本編

Prologue

「うぃーす」

「た、ただいま帰還しましたっ」


 MDC本社ビル3階、社員たちのたまり場。入口の自動ドアが動き、獰猛な顔つきをした男子中学生と華奢な印象を与える青髪の少女が入室した。取引先との会合で不在の社長に代わり、MDC社員の夜久やく霧矢きりや瀬宮せのみやしずくを出迎えたのは――


「おかえりーなのー!」

「ひぁあっ!?」

「うおっ!?」


 ――男性とは思えないほどのハイトーンボイスだった。

 芋虫じみた緑色の寝袋から発せられた声に、雫は思わず悲鳴を上げた。反射的に足を止めた霧矢の背後に隠れつつ、寝袋にくるまった人間に視線を向ける。顔の部分からは眠そうな瞳が覗き、前髪の寝癖がぴょこりと跳ね上がった。それは軽く寝返りを打つと、うつ伏せでにじにじと二人に這い寄っていく。ヨーグルトのようにゆるい笑顔に、二人は疲れたように警戒を解く。


「……ったく、専務かよ」

「お、驚かさないでくださいよ、氷月ひづき専務……」

「ごめんごめーん、なのー。んーっと、二人のデスクに報告書置いといたから、記入しておいてね、なのー」

「ハイハイ……」

「わ、分かりました」


 しかしそこはMDC、さっさと平静を取り戻す二人。それぞれのデスクに向かう彼らを眺め、芋虫は寝袋のままで器用に立ち上がった。直立姿勢のままで寝袋を脱ぎ捨て、律儀に畳む。

 芋虫の中から現れたのは、身長190cmを超える長身の青年だった。寝癖が目立つ紺色の髪と、オーバーサーズのパーカー。柔らかい雰囲気も相まって、おとぎ話の熊のような印象を受ける青年だ。氏名だけ書いた書類から顔を上げ、霧矢は青年を一瞥する。


「専務お前、マジで威厳の欠片もねェよな。キャラが完全に少女漫画のゆるふわ枠なンだよ。少女漫画読んだことねぇけど」

「うふふー。僕はフレンドリーな取締役なのー!」

「反論しろや」

「……でも、専務はMDCでも重要なポジションじゃないですか……」

「雫が反論してどうすんだよ」


 呆れたように書類に視線を落とし、お世辞にも上手ではない文字で報告書を埋めていく。少し離れたデスクでボールペンを動かしながら、雫は氷月の姿を視線でなぞった。


「氷月専務は……MDCの貴重な拠点防衛要員ですし……社員の中でも真冬さんの次くらいに強いはずですし……えっと、その、とにかく、不可欠な存在、で……多分」

「うふふーなのー!」

「ちょっとは謙遜しろや」

「止まれ、ここは国境だー、なのー。身分証明書を見せろ、なのー!」

「誰が検問しろっつった」


 最早漫才である。

 困ったように二人を見比べ、雫は軽く首を振った。いつものことだし、止めるほどのことでもない。丁寧な文字が報告書を彩っていく。氷月はそんな二人を眺め、ふと顔を上げた。周囲をきょろきょろと見回し、眠そうな瞳を窓の外に向けて。


「……なんかヤバそうな匂いがするのー」


 何気ない呟きに、二人の社員は弾かれたように顔を上げた。反射的に椅子から立ちあがり、警戒態勢をとる二人。そのの視線の先で――突如として、七色の魔法陣が熊のような青年を包み込んだ。……全身が総毛立つ。明らかに、天賦ギフトとは異質の感覚。かつての代理戦争で味わったような、こちらの世界アナザーアースの法則外の力。それが肌を焼き、本能的な危機感を呼び起こす。


「――ッ!」


 半ば衝動的にデスクを飛び越え、霧矢は氷月に飛び掛かる。しかし、伸ばしかけた手を雫が掴んだ。首を横に振り、雫は七色の魔法陣を睨みつける。


「今行ったら、確実に巻き込まれます……!」

「……チッ……じゃあどうすりゃいいってんだよ、このッ!」


 魔法陣が何重にも展開され、青年を包み込んでいく。悪態をついてしまう霧矢と、何か対策はないかと思考を巡らす雫。七色の光の中で、眠そうな表情をした氷月がそんな二人を見つめ……緩慢な動作で、何故かダブルピースをした。


「心配無用なのー! 必ず帰ってくるのー!」

「フラグ立てんじゃねェぞクソ専務!!」

「っていうか氷月専務、一体何が起きて……!」

「しーゆーあげーん! なのー!」


 真っ平らな発音と共に、七色の魔法陣が収縮する。同時に氷月の姿も、跡形もなく消えてしまう。……あとには芋虫じみた寝袋と、二人の中学生だけが残されて。


「は……?」

「……え、えっと」


 二人は互いに顔を見合わせるけれど、だからといって何が変わるわけではない。確かなのは、MDCがそれなりに人の恨みを買いやすい会社であること。取締役専務の氷月ひづきあらたが、拠点防衛も引き受けていたこと。そしてそんな彼が、本社ビルから姿を消したこと――。


「どうすればいいんですか……!?」

「どうすりゃいいんだよ……ッ!!」


 MDCに危機が訪れる――!

 が、MDC本社サイドの描写は全カットでお送りする――!

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