に、遠目から見ていた男性は皆戦慄の表情を浮かべている。効果はあったようだ。

「本当は二股のストローがあれば良かったんだけど、置いてなかったし」

 そんなものを置いてある病院の食堂なんて無いだろうよ。

「海堂が全部飲んでも良いんだぞ。俺の分は自分で買うし」

「ノリが悪いなぁ。一度こういうのやってみたかったんだから、付き合ってよ」

「だからって今ここでする?」

 演技ではなく、割と本気で訊ねるクロガネ。

 効果的だとはいえ、衆人環視の中で流石にこれは恥ずかしい。

「良いじゃん、せっかくお付き合いすることになったんだし。こういうバカップルなことが出来るのも、きっと若い内だけよ」

 グイグイ迫る真奈の顔も少し赤い。何もそこまで無理しなくても。

「私だって恥ずかしいんだし、このまま女に恥をかかせる気?」

「その言い回しはここで使うものじゃないと思うけど。解った、今回だけな」

 これで真奈に寄り付く男が消えるのであれば、一時の恥くらい受け入れると覚悟を決める。周囲の視線を強引に無視して、二人がほぼ同時にストローを口に着けた瞬間。


『ぐぼあああああッ!?』


 男達の悲鳴が上がった。

 ある者はテーブルに突っ伏し、ある者は滂沱の涙を流し、ある者は口から砂糖が吐き出るような(実際に出たら怖いが)阿鼻叫喚の光景が広がる。

「……ん。随分と久しぶりに飲んだ気がするけど美味いな、メロンソーダ」

「そうだねー。それで、お弁当は何作ってくれたの?」

 これまた持参したウェットティッシュで手を拭いている真奈に、弁当箱の蓋を開けて中身を見せる。

「おにぎりの具材は梅干し、おかか、ツナマヨの三種類。おかずに定番の卵焼き、アスパラガスとチーズのベーコン巻き、プチトマトとブロッコリーのサラダに唐揚げだ」

「豪華ね、運動会みたいでテンション上がるわ。それじゃあ、いただきまーす」

 まずは唐揚げをぱくりと齧り付く真奈。

「……ん~、うんま~。ちょっとこれ、私が知ってる唐揚げじゃないんだけど?」

「二度揚げして、隠し味にハチミツを少し加えたんだ」

「あ、これハチミツか。鉄哉が作る料理はどれも美味しいよねー」

「いつも美味しそうに食べてくれるから、こっちも作り甲斐がある」

 演技ではなく、素で普段通りの会話をしていると。


「あいつ、いつも海堂先生にご飯作っているのか?」

「ちくしょう、もうそこまで進んだ関係なのかよっ」

「料理男子……良いわね」

 男女問わず、そんな声が聞こえてくる。


『弁当のみならず、真奈は普段から彼氏に食事を作って貰っている程の親密な関係』であることを周知させる……それがフェイズ2。

 真奈の機転で最初にメロンソーダをシェアしたことで、そのイメージをより強固にしてくれたようだ。

 ここまで恋人関係っぽい行動を見せ付ければ充分だろう。

 クロガネと真奈の胸中で、作戦成功を確信しかけた。

 その時だった。


「し、信じない、ぼくは信じないぞぉおおおッ!」

 食堂中に響き渡る大声を上げて、男が一人駆け寄って来た。

 体裁を捨てて現れたイレギュラーに、真奈は戸惑う表情を見せる。


 小太りで医者か研究員の証である白衣を着たその男はクロガネの目の前にまで来ると、カタカタと震える手で眼鏡を直しつつ叫んだ。

「あ、あなたは先程から海堂さんと良いご関係のようですが、ぼくは信じません! さ、先程の腕組みは勿論、『イチャつきラブストローごきゅごきゅ』や手料理を振る舞うなんて、その程度のことは友人関係にあってもありえるのですからッ!」

 声こそ上げないが、周りの男衆も「そうだそうだ!」と賛同するように強く頷いている。


 ……飲み物のシェアは『イチャつきラブストローごきゅごきゅ』というのか、初めて知った。


 それはそれとして、小太りの男の物言いは中々に鋭い。

 現にクロガネと真奈の本来の関係は友人関係でしかなく、手料理も両者の間で取り交わされた家事代行契約上のものである。

 この男の発言は実に的を射ていたが、それでボロを出す程クロガネは甘くない。

「そう言われても困るな。俺は本当に彼女の彼氏なんだけど?」

「ぐ、ぐぬぅッ!?」

 冷静かつ堂々とした反論に狼狽える小太りの男。

 そしてメロンソーダを飲みながら事の成り行きを見守る真奈。

「逆に、どうしたら俺達が恋人同士だと認めてくれるんだ? 腕を組んでいるところも見た、『イチャつきラブストローごきゅごきゅ』とやらも見た、お手製の弁当を一緒に食べているのも見て、普段から俺が彼女のために手料理を振る舞っているのも知った。これ以上どうしろと? ……まさか、も聴かせろ、だなんて言わないよなぁ?」

「ごぼぉッ!?」

 驚きのあまり、真奈がストローを逆噴射してメロンソーダを爆発させた。

「……聴きたい?」

 ニヤリと悪い笑みを浮かべたクロガネに、小太りの男は気の毒とも思えるくらい悲痛に顔を歪ませた。

 これだけ言っても諦めずに「目の前でキスをすれば恋人認定してやる」などと要求されたら……どうしようか? 万一の想定はしているが、いざ実行するとなると流石にこれは真奈にも悪い。

 その時は後で土下座して平謝りする他ないだろうと覚悟していたが、杞憂に終わる。


「……ッ、ごちそうさまッ! チックショォオオオオオッッ‼ お幸せにいいぃぃーーーーッッ‼」


 うわぁああん! と慟哭しながら小太りの男は食堂から出て行った。

 一部始終を見守っていた真奈狙いの男達も、悲痛な表情と涙を流して走り去っていく。いや、病院内で走るんじゃない。


 だがこれで、やっと、完全に、男達の心もボキボキにへし折れたことだろう。真奈に付き纏う男達も居なくなる筈だ。


「目標達成だな」

「そ、そうね」

 テーブルに備え付けられた紙ナプキンで、噴き出したメロンソーダに塗れた卓上を拭きながら頷く真奈。

 迷惑な男達が消えて、食堂は元の平穏な雰囲気を取り戻した。

 ……二人に好奇な視線を時折向けては楽しそうに談笑している者も居るが、気にしないことにする。

「最後になんてことを言うのよ……」

「嘘は言ってない」

 どこか非難がましい目を向けてくる真奈を、さらりと流す。

「あんな思わせぶりな内容だと如何様いかようにも拡大解釈できるじゃない」

「二人はそこまで深い関係だった、と勝手に思い込んでくれた方が好都合だろ?」

「そりゃそうだけど、うぅ……明日からしばらく冷やかされるのが目に浮かぶわ」

 恋人同士であることを見せ付ける作戦である以上、それは仕方のないことだ。必要経費だと思って納得して欲しい。



「ごちそうさま。今日は色々ありがとう」

 やがて食事を終え、真奈は午後の仕事に備えようとする。

「仕事はいつ終わる? 迎えに来よう」

 空になった弁当箱を片付けながらそう言うと、

「えっ、そこまでして貰って良いの?」

 真奈は意外そうな顔をした。

 依頼が達成されて、このまま解散だと思っていたらしい。

「勿論。今日一日は海堂に付き合うつもりだったから」

 依頼期間は丸一日、勝手に終わった気で居たら困る。


「……ふふっ。ありがとう、私の彼氏さん」

 そう言って、真奈は嬉しそうに微笑んだ。



 ***


「……とまぁ、鉄哉がちゃんと最後まで面倒見てくれて、次の日からは変な男に絡まれることはなくなったよ」

 話に一区切りついたところで、


「夜のお楽しみについて詳しく」

「詳しク」

 興味津々な美優とナディアに、真奈は苦笑する。


「詳しくも何も、私の部屋でアニメや映画を観たり、ゲームしたりするくらいだよ」

「え? それでは、その……大人の男女間による性行為とかは?」

「しないよ。改まってそう言われると、何かこっちまで恥ずかしくなるじゃない」

 健全な意味での夜のお楽しみに、美優とナディアは揃って安堵する。

 和やかな雰囲気の中、不意にナディアが素朴な疑問を投じた。

「なァ、そのニセコイ作戦とやらは二年くらい前の話なんだよナ?」

「うん、そうだけど?」

「今も病院内でハ、クロとマナは恋人同士に見られてるワケ?」

「そうだね。鉄哉が定期的に健康診断や義手のメンテナンスに来る度に、同僚から『好い加減結婚しなよ』とか、よく冷やかされて困ってる」

 困ってると言いつつ満更でもない真奈に、美優とナディアはジト目になる。

「あざとい」

「あざとイ」

「何でさ?」

「周囲から既に恋人認定され、最近はご両親にもクロガネさんを紹介して順調に外堀を埋めている事実がある以上、私達にそう認識されるのも当然でしょう」

「ずるいゾ」

「ずるいです」

「ずるいって言われても……」

 美優とナディアに言い詰められてタジタジとなる真奈。

 と。

 そこに。

「ただいまー」

 買い物からクロガネが帰って来た。

「おかえり鉄哉」

 これ幸いと、逃げるようにクロガネを出迎える真奈。

 むぅ、と納得いかない表情を浮かべて美優とナディアも続く。

「おかえりなさいクロガネさん」

「おかえリー」

 夕飯の支度をする前に手洗いに向かったクロガネを三人は見送ると、

「二人とも」

 真奈の呼び掛けに、美優とナディアは振り向く。

「私は、本気だからね」

 何に、と三人の間で今更問う必要は無い。

 優しく微笑む真奈の目は、言葉以上に彼女の本心を物語っている。

「ええ、私もです」

「ワタシだっテ」


 彼女たちの恋心は、見栄でも偽物でもない――純然たる真実だ。

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