伝説のギタリスト

刈田狼藉

第1話:炎天と陽炎の季節

 ヤケに暑苦しい真夏の正午だった。あんまり冷えてない缶コーヒーを啜りながら自販機の横に立ち、タバコを吸いながらクラクラと気絶しそうに立ち尽くす庇の下から見たアスファルトの路面は、銀色に、いや真白に輝いて、目を開けているのが難しいくらいだ。髭が伸びかけた顎から滴る汗は、白く乾燥したコンクリートにパタリと落ちて黒い点を記すが、それは瞬く間に薄れて、三秒を待たずに跡形も無く消えてしまう。


 繁華街から少し離れた街道沿いのパチンコ屋の、そこから二百メートルほど離れた住宅地にある四階建ての雑居ビルの、その庇の下の、自動販売機の横に俺はいた。その雑居ビルの二階が、そのパチンコ屋の休憩所になっていて、ガランと何も無い二十五平米ほどの薄暗い部屋に、それこそクソ寒いくらいにガンガンにエアコンを効かせて、数名ずつ昼メシを喰って休憩しているのだ。


 それにしてもひどい熱さだ。


 眼が回り、息が苦しくなる程だ。陽射しがまぶしすぎて眼を開けていられない。生きるということは、苦しいことだと思った。熱で、身体の内側から、焼き焦がされてしまいそうだ。降伏し、負けを認め、すべてを捨てれば、この地獄の炎暑から免れることができるのか? もしそうなら、迷わずそうしたい、そう思った。


 食後の一服を済ませて二階に上がると、キンキンに冷えた薄暗い部屋の中、ギターを爪弾く細くて小さい音が聞こえてきた。楽器が鳴動している、というには余りに小さくて微かな音。シャカシャカ、という音に、キンッ、という短い金属音が混じる。ギターはギターでもアコースティック・ギターじゃなくて、エレキギターの音色だった。アンプに接続せずに弾いているのだ。つまりは練習だ。というか職場の休憩所にアンプなんか持ち込むハズもない。というか、それ以前に、ギターなんか持ってくんなよ、と言いたい。


「寝る」


 床一面に敷かれた休憩用の布団にあぐらを組んで座り込み、ギターを忙しなくシャカシャカ掻き鳴らす、その新人の若者こぞうに、俺は短くそう告げる。ギターなんか止めろ、うるせえ、という婉曲なメッセージだ。その部屋には俺とそいつしかいない。


さんって、昔ギターやってたんですよね?」

だよ」

「えっ、……?」


 意味が分からなかったんだろう。まあ、無理もないか。


「西の風、って書いて、、って読むんだよ」


 西風 ならい 達人たつと、——俺の名前。


「えっ、でもみんな、西風にしかぜさんって、……」


 俺は口元だけで少しだけ笑う。そう、みんな俺を西風にしかぜって呼ぶ。別に、どっちでもいい。


「いいぜ、西風にしかぜでもなんでも、で、なんだよ?」

「ギター、聴かせて下さいよ、バンドやってたんですよね? CDデビュー目前まで行ったって聞きましたよ」


 誰だ、こんな新人にそんな昔バナシ吹き込んだヤツは?


「むかしの話だよ、それにそんなヤツ、別に珍しくねぇ」


 そうだ、昔の話だ。俺は今、二十八歳だから、もう五年以上前のことだ。


「聴かせて下さいよ、っていうか教えて下さいよ」

「ダメだ」

「えっ、なんでですか?」

「触りたくねぇんだよ」

「えっ、それって、潔癖症とか、そういうことっスか?」

「違うよ、ギターなんか触りたくもないし、見るのもイヤなんだ」


 イヤ、というよりは、ツライ、が正確だろう。触れば、思い出す。どれだけ好きだったか。どれだけ真剣に向き合ってたか。どれだけの犠牲を払って、なおかつそれでも、……それでも愛して止まなかったか。


 職場の休憩所にまで持ち込むくらいだから、ギターが大好きなんだろう。夢だってあるんだろう。今は夢への、そんなところか? こいつのアタマん中の物語ストーリーは? そして当の小僧は、少しの間、黙って何かを考えているようだったが、顔を上げず視線だけこちらに向けて、こう訊いた。


「どうしてヤメちゃったんですか?」


 ムカついた、生意気だ、教えてやる、残酷かな?


「人間関係」


「は?」


 少しの間を置いて、若いそいつの顔に拡がるあざけりの表情。分からないなら、別にそれでいい、めんどくさい、人のことなんか、別にどうでもいい。


「バンドは一人じゃできない」


 俺はそう言いながらアタマの後ろで両手を組んで、冷たく湿った布団に仰向けにゴロっと寝ころんだ。そして欠伸あくびをしながら眼を瞑り、ボソリと呟いた。


「オマエも思い知る」





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