オレサマ竜と春花の姫
りつか
1章 オレサマ竜と春花の姫
1.わたくし、精霊に会わなければいけないの。
ちちち。
小鳥のさえずりが耳たぶを
お布団の中って大好き。
温かくて、柔らかくて。マリーを優しく包みこんでくれるから。
今日のご予定は――、そう思う側からとろんと温かな眠りが広がっていく。ロッティが起こしに来るまで、あと少しだけ。もう少しだけ夢の中にいたい。
――わたくし、いつベッドに入ったのかしら。
小さな疑問が頭の片隅にするりと忍びこんできた。形のよいマリーの眉がきゅっと寄せられる。
昨夜はお夕食を頂いたらすぐ部屋に戻った。寝る用意を済ませて、それからバルコニーに出て、思った以上に寒かったから外で待ち伏せるのはやめて――。
次の瞬間、つぶらな瞳がぱっちり開いた。
「そうよビスケット!」
半身を勢いよく起こすとマリーはベッドからまろび出た。毛足の長い絨毯のさらさらした感触を足の裏に感じながら窓辺を目指す。厚手のカーテンに飛びつけば、
「んっ……」
空はすっかり明るかった。眩しさに目を
ふるっと身を震わせてくしゃみをひとつ。まるで氷のように冷えたバルコニーをマリーはつま先立ちでそろりと歩いた。
こぢんまりとしたバルコニーの隅には小さなテーブルセットが設えてある。暖かい季節になればロッティにお願いしてここでお茶をするのだ。今そのテーブルの上には小花模様が可愛いマグカップと小皿が一枚乗っていた。
両手でカップを持ち上げた。用意したはずのミルクもビスケットも、どちらも綺麗になくなっている。
「まあお嬢さま! こんなところにいらしたんですか。まあ裸足!」
「ロッティ!」
びくりと振り返ればロッティが掃き出し窓からひょっこり顔を出していた。彼女は引っこんだと思うとすぐに戻ってきた。ショールを羽織らされ、有無を言わせず椅子に座らされ、足を拭かれて柔らかな室内履きを履かされる。
「あまり心配させないでくださいませ。お姿が見えなくてロッティは寿命が縮まりました」
「ロッティ、ねえ」
「こんな薄いお召し物でお外に出られては困ります。お熱が出れば辛いのはお嬢さまですよ」
「聞いてロッティ。昨日の夜、わたくしここにいたの」
「はい?」
きょとんと顔を上げたロッティをまっすぐ見つめ、マリーは人差し指を真横に向けた。テーブルセットの脇には陶製の植木鉢が置かれている。大人がひと抱えするほどの大きな飾り鉢だ。
「わたくし、ここに隠れようとしたのよ。でも寒くてすぐお部屋に戻ったの。テーブルは窓のところからでも見えるから大丈夫だと思って……そこまでは確かに覚えているのだけれど」
引っ掴んできた毛布を頭から被り、掃き出し窓の内側で息を潜めていたはずだった。それなのに。
「起きたらお布団の中だったの。ロッティ、何か知っている?」
「ええ、ええ。ロッティが運びましたからね。暗いお部屋で得体の知れない塊を見つけたときは息が止まるかと思いましたよ。今夜はちゃんとベッドでお休みになってくださいまし」
「まああ! ひどいわ、わたくし精霊が来るのを待っていたのに」
「まあ! 精霊なら昨日の朝も確認されましたでしょう? ビスケットがなくなったのはその証拠だと」
「違うわ、違うわ。それじゃあだめなの。だって、会いたいんですもの」
マリーはぴょんと椅子を降りると胸の前で両手指を組み合わせた。そうして膝をついたままぽかんとしているロッティをまっすぐ見つめた。
「わたくし、なんとしても精霊に会わなければいけないの。だから今夜は邪魔しないでね」
「今夜!? いけません。今度こそ風邪をお召しになってしまいますよ。夜風の冷たさを侮ってはなりません」
腰を上げたロッティがマリーの肩に手を置く。そのままぐいぐいと室内に促され、少女は慌てて彼女を振り仰いだ。
「それじゃあロッティが考えてちょうだい。風邪を引かないためにどうすればいいのか」
「ロッティが、でございますか?」
「そうよ。ロッティは大人ですもの。きっとわたくしよりいい案を思いつけるでしょう?」
期待をこめてマリーは首を傾げた。きらきら輝く瞳を前にロッティの眉根が寄る。
「……お嬢さま、どうしてもベッドでお休みになってはいただけないのでしょうか」
「ちゃんと精霊に会えたらね。……そうだわ、ビスケットとミルクの用意もお願い」
にこやかにぱちんと手を鳴らした。ロッティはしばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて大きな溜息をついた。
* *
今にもこぼれ落ちてきそうな満天の星。いつも小鳥たちの楽しげな合唱が響く森はひっそりと静まり返り、黒い影絵のように屋敷を取り囲んでいた。
バルコニーに出たマリーは真剣な顔でまっすぐテーブルセットに向かった。卓上で優しい光を生み出しているランタンのそばに小皿とマグカップをそっと置いた。
「お嬢さま、さあこれを」
ロッティが大きなクッションと毛布を抱えて出てきた。マリーは両手を広げ、口をへの字に曲げた。
「
寝巻きを二枚、靴下も二枚。その上からファーのついたコートを羽織り、頭にはナイトキャップ。足元は中敷の温かな上靴を履いている。
「寒くはございませんか」
「暑いくらいよ。ロッティったら本当に心配性なんだから」
「お嫌ならいつでもお部屋にお戻りくださってよいのですよ」
澄ました顔で言い放ったロッティにむうっと下唇を突き出し、マリーは飾り鉢の影に回った。ふかふかのクッションの上に腰を下ろすとすぐに毛布で
ロッティの指が森をさした。
「いいですかお嬢さま。待つのは〝竜の爪〟が真南に来るまででございます。〝森の女王〟がちょうど真南の方角になりますからね」
星空の下辺をギザギザと切り取るように広がる黒い梢が一箇所ぴょこんと飛び出している。その左上に真珠色の星がひときわ明るく輝いていた。
「聞いてないわ!」
「服もビスケットもお嬢さまの仰るとおりにご用意いたしました。これ以上はお応えできません」
「精霊はいつ来るかわからないのよ? 夜更けに来るかもしれないじゃない」
「ではお尋ねしますが、人の目に見えない精霊をお嬢さまはどのようにご覧になるおつもりです? 奥さまからも短時間ならばとのお言いつけでございます」
「お母さまに知らせたの!?」
「ご内密にできるわけがありませんでしょう? お許しいただけたことに感謝せねばなりませんよ」
マリーの頬がぷっと膨らむ。ロッティは肩を竦め「時間になりましたらお知らせします」と室内に戻っていった。
手すりと手すりの間に覗く黒い森をじっと見つめる。女王が星を戴くまであと一時間あるかどうか。見ている分にはずっと同じ場所で輝いているようだけれど制限時間は刻一刻と迫っている。果たして精霊は来るかしら。
僅かに首を伸ばしてみる。今のところ卓上の品に変化はない。
姿勢を戻すと何度目かのあくびを噛み殺した。クッションにはどうやらお日さまの魔法がかけられていたらしい。優しい匂いがするしお尻がほかほかと温かい。まるで眠りの国へ誘われているみたい。
身体の向きはそのままで斜め後ろあたりの床に手を伸ばした。昼のうちに置いておいた虫取り網の存在を確認するとマリーは再び膝を抱えこんだ。
「……きっと現れるわ。昨日もおとといも来てるんだもの。問題はいつ来るかということだけよ。何がなんでもわたくしがいる間に来てもらわなくちゃ」
ぐっと拳を握りこんだ。マリーの決意は固い――はずだった。
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